○牡丹茶会に招かれて
先日松前町神崎にある曹洞宗一輪山晴光院というお寺の奥さんから、一本の電話がかかってきました。聞けば「私のお寺でお話をして欲しい」と言うのです。1月17日に松山インター近くの昌福寺というお寺で講演をしたことが、参加した人から口伝で伝わったらしいのです。私は「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く」をモットーにしているので、快くお引き受けすることにしました。
ところがこの晴光院というお寺はこの3年、相次いで亡くなった叔父と叔母の菩提寺で、私はそのお寺の墓地には何度か墓参りに行っているし、4月8日には叔母の3年、叔父の一回忌のためお寺を訪ねることが決まっていたのです。「4月8日にお寺に行った折打ち合わせをしましょう」ということで電話を切りました。
本堂内には絵手紙やお花などの作品展が開かれていて、沢山の人が見学したり雑談をしていました。奥さんに案内されて本堂続きの新築間もない立派な茶室へ案内され、抹茶の接待を受けました。ここにも大勢のお客さんがいて、奥さんはあいさつの中で、私がこの秋公演に訪れることを少し吹聴するような口ぶりで話され恐縮してしまいました。
孫尚樹も茶菓子と抹茶を少し苦そうに味わっていましたが、前回叔父叔母の法要で訪ねた時は、茶室の存在も牡丹の存在もまったく気づかずだったとは、うかつもはなはだしいと自分の視野の狭さを嘆きました。外に出てもう一度念入りに牡丹の花を観賞しましたが、それは見事に咲き誇っていて、御影石に囲まれた境内ゆえにまた見応えがあり、寺山揮毫の一輪山という名前に恥じない立派な寺だと感心しました。
お寺は住職や奥さんの良し悪しで決まると、幾つかの寺を訪問する度に思います。住職さんや奥さんの思いが寺の諸施設を充実させ、人を集めるのです。多分新春間もなくに出かけて講演した昌福寺と同じように今年の秋に予定されている私の講演会も盛会だろうと、想像しながらはてさて何を話そうかと、少し心を引き締めました。お寺で出会った何人かの人は、「講演会には必ず来るからね」と声もかけられいよいよ責任重大なようです。
受付で私は手縫いのティシュペーパー化粧カバーと、「感謝」「ありがとう」と書かれた小さな四角いマグネットを、孫尚樹はお菓子をそれぞれお土産にいただきました。
「風流な 牡丹茶会に 招かれて 孫とお茶席 入りて味わう」
「苦いけど 美味しかったと 孫の口 お茶の緑が 残りて笑う」
「突風を 連れて私は 来たようだ 一瞬テント 空に舞い落ち」
「境内に 見事牡丹の 花咲いて 一輪山の 毫に納得」