人間牧場

〇今日は山口県柳井市、明日は兵庫県三田市へ出かけます

 今朝は寒さがぶり返して寒い朝です。山口県柳井へ行くため、防予汽船でわが町の沖を通るのですが、少し北西の季節風が強く吹いていて、船が揺れるかも知れませんが、元船乗りなのでこの程度の波はどういうことはありません。帰りは夕方遅くになりそうです。

 そう書き込んだものの、今日は相手方である山口県の配慮で、会議が早く終ったため、夕方6時には自宅へ帰ることができました。実は明日9日、兵庫県三田市へ講演に出かける予定があり、二日続きの県外出張なので、あれやこれやと準備もあって随分助かりました。
 今日は皆さんと一緒の会議だったので、木になるカバン一つで準備もなく出かけ、どういうことはなかったのですが、明日の午後からは少し頑張って講演をしなければならないので、夕食でも終れば準備をしようと思っています。そういいつつはてさて何の準備をすればいいのか、いつもの事ながら結果的には大した準備もなく出かけてしまうのです。

 私が旅に出る時やることは、どういうルートで行くか決めることから始まります。幸い私にはパソコンという優れものの味方があって、出発か到着か時間を入力すると瞬時に、賢明な時刻表が画面に表示されるのです。最初は中々使いこなすことができませんでしたが、今ではプリントアウトして手元に持って、かなり重宝して使っているのです。お陰様で日本全国の旅先で殆ど迷うことなく旅ができるようになりました。
 次に着替えですが、冬の寒この時期にコートや手袋を欠かすことができないので、リュックタイプのナップサックに入れて、両手が使えるようにしています。その中には最近私と同行二人を決め込んでいる、愛大の名誉教授である讃岐先生からいただいた、二宮金次郎のブロンズ像を重たくても忍ばせているのです。両手に手袋をはめ、片手に木になるカバンを提げた姿は、どう見てもカントリーボーイの風貌で、格好いいシティボーイには程遠いものです。

 さて、明日もこのような姿で大阪の飛行場に降り立ち、三田の駅を経由して会場まで出かける予定です。多分明日の夜は大阪辺りで一泊し、明くる日の午前中の便で帰ろうと思っていますが、明日もまた新しい人や訪ねた街で新しい出会いと発見があることでしょう。
 まるでフーテンの寅さんのように、意の向くまま気の向くまま、楽しい旅が明日も続きますように祈っています。
 北陸では春一番が吹いた喜びも束の間、北西の季節風が吹き荒れているようです。明日の大阪までの道中、雪や風に合うこともなく目的地へ到着して、無事仕事が終るよう心から願っています。

 明日は一日留守をします。

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人間牧場

〇大根の首切り

 動植物は気温や太陽が昇ったり、沈んだりする時間によってその営みを変化させます。私たち人間も気温の低い厳寒の今頃は、日没も夜明けも遅いので、夏に比べ睡眠の時間が多いようですが、植物たちはさすがに季節に敏感で、事の他寒かった今年の年末年始から一転し、このところの春の到来を思わせるような温かさで一気に目覚めたのか、目覚めの早い植物である畑のブルーベリーなどは、頻繁に降る早春の雨を一杯吸い込んで、新芽を大きく膨らませているのです。
 私たちの地方では、「伊予路に春を呼ぶのは椿さん」と言われていて、その椿神社の祭礼はまだ10日もしないと来ないため、もう2~3は回厳しいい寒波がやって来るだろうと思っていますが、閏住の菜の花は水仙からバトンタッチをされたように、黄色い花を咲かせ始めているようです。

 畑の冬野菜もそろそろ終わりに近づき、家庭菜園のあちこちでは、引き抜かれた野菜の跡がまるで歯抜けのようになって、少し見苦しく感じています。今年は冬野菜が大豊作で、特に白菜と春菊、高菜などは毎日の食卓が野菜を使った妻の手料理で埋め尽くされ、堪能するほど食べました。お陰で元気モリモリといった感じがするのです。
 今年は大根が大活躍の冬でした。妻は沢庵を3度にわたって漬け込み、今は2回目の沢庵を食べていますが、3度目に漬けた沢庵も順調に水揚げができたようで、その出来具合を楽しみにしています。妻は近所の人に教わった大根の浅漬けに凝っていて、真っ白い短冊切りの大根にユズと鷹の爪を入れて作った浅漬けはお茶請けとしても、かなりの存在感を見せています。大根の白、ユズの黄色、鷹の爪の赤が見事なほど美しく感じられ、食欲をそそるのです。

