人間牧場

〇井戸の修理

 わが家には上水道、裏山清水、井戸の3つの水系水源があります。裏山清水は大雨の度に掃除をして、3つの貯水タンクでろ過して野菜洗いや雑用に使っていますが、井戸に関しては農業用や庭の散水に便利この上なく、蛇口をひねれば井戸ポンプが自動的に作動して、何の疑いもなく使っていました。

木製からコンクリート板に替えた井戸蓋

 ところが2日前ポンプが急に動かなくなり、この際井戸の掃除をしようと息子と相談し、水中ポンプを入れて底に溜まっていると思われる汚泥をくみ取りました。変わって防火水槽の水を井戸に入れたり出したりしながら井戸掃除をしましたが、井戸ポンプは停止ボタンが作動してどうしても動かないのです。

 親父が存命中作ったポンプ下の板も腐ってボロボロになり、取り換えねばポンプが井戸に落下する恐れがあるので、コンクリート板に取り換えることにしました。ホームセンターに出かけてコンクリート板を探しましたものの、お目当てのものが見つからず思案していましたが、昨日妻の実家へお墓参りに出かけた帰り、オズメッセグリーンに立寄り、コンクリート板を見つけました。

 帰宅後連休休みだった息子が手伝ってくれるというので、再び軽四トラックで大洲まで出かけ買って帰りました。コンクリート板をコンクリート切断用の刃に付け替えたグラインダーで半分に切ったり、エスロンパイプの通り道を作ったりして、何とか夕方までに仕上がりました。ポンプは近所の水道工事店の専務さんに診てもらい、嬉しいことに難なくドライバー一本で作動し始めました。今日は残りの作業をして仕上げたいと思っています。

「井戸ポンプ どういう訳か 突然に 動かなくなり 息子手助け」

「井戸の底 かき混ぜながら 水中に ポンプを入れて 大掃除する」

「存命中 親父作った 井戸の蓋 腐ってボロボロ 直そう決意」

「見つけてた ホームセンター 買い出かけ コンクリート板 使って修理」

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人間牧場

〇暑中見舞いから残暑見舞いへ

 8月7日は立秋でした。雪が降ろうが雨が降ろうが余程のことがない限り「1日3枚のハガキを書いたら幸せになれる」という言葉を信じて、20年以上もず~っと続けている「1日3枚のハガキ書き」ですが、うっかりミスで立秋が過ぎれば暦の上では暑中見いから残暑見舞いに変えなければならないのに、この3日ほど暑中お見舞いと書いてしまいました。

暑中見舞いから残暑見舞いへ

 普通の人なら気づかない日本の季節言葉変化を、知っている人も少なくなったので、どおってことはありませんが、差し出したものは仕方がないとして私の小さなこだわりで、昨日からハガキに「残暑見舞い」と書き始めました。季節の移ろいは早いもので、先日植えたと思っていた田んぼの稲は早くも頭を垂れて色づき始め、その上をアキアカネトンボが無数に飛び交い、まさに「目にはさやかに見えねども・・・」秋の気配が忍び寄っています。

 歳をとったせいでしょうか、日々があっという間に過ぎ、早くもお盆の季節となりました。昨日は夕方から人間牧場の畑へお墓に供えるシキビを切りに出かけました。わが家のお墓2束、妻の実家のお墓6束、家の入口のお地蔵さん2束と、合計10束のシキビはかなりの量で、持ち帰ったシキビを10束に分け枝元をビニールの紐で縛り、バケツに水を張って用意をしました。

 本当は昨日お墓参りに行く予定でしたが、警察官をしている3男が急遽日帰り帰省したので1日遅らせ、今日は朝食が終わると妻と二人でお墓参りに行く予定です。小型の台風が近づいているようですが雨の心配はないようで、妻の実家のお墓のある八幡浜まで海岸国道378号線を走ろうと思っています。ほとんど無意識ながらお盆が来るとシキビを用意して、お墓参りに出かけるという風習が暮らしの中に定着している初老と思える私たち夫婦です。

