shin-1さんの日記

○人間牧場水平線の家の大掃除

 このところ冬というより春先のようなしとしと雨が頻繁に降り、人間牧場へ行く機会を逸していましたが、塾生浜田さんの誘いもあって昨日は前日からわが家へ泊まりに来ている孫を誘い、朝から田舎のオープンカーで人間牧場へ行きました。例によって浜田さんは予讃線海岸周りの松山発気動車で下灘駅へ10時前に到着しました。昨日は親父も久しぶりの上天気に誘われて、下灘の診療所へ自転車で診察に出かけたようで、途中閏住菜の花畑の近くにある妹の店「くじら」でばったり出会いました。親父は自分では余り食べないのですがいつもこの店で、たこ焼きや大判焼きを買って帰ってみんなに配ってくれるのです。昨日も例によって大判焼きを買い求め、人間牧場へ行く私に熱々の大判焼きを5個もくれました。今年92歳になろうとしているのにこうして元気に自転車で、我が家から7キロも離れている診療所へ診察に行くのですから驚きです。「危ないから止めた方がいい」と注意をしますが一向に聞く気配もないので、意の向くままにしているのです。

 矢野上さん宅で推薦の花代を支払ったり、三井さんのお墓参りをする浜田さんを、矢野上敬子さんと雑談しながら待ち人間牧場へ到着しました。昨日の人間牧場は風もなく、牧場梅林の梅の花も満開を迎えていました。期待しているミツバチは残念ながら飛び交う姿を見ることは出来ませんでしたが、メジロが沢山鳴きながら梅林を遊び場にして飛び交っていました。

 孫尚樹には少しの注意を言い聞かせて早速作業に取り掛かりました。この日の作業は水平線の家の掃除と床板にワックスを塗る作業です。浜田さんとはコンビを組みもう何度もこの作業をしているので、勝手知ったる作業と言わんばかりの手筈で、全ての道具類をウッドデッキに出してワックスを塗り始めました。孫尚樹がチョロチョロ足手まといなことをするのでしかったりなだめたりの作業です。

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 作業中今治市宮窪の村上利雄さんが同行二人とともに何のアポもなくやって来ました。村上さんとは社会教育時代からの親友ですが、今年の年賀状に「近々人間牧場を訪ねたい」旨のメモがあったので記憶はしていましたが、さすが行動派の人間だけはあります。村上さんも私と相前後して役所を定年退職したようで、その後はふるさとで地域づくりをやっているようです。

 ワックス掛けの作業を浜田さんに任せ、ロケ風呂やツリーハウスを案内しましたが、雄大な海の見える眺望や施設に痛く感激されたようで、再開を約束して帰って行きました。その間ワックス掛け作業は終わっていて、少しの間ワックスが乾くまで風を入れ、荷物を元に戻して昼が過ぎたので国道沿いのラーメン屋で昼食をとりました。孫尚樹のリクエストなので大喜びでした。

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(本村の菜の花畑にて)
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(閏住の菜の花畑にて)

 帰りにラーメン屋近くの本村菜の花畑と、くじら近くの閏住菜の花畑で写真を撮りました。春はまだ浅いというのにどちらの菜の花畑も既に黄色い絨毯を敷き詰めたような彩で、目と心を奪われました。元はといえば私がエプロン会議の人たちと始めた花いっぱい運動なので、今では地元の人たちが受け継いで熱心に世話をしてくれている姿には頭が下がる思いです。来月にはJRと地元が共催で菜の花ウォークや菜の花祭りが行われ大勢の人がやって来ることでしょう。

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  「海沿いに 一足早い 春が来て 何処か浮き浮き カメラに収む」

