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○夢の始まりは「海の向こうに何があるのだろう」からでした

 海で背一計を立てている人に比べれば些細な経験ですが、私くらい海と深いかかわりを持っている人間も少ないのではないかと、友人の海に関するブログを読んで思いました。

 ①私は家が漁家だったものですから、水産高校を出て25歳までの8年間家の漁船に乗って漁師をしました。私の眼の高さ、つまり考えの原点は漁師をしたこの海抜ゼロメートルにあるのです。瀬戸内海の中でも外洋性の強い伊予灘を漁場として、様々なことを思い、様々な魚たちと出会い、多くのことを学んだのです。

 ②私は16歳から3年間宇和島の水産高校に学びました。親元を離れた遊学の締めくくりは、練習船愛媛丸での遠洋航海でした。赤道を越えオーストラリア近くの珊瑚海を目指した3ヶ月余りの洋上生活はこれまた私の価値観を根本的に変えてくれました。

 

 ③私は30歳のとき、ジョン・万次郎に憧れてアメリカ行きを決意していました。幸運にも昭和の咸臨丸と銘打ったにっぽん丸に青年の船班長として乗船し、日付変更線を越えて建国200年のアメリカやメキシコ、ハワイなどを歴訪、世界ち地図の真ん中に日本のない世界地図を見ることができたのです。


 ④私は31歳から20年間も沖合に浮かぶ中島町由利島で、21世紀えひめニューフロンティアグループの仲間とともに、無人島に挑む少年のつどいをやり、毎年100人近くの人たちを無人島に運び、子どたちと一緒に感動の涙を流しました。


 ⑤私はこれまで4席の丸木舟建造にかかわりましたが、特に古代人の黒曜石のルートを探ろうと計画された丸木舟の船長として舵を握り、大分県姫島から松山市梅津寺までの160キロの航海を立て航法で行い、そのルートの解明をしました。


 ⑥私は15年前に双海町という小さな町で、海の交流拠点としてシーサイド公園を造る計画に携わり、反対や様々な失敗にもめげず整備をしましたが、今では年間55万人も来訪者がある、県下屈指のスポットに成長し、運営している第3セクターも黒字経営を続けているのです。


 まあこんな具合に指折り数えてみれば数え切れないほどの海との出会いがあるのです。これらのことを思い出す度に海はロマンであるとしみじみ思うのです。私が大きな夢を志すようになったのは、少年時代に今人間牧場を建設している場所から時々「海の向こうに何があるのだろう。いつかは海の向こうに行ってみたい」というささやかな夢がありました。結果的にはその夢を手に入れ、今の自分があるのだと思うと、少年時代の他愛のない夢はとても大事なもののように思えるのです。

 私の家からほんの数分の近い距離にありながら、気がついてみると今はなぜか海から遠ざかっているのです。「そうだ海を見に行こう」そう思いました。そして今朝意味も目的もないのにシーサイド公園の突堤から、広がる瀬戸内海の海を見ました。雨と時折沖合に閃光が走り雷雨が激しく降り、海も空もどんより曇って泣いているようにも見えました。

 梅雨が明けたら水平線の彼方に入道雲が見えるに違いありません。忘れかけていた海をもう一度取り戻したいと心に誓いました。

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○茨城県桜川市からのお客様

 昨日は梅雨明け前の気まぐれな天気で、一日中雷がゴロゴロ鳴ったり、激しい雨が短い時間何度も降るなど、まさに気まぐれでした。連休で遊びに来ていた孫たちの中には尚樹2歳と希心1歳の孫がいて、雷を聞いただけで泣き出したりするのです。私の孫とは思えない反応に、こちら大人たちは大笑いしましたが、さすがに奏心0歳と朋樹6歳は太っ腹で、生後2か月の奏心は雷の音などにはビクともせず、スヤスヤと揺り籠で寝ていました。小学校1年の朋樹は雷などへっちゃらで、「へそを取られる~」などとおどけて見せて、尚樹と希心が雷の音で泣くのが可笑しくて仕方がないようでした。

 雷は自然現象なのでしょうが、それにしてもこの雷を聞いてフランクリンという人は雷雨中にタコを上げ、雷と電気が同じものであることに気がつくのですから世の中には偉い人がいるものです。私も子どもも孫4人も雷を聞いて、泣いたり笑ったりするだけで何も感じないのは、やはりわが家が凡人家系なのだと納得するのです。

 この雨の中でも人間牧場へやって来る人がいます。一昨日は下灘のみなと祭りで、このようなイベントにやって来ると決まったように「ついでに人間牧場を訪ねたい」と飛び入りで電話がかかってくるのです。その都度対応に追われますが、一昨日はアポも取らずに気まぐれにやって来る人が何人かいましたが、昨日も連休で移動中雨に遭い、双海町を通過中の雨宿りのついでに連絡があって雨の中を案内しましたが、夕方には山道ゆえに少々危険と言って断りました。

