shin-1さんの日記

○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり③

 昨晩の夜なべ談義の余韻が残る東原しょう舎をバスで出発した私たち一行は、西多久公民館へ向かいました。同じ市内なので15分もすれば会場に到着し、昨日の交流会でお世話になった懐かしい顔々が入り交じる熱烈な歓迎を受けました。

 早速少し遅めの朝食をとることにしましたが、メニューは朝粥でした。大きなどんぶりに朝粥と味噌汁、それに大根のふるさとらしくふろふき大根がそれぞれの食卓に上りました。前日夜の交流会の料理は大根のフルコースでしたので、食物繊維のおかげか腹も絶好調で美味しくいただきました。添え物として出された大きな梅干も野菜の漬物も全て美味しく、手作りの味を堪能させてもらいました。

若松進一ブログ

 この日はこの地区の特産品である女山大根の品評会があるらしく、会場の一室にはいずれ劣らぬ自慢の大根が持ち込まれていました。私も旅の記念に一枚写してもらいましたが、まあでっかくて5キロ以上はあるのではないかと思うほどの大きさでした。

若松進一ブログ
 女山大根は紅かぶ系ですがポリフェノールなど、栄養学的には他の大根にない栄養素が沢山あって、この大根の一大産地にしようと幡船の里会長である船津さんはがんばっているようでした。船津さんは西多久の大根おじさんとして活躍しています。「多久は農家がよくならないと活性化しない」と直売所を設けて頑張っています。この日の分科会パート2、「伝統野菜女山大根と地域おこし」でも、特産品開発からグリーンツーリズム、さらには将来の夢について熱っぽく語っていただきました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 この日はこのほど50年ぶりに復活した西多久音頭の披露もあって、西多久を考える会の活動が活発なことを印象付ける、中々の賑わいでした。

若松進一ブログ

 公民館の前には国・市の重要文化財に指定されているくど造り民家「森家・川打家」を見学しました。江戸時代にタイムスリップしたような歴史ある建造物にも眼を奪われました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 並んで建つふるさと情報館幡船の里で特産品やお土産を買い求め、研修を締めくくりました。

 少し早めの昼食を「太平庵酒蔵酒造資料館でいただき、現地解散となりました。山奥組の井上・荻野さんたちとはここでお別れして、私たち一行はマイクロバスで佐賀駅まで送ってもらいました。たった一泊二日の研修なのに、この分科会を選んだ縁の不思議や、心のこもった歓待で増幅した縁の深まりを感じながら、わざわざ見送りにきていただいた地元の方々と再開を願いながらお別れしました。


  「孔子様 あなたのお陰 このように 論語地で行く 出会いいただく」

  「大根の 芸名名乗る この身ゆえ 尋ねし多久は 思い出多く」

  「朝粥を すすりて遠い ふるさとの 妻顔浮かぶ 旅の宿にて」

  「大根は 脇役ながら 存在を 示して今日も 食事の度に」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり②

若松進一ブログ
(夢想庵)

 300年もの間、地元の人に守られてきた多久聖廟と時代を超えて人々の心を育んできた孔子の教えが息づく街多久市を訪ねました。「子曰く、道に志し、徳に拠り、人に拠り、芸に遊ぶ」。平たく言えば「人として正しい道を踏み行うよう心がけ、人格を磨け。徳の実践はすべて仁をよりどころとして、その上で豊かな教養を身につけ悠々と生きる、これが人生の王道である」と、いただいた市勢要覧の座談会のページをめくれば、含蓄ある言葉が並ぶ中に、横尾俊彦市長さんの顔写真とプロフィールを見つけました。松下政経塾第一期生だそうで、開会式や夜の交流会にご挨拶をいただきましたが、ウイットに富んだ素晴らしいお話でした。わが年輪塾の塾生である兼頭一司さんもご存知の方だけに、いろいろな話に花が咲きました。
若松進一ブログ

