人間牧場

〇サカキとシキビ

 わが家には息子たち家族が使っているダイニングに神棚と仏壇、私たちのダイニング神棚それぞれがあります。毎日ご飯が炊きあがると、神棚と仏様にお供えをして食事をいただきます。これは子どもの頃からわが家ではごく普通の習慣として行われていますが、仏様にはシキビを、神様にはサカキを供えています。

 シキビもサカキも家の畑の隅に植えられていて、仏壇のシキビと神棚のサカキが枯れる前に私が剪定ハサミで切って来くると、若嫁が花器にシキビとサカキを差し、水を入れてお供えするのです。春は新芽、夏場は高温で長持ちしないので注意をしないと直ぐに枯れてしまいます。

 昨日も若嫁が、「お父さん、シキビとサカキが枯れ始めたのでもうそろそろ」と言うので、「よっしゃ」とばかりにシキビとサカキを用意してやりました。シキビとサカキを取り換えるとどこか気持ちがよく清々しく感じるものです。科学的には何の根拠もない神仏への感謝ですが、神仏のご加護によって家族が日々健康で平和に暮らせているのだと思う心が大事だと、家族に常々話しています。

「仏壇に シキビを供え 神棚にゃ 同じくサカキ 供えて祈る」

「神仏を 祀る風習 先祖から 無意識のうち 長男ゆえに」 

「わが家では 畑の隅に 植えられた シキビやサカキ 切って供える」

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人間牧場

〇ウッドデッキに苦汁菜の芽がでました

 人間牧場を造って早くも16年目を迎えています。私にとって人間牧場は家の横に造っている私設公民館煙会所、海の資料館海舟館、東屋夕観所とともに、日常や非日常活動の場所として大切にしている持ち物です。煙会所は40年、海の資料館は35年、夕観所は35年と随分活用してきましたが、人間牧場は自宅から10㎞も離れているため、利用頻度は低く築16年しか経っていませんが、そこここ老朽化が目立ち始めました。

ウッドデッキに生えた苦汁菜の緑

 その最たるものは畳25畳もあるウッドデッキで、何度か防腐剤を塗って持ちこたえてきましたが、高温多湿の日本では雨ざらしゆえ、15年が限界と思った最初の目論見通り、そろそろリニュアールが必要なようです。リニュアールとなるとかなりの出費を伴うので、家計に迷惑をかけることができないため、落伍のネタ本「夕日徒然草」などの販売でコツコツ溜めて備蓄している資金を活用して、ここ2~3年内には工事をしようと思っています。巷では人の懐を当てにするクラウドファンティングも流行していますが、私の好みではないので、そんな手法はするまいと心に決めています。

 一昨日人間牧場の草刈りに出かけた折、ウッドデッキの中ほどに、何やら緑の葉っぱが芽を出しているのを見つけました。ウッドデッキは板と板の間が水分やゴミを落とすように少し間隔が開いていますが、どうやらこの草は床の下からニョキニョキとお日様の恵みを求めて隙間から出て来たようでした。可愛くもありますがウッドデッキにそのままにすることも出来ず、写真に撮った後引き抜いて処分しました。

「昼休み 山弁食べつつ よ~く見ると ウッドデッキに 何やら緑」

「隙間から お日様求め ニョキニョキと 苦汁菜芽出し ド根性感心」

「16年 経つとデッキも 老朽化 そろそろ限界 苦汁菜がサイン」

「巷では 人の懐 当てにする クラウドなんて やってる人も」

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人間牧場

〇モンシロチョウは害虫?

 秋祭りのシーズンに入ったものの、今年は新型コロナウイルスの影響で神輿運行も中止となり寂しい限りです。秋も深まり朝晩は肌寒さを感じるようになりましたが日中は、体を動かすと汗ばむほどで、畑のあちこちではモンシロチョウが何匹か飛んでいます。

 モンシロチョウは家庭菜園に植え付けたばかりのキャベツやブロッコリーの葉っぱに止まって卵を産み付けるのです。卵は数日で青虫になって、ひどい時はまるでレースのカーテンのように食い荒らすのです。そのために植えると間もなく防虫ネットを張って防いでいますが、防虫ネットが足らなくなった無防備なキャベツやブロッコリー目がけてモンシロチョウがやって来るのです。

 青虫は保護色のためその存在が分かりにくく、取ったつもりでも見落としたり、所用で見回りができない時が続くと、あっという間に食べ尽くされてしまうのです。殺虫剤で防除すればいいのでしょうが、安心安全をモットーにしているわが家ではそれも出来ず、モンシロチョウを見つけると防虫網で捕獲して殺処分するのです。

