○PCは優れもの
私は何げなく、毎日届くメールを受発信したり、ブログや原稿を書いたりしていますが、自分のPCいじりが自分のPCとフィットしてきたのか、最近PCのトラブルもなく、順調にこなしていることは喜ばしいことだと、今朝PCに電源を入れながら思いました。思い返せばメールを受発信したり、ブログを書き始めた頃は、パソコンの基本も分からぬまま行き当たりばったりだったため、やれPCが動かなくなったとか、書いた文章が消えたなど、自分の苛立ちをいちいち離れて住んでいる娘婿や息子に、助け船の電話をしていたのです。
自分の体も同じようなことが言えますが、歯が痛い、腰が痛い、胃の調子が悪い時は、痛いため歯や腰、胃が何処にあるかよく分かるのですが、健康なときは歯や腰、胃の存在等まったく気にもならないのです。ゆえに不摂生を繰り返すのです。
PCもまったく同じで、順調に操作が出来ている時は、PCは凄い道具だとその多機能さに感心したり納得して使うのですが、トラブルが起きるとこちらの方が頭に来て逆切れし、娘婿や息子に電話で助け船を出すのですが、「電話では分からない」と言われると、「それも分からないのか」なんて邪推をしてしまうのです。平常心で考えれば、もし私の所へ同じような電話がかかっても、「電話じゃ分からない」と答えるはずなのです。
それにしてもPCの記憶力と記憶量はさすがコンピューターで、これほど毎日書いているブログ記事を、検索機能の操作さえ間違わなければ、瞬時に見つけて呼び出し、画面に表示してくれるのです。こちらが覚えていないことまで覚えてくれているのですから、これは百人力くらいなものではなく、千人力や百万人力にも匹敵する強大な力なのです。
机の上に置いたこの薄っぺらいものが、インターネットの電話回線で結ばれているだけで、やろうと思えば世界中の人と交信だってできるのです。しかしこれほどの機能を持っているのに、私が使いこなせるのはその機能のほんの0,00001にも満たないのですから、何と勿体ないことでしょう。自分の能力のなさや時間のせいにして、未知なる部分へ分け入ることをしていませんが、今度生まれて来る時には学校でしっかりと習い、使いこなせるようになりたいものだと思っています。
私の書いたブログを読んだと、昨日ある人から感想のコメントが寄せられました。私もそのコメントにコメントをしたためお礼の返信をしたら、またコメントが返って来ました。これを双方向性というのかとついつい面白いものだと羽目を外してしまいました。
しかしPCは人間ではなく道具であることも忘れてはなりません。インターネットでつながっている全ての人に公開されていることを念頭に入れておかないと、とんでもない問題を引き起こす可能性があり、「知らなかった」では通用しないのです。今は故障もなく落ち着いて私の言うことを聞いて働いてくれているPCゆえに、感謝しながら自制のブレーキを持ちたいと思っています。
「このところ すこぶる順調 わがパソコン 自制のブレーキ 忘れることなく」
「ぼんくらな 私がパソコン 命令し 使っているが 使われている」
「パソコンを 作った人は 偉い人 それを使える 私も偉い」
「パソコンが 取り持つ縁で ゴールイン まるで仲人 偉いもんだね」