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○キウイフルーツ泥棒

 キウイフルーツという果物を初めて見たり食べたりしたのは、そんなに古いことではありません。確かニュージーランドが原産地とかいって、地元の農家が興味本位で作ったものを物珍しく食べさせてもらいました。半分に切ってスプーンで食べる所作は、30年前総理府は県青年の船でアメリカやメキシコへ行った時、青年の船の船内でグレープフルーツを半分に切りグラニュー糖をかけて食べた時とよく似ているなあと思いました。キウイフルーツは外は褐色の髭で覆われ、「これ食べられるの?」と疑ったほどでした。ところが半分に切ってみると中身はトロピカルな緑色で、緑色の果肉など見たこともないだけにこれまたびっくりしましたが、完熟した果肉はとろけるような甘みのある美味しさだったと記憶しているのです。

 間もなく町内の農家のあちらこちらで栽培が始まり、瞬く間に広がっていったのです。当時は国鉄から払い下げてもらった古い枕木を支柱に立てて棚を作りブドウ栽培のようでした。消毒もせず手間も暇もそんなにかけることなく沢山の実をつけ、しかもそこそこの値段で販売されることも魅力となって、夢の果実のように思われました。樹勢は強くツルは瞬く間に天を覆い春に咲いた花から授粉用の花粉を採集してミョウバンと混ぜ合わせ、雌しべに授粉すれば鈴なりのごとく果実をつけるのです。

 最近はこれまでのヘイワードという品種に代わってゴールドという果肉が黄色い糖度の高い品種に変わりつつあるようですが、園芸組合が品質管理に乗り出したため、小ぶりりの物や害虫に汚染されたものは廃棄処分されるなど、中々厳しい庭先選別や千カ条選別の壁があるようです。それでも豊作貧乏や不作貧乏にあえぐ農家にとってみれば安値に悩む柑橘栽培の副収入として農家の懐を補っているのですから有り難いことなのです。

 キウイフルーツは木から取って直ぐに食べれる訳ではありません。木から取った直ぐはまるで石のようにかたいのです。その果実を貯蔵庫で寝かせて追熟させるのですが、バナナと同じように追熟にはかなりの時間がかかるのです。早く食べようと思えばナイロン袋に入れてリンゴを2~3個入れておくと追熟が早まるようです。わが家でも何度か試してみましたが、その通り美味しいキウイを味わうことができました。

 そのキウイフルーツに最近ちょっとした騒動が持ち上がっています。夜な夜な畑にキウイ泥棒が出没するのです。普通畑は夜など人の気配がないことをいいことにやりたい放題、キウイフルーツを一個や二個ではなく100キロ単位でごっそり持ち去るのですからのうかにとっても大変な事態です。春になると東北のサクランボ農家に泥棒が入る話題はよく聞きますが、直ぐに食べれないキウイまで泥棒に入られるとは前代未聞な話のようです。

 農家が文字通り汗水たらして生産したものを泥棒する心理は泥棒にしか分りませんが、度重なる泥棒に警察も重い腰を上げて捜査に乗り出したようですが、農家にとってはいつ来るかわからないだけに打つ手がないようで、さしあたり有刺鉄線でも張ろうかと思案しているようです。

 農家は今時ならぬイノシシの被害に遭って悪先駆と追うしている最中です。イノシシなら有害鳥獣として僚友会が鉄砲で処分することもできますが、まさか相手が人間ですから僚友会も手が出せず、ましてや泥棒はイノシシよりはるかに知恵が働くので、まあお手上げ、グリコの看板といったところです。

 キウイフルーツの泥棒で思い出したのですが、かつてシイタケがホダ木ごと盗まれる騒ぎがありました。業を煮やした農家は、「このシイタケは栽培しているので取らないでください」と看板を立てました。ところがその看板は、「ここにシイタケがあります」と言っているようなもので、かえってシイタケを取られるようになったのです。

 知人でもあった農家の方から相談を受けた私は、「毒キノコに注意」と「マムシに注意」という2枚の看板を作ってあげました。その結果シイイタケ泥棒は完全に姿を消したのです。「あんたは知恵者だ」と褒めてくれ、それ以来春と秋のシイタケの時期になると、沢山のシイタケをいただくのです。

 菜の花のつぼみが盗難に遭ったことまあり、その時は私が作った「消毒中につき食用は危険」と看板を作って立てましたが、シイタケと同じく取られなくなりました。はてさて「キウイ泥棒を撃退する妙案は?」と尋ねられてもいないので、アイディアは出せませんが、世の中不景気ないなると何をするか分からない世の中になって困ったものです。

