shin-1さんの日記

○北広島町って何処にあるのかな?

 今朝は少し早目に宿泊先の広島のホテルで目が覚めました。昨晩は長旅のためホテルへの到着が遅かったので、運動不足を補うため散歩に出かけました。広島駅新幹線口まで歩きましたが、北海道釧路の前日朝の気温が氷点下でしたので、何か温かさを感じてしまいました。広島の街も来る度に著しい発展を遂げていて、どこか別の街へ来たような錯覚を覚えました。

 昨夜の天気予報では今朝から雨が降るという予想でしたが、せっかく傘を持って散歩に出たのに雨にも遭わず1時間程度で散歩を切り上げて部屋に戻り、荷物をまとめてラウンジへ下り、握り飯と味噌汁の簡単な朝食をいただきました。8時に北広島町指し回しののタクシーが迎えに来るという約束をしていましたが、少し早目の50分頃にタクシーはやってきました。運転手さんの協力を得てトランクに荷物を積み込み、いつも高速バスで島根県へ行くとき通る見慣れた高速道路を乗りついで山陽自動車道を走ること50分ほどで北広島町へ到着、会場奥の控室に通されてまず一服と美味しいお茶をいただきました。お代わりを3杯も飲むほど美味しいお茶で、主催者の心配りがとてもうれしく感じられました。

 講演は固定椅子の立派な会場で行われました。昨日の神楽講演の余韻が残っているような会場でしたが、この日は少し入りが少ないようにも思いました。しかしまちづくりなどというのは人数が多いからいいというものではありません。要は集まった人にどれでけ満足して帰らせるか、つまり値打ちを作ることなのです。そういう意味で考えればステージで話す私への反応はすこぶる良く、とてもいい集会だったように思うのです。

 昨日はハプニングもありました。講演の途中で私の手に持ったマイクの音が消え、変わって別の音が会場に響き始めたのです。こういうことはワイヤレスマイクではよくある話で、例えば私の携帯電話の呼び出し音が入ることだってあるのです。しかし昨日は明らかに変でした。私の話が佳境に入った時だけにこの雑音には会場の人も、勿論講演をしている私も驚き中断してしまったのです。こうなると講演どころではなく多分切れた緊張の糸を元に戻すのは容易なことではないはずです。しかし私はあえてそのことに挑み、携帯電話の話をして見事元の木堂に戻したのです。もしも私が昔のように講演慣れしていなかったらこの危機は乗り切れなかっただろうと、安堵の胸を撫で下ろしました。

 「まちづくりの新しい風」と題した90分の話が終わり、後の予定もあってどうしても13時30分の宇品発高速船に乗らなければならないため昼食もとらず、迎えに来たタクシーに乗って降り出した雨の中を港を目指しました。運転手さんは行きも帰りも一緒で、元役場に勤めていたこともあって、積もる話を沢山しました。お陰で港までの約1時間ほどは実に楽しくあっという間に到着し、充分間に合った船で松山まで帰ってきました。

 北広島町は近隣の芸北、豊平、千代田、大朝などの町が合併してできた人口2万人余りの町です。高速道路があるため広島市内から僅か1時間足らずの場所です。自然も豊かだし合併前の町がそれぞれいい町づくりをしていることが引き継がれているようで、文化的にもかなり高い地域だと思います。今後の発展を期待しつつ・・・。


  「どちらかと いうと北より 西の方 島根の境 いい町ありて」

  「名前聞く だけではどこか 分らない 合併進み まるでチンプン」

  「人の数 よりは満足 大事にと 美辞を述べつつ 講演終える」

  「講演の 途中雑音 妨害の 電波じゃないか 南北思う」

  「美味しいね 三杯お茶を おかわりす 入れる女性の 真心こもり」

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shin-1さんの日記

○釧路の夕日によるまちづくり

 滞在時間僅か24時間という短い期間の北海道釧路滞在でしたが、釧路自慢の夕日を降り立った釧路空港で午後4時10分ごろ見ることができました。そして昨日の朝は6時3分に、宿泊先である全日空ホテル14階の窓越しに北の大地から綺麗な朝日を拝むことができました。他のことはさておき、太陽や夕日に思いを寄せる人間としては、この二つの太陽を見ただけで満ち足りた気持ちになるのです。昔一度だけ釧路を通過した記憶があるのですが、それはもう忘れるくらい昔の若いころの出来事なので、釧路は初めてに近い体験なのです。