(あいさつする横尾市長さん)

若松進一ブログ

(第6分科会の会場は東原しょう舎でした)
若松進一ブログ

(趙勇(ちょうゆう)さんの見事な楊琴の演奏)
 多久聖廟は国史跡および重要文化財になっています。パンフレットの説明を引用して紹介しておきます。

 「敬は一心の主宰、万事の根本にして、万世聖楽の基本たり」。多久四代領主茂文は、教育を振興し、敬の心を育むため、1708年多久聖廟を建てました。その思いが、「文廟記」に記されています。また茂久の多久を四霊(麒麟・鳳凰・龍・亀)の住む理想郷にしたいという思いが、聖廟の彫刻や絵などに表れています。聖廟内には孔子や顔子・曽子・子思子・孟子の像が安置されており、年2回(4月18日・10月第4日曜日)、孔子様の四配を祀る伝統行事「釈菜」が行われています。
若松進一ブログ
(多久聖廟)

若松進一ブログ
(多久聖廟内)
若松進一ブログ
(八角型の孔子像安置所)

 東原しょう舎は、多久茂文が、多久を治めるためには教育が必要であるとして、諸藩に先駆け開いた学問所(1699年)。漢学や和学、武道を学ぶ場で、学ぶ意欲があれば武士に限らず学ぶことができました。幕末から明治にかけて日本や郷土のために尽くした人物を数多く輩出しました。現在の東原しょう舎では、各種研修施設として日帰り、または宿泊利用ができるようになっています。

若松進一ブログ
(東原しょう舎の庭にて早朝の記念写真撮影)

 東原しょう舎での交流会や夜なべ談義は12時近くまで続きました。和室で枕を並べて合宿したことや、いびきの大合唱で寝不足になったことも、過ぎてしまえばいい思い出となりました。論語の教えを学び実践するため、スリッパを並べることも極力実践しました。

 東原しょう舎に来る子どもたちから、「ヨン様」と呼ばれニッコリ微笑む林口常務さん。「多久の子どもが元気になれば多久は元気が出るのだ」という熱い思いでアイディアを生かし、次々とユニークな事業を展開しています。お話しするときはユーモアたっぷりで、前夜祭で初めてお目にかかり名刺を交換しましたが、素晴らしい方でした。

若松進一ブログ
(熱弁をふるう林口常務さん) 

  「異郷にて 知り人出会い びっくりす 世の中狭い 互い感激」

  「この市長 ただものじゃない 直感す 器大きく 学ぶことあり」

  「三百年 時空を超えて 受け継ぎし 不易なものの 偉大さ知りぬ」

  「孔子様 お初にお目に かかります 今後精進 お守りください」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○歴史的・文化的資産を活かしたまちづくり①

 佐賀県多久市というところは、まるで中国や韓国へでも行っているような錯覚をするほど異国情緒漂う、山間の素敵な街でした。佐賀市から車で約30分ほどで孔子の里というキャッチフレーズに興味を持って選んだ人口2万2千人余りのの多久市へ到着しました。バスを降りるなり、歓迎セレモニーでは地元中部小学校児童が孔子の里腰鼓隊として見事な演技を披露してくれました。この小学校では6年制に進級すると5年生を指導して演技を受け継いでいるのだそうです。

 
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 やがて、降り立った公園の入り口建つ多久茂文公の銅像の前で、5~6人一組の子どもたちが論語などを交えてガイドするのです。これが孔子の里の名物ジュニアガイドです。平成17人に発足したというジュニアガイドは現在55名が登録しているそうですが、子どもの言葉で多久聖廟を説明する全国的にも例のない観光ガイドはとても新鮮に感じました。

 佐賀県で開かれた全国高校総体では、高松宮殿下を案内して大好評だったそうですが、現在も第2土曜日と第4土曜日の午前中は、聖廟に子どもの声が響き渡っているそうです。また市内全小中学校参加の「百人一首式論語カルタ大会」の取り組みによって、「多久の雀は論語をさえずる」と昔は言われていたそうですが、今は「多久の子どもは論語をさえずる」とまで言われているようです。