  「新手口 世に盗人の 種尽きず キウイフルーツ 被害に遭って」

  「イノシシは 鉄砲撃退 出来るけど 人間様には これも使えず」

  「妙案は ないかともしも 聞かれたら 私だったら ○○するぞ」

  「今頃は 喰えないキウイ 前に置き 泥棒思案 売るに売れない」  

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○だんだんつながろう会の楽しい研修会

 昨日は人間牧場へ往復2回出かけました。午前中は家族と、午後は西予市からだんだんつながろう会というグループが視察研修にやってきたからです。近いといっても自宅から片道10キロですから町内を40キロも走った計算になるのです。

 約一ケ月前、代表を務める藤本明美さんから以下のような楽しい一枚の案内状が手紙を添えて届きました。案内状の中に書いているように今年の4月19日(日)、宇和町中町集会所であった研修会にお話を頼まれ出かけていて、その時書いてもらった私の似顔絵入り、しかも落伍風景まで入れた力作の案内状だったので、少し力お入れた研修会となりました。

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 この日の研修会は食事つきというお話をうかがっていたので、地元のお寿司屋さんに一人2千円の折詰弁当を注文しました。12時30分に受け取る約束でしたので、10分前に行き弁当を軽4トラックの助手席に乗せさあ出発です。 

 ほぼ予定通り13時に下灘コミュニティーセンターで待ち合わせ、私の田舎のオープンカーが先導しながら山道を走り、人間牧場到着です。宇和町のような広い土地を有する盆地でもない、直ぐ海に落ちそうな急峻な山道に多分驚ろいているだろうと、後ろを気にしつつのゆっくり登坂です。4台の車は普通車と軽4なので牧場まで乗り入れ可能なのですが、安全第一を考え例によって広い市道に駐車して歩いてもらうことにしました。時折雨のぱらつくあいにくの天気でしたが、濡れるほど大ぶりすることもなく到着、私は皆さんのために早速ボイラーのスイッチを入れ、足湯を楽しんでいただくため風呂にお湯を張りました。これで一気に緊張がほぐれ和気あいあいとなりました。10人を超えているため一度に足湯を楽しむことができず、2回に分けての足湯となりました。


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 3時ころからお弁当を開けお酒のない食事交流会となりました。お酒を飲まなくなった私にとっては何ともないのですが、はてさてお酒が欲しい人がいたかも知れないと後で後悔した次第です。本降りが近い雲行きでしたが、見下ろす海も穏やかで気心の知れた人ばかりなので私も久しぶりにのんびりさせてもらいました。やがて気がつけば4時過ぎとなり、急いで身支度や片づけを行い夕暮れの元来た別れを惜しみながら道を帰って行きました。

 見送りしてから牧場へ引き返し、風呂の暖簾を入れ、風呂を洗ってお湯を抜き、水平線の家とトイレを軽く掃除して戸締りし、家に帰ったころ雨は激しく降り始めました。前日の人間牧場での芋掘りや芋端会議といい、昨日のだんだんつながろう会といい、天気に味方してもらった週末でした。


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  「小噺を 聞いてみんなで 腹抱え 笑い転げて 今日も楽しく」

  「お料理と 話がご馳走 ダブルです 今日の連続 明日も願う」

  「その昔 心の時代 聞きました 唐突言われ ラジオを思う」

  「夢叶い 人間牧場 出来上がり 夢のすそ分け 昨日も今日も」

 




体も気分もポカポカしたところで私の話を聞いてもらいました。前回お話をしているので今回は落伍の小噺を中心に話しましたが、みんな腹を抱えて笑ってくれました。この日は松前町の橋本さんも飛び入り参加して松茸を焼いたり歌まで披露して脇役を努めてくれました。

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○人間牧場へ家族を誘う

 「お父さん、このところ毎日のように人間牧場へお客様が来るようだけど、私はこの2年ほど人間牧場へ行ったことがないよね」と昨日の朝、食事をしながら妻が唐突に私に言うのです。そう言えば人間牧場は、①これからの自分の人生の仕上げのために造った、②家族と向かい合って生きて行くために造った、③これまでお世話になった人や地域に恩返しをするために造ったなどと、人前では綺麗事を並べて説明しているのに、②については設計監理を担当した息子とだけは濃密な親子関係を保っているものの、妻も子どもたちも殆ど疎遠であることに気がついたのです。たまたま昨日は前日から娘と孫が週末を利用して泊りに来ていたので、「そうだな、それじゃあこれから人間牧場へ行ってみるか」という話しがまとまりました。