  「おじいちゃん この花きれい 何の花 これが菜の花 一休みたい」

  「冬名残り 掃除機使い 掃除する いよいよシーズン 来週友が」

  「幸せを 感じる黄色 愛でながら 昔騒動 思い出しつつ」


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○孫はまるで湯たんぽです。

 昨晩は久しぶりに泊まりにやって来た孫尚樹を抱えて二人で同じ布団に寝ました。「寝るのは男同士」などと威張って床に就きましたが、松山からわが家までずっと車の中で寝ていたためか、あるいは一人で小さな旅に出たための興奮か、布団に入っても中々寝付かれないようで、結局は9時半に布団に入ったものの1時間も眠ることが出来ず、仕事が残っている私は妻にバトンタッチをしました。祖母と母は違うものの同じようなもので安心したのか、すぐに深い眠りに入ったようです。

 私も仕事を終え孫の布団に入って妻と三人川の字になって寝ました。これが年齢の差とでもいうのでしょうか。妻や私は寒いこの時期なので時間が経てば経つほど布団の下を目指して潜り込むのに、孫は上へ上へと上がって行くのです。私はその都度孫を布団の中へ引きずり込み、風を引かないように気をつけるのですが、やはり体が燃えるのか、気がつけば手足も体も布団を跳ね除けて冷たくなるような雰囲気でした。

 お陰で昨晩私は浅い眠りに終始して、今朝も毎日と同じように朝4時に起床したものの、少し寝不足模様のようです。でも孫はまるで湯たんぽのようでとても温かく眠ることが出来ました。

 今日は妻が仕事なので一日中私が孫の子守をします。塾生の浜田さんが人間牧場へボランティア活動にやって来るので、孫を連れて掃除に行こうと思っていますが、寝る前そのことを孫に告げると、「男の約束」などと覚えたての日本語で喋ってくれました。

 2歳の孫は来年度から娘が復職するため幼稚園に通う予定です。オムツも取れ、言葉も随分はっきりしてきたので安心して集団生活に送り出せそうです。入園するまでの2月・3月は間もなく暖かくなるでしょうから、暇を見つけて連れ出し、人間牧場の自然に触れさせてやりたいと思っています。

  「孫上へ 俺らロートル 下下へ 布団はみ出す 孫と添い寝す」

  「湯たんぽを 抱いているよう 孫と寝る これが幸せ 言うのでしょうか」

  「ヤッターマン なった気取りの 孫相手 俺は怪獣 負けたふりする」

  「今日だけは 怪我させないで 妻が言う 分かった分かった 同調言葉」 

 

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○雪化粧の翠小学校の写真

 早いもので2月も中旬になりました。友人の市役所支所に勤める大森さんからいただいたカレンダーの、2月のとっておきの写真は雪景色の翠小学校です。翠小学校は「現役木造校舎では愛媛県下で最も古い学校」などと形容され、すっかり有名になっていますが、この写真を撮ってから後に環境省指定のエコ改修が始まって、学校本館の外観こそ余り変わらないものの、周りの風景は一変しており、特に雪化粧した風景はもう二度と撮れない貴重な写真となりました。

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 写真はこのように僅か4~5年前でも、貴重な一枚になることだってあるのです。郷土史を作るとき、その中心メンバーになった元役場職員の中嶋さんは常々このことを私たちに教えてくれました。確かに中嶋さんが言うように「今を記録する」ことは当たり前のことゆえ誰もが忘れています。その当たり前な今を記録しておかないから、歴史には空白が生じるのです。

 例えばわが家でも、平凡ゆえに今を記録することなどしないのです。それでも祖父母や母などの写真や生き様はこの現代にありながら殆ど残っていないのです。多分今生きている親父の生き様も当たり前ゆえ記録に残すことはないでしょう。親父は田舎の元猟師で何の変哲も意味もないのでしょうが、戦争体験や漁業体験などはもう語る人が殆どいないだけに、とても貴重な生き証人なのです。でも平凡ゆえに話すことも話を聞くことも、ましてやそれを記録することも、私はしていないのです。僅かに家庭菜園で働く親父などを記録しているものの、気がつけば記憶をよみがえらせて語ることさえ出来ない年齢になっているのです。