 その畑の大根にそろそろ異変が起ころうとしています。種保存の原理でこのままほおって置くと、トウが立って花を咲かせて食べれなくなるのです。早速今日にでも大根の首切りを始めなければなりません。首切りといえば何か縁起が悪いような感じがしますが、これも大切な春の仕事なのです。大根を引きぬかず、みどりの葉っぱを切り取るのです。こうすれば4月頃まで瑞々しいままの大根を食べることができるのです。
 大根はおでんに似たり、漬物にしたり、切り干し大根にしたりと、脇役ながら食卓には欠かせない野菜で、最近凝っている大根サラダやすり大根として、生のままでも美味しく食べられますが、冬野菜の旬も大根の首切りで終わりに近づいてきました。畑のハコベ草も日に日に緑を増して、いよいよ春の到来です。冬の寒さが厳しかった分、春を待つ気持ちが強くなってきました。♯春よ来い、早く来い♭・・・・。♭もうすぐ春ですね、ちょっと気取ってみませんか♯・・・・・・ですね。

  「縁起でも ないと言われつ 大根の 首切り揃え 畑仲良く」

  「三度目の 沢庵漬けて お茶漬けが 楽しみ俺も かなり歳だな」

  「植物は 夜昼長さ 知っていて 春来る準備 早くも始め」

  「この時期が 来れば早くも 畑仕事 頭の中で 予定を立てる」

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人間牧場

〇街中の人間牧場移動塾の講義終る

 一昨年松山と西予で開かれた、ものづくり文明機構のシンポジウムがご縁で開講することになった、愛媛新聞カルチャースクール、「街中の人間牧場移動塾」という一風変わった講座も、早いもので開講以来一年が経ち、昨日は愛媛新聞社での最後の講義となりました。
 私の一年間のスケジュール統計で最も空いているのは火曜日の10時から12時だと、自分勝手に決めて募集をしたものの、「そんな時間に受講生が集まるはずはない」と妻が言うように、案の定蓋を開けてみると、受講申し込みはたった2人だけでした。普通は最低でも5人くらいが開講の条件なのでしょうが、愛媛新聞のカルチャースクールは、例え1人でも申し込みがあれば開講するという内規どおり、昨年の4月3日に開講したのです。その後2人が3人になり4人になりと微増して、3回目から6人になり、何とか体面を保つことができたことは嬉しいことでした。

 最初に申し込んだ永山さんは、松山市役所で私の話を聞いた余韻で弟兵頭さんを誘い、親友浜田さんが友人明神さんを誘い、新聞社の浅野さんの紹介で新崎さん、そして宇和島から脇谷さんも加わって、バラエティに富んだ布陣となりました。受講生はそれぞれしっかりした信念を持って生きている人ばかりで、こちらもその気で講義をしてきましたが、1回2時間の講義を12ヶ月続けるということは、喋る私も聞く受講生もとても力が要るのです。
 最初は私の忙しさもあって、レジメなど用意する暇もなく、テキストに選んだ「夕日徒然草・水の書・火の書・風の書・空の書」という私の自著本4冊を買ってもらい、読みながら説明を加えようと思いましたが、前回何処まで読んだかも忘れがちで、結局後半は「笑いの力」「生きる力」「選ぶ力」など「力」をキーワードに、思いつくまま前日レジメを作ってお話をしました。

 昨日のレジメは次のレジメのとおりです。

講義レジメP1
講義レジメP1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講義レジメP2
講義レジメP2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このレジメを元に2時間お話をして、最後は受講生に感想を述べてもらいました。いやはや私にとっても勉強になるとてもいいカルチャースクールでした。次回の閉講は人間牧場のピザ釜でピザを焼いたり、こんにゃく作りの体験をしたりして総括しようと思っています。
 帰り際と帰ってから愛媛新聞社から、来年もこの講座を開講して欲しいとの要望が出されました。少し考えさせて欲しいと即答を避けましたが、はてさてどうしたものか、新たな火種が持ち込まれた最終日でした。