若松進一ブログ

若松進一ブログ

 この日も、開会式が終わった後、広間に赤い毛氈が敷かれてカルタが並べられ、3組に分かれてカルタ取り大会が行われました。全国から集まった20名ほどの分科会参加者は少し年齢が高いので論語のいくつかは知っていて、私も参加しましたが短い時間ながら17枚を獲得し、グループチャンピオンになり、ジャンケンでは負けたものの賞品までいただきました。

 同行した浜田さんの計らいで論語カルタを買い求めましたし、論語日めくりカレンダーも手に入れましたので、小学校一年の孫朋樹に教えてやろうと思っています。


  「青空に ジュニアガイドの 声響く 孔子の里は 雀の声まで」

  「腰鼓隊 まるで異国へ 来たみたい 子ども主役は 学ぶことあり」

  「九州も 北と南じゃ 大違い ましてや日本 北と南じゃ」

  「雀チュン 聞こえるようじゃ まだ修行 足らぬと深く 反省しきり」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○佐賀大会全大会

若松進一ブログ
(佐賀市文化会館)

 佐賀駅から歩いて10分という触れ込みでしたが、全体会場となった佐賀県文化会館は重い荷物を持っていたためかかなり長い道のりに感じられました。多分私以上にこの二日間ギノー味噌のドレッシングを持運んでくれた武田さんや松本さんには手に堪えたのではないかと思いました。これも年末人間牧場で行ったかまど開き行事に味噌やドレッシングを提供してくれた社長への恩返しなのです。

 会場には一足早く私たちと別行動をしていた荻野・井上さんや浜田さん、しまなみ海道野間・西部さんや砥部町佐野さんたちも顔をそろえていて、わが町双海町からは西岡さんと岡田さんの二人が見えてて愛媛県39人は地元を除けばダントツ一位の人数でした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 全体会は2会場に別れ、私たちは「協働おもしろ大百科」という佐賀にわか(寸劇風)を見ました。行政とCSOとの協働、~もやいでつなぐ協働のまち~は多少分かり難い面もありましたが、佐賀弁まるだしの熱演は中々の労作でした。昼食交流は殆ど交流がなく悔いは残りましたが、まあそれぞれ旧交を温めながらお弁当をいただきました。

 今回の大会のテーマは「もやい」です。ステージには書家富永正樹さんの力作大書が2枚一対で印象的に掲げられていました。ひらがなは分かるのですが、右の字は説明もないためみんな何を書いているのか、想像では漢字の絆と分かるのですが結局分からず終いでした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 オープニングアトラクションは、東神野天衝舞浮立保存会の皆さんによる「玄蕃一流天衝舞浮立」の華麗で勇壮な舞でした。市の重要無形民俗文化財に指定されている舞踊りでした。

 会長の岡崎正之先生の挨拶や、前の晩二次会で議論した古川県知事さん、総務省の椎川さん、活性化センターの石田さんなどが挨拶をされました。石田さんは昨年双海町の分科会に来り人間牧場に立ち寄ったり、またセンターの松本さんがじゅくへさんかしていることもあって、壇上から「若松さん昨年はお世話になりました」と挨拶で話されびっくりしてしまいました。民主政権になったため地元出身の原口総務大臣のビデオメッセージまで紹介されて、トークセッションの時間が知りきれトンボになったことは少し悔いが残るところでした。

  「大臣の ビデオ紹介 時間食う 時間残らず 悔いが残って」

  「もやい書く 大書の漢字 何と読む 凡人私 聞かれ分からぬ」

  「いい舞を 見せてもらって 感動す 日本まだまだ 地方は元気」

  「若松さん いきなり挨拶 壇上で 理事長さんも 粋な計らい」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○第27回地域づくり団体全国研修交流会佐賀大会