 今は情報化社会となって、古い写真や記録を劣化しないように自分で簡単にデジタル化出来る夢のような時代になりました。私のデジカメやプリンターに内臓されたスキャナーを使えば、下手糞ながら記録として残すことだって出来るのです。退職してから5年近くがあっという間に過ぎました。私が何気なく撮った写真やデジタル処理したデーターは半端な数ではないのです。しかしこれらの写真もこのままほおっておくとまさにゴミと化すでしょう。何年か前、私の友人の青木さんが亡くなりました。彼はまだデジカメなど貴重な時代だったため、一眼レフのカメラで膨大な写真を残してあの世に旅立ちました。残念ながらそれらの貴重な写真は暇の少ない周りの人たちには重過ぎて、結局生かし方も見つからないままダンボールの中で眠っているようです。

 私もやはりこのままだと青木さんの二の舞になりそうです。出来ることならその余生をデーター化して残すことを考えなければ、ゴミとなってしまうのです。青木さんの貴重な資料に比べれば私の写真など取るに足らないものでしょうが、民俗学者宮本常一さんの写真だって時を経たからこそ貴重なのです。

 「今」は一瞬にして過去となります。「今が過去になる前に」しっかりと記録して記憶に残しておかなければなりません。やらねばならないことがいっぱいあって、うかうか毎日を過ごすことは出来ないと、今朝もブログを書きながら思いました。


  「懐かしや たった数年 前なのに 友撮る写真 セピア色見え」

  「俺にしか 出来ないことは 何だろう 記録すること それをデジタル」

  「大分の 友人私を 記録する 上前はねる 友人おりて」

  「時流れ わが人生の アルバムも 何処へ行ったか 押入れ隅に」

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○二ヶ月に一回の健康診断

 今日は2ヶ月に1回の健康診断の日です。朝食を抜き朝7時半に家を出ました。このところの雨模様の日々が続いたためか、心なし道路の交通量が少なく感じられらる朝でした。8時10分に県立中央病院に到着し、機械受付を済ませて血液検査場へ向かいました。私の受付番号が44番でしたから、既に43人の人が長い列を作っていました。私は注射が大の苦手なため、出来ることなら注射針は刺さないほうがいいのですが、検査の正確さを期すためにはどうしても血液検査が必要なので毎回血液検査に応じているのです。

 今日の血液採取をしてくれた看護師さんは若い女性だったため、余り痛く感じませんでしたが、注射針を抜いてガーゼをテープで貼り付けたのを10分ばかりして剥がすと、少し多め血液が漏れていて、注射の技術が新米だったことを印象付けました。

 やがて10診という看板の前のロビーのソファーに腰掛けて順番を待っていたら、受診する患者さんの中には顔見知りや双海町出身の人もいて、「何処が悪いの」とか「珍しい人にあった」などと声をかけてきて、その都度まるで言い訳のように「実は2ヶ月に一回の健康診断で、胆のうを取ってからもう十年近くになります」説明をしなければならないのです。持参した本を読みながら順番を待っていると、「若松進一様、中待ちへお入り下さい」と呼び込まれました。そのうち診察室へ案内され、お医者さんとやり取りを交わしました。

 「血液検査の結果は良好です」「次回は半年に一度のエコー検査をしますので、10時に朝食を食べずに来てください」「最近変わったことはありませんか」「血圧は正常です」と、いつもどおりの会話をして僅か5分の診察で終わりました。

 受付で清算手続きを済ませ、銀行出張の会計で2680円を支払い病院を出ましたが、病院の診察もスムーズで、検査のため注射針で採血すること以外は苦にすることもなく、診察の結果に満足して病院の駐車場を出ました。

 午後1時から松山工業高校の100周年記念事業期成会の最後の会合しゅっせきを予定しているため、少し時間がるのですっかりご無沙汰しているえひめ地域政策研究センターへ足を運びました。松本さんや所長さんとお茶を飲みながらお話をしました。センターも長年住み慣れたこのビルから愛媛県商工会連合会のビルに移るそうで、道後から駅前そして現在の場所へと移ったセンターですが、私にとってはある意味の居場所だっただけにひとつの時代の流れを感じさせました。