 それを見ていた孫奏心が、「おじいちゃん、チョウチョを殺すなんてひどい」と叱責されました。訳を言い青虫の話に誘導しましたが、あまり効果がなく私は「チョウチョをいじめる悪者」になっているようでした。チョウチョが畑を飛び交う風景は何とも言えない長閑さです。先日近所の人が菜園で野菜に殺虫剤の消毒をしていました。殺虫剤で青虫を退治する人、チョウチョを捕まえて殺す私、青虫を捕まえて踏み潰す人、殺虫剤をかけた見た目綺麗な野菜を食べる人間、どれが一番いいのか、孫の一言が頭の中でグルグル回っています。チョウチョは害虫?。

「秋祭り シーズンなのに 日中は 畑にチョウチョ 長閑に飛んで」

「飛ぶチョウチョ 防虫網で 捕獲して 殺す我見て 孫が叱責」

「青虫は 保護色ゆえに 探しても 目につきにくく 葉っぱはレース」

「人間は 見た目綺麗な 物好む 殺虫剤を かけてる知らず」

 

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人間牧場

〇秋の夕日

 昨日は人間牧場での草刈り作業を終えて帰宅途中、運転していた軽四トラックのバックミラーとサイドミラーに、綺麗な夕日が映りました。横目に見上げながら通ったJR下灘駅のプラットホームには、夕景を見ようと集まった人が相変わらず沢山いて、賑やかそうでした。

潮風ふれあい公園から見えた夕日夕やけ

 こんな時は夕日のメッカシーサイド公園でと思うのですが、公園はリニュアール工事中で、狭い駐車場もいっぱいで中に入れず、仕方なく迂回して潮風ふれあい公園まで足を伸ばしました。運よく夕日の残照が海を照らし、とても綺麗な夕日を見ることができました。

 よく色々な人から、「夕日を見に行きたいのですが、いつの夕日がお勧めですか?」と尋ねられます。その都度、「あなたが見に来た時が一番」と笑って誘いますが、本当は空気の澄んだこの頃が一番綺麗に見えるようです。

 夕日を見に来た人たちと雑談をしながら見ていると、偶然親友の稲葉さんが通りかかりました。稲葉さんは砥部町の人ですが、公園の上の方に畑を作っていて、昨日は私と同じく農作業をしての帰りでした。一人で見る夕日もいいですがみんなで見る夕日もまた綺麗でした。

「♯真っ赤だな~ 双海の夕日は 綺麗だな~♭ 思わず歌い たくなる夕日」

「普通なら シーサイドにて 見るはずが リニューアル工事 車止めれず」

「色々な 人から聞かれる 質問は いつの夕日が 一番綺麗?」

「空気澄む 秋の夕日が ひょっとして 一番綺麗 いやいや年中」

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人間牧場

◯人間牧場にて

今日はこちらの地方では通称「くだり」という北東の風画強いものの、雲一つない秋晴れです。そんな好天気に誘われ、急な思いつきで人間牧場の草刈りに来ています。

今は時折かかってくる携帯電話に対応したり、休憩時間を利用して持参しているタブレットで、こうしてfaceBookに記事を、自宅から遠く離れた人間牧場で書くこともできるのですから、便利な世の中になったものです。

標高130mの高台からは愛媛県はもとより、山口県や広島県の島々まで一望でき、一人占めするのは勿体ないほどの眺望です。

今月はここ人間牧場で、子ども体験塾やジュニアリーダーの研修会が相次いで開催される予定です。来客を気持ちよく迎えるためにも、今日はもう人踏ん張り草刈りを頑張りましょう。

人間牧場からの眺望

 

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人間牧場

〇煙会所の大掃除

 このところどういう訳か2~3人の来客が多く、毎日の様に人がやって来ます。その都度わが家のゲストハウスである親父が住んでいた隠居家と、囲炉裏のある私設公民館、それに東屋(屋外)を使い分けていますが、やはり圧倒的に多いのは私設公民館煙会所です。

大掃除した私設公民館煙会所の囲炉裏部屋

 そんなこともあって昨日は午前中、煙会所の畳を濡れ雑巾を固く絞って拭いたり、併設しているトイレの掃除をしました。自宅の掃除は余程のことがない限り妻に任せきりでしませんが、ゲストハウスの隠居家と私設公民館煙会所の掃除は私の仕事だと認識して、人が来る前に掃除をしています。

 少しずつですが秋も深まり始め、間もなく囲炉裏の火が恋しい季節になってきました。そのため昨日は自分が端材で作った炭箱に炭をいっぱい入れ、火おこし用の木っ端や火吹き竹も綺麗に拭いて火箸、じゅうのなどの7つ道具も準備をしました。これでいつ寒さが来ても大丈夫です。