  「ある部分 カルチャー馬鹿に していたが 私のカルチャー 少しショックを」

  「早いもの 月に一度の 講義終え また年齢を 重ねて涼し」

  「四冊の 夕日徒然 自著本を テキストにして 街中話す」

  「やっとこさ 終って肩の 荷を降ろし 軽くなったが 新たな荷物」 

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人間牧場

〇何がどうなっているのやら

 年末から年始にかけて県内のあちこちで、首長や市町議会の議員選挙が行なわれています。この状態は4月の統一地方選挙や夏の参議院議員選挙まで続くようですが、遠い雲の上のような存在の国会議員選挙もあれば、身近なわが市内の選挙まで、実に多くの選挙戦が繰り広げられるのです。選挙の度に知人や友人が出馬し、当選したり落選したりする姿をもう何十年も見てきました。当選すればそれなりの地位と栄光を手にし、選挙に使ったお金も戻ってきますが、落選すればそれはもう惨めで、世間の冷たい目と仕打ちが待っていて、使ったお金は全てどぶ川に捨てたと同じように帰ってこないのです。にもかかわらずまるで博打のような掛けに出る気持ちは、この国この町をよくしたいと思う純粋な気持ちも読み取れますが、当選した人たちのその後の行動を見ると、必ずしもそういう人ばかりではなく、地位と名誉が目当てだったような人もいのです。

 年末の衆議院解散後の選挙で大勝したのは自民党でした。安倍総理が就任後、たった一ヶ月でアベノミクスという言葉だけで、経済実態が変わった訳でもなく、何もしていないのに日本円は下がって1ドル91円になり、株価も1万2千円に跳ね上がったのですから、何がどう経済を動かしているのか、為替や株に縁遠い私たち庶民にはまったく理解ができないのです。「通貨の供給量を増やす。インフレターゲットを作る」政府がいった言葉はただそれだけなのに・・・・・。
 結局お金を沢山持っている少数の個人投資家と、人を束ねる大企業、それに無策な政治家がいつの時代も世の中を動かしているのだと思うと、そんな選挙の茶番劇に付き合うほど自分の人生は暇ではないと思うのです。そして残された人生をいかに自分流に生きるべきかを考え、今の自分の生き方が間違っていないことを確信するのです。

 私の町も合併して8年、そのことの検証もしないまま選挙になろうとしていますが、私の願いは、私の住んでいる町を景気も不景気も関係なく少しでもいい町にしたい、そして住んでいる人たちが幸せだと思って暮らせるようにしたい、また未来を背負う子どもたちや若者がしっかりと未来に向かって羽ばたけるようにしたいということです。勿論自分の残された人生もいい人生だったと思うような生き方がしたいのです。
 私がなけなしの財布をはたいて造った私設公民館煙会所も、海の資料館海舟館も、また人間牧場も全てその一点に凝縮した仕掛けなのですから、これからも大いにこれらの仕掛けを活用して活動したいものだと思っています。

 昨日私の従兄弟で下灘漁業組合の組合長が、久しぶりにわが家へやって来ました。私が23歳の時作った生活設計には、40歳で下灘漁業組合の組合長になると書いていただけに、彼の生き方に興味を持っているのです。私は体調を崩し役場職員に転職したためその夢は叶いませんでしたが、その後役場で4年間水産行政を担当し、今も愛媛海区漁業調整委員をしていて、多少なりとも漁業と関係を持っているので、漁業について大いに語りました。下灘漁協も漁船の数が往時の半分にまで激減、漁獲・魚価ともに厳しいようです。それでも私が関わった水産物荷捌き施設整備事業以来の大事業である、製氷施設が間もなく完成する朗報もあるようで、組合長の言葉も少し弾んでいるように聞こえました。

  「何語かな アベノミクスと いう言葉 ただこれだけで 為替や株価」

  「少数の 投資家たちの 手の平で 日本経済 翻弄される」

  「株・為替 関係も無く 暮らす俺 社会の隅で ひっそり生きる」

  「今の俺 宮沢賢治の 世界にて 満天仰ぎ 夢見て生きる」

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〇わが家のガーデニング

 わが家は家の横にある家庭菜園を含めると、敷地面積が広い広い660坪もあって、庭のそこここに植木や花木を植えていますが、特に菜園の畦200mに植えたツツジは見事で、4月の終わりから綺麗な花を咲かせ、見る人を楽しませてくれています。これ以外にも花の好きな妻は、プランターや植木鉢を使って庭のそこここに置き、季節の花を楽しんでいますが、近所の歯科医院に勤めていて、日曜祭日しか休みがないため、余り世話が行き届いていないのです。それでも妻は忙しい仕事や家事の合間を縫って、水遣りや花柄を取ってそれなりに楽しんでいるようです。