 100周年事業の顧問をしていて、これまで8回ばかり会合に出席し、15に上る記念事業を無事終え、約5百万円の黒字決算で今日の最終会合はシャンシャン手拍子で終わることが出来てホッとしました。息子三人が松山工業高校へ在籍したため、PTA会長を6年間の長きに渡って務め、その後もまさご会の会長や学校評議員など20年近くも学校と関わりましたが、ここでもひとつの時代を無事終えそうなのです。

 親友浜田さんと高島屋の地下でソフトクリームを食べながら雑談し、明日は孫朋樹の参観日のため、孫尚樹を今晩から預からなければならないので娘のマンションへ向かいました。途中伊予市の谷岡さんのお店へご機嫌伺いに立ち寄り、バレンタインデーのチョコレートまでいただきました。義理チョコだと御所人の前で笑って手渡されましたが、義理チョコにせよ嬉しいプレゼントににんまりして家路を急ぎました。

 今晩は孫と一緒に遊び、孫と一緒に風呂にいり、孫と一緒に寝ます。孫はいいものです。


  「何処悪い? 病院ロビー 聞く人に 聞かれる度に 同じ説明」

  「またひとつ 時代の変化 感じつつ 荷物を卸す 旅のつれづれ」

  「義理チョコを 主人の前で 手渡され 少し恥ずかし 初な?私は」

  「孫相手 爺ちゃんぶりを 発揮する 寝顔にそっと 顔を近づけ」 

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○梅にウグイス「ホーホケキョ」

 私たちが子どものころは、花札なるカード遊びがありました。漁村ゆえ冬になると海が時化て漁に出られない日が何日も続くため、大人たちは何人かが集まって花札をしていたようです。子どもゆえその現場に居合わせたことはありませんが、多分時代劇に出てくる博打場さながらだった野ではないかと思われるのです。お金を賭ける博打はいつのまにか集落に「あの人は負けて大損をした」などと密かな噂が立ち始めるのも、冬の風物のようなものでした。さして遊ぶことや遊び場のなかった田舎では、賭ける花札遊びは悪しき遊びながら、ある意味漁村の他愛ない風通しのようなかんじをしたものです。

 私たちは青年団に入ると、女遊びこそなかったものの酒や花札を、いっぱしの大人になったような顔をして経験しました。勿論お金を賭けるのは違法なのでしょうが、5円だとか10円を出してやったような記憶があるのです。

 花札遊びは金さえ賭けなければいい遊びだと思うのです。何よりもいいのは花札に書かれている季節や草花などが色鮮やかに描かれていて、一月は松、二月は梅、三月は桜と季節ごとの風物を確認することができました。その中には鹿や猪、蝶や鶯などの動物も色使い鮮やかに描き込まれていました。

 一昨日近所の理髪店へ散髪に出かけました。馴染みの散髪屋なので散髪しながら居眠りができるのですが、紙を切られながらついウトウトしていると、何処からともなく「ホーホケキョ」と鶯の鳴き声が聞こえてきました。散髪屋のご主人は長年メジロを飼育していますが、メジロと一緒にウグイスを飼っているらしく、毎年このころには早鳴きを楽しむことができるのです。野生のメジロはまだ寒いゆえ初鳴きを聞いてはいませんが、散髪屋のメジロは相当訓練ができていて、しっかりとした口調で何度も何度も「ホーホケキョ」と鳴き、時には「ケキョケキョケキョ」と谷渡りまで披露してくれました。

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 わが家の庭の隅に早い春を見つけました。親父が世話をしている盆栽の梅がこのところの陽気で満開を迎えているのです。そっと顔を近づけて花の香りを鑑賞してみました。ほんのりとした梅の香りはまさに春の香りそのもので、何ともいえない芳しさでした。

