○お爺さんは山へ柴刈りに(その1)
「昔々あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に出かけました」で始まる日本の昔話。また3日前の年輪塾で聞いた、二宮金次郎の話に出てくる「薪を背負った金次郎像」を、髣髴するような作業を昨日行いました。
これだけ聞いただけでは「、エッ、一体何のこと」と思われそうですが、昨日は公民館の赤石主事さんと久保さんの協力を得て、人間牧場で来月行われる子ども体験塾のプログラムの一環として、子どもたちに薪割りを体験させるため、近くの友人の持っている杉山へ行き、間伐している杉の木を運び出す作業を行いました。
私が子どものころの昔は、ご飯を炊くのも風呂を沸かすのも全て柴や薪だったため、「山へ柴刈りに行く」という表現は当たり前に聞こえ、親に連れられて雑木林へ焚き木を広いに出かけたものでした。その頃は子どもも貴重な労働力で、自分の身の丈にあった専用の背負子が用意されていて、母親の背負った焚き木の多さに驚きながらも後からついて歩き、肩に食い込む背負子の紐の痛みを感じつつ手伝ったものでした。
そのころは冬になると、農家に頼んでいた薪用のクヌギの木が一年分届き、朝な夕なそのクヌギを鋸で切ったり、マサカリで割ったりするのも子どもの仕事だったのです。切れぬ鋸と割れる薪に悪戦苦闘しながら手に豆を作ったり、その豆が潰れて血が滲むものの、それはいつしかタコのように硬くなっていました。
エネルギーがガスに替わってからは、かまども五右衛門風呂も薪も、またそうした子どもの重労働もいつしか消え、今はかまど、五右衛門風呂、薪、マッチ、背負子などを子どもに話しても、「えっ、それ何?」とまるで死語の世界なのです。
幸い子ども体験塾の舞台となる人間牧場にはかまども風呂もあって、最近ピザ釜まで出来ているので、子どもたちにそこで使う薪を作る作業も体験させたらいいと思い、昨日の作業と相成った次第です。最近は杉や桧の森林もたとえ間伐しても、間伐した木は林の中に放置され腐らせてしまうのです。勿体ないから再利用をしようと、山主である地域事務所の井上課長さんにお願いし、リンドウや農道がついて比較的楽に運べる場所を下見して出かけたのです。
山林の中にはこれでもかというほど、間伐された手ごろな杉の木が横たわっていました。その中の杉の木を手当たり次第チェンソーで、軽四トラックの荷台に積めるような長さに切って、担いで道まで運び出し荷台に積み込みました。私のトラックと公民館が用意したトラックに積み込みが終ると、次はクヌギの木を1本切ることにしました。これはかまど小屋のインテリア用に使うためです。人間牧場のかまどの下には作った時、公民館の宮栄館長さんにお願いして、クヌギを分けてもらったものを、薪にして納めていたのですが、いつしかそのことを知らない人たちが、その薪を使い減ってしまっているのです。薪をうず高く積んだ姿はとてもシンプルな田舎ならではの姿なのです。
「薪・かまど ましてや煙 それは何? 子どもに言っても おとぎ話だ」
「杉山に 分け入り干ばつ 品定め 次から次へ チェンソー切る」
「杉山に チェンソー音 甲高く 響き渡りで 静寂破る」
「間伐の 木々もやがては 土となる 勿体ないと 思いつ運ぶ」