すっかり綺麗になったプランター
すっかり綺麗になったプランター

 数日前妻は外出した折、パンジーの苗を20本ばかり買って帰りました。車庫の横に置いて2~3日経ちましたが、昨日は日曜日なのに友だちグループの新年会とかで、朝からさっさと出かけて行きました。昨日はブルーベリーの植え替えをするため家にいたので、ブルーベリの植え替えが終って一区切りついたため、プランターの土をコンクリートの土間に移し、丹念に雑草を抜き取って、新しい土を2袋加え平スコップで切り替えして、プランターに入れ直しました。ブルーベリーの植え替えが予想以上に足腰にくるほどきつかったため、中腰の作業は少し腰の張りを覚えるほどでしたが、それでも1時間ほどで全てのプランターに土を入れ替え、妻が買っていたパンジーの苗を行儀よく、一鉢3本ずつ植え終えました。

 プランターの中にはラベンダーのように、枯れているように見えても枯れていない永年植物もあって、また自然に種を落とした桜草が、早くも花を咲かせ始めて、春の訪れが間近であることを告げているのです。
 少し遅めの夕方5時頃妻は、「楽しかった。久しぶりにリラックスした。」と上機嫌で帰って来ました。気になっていたパンジーの植え替えを、私が何の前ぶれもなくしてくれたことに驚いた様子で、大いに喜んでくれました。昨日はブルーベリーとパンジーの植え替えで、妻が外出時に用意してくれていた昼ごはんを、食べることすらすっかり忘れるほど熱中してしまいましたが、まあ穏やかなのんびりしたいい一日でした。

わが家の庭に咲く山茶花の花
わが家の庭に咲く山茶花の花

 わが家の玄関先には、年末に水口マリ子さんからいただいたプランター植えの、葉牡丹が置かれています。昨日はその水口マリ子さんが、黒豆の炊いたのを自宅までわざわざ届けてくれました。また金曜日に松山市教頭会の講演で出会った和田教頭先生も、自宅へ見えられました。夜は節分の豆まきを家族で行い、すっかりお馴染みとなった恵方巻の巻寿司を、吉の方向に向かって食べました。わが家にも、わが家の庭にも今年の寒さが厳しかったゆえ、待ち遠しい春がもうそこまで来ています。庭のサザンかも名残の花を咲かせ、蜜を吸うメジロや種蜂も、春の足音を感じて動き始めているようです。「春よ来い。早く来い」です。

  「パンジーの 苗を植えたい そのために 土を作りて プランター入れ」

  「これまでは 妻の仕事と 思ってた ガーデニングも 私加わる」

  「植え終えた プランター見て ありがとう 妻の弾んだ 声を喜ぶ」

  「寒かった 故に春来る 待ち遠しい そこここ春の 息吹感じる」 

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人間牧場

〇21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 昨日の夕方、今治市新谷の河上和夫さん宅をお借りして、私が代表を勤める21世紀えひめニューフロンティアグループの総会を行ないました。かつてグループの定宿は私の家と煙会所を20年ばかりずっと使っていましたが、今治に3人も会員がいるのでこの5~6年、彼らのことを考えてグループの総会は河上さん宅で新年早々やるようにしているのです。
 昨日私は砥部町で、JAえひめ中央城南支所の生産者大会で講演を頼まれ、その後夕食懇談会に出席していたため懇談会を途中で中座し、メンバーの藤本尚枝さんと奥道後入り口のセブンスター前で落ち合い、奥道後~水ヶ峠~玉川~今治~新谷と裏道能面道路を走って、午後7時に河上さん宅へ到着しました。仲間は全員勢揃いしていて、すでに美味しい料理を食べながら宴会は始まっていました。

 

河上さん宅での総会
河上さん宅での総会
大野事務局長の誕生パーティ
大野事務局長の誕生パーティ

 早速代表である私のあいさつに続き、大野事務局長の作った資料に基づいて総会が始まりました。グループが3年前に始めた愛媛県内に桜の苗木千本を植える「千本桜の森づくり事業」も、今年三年目になり、今年2月・3月植樹分を含めると、目標の千本を超えることが報告されました。嬉しい目標達成です。
 私たちのグルーはも無人島キャンプやフロンティア塾など先進的な企画を次々発表し、それらを実践してきましたが、会員の高齢化はいかんともしがたく、その手立てとして自己変革のために国内の世界遺産を巡る旅を取り入れています。既に石見銀山・広島原爆ドーム・安芸の宮島・姫路城・奈良京都の古都・熊野古道・白川郷などを巡っていますが、今年は九州の南に浮かぶ屋久島への旅が計画されていて、4月12日から3日間の日程で実行することが決りました。