「立秋が 過ぎたというのに うっかりと 暑中見舞いと 書いてしまった」

「昨日から 残暑見舞いと 書くハガキ こんな小さな ことに気づくか?」

「歳とった 証拠だ一年 早く過ぎ お盆迎えて 墓参り準備」

「今年は コロナ禍ゆえに 何となく セミの鳴き声 違って聴こえ」 

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人間牧場

〇高齢者ドライバー講習

 来月晴れて?後期高齢者となる予定の妻に、警察から高齢者ドライバー講習の通知が来ました。「ついに来た!!」と嫌々ながら納得し、前回70歳以上の高齢者講習でお世話になった自動車教習所へ申し込んだところ、9月まで空いていないと断られてしまいました。急ぎ慌てて思いつく教習所へ連絡しても同じような返事で、最後にかけた久万高原町にある上浮穴自動車教習所が引き受けてくれ、昨日は不安な妻の付き添いということで、妻の仕事が終わった昼から妻運転の車の助手席に乗って出かけました。

妻の高齢者講習に付き添いました

 久しぶりの夫婦そろってのドライブだと思えばいいのですが、妻は認知症テストのことが気になって、かなり緊張しているようでした。受付を済ませ妻一人を控室に残し、約1時間ほどの講習時間の間私が運転し、久し振りに久万高原町のあちこちで時間つぶしをしました。曲がりくねった三坂峠道を迂回する、長いトンネルや新しい道路が出来たお陰で、遠いと思われた久万高原町も一気に時間短縮され、私の町からでも1時間ほどで行けるようになりましたが、高知に行くには川之江経由の高速道路を使うようになり、余程のことがないと通らなくなったため、半年ぶりの久万高原町でした。

 午後3時20分の待ち合わせ時間に再び教習所に戻ると、妻は講習を終えたようでしたが、講習の様子や認知症検査の模様を話してくれましたが、一週間後結果通知があり、結果が良ければ車に乗る実技講習に再び出かけなければなりません。高齢者の事故が多発しているため仕方のない講習制度でしょうが、高齢者にとってはかなり難易度の高いハードルなので、来年私もその講習を迎えなければならないとあって、帰りは私が運転し助手席に乗った妻に、色々と講習の模様を聞きながら帰宅しました。妻はいつになく心労したようで、「疲れた」を連発していました。

「あちこちの 教習所電話 するものの あいにく満席 困ってしまって」

「上浮穴 教習所取れ 助手席に 乗って付き添い 講習出かけ」

「1時間 認知症など 講習や テストを受けて 疲労困憊」

「1週間 すれば通知が あるという 今度は実技 難関待ち受け」

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〇孫が語るメダカの蘊蓄

 前回は時間の手違いで参加することが出来なかった松前いいとこ見つけ隊の役員会に参加しました。10人ほどの小さな会ながら、全員マスクをつけスクリーンなども用意された会議室で、これから予定されている子ども夢会議などについて話し合い、会議終了後夢会議を行う予定の古民家渡部さん宅へ出かけました。

 渡部さんは女性の町議会議員さんですが、お宅は松前や松山地方特有の立派で古い長屋門のある構えで、軒先には明治年間の記述のある金毘羅信仰の木製お札が何枚も掲げてある古民家です。10月にはこの周辺で子どもたちとまちづくりについて話し合ったりするのが楽しみです。

 渡部さんさんご夫婦は広い庭の隅にビオトープを造ったり、カメや壺などでメダカを飼っていて、お裾分けしてもらい容器に入れて持ち帰りました。自宅に帰ると早速親類の叔母から貰ったメダカの鉢に、山水清水を入れてメダカを移しました。メダカはぬるま湯状態だった容器から解き放たれ、一緒に貰って来た水草の下を気持ちよさそうに泳いでいました。

 そこへ5年生の孫奏心が帰って来て、理科の先生に教えてもらったというメダカの蘊蓄を語り始めました。メダカは淡水魚ですが、人間が人為的に移動させない限り生まれた水系で一生を過ごします。水温が25度以上になると卵を産み続けて増えて行きますが、安易に色々な個体を混ぜ合わせると、生態系が崩れるから気をつけるようにとのことでした。

