○夢の小箱
私はこれまで沢山の夢を持ち夢の実現に努力してきました。その夢は人から見れば他愛のない小さな夢ばかりですが、それでも夢に描いた夢の殆どは実現し、やればできるという自信になって、それなりに強い自分を造り上げてきたのです。周りの人が「人生は思うようにはならない」と言っている話を聞く度に、全てではありませんが「人生は思うようになる」と反論したりするのです。
23歳の時に描いた、26歳で結婚し4人の子どもを持ちたいという夢も、30歳になったらアメリカへ行きたいという夢も実現できたし、60歳になったら自由人になって人間牧場を作りたいという夢もやっとの思いで実現できました。これらの夢の実現には人に言えない人知れずの自分なりのたゆまぬ努力とひさくがあったのですが、私は出来るだけ自分の夢を公言するようにしてきました。人に言うことは、「あいつは口だけでやらない」と言われるのか、「あいつは言うだけのことはある」と信用されるのか、どちらにしてもかなり窮屈なプレッシャーが自分自身を襲うのです。それでも他人の目もさることながら、自分というもう一人の自分との勝負に勝つための努力は夢が大きければ大きいほど、成果が出た時の悦びは大きいのです。
人間牧場を作る夢は50代10年間で温めていた夢でした。夢の実現には約1千万円という事業資金が必要でした。1千万円というお金は正直言って、田舎の役場に勤める貧乏な地方公務員の私が貯めれる金額ではありません。でも20年にわたってやっていた、金融広報アドバイザーという仕事で培った生活設計の資金計画という知識をもとに計画を立て小さな夢をどんどん大きな夢に膨らませてゆきました。そして悪戦苦闘はしたものの驚くなかれその夢は実現できたのです。
思うに私の夢はとてつもない大きな夢ではなかったから良かったのかも知れません。いわば手の届き得る夢だったようです。また無理をせず5年計画を立て、水平線の家、ロケーション風呂、ツリーハウス、作業小屋、かまど小屋と1年1事業をモットーに次々完成させて行きました。私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループや、このグループのパトロンと呼ぶべき関奉仕財団の支援も大きな力となりました。気がつけば人間牧場の周りには沢山の人々がいたのです。
私は自称平凡人です。別に特技がある訳でもありませんが、強いて挙げれば目標を立てたら目標を実現するまで、とにかく石にかじりついてでもその目標を勝ち取ろうと努力すことぐらいは出来るのです。でもそれらを導いてくれたのはやはり家族も含めた周りの人なのです。リタイアして野の人となった今でも、またえひめ地域づくり研究会議の代表を辞した現在も私や人間牧場には多くの仲間が集まり、年輪塾なる今流のネットワークを作り、様々な楽しいことを仕組んでいますし、新しい夢もどんどん広がっているのです。
さて私の夢の小箱にはこれからどんな夢があるのでしょう。知人友人から「次なる夢は?」と尋ねられますが、私の夢は終わりそうもないのですが、もう少ししたら大風呂敷を広げて夢を語りたいと思っています。
数日前息子がヨーロッパへ旅行に出かけました。息子は今頃ヨーロッパのどこかで異文化ギャップを感じながら私がかつてアメリカを旅した時見たような夢を見ていることでしょう。
「ことごとく 見た夢手にし 充実の 今を迎えて 人生愉快」
「公言を すると心に プレッシャー 成し得た時の 喜び多し」
「気がつけば 周りに人が 多くいて 我を導きく 感謝しなきゃあ」
「次の夢 何か聞かれて 戸惑った 言うべきなのか 言わざるべきか」