 会計決算も関奉仕財団の継続的なバックアップによって、健全財政が維持できていて、何の問題も無いことが報告され了承されました。また次年度も代表である私を初め役員は全員留任で担当することが決りました。私にとって21世紀えひめニューフロンテティアグループという組織は、私の青春の生き様、シンパシー(共感・共鳴)そのものです。会員人数は15名ほどの小さな団体ですが、①今やれる青春、②一年一事業、③社会への揺さぶりという3つのテーマを掲げて、もう30年近くも活動をして、大きな成果を得てきたのです。このグループは既に目的を達成していて、解散してもいいのでしょうが、青春の情熱をたぎらせて活動した実績を持つだけに、軟着陸する仕方もわきまえていて、このまま活動を続けようと思っています。
 私の人間牧場も、年輪塾も元はといえばフロンティアグループの先進的活動がフェースシートとなっているので、私にとってはしっかりと進化論が継続しているのです。

 他のメンバーは酒を飲みおご馳走を食べたため、河上さん宅に泊めてもらいましたが、私と藤本さん、それに河野さんは、明くる日の予定がそれぞれあって、10時過ぎにお暇して帰宅の途につきました。自宅へ帰ったのは12時近くになっていましたが、起きて私の帰宅を待っていた妻に、フロンティアグループのあれやこれやを話しして聞かせてやりました。妻にとってもフロンティアグループのメンバーの消息は気になるようでした。昨日は奇しくも大野事務局長の64回目の誕生日だったようで、心優しい北原さんと河野さんがわざわざ誕生パーティ用のケーキを買ってきていて、みんなで誕生日を祝ってあげました。大野さんも早64歳、私も68歳、みんないい歳になりましたが、青年期から今日までボランティア活動に参加して大いに活動したため、満足の行く半生だったと、昨晩は過去と未来を大いに語り合いました。

  「青春を たぎらせ活動 した仲間 歳をとったが どこか満足」

  「千本の 桜を植える 目標も お陰なことに 今年で達成」

  「パトロンの お陰で活動 継続し 今年も世界 遺産を訪ね」

  「フロンティア その名の通り 生きてきた 青春活動 これから先も」

 

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人間牧場

〇節分の風習

 「お父さん、明後日は節分よ」と、妻が寝る前私に言いました。そういえば私たちが子どもころ節分には、オニグイというイガだらけのタラの木を切ってきて、四つ割りや八割にしてパリパリ柴を挟み込み、それらを玄関や神様仏様に供えていたのです。その仕事はもっぱら子どもの仕事と位置づけられていました。母は私の取ってきたパリパリ柴を使い、素焼きのホーロクという平たいものに大豆を置いて、下から焚いた火で大豆を炒ってくれました。その大豆を「鬼は外、福は内」などと叫んで投げつける所作がいかにも子どもたちの茶目っ気に合っているため、日ごろの鬱憤を晴らすように、多いに悪ふざけをして遊んだものでした。そのうち夕食になると、自分の年齢分豆を食べろと言われて年齢分食べましたが、親父や母親は10歳を1個に省略して食べていたようです。

山から切ってきたオニグイとパリパリ柴
山から切ってきたオニグイとパリパリ柴
切り揃え割ったオニグイ
切り揃え割ったオニグイ

 今朝は夜来の雨がまだ少し残っているようでしたが、長靴を履いて散歩に出かける時、鎌を持って出かけました。妻の言った「節分」が気になって、オニグイを切って帰ろう思ったのです。最近ではオニグイは春の山菜としてタラの芽が珍重されるため、そこら辺では中々見つからないのですが、そこは子どもの頃から腕白だった私のことゆえ、ウォーキングパラダイスの道沿いにタラの木を数本見つけていたのです。
 散歩がてらに切って持ち帰ったオニグイを、鋸で約15センチの長さに切り分け、少し小さいので4等分に割りました。割ったオニグイに切れ目を入れ、一緒に採ってきたパリパリ柴を挟んで一丁上がりです。それらを籠に入れ、息子が玄関や神様・仏様などに置いて回りました。傍で見ていた親父も、私や息子ののこうした古いしきたりを守ってやってくれる姿に満足したように、目を細めて見守っていました。