 今回は夕日プロジェクトと称する青年会議所の主催するイベントの一環として招かれました。偶然なのか昨年の11月1日に島根県松江市が主催する夕日サミットの基調講演に招かれ、一日違いの10月31日に釧路で夕日をテーマにした集会に招かれようとは、これも夕日のお導きかもしれないのです。

 最初私にこの話を持ち込んだのは、釧路青年会議所の厚海さんでした。彼のメールでの講演依頼には、釧路の夕日が世界三大夕日だと豪語していたものですから、オンリーワンながら日本一を自認する双海の夕日を長年手がけている私としては、その真意を訪ねるべく忙しいスケジュールを広げたり縮めたりしながら無理をして参加したのです。

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(タンチョウ釧路空港から見た見事な夕日)

 飛行場から見た夕日は自慢するだけあって確かに綺麗でした。釧路といえば釧路湿原と霧の街という印象が強く、そのことは余りにも有名ですが、夕日をどのように仕掛けているのかそこが聞きたかったのです。青年会議所の皆さんが描く夕日をテーマにした青写真の殆どは、既に私の町で実施しているものでした。でも若者らしくチャレンジしようとしている姿は立派で今後の成果に期待したいと思っています。

 〈この続きは明日にします〉

 明日になったのでこの続きを書いておきます。

 全日空ホテルホテルの窓から朝6時3分に綺麗な朝日を見ました。

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(全日空ホテルの部屋の窓越しに見えた綺麗な北の大地の朝日も見事でした)

 北の大地ゆえ、西の四国に住む私には朝が早く明け、夜が早くふける時間的な落差は少し混乱もしましたが、午前中はホテルの部屋で本を読みながらゆったりと過ごさせてもらいました。やがて昼時前になると主催者である青年j会議所の理事長さんたちがやってきて打ち合わせを兼ねた昼食をしました。聞けばパネラーには蝦名市長さんやリクルートジャランプロデューサーのヒロ中田さんもいて、かなり面白い顔合わせのようでした。

 会議は夕日プロジェクトの取り組み発表や、夕日フォトコンテストの表彰などが事前に行われ、私が30分余り基調講演をしました。その後小磯釧路公立大学長をコーディネーターにして短めのパネルでスカッションが行われ、それなりのまとまりをつけて終わりました。

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 会場となった釧路市観光国際交流センターはホテルを思わせるような立派な会場でしたが、少し広過ぎた感もしました。青年会議所のこうした類の取り組みは理事長以下役員が一年で変わるので中々地に着いたものになることは難しく、パネリストもそれぞれが「継続」について意見を述べられました。夕日を20年間をかけて育ててきた私としても同感で、2年や3年で結果が出るものではありません。この日発表されたプランの幾つかは、いや殆どは私の町でも実証済みなのですが、市民権を得るために血のにじむよう努力が必要だとも力説しました。

 夕日をテーマにしたまちづくりが今後も継続して取り組まれますよう願ってやみません。そしていつの日か夕日を地域資源にまちづくりしている私たちと提携して何かをやりたいものだと思いました。


  「ビッグスリー 中々大きい ホラを吹く それじゃあ俺たち 金魚の糞か」

  「綺麗だと 思えばそれも オンリーワン だから世の中 丸く収まる」

  「夕日見て 朝日再び 見るラッキー 同じ太陽 どちらも凄い」

  「わが顔の 写りしポスター 張る街で 夕日を語る 気分最高」 

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