 芳名禄など必要ないと思い置いていないので、記録には留めていませんが、この煙会所にはかつて永六輔さんや竹村健一さんなど著名人も沢山見えられ、囲炉裏を囲んで色々な話をしましたが、その人たちもいつの間にか鬼門に入り、寂しい限りです。

「このところ 知人友人 足繁く わが家を訪ね その都度懇談」

「わが家には ゲストハウスが 三つある 隠居や東屋 囲炉裏部屋まで」

「客筋に 応じてそれぞれ 使い分け それぞれ趣き 違うからいい」

「秋深く なると囲炉裏が 恋しくて 炭火で煮炊き それもまたよし」

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人間牧場

〇届けてもらった稲わら

 昨日外出先へ友人の本多さんから、「頼まれていた稲わらを庭先に届けておきます」と電話が入りました。所用を済ませて夕暮れ時自宅に帰ると庭先に、稲わらが積まれていました。運よく自宅にいた孫奏心がその様子を話してくれました。日暮れまでにはまだ時間があったので、早速稲わらをビニール紐で運べるほどに束ね、一輪車で倉庫の隅の稲わら置き場まで運び入れました。

本田さんが届けてくれた稲わら
本尊山も秋の夕焼け

 最近の稲刈りは稲わらを小刻みにカットして田んぼに戻すので、稲わらを貰う手立てがなく、2年前から元地域おこし協力隊の本多さんが、稲木にかけて稲落としした稲わらを確保してくれるので、近くの田んぼへ貰いに行っていましたが、今年は忙しいのにわざわざわが家まで運んでもらい、恐縮しました。

 倉庫にストックした稲わらは来年初夏になると、家庭菜園に植えるスイカ畑の敷きわらに使います。本当は麦わらが良いのですが、ここら辺で大麦を作る人は今時殆どなく、麦わらも手に入らないので稲わらを使っています。これも循環型農業なので、本多さんにお礼の電話を入れました。

「庭先に 稲わら届き ビニールの 紐で束ねて 倉庫の隅に」

「最近は 稲刈り同時 稲わらは 刻まれ田んぼ 還元される」

「来年の 夏に稲わら 畑敷き スイカを作る 早くも準備」

「お陰様 稲わら雨に 濡らさずに 収納出来て 安堵しました」

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人間牧場

〇国勢調査を終えました

 今年は5年ごとに行われる国勢調査の年です。国勢調査は正確な統計を作成するため、統計法という法律によって国民は、調査項目に回答する報告義務が定められています。数日前近所の調査員が調査票をわが家へ持って来てくれました。最近はインターネットでも回答ができるようになっていますが、私はあえて黒鉛筆を削って調査票の家族状況を塗りつぶして行きました。

5年に一度の国勢調査

 塗りつぶしながら、わが家の家族状況を色々記入し始めると、息子や若嫁、それに同居の孫たちの生年月日を知っているはずなのにとっさに思い出せず、息子に携帯電話で確かめたりする慌てぶりでした。全て記入し終え、記入漏れや間違いがないかもう一度確認して、専用の切手不用封筒に入れ、歩いて近所の郵便局の郵便ポストに投函し一件落着でした。

 今年は新型コロナ統計ともいうべき予期せぬ時代背景があり、感染拡大で倒産する企業や失業者が出るなどの悪影響を反映した結果になるだろうと想像しています。5年後に行われる次の国勢調査の頃にはワクチンも開発され、マスクの要らない世の中になることを期待しています。そういえば5年後には私も生きていれば80歳です。

「今年は 5年に一度の 調査年 国民の義務 調査に協力」

「同居人 生年月日 いつだった? 記入も出来ず 息子に電話」

「記入漏れ ないか確認 封筒に 入れて糊付け ポスト投函」

「今回は コロナの影響 反映し 倒産・失業 もろに現る」

 

 

 

 

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人間牧場

〇75歳にしてクラフトに挑戦

 6年前に亡くなった親父は何かにつけて器用でした。ゆえに今も家の周りには親父の造ったものがやたらと多く、暮らしやすい工夫が随所に見られ助かっています。器用な親父には何か困りごとがあれば何でもやってくれるので、自分がする必要もなく日々を暮らしてきました。そんな私を見た親父からは、「お前は不器用だ」といつも言われていました。

