shin-1さんの日記

○親父のたわ言に付き合って

 「今年の冬は寒い」と今年92歳を迎えた親父が言います。確かに今年の冬は寒く、これまで余り寒さを感じないため薄着だった私も、ズボンの下にパッチを履き、家で過ごす時はウインドブレーカーのズボンまで履いて、戸外へ出る時は妻に勧められたマフラーまでする始末です。親父の言うようにやはり歳をとったら暑さ寒さが体に堪えるのかも知れません。

 親父は隠居暮らしをしていますが、数年前大工さんにお願いして居間に掘りごたつを構えました。昔の掘りごたつは炭火を入れるのですが、親父は電気ごたつの温熱器を改造して、今風の掘りごたつにして重宝しているのです。手先の器用な親父ならではのなせる技に感心しながら、今朝も親父の隠居で色々な話をしました。


 歳をとると悩みが深いようで、自分の余命のこと、死んだ後のわが家の将来のことなどが気になるらしく、色々な話を断片的に話しました。親父の目下の心配は「今」を生きることのようです。足や腰や脛の不調を時々訴えるようになり、その都度病院へ通っていますが、一向に回復の兆しが見られず、このまま寝たきりになったらどうしようという話しでした。何処で聞いたのか、「いずれ同級生のように自分も特老にでも行かなければならないかも知れない」と思っているようです。先日妹にその話をしたそうですが、妹から「じいちゃん、特老に行ったら殆どの人が認知症なので、話相手がいないよ」といわれたそうです。

 年寄りにとって気がかりは自分の健康もさることながら、話し相手がいないという寂しさかもしれません。ふと気がつくと、わが家だって普段の日中は妻も仕事で家を空け、私も所用で殆どいません。ゆえに話相手もなく、自宅や菜園で一人寂しく暮らしているのです。

 私は昨年10月誕生日を迎え65歳となって高齢者の仲間入りを果たしました。間もなく迫りくる老いの苦しみを味合わなければならないのですから、他人事と思わず親父の苦しみを少しでも取り除いてやるような事を考えて生きようと思っています。まず手始めに親父と過ごす時間を出来るだけ頻繁に長く持とうと思っています。幸い親父と私は趣味も一緒で話もよく合うのです。これまで親子というのはどちらかというと反感反目することが多かったのですが、少しだけだけ妥協しあいながら親父を第一義に考えたいと思うようになったのは、やはり歳のせいでしょうか。

 老いは嫌だと言っても誰にもやって来ます。また死という恐怖も付きまとうのです。枚挙にいとまがないほど最近は葬儀の機会も増えて、黒い礼服にカビが生える暇などなくて、今日も新年早々12時から同級生のお母さんの葬儀があるため列席する予定です。

 名が伊予で短い人生をしみじみ考えながら、今年もいい一年でありたいと思っています。


  「歳をとる 今日や明日が 気になって 何処かもやもや どこか不安に」

  「足腰や 膝が痛いと 言う親父 今朝も背中に サロンパス貼る」

  「気休めに なるかも知れぬ 聞き役に 回る私は 孝行息子」

  「気がつけば 同じ道行く 親子かな やがて私も こんな姿に」

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shin-1さんの日記

○しめ飾りと長男教育

 年末の大安吉日という縁起のいい日をカレンダーの中から選び、親父は近所の農家から貰った藁を5束そぐり(稲の葉っぱの部分をはかまといいそれを抜き取り芯だけにする作業)、しめ縄づくりの準備をしてくれました。その6日後の大安の日、私は例年わが家の恒例となっているしめ縄づくりを行いました。オタマジャクシといわれるオタマジャクシに似た小さなしめ飾りを15個、その中型を1個(隠居の玄関用)、簾のようなしめ飾りを1個(本宅の玄関用)、エビというしめ飾りを1個(神棚用)それぞれ作りました。

 私が小学生の頃のわが家は、親父が鯛網の漁師をしていたため、船霊様という漁や海の安全を司る神様を絶対的なものとして信じていました。ゆえに昔は船に穢れがついてはいけないと、民俗学的に言う風習や習慣にのっとって様々な家庭的行事が行われていました。ゆえに漁師を継ぐ長男にはそれらを伝授されつつ育ったのです。ゆえに中学生になったころにはしめ縄づくりは親父に教わらなくても充分独り立ちして立派にできたのです。

 その名残でしょうか、以来高校生で宇和島水産高校へ遊学した3年間を除けばほぼ毎年、65歳の今日までしめ縄づくりを一人で行ってきました。最近はどの家庭でも生活習慣が変わって、しめ飾りをどこかのスーパーで買って飾るようになってきましたが、日本人の神仏に対する曖昧さが露呈して、「何のために」という意味付けも、「人がするから」とか、「去年もやったから」くらいのものが多いようです。

 「じゃああなたは何のために」といわれたら、私だって「小さいころからやっているから」とか、「親父がうらさいから」くらいが先に立って、しめ飾りを飾る意味など余り理解していないので、人のことをとやかく言うことは出来ないのです。でもしめ飾りを玄関に張って悪、魔や悪い霊が家の中に入らないようにするくらいの知識は分っていて、自分の家の玄関を新年早々しめ縄で飾り、穢れなく出来たと信じることができるのですから、まあ気休めにはなるのです。今年は年末ぎりぎりに叔父がなくなり、はてさてどうしたものかと思案していましたが、せっかく作ったしめ飾りを流すのは失礼とばかり、ウラジロやダイダイ、それに五采を半紙にくるんだものを水引で結び、本格的なしめ飾りを飾ることができたのです。

若松進一ブログ

(本宅の玄関を飾ったスダレ風のしめ飾り)
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(隠居の玄関を飾った中太なしめ飾り)
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(海舟館の玄関に飾った小型のしめ飾り)

 神棚にエビ型のしめ飾りを飾った他は、海舟館に飾ったものと同じオタマジャクシ型のしめ飾りを、仏様、鏡餅、水神様、荒神様、トイレ、風呂などに飾り、自転車や車などの乗り物にも飾りました。これがわが家流の正月しめ飾りなのです。

 わが子が小さい頃は男の子どもを集めて伝授手ほどきをしたものですが、残念ながら一人前になるほどの手ほどきができず、このようなわが家の風習も私一代で終わりになるかも知れないのですが、息子はまだ37歳なので間に合うかもしれないと思い今年も狙っていましたが、仕事が忙しいとか何だかんだと言い訳をして、やはり今年も私が作り私が飾ってしまいました。

 日本の伝統はこうして廃れてゆくのかと思うと少々残念ですが、これもやはり時の流れと諦めるべきでしょうか、少々心が痛む正月でした。でも今年の正月は長男夫婦とこれからのことについて、コタツで暖をとりながらじっくり話をすることができました。息子夫婦は長男が間もなく保育園に入園する歳を迎えます。その時期を見計らって同居を決意してくれているようです。私は自分の長男が生まれた時、長男だけは私と同じように親と同居をさせようと、ある意味長男教育をやってきました。その効果が表れて息子夫婦もその気になっているようです。今年一年で家を二世代住宅に改造してその準備をしなければならないと思っています。私の35年間の長男教育の結果が生んだ朗報に少し安堵をしながら新年を迎えました。今年はいい年になりそうです。

  「今年また 自分作りし しめ飾り 飾りて気分 一新正月」

  「この技を 息子伝える すべもなし 何処か寂しく しめ飾り見る」

  「金出せば 買えるものだが この手にて 作るからこそ 神に守られ」

  「この歳で 俺も古風な 人間に なったものだと 自分納得」

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