 そんな中でも今月は珍しい遠来の客が沢山訪れています。7月16日には茨城県桜川市の鈴木謙一さんが仲間とともにやって来ました。この日は愛媛大学のフィールドワークの授業があって、隣町の中山町へ学生たちを連れて現地研修に出かけていて、待ち合わせの4時にぎりぎりセーフで、シーサイド公園に10分前に到着です。相手の鈴木さんも室戸、四万十川、宇和島と旅を続けての出会いだったため、4時ジャストの到着となりました。

この日は前日の土砂降りではなかったものの曇り空で、自慢の瀬戸内海の眺望はプレゼントできませんでしたが、それでも墨絵を見ているような幻想的な島々の眺望に二人は満足していました。

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 ところで桜川市といわれても一体茨城県のどこにあるのか、さっぱり見当がつきません。地図で調べると水戸と小山のちょうど中間点にああるようですが、失礼ながら四国に住む私たちにとっては余り馴染みのない名前のようです。岩瀬町、真壁町、大和村の3町村が合併してできた新しい市名なのですが人口は5万人程度のようです。今回の鈴木さんの来訪も、私に講演の依頼があるようでしたが、詳しい話はメールのやり取りでしようと約束し、シーサイド公園やわが家の煙会所などを足早に見学し、宿泊先である松山へ向かわれたようです。期待していた自慢の夕日も梅雨空のため見せることができず、ただただ残念でした。でも梅雨の時期に雨に遭わなかっただけでも幸せと思えば、鈴木さんたちの旅もラッキーかも知れません。

 梅雨明け間近を思わせる雷雨に一喜一憂しながら、今日も秋田県から一組の人が人間牧場へやってくる予定です。多分桜川市の鈴木さんたちのように瀬戸内の眺望は楽しめないと思います。外は今朝から小降りの雨が降っています。早く梅雨が明けてほしいと願っていますが、梅雨が明ければ本格的な夏の暑さが待っています。今年も早くも半分が過ぎて折り返してしまいました。「そんなに急いでどこへ行く」と思いつつ少し焦りを感じる今日この頃です。


  「遠来の 友は来るけど 雨模様 自慢の夕日 隠れたままで」

  「今日もまた 秋田県から やって来る 雨もまたよし 思うは自分」

  「雷に 一喜一憂 する孫に 一喜一憂 つられる爺」

  「ゴロゴロを 聞いて孫たち ヘソ隠す 無邪気なもんだ 平和ですなあ」

 

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○採蜜したハチミツは何と4升②

 雨の中を井上さんの協力を得て取ったハチの巣を、ポリ樽に収めて人間牧場からわが家に持って帰りました。さあそれからが大変でした。犠牲になったミツバチを丁寧により分け、採蜜器に入れて自然溶解させるのです。まあその息の長いことは井上さんのご指摘通り一昼夜経ってもハチの巣から搾り出せないのです。せっかちの私は妻のドライヤーを取り出して少し熱風を送り込みました。すると溶解は早いのですがハチミツの変質を防ぐために断念し、外の日当たりのよい所に縁台を出し気長に待つことにしました。不純物を取り除くために濾過器となる網目の道具も用意して臨みましたが、中々のものでした。この採蜜器は高知県馬路村の木下さんからメールで写真を送ってもらって教わり、ホームセンターダイキで購入した、ボカシを作るための容器を代用したものです。それに指示通り細いパイプを付けましたが、多分これからも末長く使える道具のようです。

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 採蜜が始まって間もなく長男がやってきました。ミツバチを飼おうと言いだし元々の発案者は長男なのです。その話を聞いて、私もかねがね飼いたいと思っていたので同調しました。運よく高知県馬路村の木下さんの紹介で馬路村へ講演に行った折、ある人からミツバチの巣箱を2個いただいたのです。しかしミツバチの飼い方も分らず、全国地域づくり団体交流会や地域づくり人養成講座で野村町の井上登さんと知り合い、指導を受けることになったのです。長男はいいとこどりで全ての世話は私ですが、一番搾りのハチミツを持参した広口瓶に入れ、少しですがさっさと持って帰ってしまいました。トンビに油揚げとはこのことかもしれません。息子は帰り際、人間牧場のハチミツと書いたお洒落なラベルを作って小分けしてお世話になった人に差し上げようというのです。アイデアマンの私の上をいくアイデアながら苦労して採集したハチミツをそう簡単に差し上げることもできないと、思案をしています。井上さんから頂いたハチミツは味もよく、ホットケーキを焼いてその上に垂らして食べているため早くも底を尽きかけています。今度は自分の採集したハチミツをホットケーキに垂らして味見したいと思っているのです。

