○伊予から土佐へ歩きフォーラムに参加しました③
「忘れられた日本人」という宮本常一の本を、当時国立室戸少年自然の家の所長をしていた永田征さんからいただいたのは、もう20数年も前のことです。当時は21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げて、華々しく無人島キャンプなどをしていたころであり、それほど気にも留めず一通りさらっと読んで、その後は書棚の奥で埃をかぶって眠っていました。それでも土佐源氏の話は強烈な印象として残っていました。数年前宮本常一生誕100年などを機に引っ張り出して読むほどに宮本常一ワールドに入り込み、佐野眞一著「旅する巨人」で目からうろことなって宮本常一を意識するようになったのです。
土佐源氏に出てくる盲目の老人が住んでいたという橋も巡りました。大雨の影響で水かさが増し、人が住んでいたとは思えないような狭さでしたが、これまで2回公演を見たことのある坂本長利の一人芝居にはそのような場面設定がされていたような気がするのです。橋の傍から急な坂道を登り長い石段を登ると、海津見神社の境内へ出ました。長州大工の作であろう見事な拝殿の彫刻には思わずため息が漏れました。私が早朝瀬戸内海から汲んできた潮水を敬虔な祈りをささげながら寸志とともに奉納させてもらいました。
(土佐源氏の舞台となった盲目の老人がこの橋の下で住んでいたという竜王橋)
(海の信仰と縁の深い海津見神社には双海町の漁師さんが寄進した船や金一封の石板が飾られていました)
折しも生誕100年祭や周りの仲間たちの目が宮本常一に向くようになって益々その度を深くしていったのです。私は宮本常一の歩く・見る・聞くという3つのキーワードが好きで、読む・聞く・見るや、書く、喋る、実践するといった私の理論と比較的よく似ていることから、私も宮本常一にあやかって、歩く・見る・聞くを実践すべく、全国案が屋に拍車をかけるようになりました。また宮本常一の書き記した膨大な文章には程遠いもののとにかく書こうと心に決めて、この4年間殆ど毎日ブログを2本書き綴っているのです。人の話を聞くことは前にも増して増えたような気がしていることを考えれば、牛のような、亀のような歩みながら私は少しずつ宮本常一に近づきつつあると思っているのです。
昨日の広島新聞社佐田尾信作さんの話は宮本常一のこれまで知らなかった部分を補充する意味で貴重な話だったと思うのです。また晩年村上節太郎さんを壺神山に案内した貴重な経験を含めて、資料がどこに眠っているか知ることができてよかったと思うのです。
「忘れられた日本人」という本を読んで参加してくださいと言われても、宮本常一のことを殆ど知らずに参加した人にとっては、これらの話は意味が通じなかったかも知れません。でも私が宿題のような形で浜田さんにお願いしていた、宮本常一の本を読んで感じた100の話の走りを、彼はちゃんと実行していたのです。これは初心者にとってとても便利な資料だし、宮本常一の貴重な文章を読み解きほぐすキーワードになるに違いないと、今後の精進をお願いしたのです。
脱藩の道を逃れるように土佐から伊予へ駆け抜けた坂本竜馬にとってこの道は志の道でした。一方伊予から土佐へ同じ道を訪ねた宮本常一は逃れることもなく堂々と歩いて村人と交流し、様々なことを聞き出し記録にとどめたのです。坂本竜馬は走る巨人でしたが、宮本常一は歩く巨人でした。追手に追われていたため後や周りを伺いなが未来を見つめて志に生きた坂本竜馬に比べ、宮本常一は人間の生きた歴史や今という人間の生きざまを見たり聞きつつ、後ろを見ながら前を見たに違いないのです。ないものや新しいものを求めた坂本竜馬、なくしたもの、見失ったものを求めた宮本常一、まさに対比するにふさわしい生き方だと思うのです。今回の歩きフォーラムの神髄はまさにその辺がポイントだったようです。
「走る人 歩いた人を 思いつつ 同じ巨人を 見比べ歩く」
「赤鳥居 くぐり境内 石段を 登り見慣れた 船に出会って」
「瀬戸内の 潮水備え 柏手を 打って祈りつ 拝殿仰ぐ」
「この橋の 下に住まいし 盲目の 老人主役 一人芝居を」