掘り始めた馬路村産魚梁瀬杉の盛り皿
ケヤキの板を使い掘り始めた自在吊り

 ところが親父が亡くなると頼れる人もなく、仕方なしに親父の遺した道具類を使ってあれこれやっていますが、流石にこの歳になると進歩の跡も見られず、釘を打つはずの金槌で手を叩いてみたり、鋸で手を切ったりと大怪我はしないもののすり傷切り傷は絶え間がないほどで、その都度リバテープを貼って回復を待つ有様です。

 それでも何かを作ってみたいと思うようになり、蜜蜂の巣箱を作ったり、妻に頼まれて掃除道具置き場作ったりしてますが、少し自信のようなものが頭を持ち上げ、難易度の高いクラフトに挑戦し始めました。何年か前高知県奈半利町に住む坂本利男さんから馬路村産魚梁瀬杉の切り株をいただきました。その切り株は親父の手で座卓に生まれ変わって、人間牧場の水平線の家に運び、私の落伍高座の演台として使っています。

 切り株を貰った折、魚梁瀬杉の一枚の板をいただいていました。何をするでもなく煙会所の床下にしまっていましたが、先日その板を何かに出来ないかと思い立ち、木製の少し大き目の盛り皿を作ってみようと思い立ちました。早速ノミやカンナを使って掘ったり削ったりしました。同じように倉庫に保存していたケヤキの板を使って、煙会所の天井から自在鉤を吊るす自在吊りも造り始めました。

 クラフトというにはまだまだ修行が足りませんが、2つとも私が初めて挑戦し始めた木工工芸品?なので、その仕上がりを楽しみにしている昨今です。私は明日76歳の誕生日を迎えます。数え年だと喜寿ですが、来年の77歳までにこの二つを綺麗に仕上げ、自在吊りを取り付け、盛り皿に鯛の活け造りを置いて、煙会所の囲炉裏を囲んで喜寿のお祝いをしたいと思っています。乞うご期待です。

「不器用と 親父に烙印 押されたが 性懲りもなく クラフト挑戦」

「魚梁瀬杉 板を使って 盛り皿を 彫ってみようと ノミとカンナで」

「ケヤキ板 使って自在 吊り作る イメージ通りに 中々できぬ」

「これからは こんな趣味にも 手を出して 豊かな人生 謳歌をしたい」 

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人間牧場

〇トリアージという言葉の意味

 昨日は定期健診の日でした。8時30分から受付・診察の予約なので、通勤時間と重なって市内での渋滞があるかも知れないという予測をして、自宅を少し早めの午前7時に出ました。普通であれば40分ほどで到着する予定ですが、病院の入り口付近で少しだけ渋滞に巻き込まれ、結局病院に着いたのは午前8時でした。自動受付機で受付を済ませ、2階の検査場で検尿などの検査を終え、外来診療受付を済ませて外待合で診察順番を待ちました。

待合室で聞く様々情報

 水曜日の午前中ながら待合室の椅子は、コロナ対応のため真ん中の席がに貼り紙がされ、間隔を置いての着席のためほぼ満席状態でした。患者さんの中にはいくつもの病気を抱えている人も多く、またそれなりに勉強しているのか、知ったかぶりで病気の知識を、隣の席の人にさも得意げに話をしていました。その人から「トリアージ」という聞き慣れない言葉を聞きました。大災害が発生し避難所が著しく不足する状況の時、避難所の利用者に自宅を失った人、高齢者、しょう害者などに優先順位をつけて受け入れる仕組みです。

 その人が、「大災害の時なら分かるが、新型コロナのような時にこのトリアージで優先順位をつけられると、私のような疾病持ちは健常な人に比べ助かる比率が低く、黙っていると処置もされず殺されかねない」と話されました。助からない命に時間をかけるより、助かる可能性が大きい順に2人、3人と救う方が「正しい」という理論も分かりますが、命の選別や命のランク分けはあってはならないと思い、その人の話を興味深く聞きました。

 新型コロナの流行がによって、私たちの身の回りでも「トリアージ」のような様々な横文字言葉が飛び交うようになりました。知ったような顔をしてはいるものの、私たち一般市民にはその意味さえも知らず知らされずやり過ごしていますが、デジタル手段を持たない一般市民には、オンラインやズームなどさえもまるで別世界の話なのです。待っているとその内デジタル表示に自分の番号が表示され、中待合を経て診察をしてもらいました。今回も異常が認められずホッとしましたが、次回は正月明けの1月6日の予約を取って病院を後にしました。

「三ヶ月 一度の定期 検診に 出かけ受付 待合室で」

「病院の 待合室は ほぼ満員 隣に座った おじさん熱弁」

「トリアージ 知っているかと 尋ねられ あんたは偉いと 誉められました」

「もし順位 つけられたなら 何番か? 言われてドキリ 処置なしあの世?」 

 

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