 水産高校出身の私なのでそのことは知り抜けごん坊ですが、かつて向井千秋さんという宇宙飛行士が宇宙に持って行き、宇宙から帰還したメダカが「宇宙メダカとして双海町にも届きました。その折宇宙メダカが生態系を崩すという話を地域づくり仲間と真剣に話し合ったことを思い出しました。孫もそんな小理屈を言えるように成長したのかと、納得しきりでした。

「久しぶり お隣の町 役員会 縁もゆかりも ないのかあるのか」

「ご立派な 長屋門ある 古民家を 訪ねそこここ 二度目見学」

「飼っている メダカ数匹 貰い受け 持ち帰り水槽 水張り泳がす」

「先生に 習った蘊蓄 語る孫 いやはや驚き 成長証」

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〇子どもを抱く子ども

 一昨日子どもおもしろ大作戦に集まった20人ほどの町内の子どもたちは、天草を使ったフルーツゼリー作りに挑戦しました。缶詰の蓋を切ったり、天草を煮るのに火や熱湯を使うので、低学年は体育館の木陰を利用した涼しげな屋外で、色々な遊びをして楽しみました。

 町内には小学校が小規模ながら3校ありますが、日ごろ子ども体験塾などで校域を超えた活動をしているので顔見知りの子どもが多く、みんな顔馴染み、みんな仲良しで、年上の子は年下の子を大事にしてくれています。

 

子どもを子どもが抱く微笑ましい姿

 この写真のお姉ちゃんはシャツの色合いが同じようなので、一見姉妹かな?と思いましたがそうではないようでしたが、抱っこしたりおんぶしたりして、一緒に面倒を見ながら遊ぶ姿は何とも微笑ましいものでした。

 最近は少子化の影響で兄弟姉妹のいない一人っ子もいて、家庭で兄弟姉妹喧嘩さえもできない子もいて、寂しい限りですが、子どもを双海家族と思って育てる子ども体験塾などの教育=共育は、人間愛を育てる意味からもいい取り組みだと自負しています。

「双海の子 みんな元気で 仲が良い 年上の子が 年下面倒」

「何気なく 子どもが子ども 抱っこした 姿見せられ 顔がほころぶ」

「少子化で 町内子ども 少ないが みんな知り合い スモールまたよし」

「最近は 兄弟姉妹 いないため 喧嘩相手も なくて寂しい」

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〇若嫁の新車購入

 わが家には、私用自家用普通車1台、妻用軽四トラック1台、息子通勤用普通乗用車1台、若嫁通勤用軽四1台、私用50㏄バイク1台、自転車4台(孫用2台、息子用1台、妻用1台)があります。私が子どもの頃は乗り物と言えば自転車が1台あった程度ですから、世の中は変わったものだとしみじみ思います。

若嫁の買った軽四新車

 自転車を除けば車類は全て2年に一度車検という検査があってまるで金食い虫のようです。車検の度に10万円以上もする税金や車検料を車屋さんに払わなければなりませんが、車検の度に新車購入の話が話題になります。車に余りこだわらないわが家では、今の車は性能もよく長持ちするので、「限りある資源を大事にする」なんて格好いい言い訳を見つけて、「乗れる間は乗り潰す」よう心がけています。

 今月は私の愛車の車検です。ディラーさんから連絡があり、先週車検に持って行き無事13年目の車検を終えました。これから2年間は事故に遭わないよう気をつけて乗るつもりです。若嫁の愛車も今月が車検のようでしたが、若嫁の軽四もかなり古くなったようなので、家族会議で新車に買い替える相談がまとまり、2日前新車が納車されました。

 カーナビなどの純正装備を合わせると軽四と言えど200万円近くもする立派なもので、至れり尽くせりの装備に家族みんなが感心しきりでした。孫たちもまるで自分の車のように嬉しそうで、昨日は孫の案内で車内見学会と相成りました。私も2年後の車検時には新車購入の話が必ず持ち上がります。多分私の年齢だと生涯最後の新車購入となるものと思われますが、遠出できない年齢のことを考えれば軽四もありかなとも思っています。それにしても車の装備進化は凄いです。

