○雨の日の決断は難しい
私は仕事柄イベントなどを数多く手掛け、その都度天候と向かい合いながら様々な決断をしてきました。その都度これで良かったのかと自責の念に駆られてきました。雨や台風などは気象観測の進歩によって予測は格段に確率が高くなってきましたが、やりたい人とやりたくない人が入り混じる地域イベントはその決断が早過ぎても遅過ぎてもとかく難癖をつけられるのです。特に町民運動会のような場合はたとえ天候が回復してもぬかるんだ運動場は使うことができず、そんなことを知らない一般人は「やれとったのに」と文句を言うのです。昨日もそうでした。一泊二日の研修を終えて自宅に帰ると、妻が「今日のふたみの夏祭りは中止だと今放送があった」と知らせてくれました。前の日からわが家に泊って夜の花火を楽しみにしていた連中は、時折陽の差す気まぐれな夏の天候を見て、「やれとったのでは」と言いましたが、その後雨が降ったりやんだりして、警報も出たりしたものですから、「いい判断だった」と早めに決断した主催者を褒め、たらふくわが家でご馳走を食べて夜遅く帰って行きました。
私にとっても苦々しい雨の日の決断の思い出がたくさんありますが、何といっても無人島キャンプの思い出は忘れることができません。無人島に初めて渡った日はあいにくの雨でした。しかし一年間をかけて準備した私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの仲間にとっては、何としてもやりたい事業でした。もちろん代表を務める私も、「天に向かってブツブツいうな。雨の日には雨の日の仕事がある」と意気込み、決行を決断しました。無人島にわたってから帰るまで、それはもう大変な状況で、追い打ちをかけるように台風がやってきて、無人島がゆえの恐怖におののき、全員ずぶ濡れの体や、テントを持って行かない非日常冒険も追い打ちをかけて、引き返す決断に迫られたのです。僅か5分という満潮の風下に船をつけてもらい、大しけの海を隣の有人島二神へ避難しましたが、生きた心地はしませんでした。それでも大きな感動を呼んだのは皮肉にも大雨の天気のお陰だったのです。それ以来毎年20年にわたって無人島キャンプなどを実施してきましたが、運も味方してそれなりの効果と参加した人たちに深い感動を与えてきましたが、決断は責任を伴うだけに苦労の連続でした。
その点昨日までの雨の日の決断も小さいながら見事なものでした。山の天気は女性の気持ちと同じように?変わりやすく、先が読めません。ましてや九州北部や山口県では雨による土砂災害が発生していて、受け付け開始時点で降り出した雨はかなり強烈でした。でも「夏の雨はひと山越えれば分らないし、案津の雨ゆえ一日中降ることもなかろう」と決断したのです。僅か4キロ程度の歩きなので傘をさしてでも歩けると安心していましたが、参加者は一応に長靴や雨合羽を用意する周到さでした。でも何故か歩くときは雨も上がって暑くもなく涼しげなウォーキングを満喫しました。
決断には「もし○○だったら・・・」といういくつかの想定される出来事を考えなければなりません。夕焼けコンサートのように、中止しても出演者や音響さんへのギャラが発生したりする場合は、笑ってすまされないプレッシャーが重くのしかかりますし、一度動き出した汽車は止まることができないのです。
天気を押して強行したばっかりに尾も輪に事故に巻き込まれることは往々にしてあります。北海道で先日起こった山での遭難事故などはその最たるもので、マスコミの悪評洗礼と同時に大きなリスクを背負わなければならないのです。ままいつのときでも「安全」という2文字は忘れてはならない判断材料ですから、しっかりと安全を肝に銘じておくべきでしょう。もうこの年齢になると最終判断をする最高責任者や現場責任者としての役割はないものと思われますが、そんな修羅場を歩いてきただけに、判断材料として「あなたの意見は?」と意見を求められることがよくあります。その都度「安全」と「責任」を心がけるように助言をすることにしています。
「雨が降る さてどうするか 決断を 苦しいけれど それで成長」
「人間の 大きさ修羅場 超えた数 決断最後は 一人孤独に」
「やりたいと 止めたい人の 声交じり 真の声聞く 心持たねば」
「一日の ことだと言うに 今日は晴れ 空を見上げて 気まぐれ嘆く」