shin-1さんの日記

○質屋へ立ち寄りました

 先日松山市内を歩いていると、何気ない風景の中に「質屋○○」という看板が目に入りました。私は幸か不幸か質屋の世話になったこともないし、ましてや質屋の店に入ったこともないのです。入る気もないのでもの珍しそうにゆっくりと店の中の様子をうかがいながら歩いていると、「若松さんですよね!」と目があった女主人が中から出てきました。「はいそうですが?」と答えました。とっさに「えっ、何で私の名前を知っているのかしら?」と思いながら、「どうぞどうぞ」という言葉に甘えて店の中へ入って行きました。まあ座ってお茶でもどうぞ」と差し出すお茶を飲む前に、「失礼ですがどうして私の名前を?」と問い返すと、どうやら私がまつやま工業高校のPTA会長をしていたころ、PTAの総会や入学・卒業式で私のあいさつを聞いていて、あいさつが上手い人だと記憶に残っているというのです。それほどまでに私のことを好意的に思っててくれるのだったらと、ついつい言葉に甘えて応接椅子に座りお茶をいただきました。


 わたそも詳しいことは分らないので、「質屋とは一体どんな仕事ですか?」とこの時とばかり聞きました。「質屋は余りいい印象をお持ちでない人が多いようですが、客が持ってくる物を質草として受け入れ、その価値に応じて金を短期間融通する仕事ですが、質屋の起源鎌倉時代中期に遡ります」と、何とまあ歴史の話までし始めました。消費者金融などなかった時代に、お金を短期間に調達しなければならない時、質屋へ着物や刀を持って行った話は時代劇のテレビで何度も見ている光景なのですが、やはり私には縁遠い場所でした。

 若いころ友だちが質屋に時計を入れて金を借りた話や、質流れの品を安く買ったと見せびらかせていたことを思いながら、店内のショーケースを見せてもらいましたが、カメラや時計、それに貴金属品などが「安い」と感じる値段で置かれていました。

 見ず知らずの人の見分け方、質草に取ろうとする品物の値踏みの目利き、貸付金額の設定、資金運用など、いわゆる専門知識と財力がないとこの仕事はできないという話を聞いて大いに納得し店を出ました。

 しかし考えてみればマイホームを手に入れる時に銀行ローンを組む時だって、土地を担保に入れるのは質草と同じですし、ローンの支払いが滞ると土地も建物も没収され競売にかけられるのですから、銀行のやっていることも元はといえば銀行の名を借りた、質屋の真似ごとではないかとも思いました。

 世の中が不景気になってデフレ感が漂っていますが、このような時代になればなるほど質屋へ融通を頼む人が増えてくるのだそうです。現代はリサイクルショップなどがかなり普及したり、時には仲間が集まって不用品を販売したりする光景を見かけますが、質屋もまた都会の片隅にこうしてしっかりと生き残っているのです。

 「時々立ち寄ってください」という女主人の言葉に、「はいはいまた」と相槌を打ちましたが、多分私には「質屋」はこれからも遠い存在であるのかも知れません。


  「えっ質屋? 今の時代に 生き残る 初めて質屋 門をくぐりて」

  「そういえば  見栄張る友の 腕時計 質で流れた 物を買ったと」

  「何年か 前にあなたの あいさつを 聞いたと主人 私持ち上げ」

  「金もない 貧乏だけど 質屋には 行ったことない これから先も」

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shin-1さんの日記

○遅ればせながら今年のカレンダー届く

 わが家には部屋のあちこちにカレンダーが吊るしてあります。建築設計の仕事をしている息子が職場で貰ってきてくれたものが殆どですが、カレンダーには製作した人の思いや利用意図によってその趣きが随分違うものだなあと、今月も残り少なくなった余白を見ながら感じました。

 数日前、市役所双海支所に勤める友人の大森さんが、わざわざ自宅まで今年の卓上カレンダーを届けてくれました。今年のカレンダーにしては遅い感じもしますが、それでも有り難いことと妻が受け取ってくれました。大森さんはかつて合併前の双海町時代に町の広報を担当していたので、写真のストックはお手の物でしょうが、この卓上カレンダーは大森さんが手作りしたオリジナルなもので、オンリーワンを自認する私としてはこの上ないプレゼントとなりました。

若松進一ブログ

 「双海カレンダー2010」カレンダーの上蓋を飾るのは昨年友人の松本さんたちがシーサイド公園で始めたオレンジデーの手づくりローソクによるイルミネーションの写真です。海に向かった砂浜に沢山のローソクの灯りが「オレンジDAY ?INふたみ」というオレンジ色の文字を暗闇に浮かび上がらせているのです。

若松進一ブログ

 さて、新春一月の月間NVPに選ばれた写真は?とめくってみると案の定、初春の下灘水仙畑でした。この水仙にもかなりの入れ込みと思い出があるのですが、亡くなられた金山泰森さんが手塩にかけて育て、私がマスコミに売りまくって双海の顔に育てた逸品です。港の見える丘に咲く水仙は今ではすっかり愛媛の風物詩となりました。今は息子の洋一さんがしっかりと世話を受け継いでいるようです。

若松進一ブログ

 今年の水仙も年末の暖冬気味の気温で、もう終わりに近づいてきました。大森さんからいただいた今年の卓上カレンダーは表紙も含めて双海の風物が13枚の写真で紹介されています。習い覚えたパソコンのスキャナーを使って、取り込めるようになったので、これから12ヶ月、折に触れてこのブログで紹介したいと思っています。それにしてもパソコンの技術も、勿論大森さんの力もありますが、このようにして利用することができる時代になったのですね。

 私もスライドを作るなど、もう少し技術の習得を勉強しないと、いくら言い機能のあるパソコンを持っていても、結局は宝の持ち腐れになるのです。

 パソコンの調子がいまいちなのに一喜一憂するくらいしかできない自分が情けないとしみじみ思うのです。

 さて来月はどんな双海の写真がカレンダーを飾ってくれることでしょう。お楽しみに。


  「今頃に なって届いた カレンダー オリジナルゆえ 貴重に思う」

  「一月は 何といっても 水仙が 一番だねと 私納得」

  「何もない 町だと人は いうけれど そんなことない 色々あるよ」

  「一月は いぬる(帰る)と 速さ表現す 残り少ない 月末見つつ」 

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