 
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(庭で採蜜する私)
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 採蜜作業は結果的に今日までかかりました。1号巣箱はほんの少ししかハチミツがとれませんでしたが、3号巣箱は合計すると4升近くもあるようです。ミツバチを飼い始めた時の目標が2升でしたから、4号巣箱をまだ未開封なのにもう目標達成で嬉しい限りです。まだ粗削りで分らない点がいっぱいありますが、大体の方法は見えてきました。「ミツバチを飼いたい」という息子の思いつきから始まった養蜂は、これからも少しずつ進化してゆくことでしょう。気の早い息子は皆さんに差し上げるべく、小さな瓶をインターネットで注文したようです。「人間牧場養蜂場のハチミツ」とラベルを張ったハチミツがそろそろ出回るかも知れません。

 このブログの画面を借りてこれまでご指導していただいた井上さんや木下さんに厚くお礼申しあげます。そうそう肝心なことを忘れていました。春先からこれまで周囲2キロへ飛んで行って蜜を集めて巣箱に貯めこんでくれたミツバチさんにも大きな拍手を送ります。


  「ミツバチの 働き無駄に しないよう 大事に蜜を 味わい食べる」

  「まず味見 息子が一番 ちゃっかりと 刺された私 まだだというに」

  「ハチミツが 少ない時世 聞いたけど わがミツバチは 盛況でした」

  「子どもらに 味見させよう 気を配る 息子ネットで 瓶を注文」

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○念願の採蜜をしました①

7月17日、その日はあいにく朝から雨でした。でもミツバチ飼いの師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんと約束していた、待ちに待ったハチミツの採蜜の日なので、様々な準備をして人間牧場へ出かけて行きました。朝9時に家を出て人間牧場へ着くと井上さんは既に到着していました。雨を気にしなりながらも雨合羽を着てミツバチに刺されないための防護ネットを頭からすっぽり被り、いよいよスタンバイです。巣箱は4つありそれぞれに1号・2号巣箱と名前を付けていますが、2号の巣箱は残念ながらスムシの餌食になって空き家になっています。最初に始めたのは井上さんが今年2月はるばる野村町から種蜂を運んでくれた母屋ともいえる1号巣箱です。私にとって採蜜は今まで見たこともやったこともない初めての体験なので、井上さんの言うがまままるで金魚のフンのように行動するしかないのです。防護ネットを被った私の姿はまるで人形浄瑠璃のデコを扱う黒子のようでもあり、何となくみょうちきりんな恰好でした。

 採蜜の方法はいろいろと人によってまちまちのようですが、井上さんは篭にゴザを巻きつけた秘密兵器を使っています。巣箱の上の杉の枝に紐で吊るし、巣箱をそっと逆さまにしました。そしてその上からゴザを円筒形にして被せ、巣箱を竹の棒で叩くのです。そうすると叩いた振動や音でミツバチはゴザの中に一時避難するという算段です。高知県馬路村の木下さんから届いた手紙によると、段ボールの箱でも代用できるようですが、この日のように雨が降った日だとゴザが良かったようです。

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(井上さんの秘密兵器ゴザを使ったミツバチの一時避難所づくりです)
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(巣箱の中は幾重にも(さ巣がありミツバチが群がっていました)

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(さあ準備完了です。竹の棒でミツバチを上のゴザの中へ追い込みます)
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(雨のせいかミツバチの動きが鈍くゴザの中へは余り移動しませんでした)

 井上さんは採蜜のために地元の鍛冶屋さんに特注したノミにも似た2本の道具を器用に使って、巣箱の中に差し込み、ハチの巣を一つ一つ切り取って外し、用意した桶の中へ入れて行きました。井上さんの話だとこの巣もスムシの被害に遭っていて、切り取りはしたもののハチミツは殆どないとということでした。少しがっかりしましたがミツバチが最も活発に活動していたツリーハウス横の3号巣箱は重量感もあって期待が持てるというので、1号巣箱は練習のつもりで作業を終え3号巣箱へ移動しました。
 練習の成果でしょうか、3号巣箱はゴザの巻き方も申し分なく、蜂の一時避難も先ほどより多かったようです。雨はやむ気配がなく作業をしながらデジカメで写真に収めるのですが、途中でデジカメが雨に濡れて動かなくなるハプニングに見舞われました。


 3号巣箱はハチの巣の大きさも蜜の量を最高で、井上さんはその巣を丁寧に切り取り、少し大きめのポリ樽に入れてましたが、ミツバチたちは巣と離れ難いのか切り取った巣に群がって離れようとしませんでした。何カ月もせっせと貯めたハチミツを人間に横取りされるのですからたまったものではありません。私もその姿を見て少々心が痛みましたが、まあ仕方がないことと諦め、ハチの巣に群がった蜂をそっと巣箱の近くへ払いのけてやりました。