 一日目はグランデはがくれで前夜祭が行われました。佐賀駅前のホテルから歩いて天神2丁目の会場入りしました。会場は分科会ごとに円卓を囲み楽しい食談会となりました。私は第6分科会を選んでいたため、地元多久市から来ていた実行委員会の皆さんと初めてお目にかかりましたが、前年度開催県が愛媛県だったこともあって、入れ替わり立ち代り多くの懐かしい方々見えられ、食事どころではない忙しさでした。

 例によって私は自分の名札に電光掲示板をつけて歩きましたが、これも昨年に引き続き大好評で、あちらこちらで記念写真をせがまれました。

若松進一ブログ
(ホテルグランデはがくれの前夜祭ステージ)

若松進一ブログ
(オープニングのアトラクション)

若松進一ブログ

(ステージに上がり消化される第6分科会参加者)
若松進一ブログ
(賑やかな会場の雰囲気)

若松進一ブログ
(電光掲示板の甘い蜜に誘われて集まって来た女王蜂の皆さん)

若松進一ブログ

(ケーキをついばむ青木すずめさん)
若松進一ブログ
(来年度開催県青森の上は津軽三味線と下はねぶたのはねこ)
若松進一ブログ

 佐賀県は佐賀牛など海の幸や山の幸にも恵まれ、料理の品数も豊富で全国から集まった皆さんも満足のご様子でした。来年度は変則的で、今年の11月に青森県で開かれることが既に決まっていて、津軽三味線と青森ねぶた祭りのはねこに扮した参加者が盛んにパフォーマンスを繰り広げて、青森への誘致をPRしていました。

 来年度になると予算取りが難しく、愛媛より一年前に開きブームの去った茨城県は佐賀大会の参加がわずか一名という寂しさでした。私たちも行政に頼らず青森へ行く方法を考えていますが、青森へ行くため毎月5千円の積み立てをしたらどうかという妙案も出されていて、できれば途中桜川市へ立ち寄り二宮尊徳について勉強したらどうかと塾役員は考えているようです。


 地域づくりは全国大会へ行くことが目的ではありませんが、クオリティ性の高いそして持続可能な団体活動を目指すためには、できることなら全国大会等に参加して活動事例や活動家に出会い触発されることもまた、素晴らしいことだと思うので、願わくば自費で研修に参加するような気風を育てて生きたいと思うのです。

 全国大会は地方大会にない独特の雰囲気を持っています。私もこれまでたくさんの種類の全国大会に参加して多くの感化を受け、そのことの積み重ねが所属している団体を活性化したり、自らの力を鼓舞するのに大いに役立ったように思うのです。

 この日も私とであった人の中にはそんな話をする人たちに沢山出会いました。また2次会で深く知合った人からは、「人間牧場や双海町に行ってみたいという話をいっぱい聞きました。今年も全国大会が縁でまた忙しくなりそうです。


  「昨年の お礼をこめて 佐賀県へ 来年進化 青森行くぞ」

  「先ず金を 貯めて青森 目指そうと 貯金算段 みんなで話す」

  「胸光る 電光掲示の 文字盤に 女王蜂たち フェロモン感じ」

  「

   

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○キーボード変換キーの不具合

 長い間家を留守にして書斎の机の上に置いているパソコンを使わずにいましたが、今晩自宅に帰ってパソコンを開いて使おうとすると、何やら変換キーが言うことを効きにくくなっていました。可笑しいと思いつつ何度もキーボートを叩きましたが、残念ながらとても動きが鈍くなっていました。