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 2歳の孫尚樹にはチャイルドシートが必要なこともあって、娘のトヨタビッツを私が運転し、妻と娘それに朋樹と尚樹の4人を乗せ自宅から約10キロ離れた人間牧場を目指しました。山道沿いは少し秋めいてハゼの木が少し色づき、山柿も黄色く熟れ初めていました。またススキの穂もすっかり開き自生のツワブキの花が今を盛りと咲いているのです。

 牧場へ着くなり孫たち二人はまるで解き放たれた犬のように、持参した虫籠と網を持ってそこら辺を飛び跳ねバッタやコオロギを捕まえては歓声をあげていました。妻と娘を完成した姿をまだ見ていないかまど小屋に案内しました。私と息子のやり取りを日ごろ見ていたり、投資金額を知っている妻は、まるで会計検査院の検査のようにあちらこちらを見て回り、特に人間牧場には似て似つかぬ小屋のお洒落な入口や朱色も鮮やかなかまど本体に満足したようで、「さすが」と私より設計した息子のデザイン力に感心しきりでした。

 孫たちは時々連れてきているのですが、妻と娘は2年ぶりですからあちらこちらが珍しく、その後変わった場所を見ながら1時間ばかり過ごしました。

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 「今度は他の家族も誘ってかまどで炊いたご飯を食べながらゆっくり団欒しよう」という話しになりました。娘の旦那も大学に勤めていて忙しく、看護師をしている次男は病院勤務で忙しく、また三男は警察官のためこれまた忙しく、加えて私もかなり忙しい身なので、設計の仕事をしている長男家族を加えるとみんなが揃う日など年に一度くらいしかないのですが、やはり家族と向かい合って生きることを考え、親父が元気なうちに家族そろって人間牧場での休日を楽しみたいと思うのです。

 昨日までの土日の二日間、私のいとこたちは山口県へ旅行に出かけました。本家の長男である私にもいの一番さそいがありましたが、あいにく半年前から予定が積んでいて私たち夫婦は参加することが叶いませんでした。ビールの差し入れをしてお茶を濁しましたが、旅先で私たちの話が話題になったものと思われます。まあ加齢とともに徐々に高度を下げて家族や親類との付き合いをしたいと思っています。


  「気がつけば 人は来るけど 家族など ほったらかしで 牧場繁栄」

  「いいわねえ かまど小屋みて 納得す 妻の一言 何より安堵」

  「穏やかな 秋の半日 牧場で 楽しく過ごす 幸せ気分」

  「このかまど 今度はご飯 炊き食べよ 注文つけて 牧場後にす」

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○観光立国教育セミナー

 これまでの学校教育で観光についての授業など聞いたことも見たこともない私に、先日観光立国教育セミナーで講話をして欲しいというお誘いがあり、昨日その集会に出かけて行きました。観光カリスマという称号をいただいている人たちの末席を汚すものとして、観光振興や普及はその仕事の領域なのですが、はてさてどんな話をすればいいのか戸惑いました。観光の話は領域も広くて深く専門的な話をすれば切りがないのです、でも学校の先生たちに観光についての基礎教育を論じるよりも、小さな双海町という町が夕日をテーマにして観光に取り組んだ20年を話した方がいいと思い、思いつくままに50分間お話をさせてもらいました。

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(TOSSの主催によるセミナーのチラシ)

 私の講和に先立って、先生たちが各自治体のテキストを活用した模擬授業を短くコンパクトにおさめて模擬授業されました。いやあ驚きです。電子黒板というのも初めて見ましたが、中々面白い授業でした。また最先端の技術を駆使した観光立国授業は、グーグルアースを使って目の覚めるような取り組みを目の当たりにしました。

 平成の大合併によって70市町村が20市町になりました。これまでの観光に対する取り組みは、松山や大洲、それに内子のように観光資源の多い街で先進的に行われてきましたが、それ以外の市町では未だ観光に対する取り組みさえやっていないに等しい地域もありバラバラなので、行政のトップに聞かせてあげたいような話でした。

 日本が観光に目覚めたのは小泉首相が観光立国を提唱してからでした。日本人が観光で外国へ行くことは当り前の時代になってきました。しかし京都や東京などの観光地を除けば地方都市へ外国から外国人が観光にやって来ることは少ないのです。そのアンバランスを調整してもっと日本のよさを外国人にも知ってもらい、経済的に潤おうと考えたのが観光立国構想の狙いなのです。

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 観光について子どもたちに教えることは、取りも直さず自分の住んでいるところのよさを見つけ、自分のふるさとに誇りを持たせることです。これまでの教育は向都離村の養育が主流でした。親も自分の町を「つまらない町だから勉強して都会へ出て働いて出世せよ」と卑下し、叱咤激励してきたのです。結果的に働く場所も限られていたこともあって、みんなが都会を目指した揚句過疎になって、学校が廃校になり、限界集落が沢山できて暗い影を落としているのです。