 その時はチクリとしたぐらいでそんなに木の求めていませんでしたが、雨に濡れた私の軍手の上から手の甲辺りを何度か刺されました。井上さんはゴム手袋をしているため平気でしたが、私は軍手という軽装だったため怒らせたミツバチの洗礼を受けました。何日か前布団に寝ていてムカデに刺された足がやっと快方に向かっていた矢先の出来事はまさに泣きっ面に蜂でした。そのハチ刺されで腫れた手を見るにつけ、今度はしっかりと防備してかかりたいと思うのです。


  「防虫の ネットを被り 採蜜す まるで黒子だ 奇妙な姿」

  「落胆と 感動交互 やってくる これも自然の 成せる洗礼」

  「肝心な 時に必ず ハプニング デジカメ故障 困ってしまう」

  「竹棒で 巣箱を叩く 姿見て 土人狩り前 鼓舞する姿」


 

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(巣箱の上の石やトタンを外しいよいよ採蜜の開始です)

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○夏休みが始まりました

 小中学校が夏休みに入り、少子化といえども子供の歓声があちこちから聞こえ、街中が何処か騒がしくなったような気がします。今年の夏休みは土日に海の日が連らなって連休となったため、17日に終業式があって、子どもたちにとっては長い長い夏休みが始まりました。40日を超える夏休みには異論もあって、子どもの生活のリズムが乱れるとか、学力の低下が心配だとか、はたまた学校の授業にゆとりがなくなるとかいう人もいますが、同感な所もあり、またそんなに目くじらを立てることもあるまいにと反論もするのです。

 わが家には夏休みを楽しむ孫がお母さんに連れられて土曜日にやってきて、わが家はハチの巣をつついたような賑やかさです。大学に勤めている娘婿も間もなく夏休みでしょうが、どういう訳か休みは殆どなく仕事に没頭していて、お盆の帰省程度のようで、私たちにとっても長い夏休みは孫たちとともに過ごす絶好の機会と考えていますが、妻だけは食事の世話などもあって余分な負担がかかって、多少しんどい夏になりそうなのです。

 今日は孫たち二人を連れて妻の実家がある八幡浜までドライブがてら遊びに行きました。風邪をひいて少し微熱があるという娘をわが家に残して休ませ、半年に一度という地元集会所の掃除を終えて帰ってきた妻と、親父が庭木の剪定をしてできた剪定カスを片づけ、4人で朝の涼しいうちに出かけました。

 カーラジオから流れるニュースによると、夏休みに入った行楽地は高速道路の割引効果も手伝ってかなり混雑しているようで、40キロもの渋滞が報じられていましたが、そこへ行くと南予への道は高速道路を除けばどこも空いていて、都会と田舎の落差を感じました。

 本当はお墓参りのつもりでしたが、お墓までの距離が少しあるため断念し、伊方町の亀が池温泉へ向かいました。温泉好きな私たち夫婦は年に何度かこの温泉を利用しますが、塩サウナなどもあって、結構お客さんが多いように思いました。2歳の孫は妻と、小学校一年の孫は私とそれぞれ1時間ばかり入浴し、帰りに長浜の出海の特産品を売る店で孫の要望が強いクワガタ2匹を買い求めました。孫はカブトムシを持っていますが、クワガタを見つけて大喜びでした。

 妻はスイカをふたつ買いました。大きいスイカなのに一個900円ですから、市価の6割といった安さです。店のおばさんの話によると最近は大きなスイカは売れないそうです。家族が少ないし大きなのを買っても冷蔵庫に入りきらないのだそうです。私のようにスイカが大好物の人も少なくなって、スイカの需要は年々減っているとこぼしていました。スイカの食べた後の皮をクワガタの虫籠の中にいれてやりましたが、さも美味しそうに食べていました。

 今日は土用丑の日です。近所の料理屋さんからうなぎを買い、早速うな丼を食べました。お魚の吸い物を脇にして食べるうなぎは最高で、何か体が元気になったような気持ちになりました。夜7時30分に話がまとまって5人で下灘みなと祭りの花火を見に行きました。今年は不景気で全国ではかなりの数の花火大会が中止になったという話を聞きました。短めな田舎の花火大会でしたが、孫たちは「しゅるしゅる、ドカーン」と上がる夏の夜の花火に満足して帰りました。小さくても花火はやはり地元でゆっくりと見るに限ります。

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(花火に見入る私と、私の膝に座った孫尚樹)
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  「孫が来る 思いやられる 夏休み 妻はせっせと 食事を作る」