 仕方がないので明日にでも取扱説明書を読んで問合せてみようと思っています。

 こう書き出し昨晩は長旅の疲れで眠ってしまいました。床についてもそのことが気になり中々寝付かれませんでした。朝起きてパソコンを立ち上げましたが、相変わらずの遅さで、これでは仕事にならないと自分の未熟さを棚に上げ、パソコンの取り扱い説明書など見たこともないのに、書斎の戸棚に無雑作に積んである説明書を出しました。その箱の中には保証書もあって、保障期限は1年と書かれていました。「やばい」と思いつつ、「修理のお申し込みはこちら」という電話に駄目もとと思いながら、携帯電話をかけました。するとオペレーターとおぼしき女性が電話に出て、その方の言うとおりすると、私のパソコンが遠隔操作され、言われるままに何回も繰り返し操作をしました。その結果パソコンはものの見事に復旧し、ローマ字文字入力がうまく変換できるようになったのです。いやあ凄いです。私のような人間にはまるで神の手ではないかと思えるほどのサポートぶりでした。

 このパソコンが壊れていたらどうしよう。このパソコンを修理に出したら泥くらいの時間と費用がかかるのだろう、こんなパソコンを売るなんて、などと要らぬ詮索をした自分が恥ずかしくなりました。と同時に手の平を返したような私の単純さにもつくづく呆れ返りました。

 一定のルールに従えば私のパソコンへも進入できるのでしょうが、私に電話で指示しながら情報をコントロールできるオペレーターはどんな頭脳と訓練を受けているのでしょうか。変換キーがうまく機能し始めた今の気持ちは今日の青空のように清々しくなりました。


 今日から私は、昨日まで2泊3日で佐賀県で行われた全国大会の簡単なまとめをする予定ですが、お蔭様で仕事がはかどるものと思われます。毎日ブログを朝晩2本も書く私にとって、パソコンは今や私の手足と同じように体の一部であり暮らしの一部になっています。パソコンが不機嫌だと私も不機嫌だし、パソコンが元気だと私の記事も元気になるのです。これまで何かにつけてパソコンが不具合になると娘婿や息子に丸投げして、自分は努力もせずに高見の見物を決め込んでいました。

 パソコンの製造元であるTOSHBAの力を借りたとはいえ、初めて自分が手配し自分の力で治したことは大きな力となりました。これからも少し勉強して苦手を克服したいと思っています。


  「また故障 いらだつ自分 しみじみと 修行が足らぬ 反省しつつ」

  「はいそこを クリックしてと 指示されて 言われたとおり 見事復活」

  「お父さん あなたパソコン 使い過ぎ 妻に言われて そうか納得」

  「喉元を 過ぎれば全て 忘れてる 何度も同じ 過ち犯す」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○やっと戻ってきました

 2泊3日といいながら今回の九州佐賀県への旅は、さした役割りもなくある意味のんびりしていたものの、主催地である佐賀県を除けば40人近くの愛媛県からの参加者はダントツに多い数だし、昨年愛媛で開かれた大会の実行委員長をしていたこともあって知人友人も多く、何かと世話のやける大会だったため、少し疲れを感じるような3日間でした。それでも無事に全員元気にそれぞれの地域へ元気を貰って帰って行きました。

 今日は午前中それぞれの分科会を終えた参加者がキーステーションである佐賀駅へ集結し、チャーターしたた大分交通のバスに乗り込み、佐賀~臼杵まで高速道路を走り、臼杵の港から18時30分発のフェリーに乗り込み八幡浜港まで到着、そこからは松本さんの車で国道378号を通ってジャスト22時に双海町のわが家へ送ってもらいました。他の5名はさらにそこから先を目指し暗闇の中へ消えて行きました。

 主催者には悪いのですが、全国大会は一種祭りのようなところや観光気分があって、それを楽しみにやって来る人もあるのです。でもそんな気分を変えてくれるのは、やはり市町村の地域づくり団体が主催する分科会での濃密な地元の人との交流なのです。

 私は今回多久市で開かれた第6分科会を選択しました。その模様は少し詳しく書きたいと思いますが、ただ今11時を過ぎているので、この続きは明日にしたいと思っています。悪しからず。