 デジカメで写真を撮ってその場を立ち去ろうとすると、ウグイス色のメジロが一羽、梅の花をついばみにやって来ました。まさに花札に出てくる「梅に鶯」の光景で、すっかり見とれてしまい残念ながらシャッターチャンスを逃してしまいました。

 畑の隅には黄色い菜の花が咲き始め、待ち遠しかった春はもうそこまでやって来ています。間もなく鶯の一番鳴きが聞こえたり、春一番が吹くのでしょうが、良きにつけ悪しきにつけ季節を楽しむ余裕を持って暮らしたいものだとしみじみ思いました。


  「散髪を しながらウグイス ホーホケキョ 一足先に 春を楽しむ」

  「花札に 描かれた絵柄 浮かべつつ そんな季節か 感心しきり」

  「盆栽の 梅にメジロが やって来て 花をついばむ 絵になる光景」

  「格子戸を バック盆梅 収めたが 写真の出来は 今ひとつなり」 

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○代行運転10円タクシー

 昨日は夜11時、テレビの前でウトウトしながらテレビを見ていると、息子から電話がかかってきました。「2次会が終わったので伊予市まで迎えに来て欲しい」というのです。息子は昨晩所属する建築関係の会の新年会があったようで、1次会終了後元会長さん宅へ流れて2次会をしたようです。息子嫁が迎えに行く予定でしたが、孫を寝付かせたりしているため、私が代行運転を買って出ました。昨日の夜は少し強い雨が降っていたので、外に出しているトラックを運転して出かけました。

 私は若いころ大酒を飲んでいました。その報いで今は体調を壊して酒を断っていますが、飲んでいた10年前までは毎晩のように妻が自宅から25キロも離れた松山の繁華街まで迎えに来ていたのです。仲間たちはいつしか妻のことを「代行運転10円タクシー」と呼んでいました。

 そのころは今のようにまだ携帯電話がなかった時代だったので、酒を飲むと公衆電話を探して10円を入れわが家へ「迎えを頼む」と電話していました。忙しい合間を縫って妻は嫌がることもなく往復2時間をかけて私を送り迎えしてくれたのです。お酒が全てではありませんが、お酒を介した交流の輪がどんどん広がり今の自分の人脈を作ったのですから、妻には感謝しなければなりません。

 昨晩の待ち合わせ場所は伊予市役所に程近いスーパーフジの駐車場でした。到着して電話をかけようとすると充電し忘れていた携帯の警告文字が表示されました。「やばい」と思いましたがどうにか電話が通じて、暫くすると息子が車に戻ってきました。

 息子は日常的にお酒を飲むタイプではないので安心していますが、酒を飲まなくなった私には息子の酒の匂いが、狭いトラックの運転席ゆえほんのりと懐かしく伝わってきました。帰る道すがら色々な話をしました。今日の会合のこと、日常の仕事のこと、人間牧場のこと、将来のことなど、日ごろは疎遠な息子との会話は思わぬ収穫でした。かつて妻が迎えに来たころも、やはり同じように帰りの車の中で日ごろのうっぷんや将来のことを酒に酔った勢いで随分話したものでした。

 代行運転10円タクシーがなくなって久しくなりましたが、久しぶりに代行運転して昔が懐かしく思い出されました。


  「その昔 酒を飲んでは 妻迎え 十円タクシー 懐かし日々が」

  「ほんのりと 酒の匂いが する息子 助手席乗せて わが家へ向かう」

  「春雨を ヘッドライトが 割るように 照らす夜道に 犬二匹」 

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○ちびっ子ギャングがやって来た

 年末年始に長男息子の家族が、年始に娘の家族がそれぞれ泊まりにやって来て随分賑やかでしたが、そのほとぼりも冷めた昨晩から祭日を利用して、長男息子家族が泊まりにやって来てました。多分今日一日を置いた明日夜からの週末は娘家族が泊まりにやってくる予定なので、チビッコギャングの襲来を覚悟を決めて迎えました。長男息子には二人の子どもがいます。2歳半、それに8ヶ月のいずれも男の子ですが、まあやんちゃ盛りです。長男息子が一心という名前なので、希心と奏心名づけられた孫たちは、今のところすくすくと順調に育っているようです。