  「佐田岬 巡って湯船 亀ヶ池 孫の背中を 流してやりぬ」

  「しゅしゅっ・ドカーン 片言話す 孫二歳 膝に座らせ 夜空仰ぎぬ」

  「まだ明けぬ 梅雨空仰ぎ 口開けて 夜空の花火 やる気起こしぬ」

 

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○東予地方ニューツーリズム現地調査③

 伯方島を訪ねる

 岩城島や弓削島に行くには、今治から高速船に乗る方法と、しまなみ海道を渡って先回りするように伯方島の木浦港まで船で行き、同じ船に乗船する方法があります。直接今治から船に乗る方法と橋を渡って船に乗る方法とを比較して金銭的に有利な方法を選ぶのでしょうが、世の中はスピードの時代ゆえに先回り利用が多いようです。そのためでしょうが、久しぶりに訪れた木浦港の駐車場は人影もまばらなのにやけに駐車の車が多かったようです。私たちも今回はそんな行程を選び、ひとまず弓削まで行って帰りに岩城島、伯方島とニューツーリズム現地調査の所用をすませながら最終の目的地伯方島を車で訪ねました。

 最初に訪れたのは「ファームインポーチュラカ」という農家民宿でした。しまなみグリーンツーリズム推進協議会の会長を務める西部知香さんの民宿を訪ねましたが、西部さんはあいにく塩づくりのプログラムをビーチの傍の公園でやっていて、そちらに移動して見学することになりました。西部さんとは昨年愛媛県で開催された全国地域づくり団体交流大会の分科会を開いてもらったので顔見知りでした。

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 しまなみ海道沿いには、瀬戸内海の温暖な気候を生かした塩づくりがかつては盛んで、流化式製塩場が沢山あったそうです。しかしイオン交換樹脂膜法という科学的な製塩方法が開発されてその姿を消してしまいましたが、西部さんたちは伯方の塩で有名な会社から塩分濃度の濃い塩水を分てもらい、素焼の土器を作る作業と合わせてメニュー化しているようで、短い作業工程で見事な塩づくりを再現していました。最近は全国的に塩づくりがブームで、特に海藻をくぐらせて作る藻塩は人気が高いようです。火を使うことさえ珍しくなったゆえに塩づくりの行程はニューツーリズムの新しい商品になるかもしれないようです。塩は万人の日々の暮らしに欠かせないものであり、出来上がった塩を使って竹筒で炊いたご飯をおにぎりにして試食したり、木なりの甘夏ミカンをジュースにして試飲したりして談笑しました。

 続いて訪ねたのは野間征子さんが経営する農家民宿と農家レストランを兼ねた「有津っこ」でした。野間さんとも顔なじみで、色々なツーリズムにまつわる取り組みや苦労話を聞かせてもらいました。

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 野間さんの話を聞きながら、グリーンツーリズムのメッカ大分県安心院の中山ミヤ子さんのことを思い出しました。私たちはややもすると田舎の民家は古臭いと思っていても、都会に人にとっては非日常であり、田舎の衣食住の暮らしそのものの全てが異文化体験なのです。ましてやその日に食べる食材を裏の畑から自分で収穫してそれを料理に使うなどは考えもつかないことなのです。野間さんも最初はこんなもてなしでいいのだろうかと思って始めたようですが、今では海の近くの地の利を生かしたタコ釜めしが大人気で、多くの人を集めているようです。

 ツーリズムは日常の暮らしや生産をちょっとした工夫でメニュー化して提供し、訪れた人に非日常を体験させながら感動を与え、いくらかのお金をいただく仕事です。薄利のため儲けの割には苦労も多いのですが、もてなし交流によって生まれる温かい心に触れながら次第にグレードをアップしていくのです。その意味あでは感性豊かな人の存在が欠かせないのです。「しまでcafe」の村上律子さんや兼頭一司さん、「でべそおばちゃんの店」の西村孝子さん、「ファームインポーチュラカ西部」の西部知香さん、「有津っこ」の野間征子さんはそれらの条件を満たした有能な人材なのです。彼や彼女たちはツーリズムに生きがいを感じ、さらなる発展を目指して様々な知恵を出そうとしています。またツーリズムに必要な情報の発信も公共の広報媒体を巧みに使いながらやっていました。

 愛媛県の最北端ゆえに愛媛県側からみれば遠い位置にありますが、東京や広島には近く、しまなみ海道という主要アクセスを最大限に生かしていますが、ここでもやはり隣県とのネットワークや銃砲発信についてはまだまだ未知の部分があるようです。

 ニューツーリズムは新しいビジネスです。足元にあるものを再発見して地域資源として活かし、そこから生まれる他地域の人との交流によって地域や人が心と経済で活性化するものです。これまで考えられなかった塩づくりなどの新しいメニューが人々の知恵によって生まれていますが、残念ながらまだその精度は高くありません。また市町村合併によって行政の支援も受けにくくなっているのも実情です。でも未開発ゆえの魅力も多分にあります。国民の観光への思考が変化している中で、それをキャッチして活用すれば地域の活性化は可能なのです。

