人間牧場

〇享年と行年

 最近は便利になって、必要な用件はいち早くPCや携帯電話にメールが入るので、チェックを怠らなければ瞬時に伝言が伝わります。昨日親友から親友のお母さんが亡くなったという知らせと、通夜や葬儀の段取りメールが届きました。人の死は突然やって来るので、メールを受けた私は、早速予定表を開け、出席できるかどうかをチェックしますが、あいにく予定が入っていて、葬儀に出席できないため昨日の夕方、友人と待ち合わせて通夜式に出かけました。

 午後6時開式を逆算し、松山市内宮の葬祭会館に30分前に到着する目論見を立てて車を走らせました。夕方のラッシュ時期でしたが渋滞に巻き込まれることもなく、カーナビのお陰で迷うこともなく予定通り到着しました。
 仕事や都合で通夜にも葬儀にも出席できない仲間から頼まれた香典を、受付で差し出して住所録を書き、お返しの品を頂いて2階の通夜会場へ入りました。穏やかなお姿でお母さんは安置されていました。枕元で親友夫婦が淋しそうに座って、相次いでやって来る弔問客にあいさつをしていました。唇に水を差し線香を手向けてねんごろに弔いました。

 丹原からやって来た菩提寺の和尚さんの読経で通夜式は始まりました。浄土宗の物悲しい読経に心を揺さぶられ、30分余りの読経の後少し長めの説教が20分以上もありました。私はお坊さんの説教はためになるお話が多いため、しっかりと聞くようにしています。この日の説教は浄土宗のいわれや教祖法然についてが殆どでしたが、享年と行年について聞くことができました。「享年とは人が天から享けた年数」「行年とは娑婆で修行した年数」だそうで、結局は意味的には大差がなくどちらでもよいというお話でした。

 年齢は生まれる時点が0歳ですが、母親の胎内で10月10日を過ごすため、生命的には生まれた時点で1歳なのです。ゆえに誕生日の10月10日前から死を迎えるまでの年を数えたものが享年と行年なので、必ずしも数え年と一致しないのもそのためのようです。
 仏教辞典によると享年・行年とは、「天・大自然から享けた年数」「この世に存在した年数」のことだそうです。行年は「何歳まで生きた」ということで「歳」をつけ、享年は「歳」をつけないそうです。最近は紛らわしいので位牌に「満〇〇歳」と満年齢を書く人もあるようです。昨夜の通夜式もいい勉強をさせてもらいました。

  「突然に 人はなくなる 私にも 予定があって 中々出れず」

  「行年と 享年違い 言われたが 結局大差 ないと認識」

  「人間は 母のお腹で 既に生き 死ぬときゃそれを 足して計算」

  「淋しげな 友の顔見て つい涙 母との別れ 辛いものです」

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