 私の町もそんな運命をたどっていますが、少しだけ違うのは少しだけ観光に取り組んだ結果、夕日のメッカと言われるシーサイド公園だけでも年間55万人ものの観光客がやってきているのです。観光はまちづくりです。自分たちの町の地域資源を見つけ、それをテーマに物語を作って輝かせる営みなのです。海岸jを清掃することも、国道沿いに美しい四季の花を咲かせることも、ある意味観光地づくりだと思うのです。

 そのことに気づき、団体から個人へ、見せる観光から体験する観光へと変化しつつある観光の動向をよく見極め、観光を経済に結び付けて活性化するような町づくりをして欲しいものです。そしてそのことも併せて子どもたちに教えて欲しいと願っています。


  「観光を 学校授業で 教えると 聞いて嬉しく 講話出かける」

  「凄いなあ 電子黒板 グーグルと パソコン駆使し 進化の授業」

  「観光は 取りも直さず まちづくり わが住む町に 誇りを持って」

  「私でも 出来たのだから 観光地 その気になれば 誰でもできる」


 追伸

 TOSS愛媛の事務局をしているS先生から今日メールで昨日の写真が送られてきました。TOSS愛媛は休日を利用して観光立国教育に関する自主的勉強会を行っているグループです。昨日いただいた沢山の資料も非常に参考になるものが多くありました。あなたも一度覗いてみてはいかがでしょう。ちなみに私の親友であるえひめ地域政策研究センターの松本研究員も当日参加していて驚きました。

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(S先生から送られてきた講話する私の画像です)

  


  

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○今年もサツマイモは豊作でした

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 町内や近所の農家では、サツマイモの作付をしたものの、イノシシの被害に遭って収穫ゼロといったお手上げの声を耳にしてきました。人間牧場は頑丈な魚網と沢山のイノシシ脅しに守られて今日まで持ちこたえてきました。昨日の段階では直ぐ横の畑や道をイノシシが荒した後が生々しく残っていただけに、間一髪被害を免れた感じがしました。

 昨日は人間牧場で芋掘りと収穫祭を行いました。あいにくの曇り空で少しの雨が心配される天気予報でしたが、少し肌寒い感じはしたものの風もなく穏やかな一日でした。8時30分総合支所前に集合した子どもたちはいつもの通り車に乗って元気にやってきました。宮栄館長さんのあいさつの後私が、サツマイモの思い出、人間進化論、季節の話などについて少しだけ講話をした後早速芋畑に出て芋掘りに挑戦です。

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(まず周りに張り巡らせていた囲い網を取り外しました)

 5月23日、マルチ栽培と稲ワラ栽培を比較するため植えたサツマイモはその後ツルを茂らせ、水やりや除草、それに草刈りなど言い訳程度の肥培管理を公民館職員と私が行って育ててきました。まず周りを囲っていた網を取り払いツルを切りましたが、待ちきれない子どもたちは早々と畑に入り芋を掘っていました。

 今年は沖合に浮かぶ宮本常一ゆかりの山口県周防大島から種イモを取り寄せ、苗床に伏せて大事に育ててきたのです。試し掘りもしないままいきなり収穫作業をしましたが、マルチ栽培と稲ワラ栽培の収穫量はそれほど変わらないようでした。子どもたちは土の中かにサツマイモを見つける度に歓声を上げながら一時間ほど作業をして、約60キロのサツマイモを収穫しました。

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(ころ合いなサツマイモが沢山収穫できました)

 早速採れたばかりのサツマイモを水洗いして芋料理に挑戦しました。今年のメニューは新調なったかまどでサツマイモご飯を炊き、サツマイモの天ぷらと、野草の天ぷらを作るのです。人間牧場の敷地内で採れる野草を私が前もって見本に採集して子どもたちに見せました。後は子どもたちが採集ウォッチングするのです。ノビル、サツマイモの茎、クローバー、ヨモギ、オオバコ、フキ、イタドリ・カズラの芽、タンポポなどなど切りがないほど採れるのです。変わったものではツワブキの花や牧場内にある柿もチップスにするととても美味しいのです。子どもたちは「えっ、こんなものが食べれるの?」と半信半疑でしたが、早速調理し弁当風に盛りつけたパックを一個ずついただきながら「美味しい美味しい」を連発していました。

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(子どもたちも料理に挑戦しました)
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(野草やサツマイモの天ぷら料理風景)
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(出来上がった弁当)