 

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○いきなり屋外放送が流れて驚きました

 公民館に到着するといきなり、公民館の窓から屋外スピーカーの放送が聞こえてきました。衆議院の解散が近くなり、街中で政党の街宣車を見かけるようになったため、「ひょっとしたらどこかの政党の街宣車かな?」と思いましたが、何と今日の集会前の案内放送でした。「今日午後1時から公民館で愛媛大学客員教授の若松先生の講演があります。大変為になるお話しなので、お揃いでお出かけください」と、かなり大きなボリュームで放送していました。気恥ずかしさで思わず顔から血の気が引くような感じがしました。

 「今日は暑いので集まりが少ないかもしれません」と言われましたが、どうしてどうして開会の午後1時になると沢山の人が集まり、越智分館の2階は冷房が程良く聞いて、暑さを感じさせない快適さでした。対象が高齢者+一般ということでしたが、元気な高齢者が沢山集まって、まあ賑やかな反応で、1時間40分も話したのに誰人る寝る人もなく、楽しい集会となりました。松山市には沢山の地区公民館や分館があって、色々な集会に招かれますが、高齢者の前で話すことが圧倒的に多いのです。

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 夕方家に帰ってみると、一本のメールが届いていました。今日の集会の参加者からです。「ハガキの話を聞いたのでハガキを出そうと思っていますが、とりあえずメールをしました。今日あなたの話を聞いて感激しました。私は夫に先立たれ一人暮らしです。何で私だけが不幸なんだろうと、いつも思っていました。今日若松さんの世界地図の話を聞き、考え方やモノの見方によって自分の人生観は変わるのだと思った次第です。地元新聞のお悔やみの欄を見る度に、いよいよ自分の番が近付いたと悟っていますが、思いを新たにして究極の幸せと伺った人にしてあげる幸せを求めて頑張りたいと思います。近いうちに人間牧場へも是非お伺いしようと、帰り際皆で話しました。本当にありがとうございました」とかいていました。

 こんな心温まるメールをいただくのですから、やはり手前みそながら私は幸せを売るセールスマンだと自負せざるを得ないのです。

 足はムカデ手はミツバチに刺されて全身傷だらけですが、幸い口だけは何の不都合もなく動いて、毎日楽しく行脚を続けています。請われるままもう少しだけわがままな自由人として日々を過ごしたいと思っています。

 今日は帰宅後、長男が手伝ってくれて、昨日採集したハチミツを絞りました。一号ミツバチ箱は残念ながらスムシにやられて蜜は殆ど取れませんでしたが、3号ミツバチ箱は3升以上の収穫がありました。息子は早速搾りたてのハチミツを広口瓶に入れてちゃっかり持って帰りました。私はまだ毒見や味見をしていないのにです。ハチミツは親父にも、人間牧場に来ている子どもたちにも味見させてやらなければなりません。

 4号ハチミツ箱はまだ収穫していないので、少し早めに採集しないとまたスムシにやられそうなので、観察を怠らず努力したいと思っています。


  「屋外の スピーカーから 放送が いきなり流れ 穴があったら」

  「一本の メール届いて ホッとする たとえ世辞でも 嬉し反応」

  「ミツバチが 集めた蜜を 横取りし その蜜息子 更に横取り」

  「ハチミツは サラサラいいと 思ってた 師匠のメール それを打ち消す」

 

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○泣きっ面に蜂とはこのことかも

 夜寝ていて大きなムカデに刺されて、膝から下がパンパンに腫れて、歩行するのにも少し違和感があるほどでしたが、今回のムカデは猛毒だったようで一週間も腫れが引かず難儀をしました。ブログでそのことを紹介したものですから、ブログ仲間からはビワの種を焼酎に漬けた特効薬の話や、ムカデ酒まで色々な特効薬を紹介していただきました。しかし残念ながらそんな用意もできず、ましてや刺された直後の処置をしなかったため、今となっては自然には腫れが引くのを待つしかないのです。ある人は刺したムカデをすり潰して患部につけると直ぐに治るなどという物騒な荒治療を提案してくれた人もいましたが、まあ今後の参考意見として大変役に立ちました。ブログ画面をお借りして、治療方法を伝授していただいた方々に厚くお礼を申し上げます。