 こう描いた所でタイムアウトで風呂に入り、荷物を片づけて眠ってしまいました。昨晩は妻も友人たちと2年に1度の慰安旅行とかで道後温泉道後館へ出かけて私ひとり冷たい布団に入りました。人の気配のない部屋は寂しいもので電気をつけテレビをつけてウトウトしていましたが、気になって眠れず、ストーブと電気とテレビのスイッチを切り、加湿器をお休みタイマーにして寝ました。


 今朝は放射冷却現象のせいでしょうかいい天気ですが気温は低く、体が引き締まるような思いでした。3日間家を空けていたので⑨2歳の親父のことが気になり、起きると直ぐに隠居へ行き、親父のご機嫌をうかがい、佐賀県へ行ったいたことなどを大まかに話をしてやりました。親父は今年の冬は寒いといいつついたって元気で、風邪もひかずに頑張っています。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 今朝は親父から大根畑の大根を引き抜いて欲しいと依頼がありました。今年は大根が大豊作で、首を切って花が咲くのを防いでいますが、葉っぱを切り落としているため、大根を引き抜くことが難しいのです。早速長靴に履き替え大きいのを選んで15本ばかり引き抜きました。確かに葉っぱの付いていない大根は中々引き抜くのに骨が折れました。畑から一輪車のリヤカーに積んで水場まで持って行き、タワシでゴシゴシ水洗いしましたが、感の水も冷たく手が凍えそうでした。

 親父はこれからこの大根を千切りにして寒風に晒し、切干大根を作るのだそうです。食べることしか脳がありませんがいい切干大根ができることでしょう。


  「三日間 家を留守して 帰り来る 親父元気で 少し安心」

  「人気配 まったく感じ ないわが家 ただいま言えど 返事返らず」

  「豊作の 大根抜いて水洗い 寒の水にて 白き肌撫で」

  「ああそうだ 写真を撮ろう 大根の 丸々太る 妻と比較し」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○佐賀県を目指して

若松進一ブログ
(天気は絶好調ながら波の高い豊予海峡をフェリーで渡る。四国最西端佐田岬)

若松進一ブログ

(豊予海峡の真ん中にある高島)
若松進一ブログ

(佐賀関半島佐賀関のシンボルの高い煙突)

 昨日は朝9時半ごろ、えひめ地域政策研究センターの松本さんに自宅まで迎えに来てもらい、皆さんと一緒に佐賀県へ行くためフェリー乗り場である八幡浜へ向かいました。佐賀県へ行くのは広島に出て新幹線と特急かもめを乗り継いで行くルートと、松山から深夜便フェリーで小倉に出て新幹線と特急かもめで行くルートがありますが、愛媛県からの参加者が多いため、八幡浜~大分県臼杵までフェリーで行き、そこから貸し切りバスで北九州を突っ切り、佐賀県へ入るルートを選びました。昨日は風と波が強かったものの冬晴れの好天に恵まれ、う臼杵から高速道路に乗り、別府や湯布院などの名だたる観光地には目もくれず、約3時間走って目的地の佐賀市へ午後5時きっかりに到着しました。

若松進一ブログ

(高速道路サービスエリアの朝倉水車をイメージした版画風のモニュメント)

 年中旅を続ける私にとって、このルートも佐賀県も馴染みの路線や地域なので、初めて訪れる他の人のように別に緊張することもなく、フェリーもバスもうとうと昼寝をしながらの長閑な旅となりました。途中三連水車で有名な朝倉のサービスエリアでトイレ休憩をしましたが、最近は平成の大合併で市町村の名前が変化していて、雛飾りの吉井や私の町に度々訪ねてきた浮羽などの名前を懐かしく車窓の看板に見つけましたが、世の中も随分変わったなあというのが正直な感想です。