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(長男希心君)

 長男希心は随分言葉も覚えて、片言ながら会話が弾むようになりました。オムツも殆ど取れてたまにお漏らしするようですが、オムツが取れたら私の相棒にして色々な所へ連れて行ったり遊んだりしてやろうと思っています。やはり男の子なのでしょうか、アンパンマン、アカレンジャー、恐竜などが大好きで、わが家に来ると娘の長男の成長時代に買ったおもちゃが沢山置いているため、遊び道具に事欠くこともなく遊んでいます。今回は娘家族と時差帰省のため、おもちゃの取り合いによる喧嘩は免れ、ひとり優越感に浸って遊んでいるようでした。

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(次男奏心君)

 一方次男奏心はハイハイが上手になって、所かまわず這いずり回っています。戸を開けることも覚えたため気が抜けなくなってきました。「ヨーイ」と手を上げると同じしぐさをし、「パチパチ」といえば拍手をするなど、これまでにないような芸も披露してくれ、一番可愛いしぐさをしてくれるのです。今はまだ人見知りすることもなく、母乳と離乳食が行き届いて、赤ちゃんと呼ぶにふさわしく丸々と太っているのです。

 抱いてくれとせがむので抱き上げると、赤ちゃん特有のお乳の匂いがプーンと匂いとてもいい気分になるのです。

 昨日は希心が「おじいちゃんとおばあちゃんと風呂に入る」と言うものですから、二人を私たち夫婦が風呂に入れました。少しぬる目のお風呂にいっぱいお湯を張り、妻が二人を順番に洗い湯船に浸からせました。二人とも洗う時は少し泣きべそでしたが、お風呂が大好きなため嬉しそうに湯船の中でバチャバチャさせながら遊んでいました。希心は10まで数も数えれるので10を3回繰り返して30数えさせ、額から汗が噴出したのを見計らって出しました。年齢的には60歳以上もかけ離れた孫たちの成長著しい肌を見ていると、私たち夫婦の肌の何とみすぼらしいことか、二人で笑いながら幸せの余韻に浸りました。


  「孫二人 元気に育つ われ二人 少ししょぼくれ 思わず笑う」

  「泣く笑う まるで蜂の巣 突くよう 久々活気 わが家楽しく」

  「寝る前に 孫を膝乗せ せがまれて 本読み聞かす 夜は更け行く」

  「這えば立て そんな心境 察してか 孫は早くも つかまり立ちぬ」


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○「野良がたまに仕事をすると雨になる」って本当でした

 私の家では、「伊予路に春を呼ぶ椿さんが終わったらジャガイモを植える」という話を亡くなった祖母や母から聞いていたので、もうそろそろ畑を耕して準備をしなければと思っていました。私以上にサンデー毎日の親父は、ジャガイモの作付けが気になって、「もうそろそろ」と毎日のようにせかせるのです。何度も同じことを言われるとへそを曲げるどら息子の私は、佐賀県の全国大会で少し疲れていたため無視していましたが、大人気ないと心を改め昨日近くのホームセンターへジャガイモの種芋を買いに出かけました。親父はメークイン、妻は男爵とそれぞれ言い分が違うので、メークイン5キロ、男爵5キロ、私は数年前に作って美味しかったコガネマサリという品種を3キロ買い求め三千円を支払って帰りました。

 早速耕運機を倉庫から取り出し畑の中興をしました。年末に一度中興をしていたので土は柔らかく、3箇所ともあっという間に終わりました。

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 さあ植え付けです。糸を張り親父が掘った溝の中へ定規を使って植えてゆくのです。何事にも几帳面な親父は、溝の歪みや植え付けが悪いとすぐに注意されるので真剣にやりました。メークインの植え付けが終わったころ昼になりました。雨がポロポロし始めたので、親父は昼食抜きでやろうと言いましたが、妻が昼食に帰ったこともあって、昼食休みにしたのです。