 これまでにもスズメバチやムカデには何度も刺されていますが、動物の本能というのでしょうか、スズメバチもムカデも全てが人間の急所を狙っているように思えるのです。今回も脛の裏のリンパ系のすぐ近くを狙われたので、リンパ腺を通り越して足中に腫れが広がったようです。薬を塗ったりする妻の優しい介護でやっと快方に向かっている矢先の昨日は、野村町山奥組の井上登さんの指導でハチミツの採集をしました。井上さんと私は防護服を着て採蜜に臨みましたが、井上さんと私の違いは手袋でした。井上さんは作業用の少し厚めのゴム手袋でしたが、私は軍手でやりました。ミツバチが群がる中へ手を突っ込んで作業する井上さんの、作業の補助をする程度なのにもかかわらず、作業中手の甲にチクリと何度か違和感を覚えましたが、蚊が刺した程度なのでそのままにして雨の中でもあったので作業を続行していました。

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 午前中に採蜜作業を終え帰ってからも採蜜作業を続行していましたが、夕方になって手の甲が何だかむず痒くなり始め、今朝起きてみると両手の甲が赤く腫れ上がっているのです。痛みもなくどうってことはありませんが、足に次いで手までやられるとは泣きっ面に蜂とはこの事だろうと納得をしているのです。幸いミツバチはスズメバチのような猛毒ではないため、一日すれば腫れも治まるだろうと鷹を食っています。

 私は蚊やブトにも狙われやすい体質で、畑に出るとしょっちゅう小さな害虫たちに狙われています。その度毎に「俺は天下の若松じゃあ、知らんのか」と叫びたいのですが、人間社会でも知名度の低いのに、ましてや小動物害虫の世界では知名度もなく顔も効かないため、結局は毎回それらの餌食となっているのです。「ああ情けなや」といつも思いながら、今回も諦めるしかないようです。

 間もなく梅雨明けです。暑い夏ゆえに人間牧場や自宅の菜園などの草刈りなどの作業が追いかけてきます。多分虫さされのハプニングには今後もたびたび遭遇することでしょうが、せめて自慢の顔だけは刺されないように注意をしたいものです。それのしても蜂に刺され免疫はできないのでしょうか。

  「ムカデ刺す 足に続いて 手を蜂に 刺され泣き面 ため息ばかり」

  「免疫が できたのかしら ミツバチに 刺されはしたが 腫れる程度で」

  「ブログ読む 向こうで笑う 仲間あり それでもブログ 書いて胸張る」


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○しまなみ海道ニューツーリズム現地調査②

 青いレモンの島とでべそおばちゃんの店

 もう20年も前に岩城島に来た時は、愛媛県が推進していたリゾート開発の先進地としてこの島は脚光を浴びていました。白亜のリゾートホテルが立ち、瀬戸内海が日本のエーゲ海などと賞賛され、近い将来はスローライフな時代がやって来ると誰もが見果てぬ夢を見ていたのです。その後バブルは崩壊し、リゾート構想は夢と消えてしまいました。その後しまなみ海道が開通したもののブームは僅か一年で消え、架橋地点から離れた地域は取り残された感じさえ持っていましたが、開通10周年を総括すれば期待したほどの架橋効果はなく、むしろデメリットが目につくのです。

 そんな中で多島美や地域資源を生かしたツーリズムは少しずつながら芽生えと成長を遂げているようです。岩城村で「でべそおばちゃんの店」にお邪魔しました。特産品であるレモンを使ったメニューを考え、愛媛版特区といえる規制緩和措置の許可を受けて、自宅のキッチンを使った料理を提供してかなり高い評価を受けているのです。

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 顔見知りである店主の西村さんから色々なお話をお伺いしましたが、ご馳走になったレモンの花弁を浮かしたレモンティといいデザートのゼリーといい、お洒落な雰囲気を見事に演出していて、都会の人たちを迎えるに必要な清潔感や癒しの心を心得ておられ頼もしく思いました。西村さんの話によると来店者も右肩上がりで、近い将来は民宿もやりたいと抱負を述べておられました。

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(レモンティに添えられたレモンのつぼみをお茶の中に入れると、1~2分で花弁が開くのには驚かされました)

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 西村さんに出会って思うのは、こうした取り組みは地域ぐるみの支援が必要であるということです。料理を提供する仲間とのチームワークも大事だし、案内していただいた島本さんはじめ行政の支援もしっかりとしていました。また港からお店までの沿線にはきれいな花を植えていて、島全体に青いレモンの島というイメージがすっかり定着していました。何でもないことですがツーリズムの基本はやはりもてなしの心なのです。

 帰りに港の近くの特産品センターにも立ち寄りました。日常は来訪者のそんなに多くない島なので、他の特産品センターとは見劣りがするものの、レモンポークという新しい商品も開発されていて、身の丈の雰囲気でした。春の積善山の桜の花の写真を見ながら、来年の春はぜひ訪ねてみたいものだと思いました。