 ウッドデッキの上に敷いたビニールシートの上での昼食には、今年取り組んだハチミツも振る舞いました。サツマイモのケンピ風な料理の上にハチミツを垂らして食べるとまるで大学芋のような味がしました。子どもたちには大好評でした。早速貴重なハチミツを一瓶を商品にしてじゃんけんゲームをしましたが、最後まで残ったのはボランティアで参加した婦人会の前野さんでした。

 かくして今年も多くの人に支えられ、何かと話題の多いプログラムは全て無事終了しましたが、人間牧場の活動も5年目に入り、ある意味実験は成功したように思います。これからは人間牧場で育てた作物を使って色々な料理に挑戦するのも一考です。梅ジュースや梅ジャム、コンニャクづくりなど、昨日の野草の天ぷらと同じようにバリエーションは広がるのです。これからも大人や子どがみんなで楽しい思い出を作りたいと思っています。

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  「芋飯を かまどで炊いて 食べました 美味しい連発 破顔一笑」

  「カマキリも 途中飛び入り デッキにて 収穫祝う 秋の深まり」

  「こんなもの 食べれるかしら 首かしげ 野草天ぷら 美味いうまいと」

  「


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○隣のおじさんとおばさん

 私の家の隣のおじさんが高齢を理由に免許証を返納し、車に乗らなくなって一年が経ちました。このおじさんは信心深い人である宗教に入信しているため80歳を超えても、宗教本部のある高知県まで一カ月に一度国道33号線を走ってお参りに行っていたのですが、さすがによる年波には勝てず、同居している息子さんが事故があってからでは遅いと、車に乗ることを止めさせたそうですが、これまで何かにつけ車で済ませていた町外への買物や通院、それに用事も出来なくなる、公共交通機関を使い、近い所は歩いていかなければならなくなって、どこか元気がなく、一辺に歳をとって老け込んだような感じがするのです。

 数日前このおじさんがわが家の入口にあるお地蔵さんの月縁日にお供えをしにやってきました。信心熱心な方だけあって、毎月縁日にはお菓子を供えることを年中欠かさないのです。そして夕方になるとその供えたお菓子をわが家と親父の隠居にに持参してくれるのです。隣といいながら毎日忙しく振舞う私のことですから、このおじさんとも中々出会わず、久しぶりの面談となりました。

 聞けば、免許証を返納して車に乗れなくなると、色々なことに不便だそうですが、それ以上に自分の行動範囲が狭くなって、入る情報が極端に少なくなったそうです。見るもの聞くもの大体理解できたのに、僅か一年の暮らしの変容で時代に取り残されたような焦燥感を感じるのだそうです。

 一番困るのは病院への通院で、その病院も交通不便なところだと行くに行けないので、駅から近いところに変えたそうです。しかも通院の日は朝早く出かけ夕方帰ってくる一日がかりになってしまうこともあるそうです。ゆえに通院の前日などは気が重く、また当日は病院の診察を終えて家に帰るとクタクタで、まるで病気になりに病院へ行くようだと述懐していました。なるほどなるほどと相槌を打ちながらやがて来るであろう自分の将来を不安な気持ちで見通すのです。

 隣のおじさんの奥さんもつい最近、少し生活ぶりが変わったようです。80歳そこそこながら一日の殆どを家の玄関先に椅子を持ち出して日向ぼっこをするのが日課になっているのです。この夏は残暑もかなり厳しかったようですが、その暑さを気にせず日向ぼっこをしたため、かなり日焼けをして、かえって見ているこちらの方が「暑気は大丈夫かしら?」「ひょっとしたら認知症では?」と心配したりするのです。

 隣は息子さん夫婦と子どもや孫が同じ敷地内に住んでいて、高齢化が進んでも心配はないようですが、次第に老いていく行く隣人の姿を見ながら考えさせられることが多くなる今日この頃です。他人事や隣のことばかりでなく、わが家にも92歳の年老いた親父がいますし、私も妻も高齢者の仲間入りをしつつあります。老いてもまだ元気なわが親父や私たち夫婦と比較すると、親父に比べ10歳も年下の隣のおじさんやおばさんの方がどこか元気がないようで心配しています。

 私たち夫婦にも老いは手の届くすぐそこまでやってきています。しっかりと生きて行きたいものです。


  「免許証 返納おじさん ゆっくりと 歩いているが どこか寂しく」

  「病院に 行って病気に なるという 一日がかり 疲れがどっと」

  「日向ぼこ する姿見て 認知症 心配よそに 日焼けて元気」

  「もし明日 車運転 出来ずんば 考えただけ ぞっとしますね」


 

