shin-1さんの日記

若松進一ブログ

○皆既日食

 今日は山口県で土砂崩れによる死者が出るなど大きな被害をもたらした昨日の大雨もやっと峠を越しました。裏山が崩れた経験のあるわが家でも、息子から心配して電話がかかったりしましたが、かなり雨が激しかったものの、幸い災害もなくホッとしているところです。私はかなり疲れていたのでぐっすり寝込んでいましたが、妻は雨脚の強さが気になって寝つきが遅かったようで、今朝は寝不足を訴えていました。

 天気予報だと今日は曇りのち晴れといっていましたが、天候の回復が少し遅れたようです。天気が気になったのは今日が皆既日食の日だからなのです。多分四国では雨模様のため見えないだろうと言われていましたが、私が昨日の雨の後の見回りに人間牧場へ行っての帰り、薄日が差してきたので、路側帯に車を止めて空を見上げると11時過ぎ、箒で掃いたような薄い雲の切れ目から半月のようになった太陽が顔をのぞかせていました。こんな時に限ってカメラを持っていなくて残念とばかり、車を走らせ急いで家に帰りました。デジカメを取り出して空を仰ぎ、アップにして何枚か撮りましたが、カメラが悪いのか腕が悪いのか分りませんが、まあおぼろげながらの証拠写真となったようです。

若松進一ブログ

 庭で制定作業をしていた親父にもう死ぬまで見えないのだから見るようにと、訳の分らぬ説明をして一緒に見ましたが、白内障の手術をして遠方がよく見えるようになったものの、91歳になった親父の眼には少し眩しかったようでした。マスコミの影響もあってか全国的には皆既日食の話題でもちきりのようで、マニアは良く見えるとされる鹿児島県などに出向いて見たり、皆既日食観察会に出かけたりした人も多かったようです。次に見えるのは26年後だそうですが、私はその年90歳になる計算になります。妻は「私はこの世にはいない」と言っていますが、90歳といえば親父の歳なのであながち不可能なこともないようです。今日の私と同じように、息子が「じいちゃん皆既日食だ」と一緒に見てくれるでしょうか。

 前回の皆既日食は46年も前の1963年7月27日ことだそうですが、私はのころ18歳の高校生でしたが、見たような見ないようなで正確な記憶がないのです。

 昔の人は天文の知識もなく、ましてやマスコミも発達していなかったので、今日のような馬鹿騒ぎなどはせず、ただただ自然現象に恐れおののき。神仏にすがってご加護を祈ったに違いないのです。今日は昼は明るいものなのにまるで夕方のように暗くなる現象を体感しましたが、文明の世の中にあっても私のような凡人は何故このようなことが起こるのかさえまともに答えられない始末です。

 黒い太陽とコロナこそ見えなかったものの、歴史の生き証人として、お粗末な写真にキャプションを添えて書き記しました。26年後生きていたら、「記録しないものは記憶されない」のですから記憶として残り、このページをめくって懐かしく読んでいることでしょう。

 今日人間牧場へ行きました。帰りに「鍵を閉めたかな?」と思い引き返しました。鍵はきちんと閉められていました。数分前に鍵を閉めるということを無意識にしている私なのに、鍵を閉めたことを数分後には忘れているというミスマッチは、どうして起こるのでしょう。不可解といえば不可解です。

  「鍵閉めた ことを忘れて 引き返す 鍵を閉めると いうこと覚え?」

  「偶然に 空を仰いで 月似たり 皆既日食 しかとこの目で」

  「十八の 時に見ていた ような気が するけど今は 思い出せずに」

  「器具もなく 肉眼見える ラッキーだ 曇りの空が フィルター代わり」

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shin-1さんの日記

○衆議院解散

 遅きに失した感のある衆議院が昨日解散し、告示もないけど選挙戦がスタートして街中が賑やかになってきました。選挙に無縁の私でも日本のかじ取りをする人たちを選ぶ選挙ですから、しっかりと考えて選ばなければなりません。最近は国民の意識調査の精度が高まっていて、誰がどんな方法でどう調査するのか分かりませんが、戦う前から当落が決まっているような、味気のない報道が気になるところです。今回の選挙は苦戦自民対躍進民主という構図が既に報じられていますが、少なくともこれから一ケ月間だけは日ごろ偉そうに振る舞う国会議員の先生たちはお国入りして「選挙民は神様です」と言わんばかりの低姿勢で、握手を求めたり挨拶したりして庶民派をアピールするのですが、残念ながら選挙民もその人の本心や日常を知っているだけに、そんなに甘いことではないのです。

 国政議員の場合に限って言えば、江戸時代の参勤交代の頃と殆ど変らない暮らしをしているのです。当選すると議員の家族はみんな東京へ引っ越し、妻はセレブとなり子どもは英才教育され貢ぎ物や様々な身入りで豪邸を建て、自分の支援者のおめでたお悔やみには帰って来るものの、任期切れの選挙までは東京からお国入りするのは言い訳程度の国政報告に留まって殆ど顔をのぞかせないのですから、地元の苦しみなど選挙のときだけ分ったような顔をして、やれ中小企業の振興だ、やれ農政に力を入れると言っても、殆ど信じる人がいないのです。これは私の意見であると同時に、巷で聞いた庶民の話でもあるのです。


 私たちの住んでいる地域は、選挙の度に「一票の格差」という名のもとに選挙区を変えられてきました。昔は松山市と同じ一区でした。その後南予と一緒の三区となり、今は今治と一緒の二区なのです。立候補する人にとっても煩わしいのでしょうが、選挙民にとっては今回も今治地方出身の人を選ばなければならず、まさに松山市を越えた向こうの人を選ばなけらばならんない越境選挙なのです。

 このことが私たちの町の人の選挙への関心を薄くした第一の原因であるのに、今回もその不満は解消されぬままなおざりにされているのです。合併前のかつてのように市町村がしっかりしていると、民意も上へ上がっていくのでしょうが、今は民意が届きにくい無組織な時代になっているようです。

 じゃあ、そんな不満を持っているんだったらお前が出たらと言われそうですが、一票を入れる程度の反論手段しか持たない私には、政治を変える行動など起こせる訳がなく、くすぶり続ける火種は今回も不完全燃焼のままなのです。

 「街をきれいに」といいながら、何処かしこにベタベタ張った顔写真入りのポスターも、後一カ月余りで姿を消すのでしょうが、最近は色々な幟も数知れずまちづくりや景観的には気になるところです。

 私の知人で、よくまちづくりに顔をのぞかせてくれた三区の先生は今期で議員を退職するそうです。議員をしながら不満を持ってる不満が不満なのでしょうが、いい選択だったと思います。今の政治家に大きな期待は正直な話できないと思います。


  「誰にする 言われてみても 分らない 松山越えた 人しか選べず」

  「選ぶのも 選ばれるのも 大変な 選挙近付き 街が賑やか」

  「解散は 伝家の宝刀 言うけれど 抜いてはみたが 竹刀だった」

  「不満なら お前が出ろと 言い合って 結局俺も 評論仲間」

  

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