  「レモン色 緑色して 何故青と 呼ぶのか不思議 馬鹿な考え」

  「レモンティ レモンのつぼみ そっと入れ 花弁開く 粋な計らい」 

  「船着き場 島の人々 たむろして なまりで話す のどけき風情」

  「知事さんの 来店写真 飾ってる ここは愛媛と 言わんばかりに」

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shin-1さんの日記

○しまなみ海道ニューツーリズム現地調査①

 前回のニューツーリズム現地調査は旧新宮村と旧別子山村でしたが、今回は開通10周年を迎えたしまなみ海道周辺です。今年から愛媛県の五地方局が三地方局に統合再編され東予地方局が誕生しましたが、東予地方局商工振興室は地方局本庁舎からかなり離れた旧丹原町の第二庁舎にあるため少し違和感を感じました。この商工振興室が香川県境、高知県境の四国中央市から広島県境の上島町までの商工観光をカバーしなければならないのですから、気の遠くなるような仕事なのです。でも國元室長以下8人の精鋭の揃った事務所には、東予地方局管内の西条だんじりまつりや、新居浜太鼓台まつり、しまなみ海道、石鎚山など全国級の観光資源をPRするポスターが所狭しと張られ、まるで夢の小箱の中にいるような錯覚になりました。これらの観光資源は愛媛県内外でも高い評価は受けているものの、その活用方法はまだまだ発展途上で、今回のニューツーリズムへの取り組みもその一環なのです。

 高速道路伊予インターから丹原インターまで走り商工振興室で國元室長、井下係長と合流し早速しまなみ海道のルートにある上島町を目指しました。今治市内はまだ高速道路に未開通な部分がありますが、そんなに長い距離でもなく、裏道を通ってすんなり今治のインターチェンジからしまなみ海道へ乗りました。朝が早かったためか三連吊り橋が美しい来島大橋付近は車の通行もまばらでした。私たちは伯方島で高速を降り、木浦港から高速船に乗って上島町の弓削島を目指しました。この船は今治発ですがこの方法が一番便利で早いのです。

 弓削島へはこの日お邪魔する親友兼頭さんが新天地と定めて入島していて、松下政経塾の卒業イベントのお手伝いをしたり、弓削商船高専で講演を頼まれたり、また内閣府の地域活性化の説明会に委員として行ったりするなど、何かと機会の多い島なのです。

 弓削島と佐島には離島振興の目的で既に橋がかかっていますが、佐島と対岸の生名島にも高架橋がかかる予定で、既に橋桁部分は完成間近で工事が急ピッチで行われていました。短いながら船の旅はのんびりしていて、船内での会話にも風情を感じました。弓削島の港付近は訪れる度に整備が進んでいて、島とは思えないようなお洒落な雰囲気です。

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(島おこしの拠点となっている「和風でモダンな「しまでcafe」)

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(「しまでcafe」の内部)
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 徒歩で役場を通り過ぎすぐ横の(株)しま会社のある「しまでcafe」に行きました。ここを拠点に兼頭一司さんや村上律子さんは島おこし運動をやっているのです。兼頭さんが人間牧場へ訪ねてきたのは3年も前のことでした。以来兼頭さんはコミュニティビジネスをテーマに掲げ様々な取り組みを始めているのです。「しまcafe」はその中心となるもので、小さなこだわりのレストランをオープンさせています。食材も地産地消にこだわり中々のメニューでした。兼頭さんが遠来の客を接客中だったので村上律子さんから色々な取り組みについて話を聞きました。株式会社の設立から運営、動き出している市民農園プロジェクト、修学旅行の受け入れ、特産品の開発など、様々な取り組みが行われていました。

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(都会の人のための市民農園も整備されつつありました。
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 上島町はすぐ目の前の対岸が尾道市で、東京に近い利点もあって完全に顔はそちらに向いているようです。水も電気も広島県の恩恵を受けている地域としては当然と言えば当然ですが、旧新宮村と同じようにハイモビリティ社会の影響がここにもありました。これからは隣県広島という、あるいは首都圏という広域地域を意識しないと特に観光は生きてい行けないのです。そういう意味では県都松山よりはるかに進んだ情報が流れ込んでいて、ある意味先進地という印象を強く受けました。

 さて上島町では弓削島、生名島など既に様々なプログラムが動いていて、その整理をするだけでも随分ヒントが隠されているようです。また旧因島、旧瀬戸田など隣の島との連携を考えれば無数の知恵が生まれるようです。


  「島おこし 希望を胸に 住みついて 孤軍奮闘 嬉し頼もし」

  「島故に 不便もあるが 喜びも いつの間にやら 島人なりて」

  「商売の 相手は都会 心得て 知恵さえ出せば 資源ごろごろ」

  「またひとつ 橋が架かるが 嬉しさと 不安半々 誰もが思う」 

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