〇私はわらしべ長者かも?
むかしむかし、ある所に正直者ですが運の悪い男が住んでいました。朝から晩まで働けど働けど貧乏で、運がありませんでした。
ある日のことです。男は最後の手段として、飲まず食わずで観音様にお祈りしました。すると夕方暗くなった時、観音様が目の前に現れ、こう言いました。「あなたはこの寺を出る時転がって何かをつかみます。それを持って西に行きなさい」。男はお寺を出ようとした時転んで何かをつかみました。それは一本のわらでした。何の役にも立たないと思いましたが、男はわらを持って西に歩いて行きました。アブが飛んできました。男はアブを捕まえるとわらの先に縛りつけて歩きました。
町にやって来ると赤ん坊がわらの先のアブを見て泣き止みました。嬉しそうな赤ん坊を見て男は、わらを赤ん坊にやりました。代わりに赤ん坊のお母さんからミカンを3つ貰いました。しばらく行くと娘さんが道端で苦しんでいました。水を欲しがっていたので男はミカンをあげました。娘さんはよくなりお礼に綺麗な絹布を貰いました。しばらく行くと侍と元気のない馬に出会いました。美しい絹布を見て侍は馬と交換して欲しいと頼みました。男は夜通し交換した元気のない馬の面倒を見たお陰で、朝には元気になりました。
馬を連れて西の城下町にやって来ると、長者さんがその馬を見てたいそう気に入りました。男は長者さんの家に招かれました。娘さんが長者さんと男にお茶を持ってきました。何とその娘さんは、男がミカンをあげた娘さんでした。長者さんは不思議な縁と男の優しさに心打たれ、娘を男の元へ嫁がせることにしました。男は観音様に言われたとおり、わら一本で長者になりました。男は生涯わら一本も粗末にしませんでした。村人はその男のことをいつの間にか「わらしべ長者」と言うようになりました。めでたしめでたし。
この男のような正直者でも運が左程悪くもない私ですが、昨日は二つの良いことがありました。大潮を利用して前日磯で採ったワカメを、親類縁者にお裾分けして上げました。一人は伊予市内に住む水口マリ子さんに、軽四トラックに積んで行き、木のトロ箱に山盛り差し上げると、お礼にとキャベツとブロッコリー、それにトマトの苗を沢山いただきました。ワカメが野菜苗に変わりました。また大洲市田処の亀本さんに連絡したところ、私の大好物である山崎の豆腐と沢山のシイタケを持って来てくれ、ワカメを発泡スチロールのトロ箱に山盛り二つ差し上げました。ワカメが豆腐やワカメに変わりました。
昨日は早速畑に出て冬野菜の残菜を抜き取り、いただいた苗物を植える畑こしらえをしました。また大量に頂いた少し開き気味のシイタケを、茎を取って包丁でスライスして、サナの上に並べ、カット乾燥シイタケを作りました。勿論夜には妻が山崎の豆腐でマーボ豆腐を作ってくれ、シイタケは付け焼きにして、ワカメのメカブとともに美味しくいただきました。いやはや私もわらしべ長者ならぬワカメ男となって、大いにハッピーな一日でした。世の中は捨てる神もありますが拾う神もあるものです。人を思う気持ちがあれば、出会いが広がり縁も深くなり、行き着くところ運が転がり込むのです。昨日も私にとっては、めでたしめでたしの一日でした。
「一本の わらが次々 幸運を 最後は長者 私もあやかる」
「磯遊び 採ったワカメを 差し上げる あれやこれやに 変身いただく」
「昨晩は ワカメお礼に いただいた 豆腐シイタケ ふんだん至福」
「シイタケを スライス干して 保存食 自給高まり またまた嬉し」