 やがて昼休みを終えて外に出ると、何やら怪しげな雲が湧き立ち雨が本降りになってきました。親父は「野良がたまに仕事をすると雨になると言うが本当に雨になってしもうた」と、皮肉を言いながら片づけして昨日の作業を終えました。せっかくやる気になっていた私は気分をそがれたような気持ちになり、仕方なくあくる日に作業を持ち越したのです。

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 今日も朝から雨です。この分だと耕した畑は人間が入るとぬかるんで作業どころか土を固めてしまうので、残念ながら今日も作業はお休みなのです。

 昨日のニュースで作家の立松和平さんが亡くなったと報じていました。まだ62歳だそうです。田舎くささを感じる立松和平さんに出会ったことはありませんが、どこか共感共鳴するところがあって、大好きな作家の一人でした。惜しい人が私の前からまた一人消えることは寂しいことです。早速立松和平さんの本を取り出して読み始めましたが、今日は雨模様なので読書の時間をとりたいと思っています。

 立松和平さんのように、人に影響を与える物書きなど私には到底できませんが、それでもデジタルながら文字を書けるという人間に与えられた道具と知恵を使って、これからも文字を書こうと思いました。何故なら死んでも文字は残るからです。「死んだ後のことまで」とか、「書いたものを残して果たして何になる」と言われそうですが、まあ目くじら立てることもありますまい。

 ここまで書いたところで、何と不思議なことにこの一ヶ月、文字の変換が中々できなかったパソコンの具合がすっかり直り、スムースになったのです。行間キーがまだ多少不具合ですがそのうち直るものと思うので、これからも思い切って書きたいと思います。


  「大好きな 作家早死に 文字残す このまま俺も 早死にするのか?」

  「野良たまに 仕事をすると 雨が降る 昔の人は いいこと言うね」

  「ジャガイモを 親父と植える 春二月 今年も二人 何とか元気」

  「妻親父 それに私の それぞれが 選んだ品種 どれが一番」

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○水ぬるむ春

 昨日の夕方、陽気につられて久しぶりに家の近所を散歩しました。自然の力とは偉いもので、それまで朝の気温が5度を下回っていたのに、たった1日で10度以上、しかも昨日の日中は15度を越えて少し急ぎ足で歩けば汗ばむほどに上昇しているのです。

 年齢を重ねたからそう思うのか、今年の冬の寒さは南国といいながら骨身に堪え、これまで殆ど履かなかったズボン下はすっかり手放せなくなったし、日ごろ家にいる時でも、ズボンの上にウインドブレーカーのズボンまで履く始末です。

 見渡す遠望も春近しを感じさせるような雰囲気になってきました。昨日は変わり易い天気だったため雨が降ったり、太陽が顔を覗かせたりする変化の多い一日でしたが、日脚の長くなった夕日に町のシンボルである本尊山が映えて、まるで赤富士のように見えました。

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(夕日に映える町のシンボル本尊山)

 山道を出て川沿いの道を歩くと、川のせせらぎが聞こえてきました。瀬戸内に面したわが町では、冬は降水量が極端に少なく、川は水無し川のようなのが普通ですが、このところの雨で幾分増水して、瀬音かせせらぎの音か、どっちの表現をしたらいいのか迷うほどでした。

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(水の流れにも春を感じます)

 ふと、子どものころに習った「どこかで春が」という歌が思い出され、思わず口ずさみました。「♭どこかで春が生まれてる どこかで木の芽の音がする 春三月~♭」と続くので、もう少し先の季節を歌った歌でしょうが、確実に春は近づいていると実感しました。