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○穏やかな秋祭りの一日

 昨日は私の町の地方祭、つまり秋祭りでした。祭りといっても神輿と獅子舞が出る程度で、太鼓台の新居浜やだんじりの西条のような山車が出る訳でもなく、取り立てて特徴のない普通の落ち着いたお祭りなのです。それでも昨日から町内のあちこちでは保育園の花神輿や子ども神輿が繰り出して、若いお母さんたちが可愛い息子や娘の晴れ姿をカメラに収めようと一緒について歩く姿が見えました。

 大人神輿は地区ごとに区長さんの世話でお旅所という場所が設定されていて、四方笹をしめ飾りで囲った聖域にお神酒や五穀、それに祝儀を供えて神輿が来るのを待つのです。神輿には酒がつきもので、酒に酔ったかき夫が悪ふざけをしたり、一緒に歩く厄年男性が扮している大番が面白おかしくするものですから、運行時間が大幅に遅れたりして神輿を待つ人をやきもきさせるのです。

 子ども神輿は少子化の影響で子どもの数が揃わない地区では最近女の子も入れて運行しています。昔は神輿や亥の子などにはけがらわしいなどと、根も葉もない理由をつけて女性を拒み続けてきましたが、少子化は思わぬ女性への解放につながったのですから面白いものです。

 子ども神輿は家々を回ります。神主や大番がいないので、運行はその地域の世話人がついて歩きます。私も2年前までこの地域の区長をしていたので、一緒に二日間歩きましたが、これも結構きつい仕事なのです。子ども神輿には年長さんが大将と会計と先約が決められています。大将と会計が一番偉く、先約が前もって家の軒先を回って神輿を家に入れさせてもらうようお願いして回るのです。了解が得られれば玄関先に着くと大きな声でワッショイワッショイと大きな声で掛け声をかけて家の玄関先へ神輿を入れるのです。玄関先で家族が出て神輿にお祈りし柏手を打てば終了で、祝儀袋に入ったご祝儀を会計がいただき、大きな声で「ありがとうございました」とお礼を言って次の家に向かうのです。世話役のご指導がいいので人数が少なく多少元気は欠けますが、みんな早朝から歩いて疲れているのでしょうが疲れも見せず神輿を運行するのです。

 子どもたちの一番の楽しみは神輿守が終われば集会所に集まって大人が見守る中、祝儀開きが始まります。一軒当たり五百円から二千円程度の祝儀でも沢山の家を回るため二日間で十万円を超える金額が集まります。大将から順番に分配金額を決めて行きますが、その金額への期待感が子どもたちの心を微妙に揺さぶるのです。最近は少しですがやがて神輿を新調するための費用積み立ても行っていて、子ども社会の形成に一役買っているのです。

 昔はお祭りといえば一年に一度のハレの日で、前の日から沢山のご馳走を作り、親類縁者が大勢押し掛けて来て夜遅くまで酒盛りをしていました。また神社の境内には出店も沢山出て活気がありました。漁師をしていたわが家でもそうわ台という黒漆器塗りの台の上に錦絵のお皿を置き鯛の活造りや皿鉢料理が座敷の襖を外した宴会場に所狭しと並べられていましたが、日常生活との落差が大きかっただけに、とてつもないハレの一日として脳裏に焼き付いているのです。

 今は祭りも町内統一の日となって交流も殆どなく、祭りといって特別なおご馳走を作るでもないので、まあ骨休めの一日のような穏やかなものなのです。でも祭りが来るとどこか心がときめくのはやはり日本人ならではのDNAなのかも知れません。

 かくして絶好の祭り日和に恵まれた今年の秋祭りも無事終わり、瀬戸内に面したわが町にも遅い秋がやってきて、一気に寒さが増し、伊予灘の海もざわめき始めるのです。


  「ふるさとの 幟はためく 秋祭り 遠く近くで ワッショイ掛け声」

  「獅子舞の 太鼓の音を 聞きながら 親父と二人 みかん取り入れ」

  「近頃は 女交じって 神輿守 少子化ゆえに 止むにやまれず」

  「ご馳走を 作るでもなし 秋祭り 懐かしみつつ 妻と二人で」

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○「サプリメントはいかがですか」との電話勧誘

 どこでどう調べてくるのか分りませんが、つい最近時々私の元へ色々な電話がかかってきます。振り込め詐欺の類ではないので気にも留めていませんが、どうやらサプリメントを飲んで元気にならないかという勧誘のようなのです。今日もその電話が午前中かかってきました。中年の女性が美しい声で言葉巧みに言うものですから田舎者で助べな私などは、ついつい電話の話しに引き込まれて、聞かれるまま話し込んでしまうのです。65歳になった初老の私に勧めるものといえば、青汁、黒酢、くらいなものでしょうが、今日はヒアルロンサン、コラーゲン、コンドロイチンを配合した今話題のサプリメントだそうです。しかも150パーセント増量、今なら半額でご提供、もし効果がなければ返品可能、有名な○○さんも常飲ンして効果があったなどと、まあいいことずくめ宣伝文句を並べ立てて勧誘するのです。しかも「このサプリメントは厚生省のお墨付きを頂いている安心安全なものなので・・・」と続けば誰だって「買ってみようかな」と思うのは当然のことかも知れないのです。