出来上がったオニグイ
出来上がったオニグイ
息子が玄関先や神仏に供えてくれました
息子が玄関先や神仏に供えてくれました

 私たちの身の回りからこうした古い風習がどんどん捨てれています。正月の注連縄や夏越しのためにヨモギと茅を結んで屋根に放り上げる風習も次第に廃れようとしているのです。これらの風習は非科学的で何の根拠もないと思われていますが、天気さえも神仏に頼った時代には、これらの生活文化がしっかり息づいていたのです。私は古い人間だし、親父ももっと古い人間です。こうした風習を次世代に伝えることは、分かっていても容易なことではありませんが、幸い息子家族も同居するようになっているので、長男や孫にこのことをしっかり伝えようと思い、土曜日で休みの息子をオニグイ作りに加わらせようとしましたが、孫が昨晩から嘔吐下痢症になって若嫁が病院へ連れて行くため、結局息子は参加せず、出来上がったオニグイを玄関や神仏にお供えしてくれるだけとなりました。それでも節分を迎える気持ちが芽生えたことを嬉しく思います。

  「節分に 魔除けのつもり オニグイに パリパリ挟み 供えて回る」

  「節分は 鬼は外だが 福は内 人間都合 勝手なものだ」

  「今晩は 豆炒り撒いて 邪気払う これも風習 息子手ほどき」

  「色々な 伝統風習 廃れ行く 寂しかりけり 現代生きる」 

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〇改正養蜂振興法という法律ができたようです

 私は年輪塾という私塾の代表である塾長をしています。私がこの人と指名して塾頭になってもらった農協マンの清水和繁さんはパソコンに詳しく、彼が中心になって作っている年輪塾ネットとでも言うべきサイトを使ってお互いがお互いの情報を受発信していますが、ネットに馴れている皆さんはそれぞれこのネットを最大限に活用して、大いに活動しているのです。どちらかというとパソコンに弱い私などはもっぱらネット会員のメールを見ながら暮らしているといった感じで、書き込みより読む方が圧倒的に多いのです。

 昨日その清水塾頭から、ギョッとするような「養蜂の届出の義務化について」とい見出しの情報をもらいました。年輪塾ネットの会員の中には私が知るだけでも、野村町山奥組の井上登さん、高知県馬路村の木下彰二さんに加え私と、少なくても3人は養蜂をやっています。他の2人がどれほどの養蜂をやり、どれほどの蜂蜜を収穫しているのか分かりませんが、少なくとも私のやっていることは養蜂とはいえないほどの小規模ゆえ、届け出がいるかどうか分からないと半信半疑で、メールに添付してくれた手引書をプリントアウトして早速読んでみました。

 手引書によると法律の名前は「改正養蜂振興法」というのだそうで、25年1月から施行されるというのです。蜜蜂を飼育する場合は飼育届が必要で、蜜蜂の飼育者は毎年1月中に、飼育届を住所地の都道府県に住所地の市町を経由して提出しなければならないのです。手数料はかかりませんが巣箱一つでも届出が必要と書かれているので、当然私もその対象のようです。
 清水さんのメールには蜜蜂飼育届の様式まで添付してもらっているので、早速記入して地域事務所へ届けようと思っています。

 飼育届に書き込むことは飼育状況と飼育計画の二つで、私の場合飼育場所は2ヶ所で飼育蜂群数は8群です。飼育計画も同じで当面8つの巣箱を設置して今年も蜂蜜を採集しようと思っています。農協などでは届出しないで採集した蜂蜜は販売しない方針だそうですが、販売はしませんので手引書に書かれた販売表示は不用と思われますが、届出等また厄介な仕事ができたようです。
 昨日わが家の裏の蜜蜂たちは早くも春の目覚めを感じるようになったのか、日中巣箱の周りを飛び始めているようです。冬越しした蜜蜂に頑張ってもらって、今年もいい成績を残したいものです。

  「何とまあ 蜂に法律 できたよう 届出せずば 法律違反」

  「計画じゃ 今年も十升 取りたいと 甘い目論見 蜂は笑って」

  「今日にでも 届出書いて 市役所へ 出して公言 養蜂始む」

  「今年早 蜜蜂春が 来たことを 知らせるように 箱の周りを」

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