 水面を悠然と鴨が4~5羽泳いでいました。合鴨農法で使われた後川に捨てられたものだそうですが、合鴨は川の掃除屋なので色々なものを食べて過ごしているようです。夜は野犬に襲われる心配があるので、水面で休むのだそうです。

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(水面に茂るクレソン)

 水面に緑の水草を見つけました。和名はていれぎ、洋名クレソンだと思うのですが、最近はかわのあちこちに沢山生えているようです。何年か前までは水のきれいな場所に生えているクレソンを摘んできて刺身のつまや肉料理の添え物にしていましたが、今はそんな暇や野趣もなくただ見るだけでしたが、川へ降りる石段を降りて4~5本摘んで持ち帰り夕餉の膳に乗せました。昨晩の夕食には太刀魚の刺身があって、クレソンのピリッとした触感が春を感じさせてくれました。

 待ち遠しかった春が近づいてきました。多分三寒四温の繰り返しで、また寒さがぶり返すものと思われますが、風邪を引かないように気をつけて、元気に春と出会いたいものです。


  「春近し そんな気がする 散歩道 山色夕日 照り映え赤く」

  「川水に 手を差し伸べて 一・二本 クレソン摘みて 刺身に添える」

  「歳重ね ゆえに寒さが 身にしみる 重ね着重く 歳を感じつ」

  「今日温く 明日は寒い 日替わりの 三寒四温 体に堪え」 

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○論語日めくりこよみ

 旅に出ると旅先の土産を買って帰るのは、日本人のいつものパターンです。わが妻などは滅多に旅をしないため、いつもいただく知人や友人へのお返しとして、沢山の土産を買い求めるのですが、私のように年中旅をしていると、親父が「息子は母屋下など買って帰らない」と不平を漏らすほど土産を買って帰らないのです。

 しかし今回は、前日の夜の県民ショーという番組で「小城羊羹」が紹介されたため、偶然にもすぐ隣の多久市へ行っている私に妻から携帯電話が入り、「小城羊羹を買って帰るように」とリクエストがあったので、とりあえず小城羊羹を3本、幡船の里という特産品センターで買って帰りました。

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 私が買った土産は、百人一首式論語カルタ(2,500円)と論語日めくりこよみ(700円)でした。孔子の里へ行ったのですから、これくらいのことはしなければならないと思い、加えて小学校一年生の孫朋樹に論語を教えてやろうと思ったのです。

 第6分科会を選んだのは孔子や論語への興味も大きな要因でした。「論語読みの論語知らず」という言葉がありますが、私はそれ以前の論語も読めず勿論論語の意味も知らないのです。ゆえに論語の本を買って勉強しようとしたことがありますが、それほど深まってはいないのです。でも「多久の雀は論語で鳴き、多久の子どもは論語を語る」のであれば、私も孫朋樹も論語をと思ったのです。

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 論語カルタはおいおい覚えるとして、さしあたり論語日めくりこよみを使って、早速2月9日の今朝から始めました。今朝の言葉は「三人行えば必ずわが師あり」という言葉です。言葉の意味は「三人一緒に行動するとその中に必ず先生としてふさわしい人がいる」というのです。確かに思い当たる節が沢山あって、あれやこれやと今までのことが思い浮かびました。「三人寄れば文殊の知恵」とか、「人みなわが師」という言葉もあって、1+1+1=3ではなく5にも6にもなることを実践を通して感じました。

 日めくりに、「論語は、日常の実質的な教訓の花束です。そこには、人としてのあり方や生き方が記されており、人生の教訓として私たちの生活に生かすべき教えが数多くあります」と記されています。これからの生き方のヒントとして論語を勉強してみようと思い立ちました。


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  「論語など 読めぬ私が 論語とは 今に見ていろ 論語さえずる」

  「土産など 買わぬ私が 土産買う 食えない土産 知恵を授かる」

  「小城羊羹 食べつつ論語 独り言 少し利口に なった気がする」

  「早速に 論語日めくり こよみ掛け 今日から実行 風の便りで」

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