 私たちの日々の食生活は余程注意をして生活しないと確かに偏ってしまうのです。胆のう摘出手術をした病歴のある私のために妻は毎日手作りでバランスの取れた食事を作ってくれていますが、それでも野菜不足は否めずこの2~3日を振り返っただけでも緑黄野菜などは少ない感じがします。宣伝文句が本当ならばこんな場合青汁を飲んで栄養補助すれば、元気モリモリになるはずなのです。

 私が一番気になるのは、医薬品を含めお客様の健康を守るはずのドラッグストアーで、「はてこんなもの本当に体にいいのだろうか」と疑うような安売りの菓子類や食品類が置かれているのを見るからです。妻と一緒に時々ドラッグストアーに行くことがありますが、最近は安売りの豆腐なども置かれていて、それがかなり売れているのですから消費者は何を基準に買物をしているのか疑いたくなるのです。

 親父は夕方になるとテレビをつけ水戸黄門などの時代劇を見ることが楽しみな日課になっています。時々そのテレビを見ると、目のかすみ、耳が聞こえにくい、足腰の弱ったと日ごろ嘆いている、水戸黄門を見ているであろう視聴者に向けて、目にはブルーベリー、足腰の痛みにはコラーゲンやヒアルロンサンなどと、これでもかと言わんばかりにコマーシャルが流れているのです。「○○袋突破」とか、「○○箱突破」という数字が本当ならばお年寄りたちは水戸黄門という時代劇に名を借りた商法の餌食になっているのかも知れないのです。

 これらの健康補助食品が本当に体に聞くのであれば、さほど詮索する必要はありません。しかし「本当にそれほど効き目があるの?」と疑ってみるのも大事なことなのです。あるお医者さんが「病気になろうと思えば病院へ行くこと、ファーストフードを食べさせること、サプリメントを食べること」と言っているように、もう一度食生活について考えてみたいものです。

 ちなみに勧誘の電話を切る一番の方法は、「今来客中なので後にして下さい」と言えばいいそうです。


  「サプリどう 電話の向こう 声美人 その気にさせて 定期購入」

  「一番は 妻の手料理 決めている お陰で病気 しなく一年」

  「健康を 守る薬屋 安売りの 食品並べ ちぐはぐ商売」

  「水戸黄門 印篭ならぬ サプリ売る 年寄り信じ 申し込んでる」

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○長野県富士見町から視察研修にやって来ました

 昨日は午前中伊予市いっぷく亭の皆さん、と午後は長野県富士見町の職員さんと、二つの団体を受け入れとても忙しい一日でした。午後の富士見町は職員4名の視察研修で、伊予市役所地域振興課からのご依頼で、事前にいただいた10数項目の質問事項に答える形で、これまでの町づくりの取り組みについて2時間ばかり話しこみました。忘れかけていた記憶を呼び戻し聞きたいという失敗談など交えながら話しました。

 面談した富士見町の職員の方は総務課管財係、建設課生活環境係、住民福祉課社会福祉係、生涯学習課文化財係と、それぞれ幅の広い仕事を担当している若手の集団でした。既に「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という私の自著本を買い求めて熟読しての研修だけに、微細な深く突っ込んだ話になりました。

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 大変失礼な話ですが、私はその町の存在を知りませんでした。富士見町といえば連想するのは日本一の富士山が見えるのだろうと思うのは当たり前の発想です。彼らの話で富士山や八ヶ岳が見えるということを聞いて、大体の場所を想像しながら話をしました。長野県へはこれまでにも飯田市、木曽福島や南牧村などへ出かけて馴染みの深い県なのですが富士見町へはまだ一度も行ったことがないのです。長野県は海のない県なので、人間牧場から見える瀬戸内海の眺望に感激の面持ちでした。

 人間牧場を引き上げた一行はその足でわが家へやってきて「海の資料館「海舟館」、私設公民館「煙会所」を見学し、東屋「夕観所」で私の私的な活動にも触れていただきました。またせっかく西国四国へやってきたのでわが家の家庭菜園の隅にあるみかんの木のみかん狩りをほんのさわりだけ楽しんでいただきました。

