○カメラでのお遊び
先週の日曜日、孫たちを連れて今治の野間馬ハイランドと、旧玉川町の総合運動公園へ出かけたことは、明くる日のブログにも書きましたが、あの日は風が強くて肌寒かったものの天気は上々で、遊具に夢中になって遊ぶ孫たちの歓声を聞きながら、私たち夫婦は体力的に追いつかないことを知って、風の比較的吹かない陽だまりを選び、持参した敷物を敷いた場所で、荷物の番をすることになりました。
汗をかいて時折「おばあちゃん、喉が乾いたからお茶」と戻ってくる孫たちに、マホービンに入れ持参した麦茶を飲ませ、私たちもお菓子を食べながらのんびりと過ごしました。
そのうち無意識に足が、自然と空中に伸びました。思わずこの姿も一枚デジカメに納めました。その写真は「何処までも澄み切った青い空を歩きたい」と思ったそのままに、まるで大空を歩いているように撮れたのです。もう12年も前、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に、「黄金色の道」という詩を書いています。
黄金色の道
夕日が沈み始めるころになると
海の上に黄金色の道ができる
夏は青島秋は水平線の彼方へと
道の行く手は違えども
黄金色のギラギラと輝いて
夕日に向かって伸びている
いつか誰かとあの道を歩いてみたい
今にして思えばセンチメンタルで恥ずかしい気もしますが、海の上や大空は歩けないがゆえに、歩いてみたいと思うのは、私の夢なのです。
そんな夢を見ていると何処からか、一匹のそれは見事なチョウチョが飛んできました。孫たちも逃げ足の速いチョウチョを追っかけ回していましたが、余りにも素早い早さに諦めたようです。そのチョウチョが何と私の傍にやって来て留まったのです。私の大空散歩の水先案内人をするようにやって来たチョウチョを、夢中で写真に収めましたが、膝枕した妻は私の奇妙な行動に少し飽きれたような様子でした。
何げない運動公園での昼下がりの夢遊びは、奥道後のジャングル風呂へと続きました。
「木霊いそう 梢を見つつ 膝枕 ついウトウトと 昼寝楽しむ」
「神様の 使いでしょうか 蝶一匹 誘うが如く ひらひら舞って」
「青空を 歩いてみたい 思いつつ 思わずカメラ 足上写す」
「年甲斐も なしに少年 なったよう 夢を見ている 自分恥ずかし」