人間牧場

○一番高くつく浪費は時間の無駄である

 ギリシャの哲学者テオフラトスが言っているように、「一番高くつく浪費は時間の無駄である」と思いつつ、どうすれば時間を無駄なく使えるか考えるのですが、心や頭のどこかに「無駄な時間こそ最高の贅沢」(私の名言)という考えがあって、無駄な時間を反省をすることもなく容認しつつ、日々を過ごしているのです。
 私が人間牧場を造った一番の理由は、「人間牧場の背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝をする」という単純な願いでした。このことを人に話すと、「エッ、昼寝をするために高いお金をかけてあんな施設を造ったの?。それこそ時間の無駄では?」と言われそうなので、今はその言葉を封印していますが、これは正直な私の思いなのです。これまで人がどう言おうと闇雲に昼も夜も土日も、馬車馬の如く働いてきたと自負する私なので、どこかで少し立ち止まって昼寝をしたいと思うのは、当然の成り行きだと思うのです。

 そんなこともあって、一昨日は人間牧場へ農作業で出かけましたが、農作業で疲れた体を背もたれ椅子に横たえて、毛布を被り30分ばかりうたた寝をしてしまいました。しかしこの短い30分の昼寝で頭も体もすっきりし、元気が回復したような気分になったのですから不思議です。傍から見れば一見無断な時間のように思える昼寝も、まさに「無駄な時間こそ最高の贅沢」でした。
 しかし考えてみれば一日の中でも「これは時間的に無駄だった」と思えることがいっぱいあることに気づくのです。リタイアしてサンデー毎日になると、時間の使い方の観念がなくなるきらいがあります。誰からも束縛されず時間を自由に使えるのがリタイア後の楽しみなのでしょうが、余程しっかりした考えを持たないと、無駄な時間ばかりが経って、「歳をとると一ヶ月や一年が経つのが早い。この間正月だったのに早お盆」なんてことになって、結果的には何も残らないのです。

 私は極力前日に明くる日やりたいことを大まか決めて暮らしています。「午前と午後、夜をそれぞれ二つに分けて合計6つのやりたいことを小刻み頭に描くのです。勿論講演や会議等に出かけたり、人に会うと午前と午後、夜の三つのパーターになったり、一日がひとつのパターンになったりしますが、それはそれとしてやるべきことがあるのですから結構なことなのです。
 「一番高くつく浪費は時間の無駄である」ことは、肝に銘じなければならない金言です。「時間を無駄にしてしまった」と思えることはいっぱいあります。この歳になると忘れること、忘れ物も多く、忘れたことを思い出そうとしたり、忘れたものを探したりする無駄な時間を過ごすこともしょっちゅうですが、それは日ごろの整理整頓が出来ていない暮らしのせいかも知れないと、今日は早速机の上や身の回りを少し片付けました。

  「一番の ムダは何かと 問われたら 時間などとは 誰も答えず」

  「忘れ物 捜す時間の 多いこと 歳のせいだと 思っているが」

  「計画を 立てれば時間 有意義に 使えるもの 無駄な時間を」

  「何げなく 過ごせる時間 欲しかった 手に入れたけど 何気な過ぎて」 

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