「わが家には いつの間にやら 何台も 車があって 便利な世の中」

「2年毎 車検が来る度 どうするか 相談するが 買えない買わない」

「若嫁の 愛車この度 買い換える 孫たちまるで 自分の車」

「2年後に 新車するかも? 考える 人生最後の 車購入?」

 

 

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〇疲れたけれど充実一日

 昨日は忙しい一日でした。午前中は午前10時から松山市立北条南中学校に出向き、金融広報アドバイザーとして金融教育の進め方について先生方について90分の講義を行い、終わると直ぐに堀江から道後に抜ける山道を通って愛媛大学まで戻り、昼食を摂る暇もなく午後1時から始まる社会教育主事講習にやっと間に合いました。午後からの講義は途中15分の休憩を挟み90分ずつ2コマの講義でした。日ごろ慣れているとは言いながら、新型コロナウイルスの影響で講演講義活動から少し遠のいていたこともあって、多少不安が頭をよぎったものの、今まで以上に周到な準備を心がけたため、お陰様で90分×3回=4時間半の講義を何事もなく無事終えました。

真夏の夕日夕やけ

 衰えを知らぬ饒舌さとパワフルさに「まだまだ捨てたものではない」と、多少自信を持ちましたが、今回は3蜜を避ける会場設えと、飛沫感染を避けるスクリーンの前で、しかもマスクをつけての講義は息苦しく、マスクをつけて表情が分かりにくい受講者を前にした講義は、想像以上の疲労を感じました。新型コロナが沈静化するまでは多分こんな努力をしなければならず、より分かりやすく伝えるために、もう少し作戦を練り直さなければならないと実感しました。

社会教育主事講習会場

 4時間半の講義を終え、帰宅途中に身近に迫った講演会の打ち合わせをするため途中30分ほどホームセンターの駐車場で友人と立ち話をして三秋峠を越え、いつものように高野川の海岸まで戻ると、まるで鏡のような凪いだ海に、真夏特有のぼやけた夕日が見えました。今まで何度この海や夕日夕焼けに癒されたことでしょう。ある意味この海と夕日夕焼けは私のこころのふるさとでもあるようです。

「一日に 4時間半も 人前で しかもマスクを つけて講義する」

「講義終え まだまだいけると 自信持つ 聞いた人たち どんな反応?」

「帰り道 峠を降りた その瞬間 真夏の海は 夕日夕やけ」

「この景色 何度癒され 見たことか 母なる海は 今日も穏やか」 

 

 

 

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人間牧場

〇アジとサバの刺身は美味しい

 関アジ・関サバといえば、東京辺りでは超がつくほど名の知れた、庶民の口には中々入らない海のブランド魚です。この魚は九州と四国の間にある豊後水道で大分の漁師さんが手釣りして、佐賀関に水揚げされますが、同じ漁場なのに愛媛の漁師さんが釣った魚は関アジ・関サバと呼ぶことができないのです。

 

 その豊後水道を泳いで瀬戸内海へ入り、回遊してわが町の漁師さんが網で獲れるアジやサバも同様で、この時期サワラ流し網にかかるアジやサバは流通には殆ど乗らず、有難いことに時々お裾分けされて私にも届くのです。昨日の朝は丸々太っったアジとサバが漁師さんから沢山届きました。

 早速粗調理をして冷蔵庫に入れて保冷し、夜の食卓にはプリプリのアジとサバの刺身が出て舌鼓を打ちました。通称青魚と呼んでいるアジやサバやハマチ、イワシ、サワラなどにはDHCなど、人間の体に不可欠な栄養分がかなり多く含まれているようで、最近は好んで食べられているようです。

 それにしても海沿いの町に住んでいると、有難いことに日常的に新鮮な旬の魚が届きます。私は魚が届くと包丁を研ぎ、裏にしつらえた専用の屋外流し台に立って、粗調理をするのがまるで日課のようになっていて、家族からも「お魚じいちゃん」と呼ばれ重宝がられています。勿論私も魚大好き人間なので、すっかり上達した腕をまくって張り切っています。

