shin-1さんの日記

○ガンセンターへ妻の友人を見舞う

 今日は朝から雨でした。何日か前から愛媛マラソンのニュースが流れ、あちらこちらで通行止めなどの規制があるようなので、うかつに娘や息子の所へも行けいないため、妻の同級生がガンセンターへ入院しているので見舞いに行くことにしました。ガンセンターへは妻の兄が喉頭ガン手術で入院していたのを、見舞いに行った2年前以来なので、愛大病院とガンセンターがこんがらがって、道順はカーナビのお世話になりました。

 女性の見舞いは余程注意しなければなりません。というのも女性は入院すると極端にやつれたり、お化粧もせずパジャマのままで病院生活をしていて、人に見られるのが嫌だからです。病院に着くと妻が病室へ友人を見舞っている間、私はロビーで愛媛マラソンの中継を入院患者さんや見舞客と一緒に30分余り見ていましたが、雨の降りが激しくなったので雨傘を取りに車へ引き返しました。


 やがて妻の友人から、主人にも会いたいとOKが出たらしく、8階の病室へ行きました。妻の友人は何度も顔を合わせている旧知の間柄なので病室の中でお話ししました。聞けば健康診断で病気が見つかり脾臓や膵臓を摘出したそうですがいたって元気で、病室はまるでホテルのような個室なのです。失礼な言い方ながら、自宅よりなんぼか快適だと大笑いをしました。

 丁度昼食時だったので早々にお暇しましたが、健康診断で胆のうにポリープが見つかって摘出手術をした私と同じように、自覚症状もないための手術は半信半疑な所もあるようですが、早く元気を回復して欲しいと願っています。妻も友人も私より1歳年下の64歳です。私と同じように体の変調が来る年代なのでしょうか、最近私や私の妻と同年代の人が病気になる話題がかなり多いようで、他人事とは思えないのです。

 帰り道車の中で妻と色々話しました。「もし明日妻がこの友人のように病気になって家を留守にしたら、俺は渇え死ななければならん」と心情を吐露しました。「大丈夫よ、あなたもお父さんの子どもだから自活できる」と持ち上げてくれましたが、亭主関白で家事一際殆どしない私は、ご飯を炊くことも掃除をすることも、ましてや洗濯することなど限りなくゼロに近い人間なのです。

 そういえば私以上に亭主関白だった親父も、母が亡くなってから必要に駆られて何でもするようになったのです。母が亡くなってから10年近くが経ちましたが、親父の自活ぶりはもう目を見張るばかりです。「私にもしものことがあったら困るから、お父さんを真似をしてはどうか」といつも妻から言われますが、「お前が死んでから考える」と、適当にお茶を濁しているのです。今日は考えさせられた一日でした。

 それにしても「ガンセンター」という名前は何とかならないものでしょうか。


  「ガンセンター 名前どうにか ならないか ガンの宣告 された気持ちに」

  「もし明日 妻が入院 したならば 私のアゴは  干上がり死ぬぜ」

  「医者さえも 死ぬのだからと 大笑い 俺の寿命も 神様だけが」

  「ロビーにて 知り人明日は 手術だと 方を落として 病室消える」


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shin-1さんの日記

○束縛されない自由な時間

 結婚して家庭を持った若いころは、次々に生まれてくる子どもや仕事が中心の暮しになり、また新しく始めたボランティア活動などで、自由時間はあっても家族、仕事、活動などに束縛されて、自分の自由な時間などあってないような感じがしていました。ところがこの歳になるとリタイアして仕事も少なくなり、家庭も子どももたちがそれぞれ独立したり妻もそれほど口うるさく束縛しなくなり、加えてボランティア活動もある意味助っ人の人たちが下支えしてくれるため、束縛されない自由時間が少しずつ増えつつあるような気がするのです。


 この実感は私たちと同年代の人たちも同感のようで、「暇だ」とか、「時間を持て余している」などという言葉を時々聞くのです。その言葉通り仲間たちは持て余し気味の自由時間を、パチンコやゴルフ、温泉通いなどに使って、無意味とも思えるような日々を過ごしているようです。

 そんな人から見れば逆に、私の自由時間の過ごし方も「無意味」に映るのかも知れませんが、私は束縛されない自由時間を学習やボランティア活動、それに執筆や講演活動などに費やしているのです。

 私の学習活動はリタイアしてからかなり増えました。何よりも読書の時間が増えたこと、人の話(講演など)を聞くことが増えたこと、パソコンで調べ物をすることが増え、学習能力は格段に増えましたが、いかんせん加齢からくる学び能力が衰えているため、効率は極めて悪いようです。

 ボランティア活動も人間牧場を持ったため、その量はかなり増えましたが、こればかりは少し増え過ぎ逆に束縛されつつあるようなので、考え直さなければなるまいと思っています。さらに自由時間を束縛し続けている講演活動も同様なのです。

 唯一私の最も束縛されない自由な時間だと感じているのは、書斎で過ごすブログ書きや原稿書きで費やす時間です。どんな日も一日の始まりはブログを書き、一日の終わりはブログを書くという日課がもう5年間も続いているのです。この時間、束縛の相手である妻も朝はまだ布団の中、夜はもう布団の中なので、束縛しようがないのです。これまでブログ書きが日課や習慣となって、今では50冊もの膨大な「shin-1さんの日記」が出来上がっているのです。プリンター用のインクが高いと実感するほどプリンターを酷使していますが、日課や習慣とは恐ろしいもので、ブログを書かない日々は何となく気になって仕方がないのです。

 これからも増えるであろう束縛されない自由な時間を楽しみたいと思っています。

  「気がつけば 束縛されない 時間あり もっと活用 もっと有意義」

  「人の言う ことなど気にも せず生きる 自由時間が 増えた喜び」

  「ブログ書く 他愛もないと 妻は言う 無視して今日も パソコン向かう」

  「ボケ防止 これが一番 思いつつ ささやかながら 今日もボケずに」

 

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