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 昨日は夕日が落ちるのが17時27分ころなので夕日を見るため17時前にわが家を去って行きました。帰り際記念にと買い求めていただいている本にサインを求められました。塀の瓦の上で書いたためいい字では書けませんでした。握手をした分厚い手から伝わる力強いやる気のようなものを感じましたが、中堅職員と思しき彼らの今後の活躍に期待したいものです。

 本当は10月8日に来る予定でしたが台風18号の上陸で延期されこの日の視察となりました。受け入れ窓口となった市役所双海事務所地域振興課の川本さんは、かつて私と一緒に仕事をした間柄です。すっかりたくましくなって観光などの仕事をやってくれていますが、やってきた富士見町の皆さんと同じように、これからの地方自治をしっかりと支えて欲しいと願っています。


  「長野より 視察研修 やって来る 内面迫る 話し熱帯び」

  「失敗の 話し山ほど して欲しい 事前のメモに 感心しきり」

  「俺の本 事前に読んで 双海入り これは本物 手助けせねば」

  「若かりし 頃の自分を 思い出す 日本全国 旅して歩く」

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shin-1さんの日記

○いっぷく亭の昔の美女連が人間牧場へ

 「私は虫が大嫌いなので虫のいなくなるころにお邪魔したい」とわがままなことを言っていた谷岡さんに連れられて、今日はいっぷく亭の皆さんが人間牧場へやってきました。「虫が嫌い」と言われても自然豊かな人間牧場の虫たちに「虫が嫌いな人が来るので出ないように」ともいえず、ただただ祈るばかりで迎えました。

 今日は多少ガスが入って遠望は効かなかったものの穏やかで風もなく、暑からず寒からずといったまずまずの天気に恵まれました。9時30分、下灘コミュニティセンター前で待ち合わせをし、自称田舎のオープンカーである私の軽四トラックの先導で、2台の車は山道を登って行きました。車の中では賑やかなおばちゃんたちの会話が聞こえそうな雰囲気が、バックミラーに写っていましたが、多分「えっ、こんな田舎なの?」「果たして私たち美女連を何処へ連れて行くのかしら?」なんて悪口を言っているように見えました。

 
若松進一ブログ

 人間牧場入り口の山道からは小型バスが入らないため歩いて貰いました。伊予市商業協同組合の徳本理事長さんが「人間牧場は山の中をかなり歩かなければならない」「茅や刺で怪我するかもしれない」と参加者を脅していたので、みんな恐る恐る下ってきましたが、脅しほどではなかったとみんな安心して到着しました。

 私は早速風呂にお湯を張り足湯の準備をしました。何せ上品なお町の奥さん族ですから、丁寧に扱わないと請われてしまうかもしれないと相当気を使ったつもりです。最初は半信半疑だったロケーション風呂の足湯も予想以上に長い時間楽しんでいただき、少なからず満足していただいたようでホッとひと安心しました。

 その後徳本理事長さんから「お話をしてあげてください」と頼まれていたので、1時間ばかり私がお話をして、持参した弁当を食べながら楽しい楽しいおしゃべりをしました。空には秋らしいうろこ雲が浮かび、みんな思い思いにウッドデッキの上に寝転んだりしながらひと時をのんびり過ごしました。

 毎日来るか来ないか分らないお客を待ちながら商売を続けている商店街の奥さん連中にとって、日々の生活はストレスも多いものと思われます。ましてや商店街も昔のような勢いもなく不安が多いのではないかと推察しますが、それでもみんな「今日は久しぶりにリラックスした」と喜んで1時に迎えの車に乗り込んで帰って行きました。私はその後視察を受け入れていたので、車まで歩いて見送り、再び人間牧場へ帰って次のお客さんを待ちました。

 今日は嬉しいことに落伍のネタ本である「夕日徒然草」が15冊も売れました。売り上げの半分は人間牧場の運営資金に、また半分は来年に予定されている「夕日徒然草・火の書」の出版資金として大切に使わせていただきます。今日は私のへたくそなハーモニカに合わせて鼻歌交じりに歌ってくれる人もいて気分は最高でした。季節が変われば気持ちも変わります。時間は冬か、それとも夏か春かにまた来てほしいと願っています。今度は思いきり藪蚊を集めておきますので覚悟して来てください。


  「楽しいね 気心知れた 仲間たち 気がねもなしに 笑い転げる」

  「そう言えば この人たちも 伊予市民 私と同じ 街に住んでる」

  「なんぼまで 生きるの聞かれ 死ぬまでと 答えて笑う それでいいのだ」

  「若くない でもお化粧は 若造り しわ(4×8=)がなければ 三十二歳」  

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