「この時期は サワラ流しの 網かかる 太ったアジ・サバ わが家に届く」

「早速に お魚じいちゃん 出番あり 腕をまくって お魚調理」

「食卓に アジ・サバ刺身 新ショウガ 薬味の醤油 つけていただく」

「健康な 体調維持に 欠かせない 魚沢山 毎日食べる」

 

 

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人間牧場

〇丸木舟の船首切り取り(その1)

 道の駅シーサイド公園内の中庭に展示していた丸木舟は、最近始まったリニュアール工事で行き場を失い、断腸の思いで廃棄処分をする決断をしていました。その心情をブログに書いて吐露したところ、沢山の知人や友人から有難いご意見をいただきました。

 一度は廃棄と決め、丸木舟の思い出にと舵櫓と大入り看板を持ち帰り、手入をして自宅横の海の資料館海舟館に展示をしましたが、今やれる青春と銘打って作った思い出深い丸木舟の痕跡を残すべきとの沢山の意見を汲んで、丸木舟の舳先だけを切り取って保存する妙案を思いつきました。

 早速市役所に勤める木曽さんに連絡し、工事業者に了解を取り付けてもらい、一昨日事前に打ち合わせをしていた木曽さんと二人で現場に入らせてもらい、切り取り作業を行いました。チェンソー持参の木曽さんが切り取り作業を一手に引き受けてくれ、私は切り取り作業を記録写真に収める程度となりました。

 約4ヶ月もかけ、青春時代に一本の原木をくり抜いて造った思い出の丸木舟の舳先は、あっという間に切り取られ、現場作業員の皆さんに手伝ってもらい、中庭まで手がきで私の軽四トラックに積んでもらいました。運び出しは3日後の予定でしたが、造作もなく作業を終えて自宅まで持ち帰り、あゆみ板を掛けて一人で中庭に下しました。

「丸木舟 一度は廃棄 決意した ブログ心情 大きな反響」

「残すべき そんな意見に 耳動き 舳先切り取る 妙案浮かび」

「友人が チェンソー持参 手伝って あっという間に 切り取り終える」

「手がきにて 軽四荷台 積み込んで 自宅の庭に 一人で下ろす」

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人間牧場

〇花の命は短くて・・・

 ご存じ林芙美子の小説に「花の命は短くて、苦しきことのみ大かりき」と言う言葉が書かれています。咲いて散るはかない花の命を短い人生に例えた言葉でしょうが、今年は特にその言葉を実感しています。

裏庭に咲き始めた真っ赤な芙蓉の花
玄関で咲く鉢植えの芙蓉の花も見事です

 去年の秋近所に住むおばさんに、剪定を終わった芙蓉の小枝を何本かいただき、プランターに挿し木をしました。運よく10㎝ほどの挿し枝20本は全て活着し、植え替えて定植した路地植えも植木鉢植えたものも活着し、このところ朝になると目の覚めるような真っ赤な大輪の花を咲かせてくれています。

 ところがこの花は、「花の命は短くて・・・」の言葉通り、朝咲いても夕方にはまるで夏の太陽が西の彼方に夕日となって沈むように萎んで、ついには地上に落ちてしまうのです。この花の姿を見て、人生を語ったり仏教の教えを思い出すほど博学ではありませんが、盛りを過ぎた自分の人生に重ねながら、このところ毎朝毎夕花を眺め感傷にふけっています。

 芙蓉の葉っぱは美味しいのか、時々ガの幼虫と思われる毛虫や青虫が止まり、気がつかずほおっておくとまるで網目のように食い荒らしてしまうので、毎朝見回って捕獲処分しています。今年のわが家の庭は真赤な芙蓉と黄色いヒマワリで、いつになく華やいでいて、新型コロナウイルスの影響で沈みがちな心を癒してくれています。

「赤芙蓉 今年初めて 咲きました 見事な花に 心癒され」

「この花の 寿命はたった 一日で 咲いて萎んで はかなく終わる」

「わが人生 花に例えりゃ 夕方の 萎んで間もなく 散る時期だろう」

「今年は 冬ヒマワリ 家周り 花に囲まれ 暑さ忘れる」

 

 

 

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