 バスは佐賀駅北口に到着しました。それぞれ別の宿舎なのですが、私たちの一団は南口駅前にあるルートインという全国チェーンのビジネスホテルです。同泊は言葉のイントネーションからして次年度開催が予定されている青森県の方々ではないかと想像しながら、夜6時から近くのホテルで前夜祭があるので、急いで荷物を整理して歩いて出かけました。

 佐賀県といえばバルーンといわれるほどバルーンが有名で、広大な佐賀平野を悠然と飛ぶバルーンも一度は見てみたいと思っています。駅前通りの雰囲気はゆったりしていて、穏やかな県民性を感じました。

 4~5年前観光の仕事で佐賀県へ来たことがありますが、私の記憶はあいまいで、確か街中の駅から遠くない場所に川を生かしたストリートの素敵な場所があったことだけはしっかり覚えているのです。朝の散歩でもと思っていましたが、見逃してしまいました。


  「海峡を 渡って隣の 九州へ うたかた夢に 終る大橋」

  「煙突の 見える辺りに 友ありて どこか懐かし 遠望パチリ」

  「何年か ぶりに佐賀県 来たものの 記憶薄れて どこがどこだか」

  「北国の 方言らしく なるほどと 納得しつつ 盗み聞きする」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○佐賀県に来ています

 ただ今早朝6時です。JR佐賀駅の目と鼻の先にあるサンルートというホテルのロビーでこのブログを書いています。昨晩は全国の仲間と交流会があり、その後用意された二次会の席に、酒も飲めないのに愛媛県の皆さんと繰り出し、夜遅くまで議論をしました。所変われば変わるもので、一次会、二次会ともに古川県知事さんが参加していて、特に二次会は古川県知事さんとホットなホットなまちづくり談義を繰る広げ、胸がすくような気持ちで宿舎となっているホテルに帰りました。

 何の関係もないことながら、昨日は25回の優勝回数を誇る平成の大横綱朝青龍が、一連の騒動の責任を取って引退したという衝撃的ニュースが日本列島をかけめぐり、テレビのニュース番組はどこもこの話で持ちきりでした。私も日本人らしく大相撲は大のファンなので、最近の貴乃花騒動などに強い関心があって、新聞やテレビで大相撲の記事を目にしますが、酒によって一般人に暴行を加えた朝青龍の所業は、やはり引退勧告も止むを得ないのではないかと思ったりしています。

 普通大相撲の横綱が引退するのは、黒星の星数が先行し体力の衰えが原因でしょうが、終わったばかりの先場所、圧倒的強さで優勝し賜杯にその名を刻んだだけに、「辞めて当然」という気持ち」と、半官びいきもあって、「辞めさせるのは可愛そう」という気持ちもあり、正直複雑な気持ちです。


 今日は10時から地域づくり団体交流全国大会の全大会があり、午後からは一泊二日の多久市で行われる分科会に、浜田さんや井上さんと参加する予定です。孔子朝廟という珍しい史跡がある地域なので、今日k午後からの分科会はとても楽しみにしています。

 昨年のこの大会は私が全国大会の実行委員長をしていたので、かなり忙しく振舞っていましたが、今回は参加するだけなので随分気が楽です。それでも直前の実行委員長ということで、ステージに立たされたり、コメントを求められたり、さらには100枚の名刺が殆ど空になるほど顔見知りや新人さんと交流の輪を深めました。その模様は帰ってからデジカメ写真で詳しく紹介報告します。


  「旅先の ホテルで早朝 立ったまま ブログ一本 情報発信」

  「さあ今日も 残りの名刺 配りつつ 全国の人 顔をつないで」

  「横綱の 引退ニュース 旅先で 食い入るように 宿舎のテレビ」

  「知事さんと さしでお話し 居酒屋で こんな嬉しい ことがあろうか」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日から3日間佐賀県で開かれる地域づくり団体交流全国大会へ行ってきます。帰りは土曜日です。寒い時期なので読者のみなさんご機嫌よう。

[ この記事をシェアする ]