shin-1さんの日記

○「知りませんでした」の次は「誠に申し訳ありません」で幕切れ

 世の中は連鎖反応社会と呼ぶべきでしょうか、耐震構造偽装事件が起きると新聞やテレビが連日そのことを、これでもかといわんばかりに取り上げるて報道するため、新たな偽装に発展し、聞く側にしてみればヘキヘキうんざりするような感じがしました。しかし次の新たな問題や事件が起きると、あの事件は一体何だったのかと思われるほどに忘れ去られ、日本人がマスコミの報道という手法によって、否応なしに世論を形成されるような錯覚すらするのです。

 最近はミーとホープから始まって赤福や中国産餃子へと移行し、高級料理店吉兆が廃業に追いやられるなど、食の安全性が大きな社会問題となっているようです。ミートホープも赤福や吉兆も全て長年の気の緩みが産んだ産物でしょうが、中国産餃子は未だ原因が突き止められておらず、日中関係に暗い影を落としているようです。オリンピックという迫り来る国家的イベントを目前に控えている中国としてはこれ以上、問題をこじらせるわけにいかない国家的事情もあって、うやむやになっていますが、食の安全性がテーマの生協が絡んでいるだけに消費者の関心も高く、生協も独自の安全検査をしっかりと行って安全性を主張しているのですから、一日も早い解決が望まれるところです。

 ギョーザ問題は別として、これらの根底には企業が儲けばかりを追求してきたことがあると思います。勿論企業は利益を上げないと存続できない訳ですから、そのためには違法でさえなければどんな手段も許されるというのは、もう通用しない考え方ではないかと思うのです。

 また一方最近は、お客はお金を払うのだから何を要求してもいいのだという消費者万能主義が強過ぎます。日本人の人を思いやる優しい気持ちはすっかり陰を潜め、品位を下げているのも気になるところです。確かに生産者や販売者は消費者の方を向いて仕事をしなければなりませんが、同時に消費者にも、消費者や生産者にもサービスをしてくれたことへの敬意や感謝の気持ちは必要と思います。

 こうした消費者と生産者やサービス提供者が対立という構図になった原因は大量生産、大量消費という生活スタイルが上げられます。作る側も一つ一つ丁寧に心を込めて作らず、より早く、より沢山と薄利多売するから少々不良品が混じっていてもお構いなしで出荷販売するのです。消費者もこんなに安いのだから仕方がないと思い、一つ一つ物を愛しみながら使うことがなくなり、痛めば平気でゴミとして出し新しい物を買い換えるのです。これでは作り手への感謝も忘れがちになるのは当然のことなのです。

 事件が発覚すれば、マスコミの追及を逃れるように「知らない」「私は無関係」「社員のやったこと」と責任逃れを繰り返し、警察の追求が始まり逃れられないと思うや一転して、記者会見の席で深々と薄くなった頭を深々と下げ、時には涙まで浮かべて共感を誘い「全て私の責任です」と謝る姿は、全て共通するストーリーなのです。

 やがてこれらのシナリオも、忘れ易い日本人の記憶から消え、僅かに今回のウナギや飛騨牛のような次の事件が発覚すると、気がついたように少し触れられ忘れ去られてゆくのです。

 経営者にとって責任とは一体何なのか、それは社会的責任と同時に社員や社員の家族を養うという人間的責任も負っているのです。これらの殆どの事件がこれまではなかった内部告発ということで事件が発覚しているところに、経営者と社員の人間関係の微妙なねじれを垣間見るのです。

 武士の本分は腹を切って「責任を取る」だと教えられましたが、最近の社長には武士のような責任を取れるような人が少なくなっているようにも思えるのです。まさに「品格」がなくなったようです。

  「知らないと いってた人が すみません 二重人格 見え見えですね」

  「詫びながら 陰で舌出す したたかさ 演技一流 人間二流」

  「品格が 問われる日本 本屋には 品格つけて 売れる下品さ」

  「責任は 全て俺だと 何故いえぬ いえばさすがと 座布団二枚」

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shin-1さんの日記

○北海道は遠い国から

 日本の国にあって、北海道といえば遠い県、しかしその遠さが故に一度は行って見たいと思う人は多いのではないでしょうか。私もそんな思いもあって過去に何度か北海度を目指しました。最初に北海道へ行ったのは私が23歳の時でしたから実に40年も前の出来事です。当時私は青年団活動に身を投じ活発な活動を展開していました。その際たるものは第14回NHK青年の主張の県代表になったり、双海町の青年団長として理想を掲げて縦横無尽に走り回ったりするほどでした。そんな私を見て町の教育委員会は、愛媛県が実施している国内研修北海道班のメンバーに推薦してくれたのです。幸いにも選ばれる幸運に恵まれ約10日間の長い旅路の人となりました。当時は今と違って陸路が一般的でしたから、私たち一行は大阪から日本海沿いを夜行寝台特急「北斗号」で北海道を目指したのですが、今ならカシオペア号などに匹敵するもので、何とも贅沢な旅なのです。青函連絡船を乗り継ぎ始めて北海道に足を踏み入れた時の感動は今でも忘れられない思い出のひとつです。

 その後札幌オリンピックに愛媛県の青年代表として派遣され皇太子ご夫妻と食事を共にしたり、様々な旅行プランに乗って何度となく北海道へ行きました。最近では北海道の各地から講演の依頼もあって、昨年だけでも2度も講演旅行に出かけているのです。

 しかし昨日は、北海道の人28名がよりにもよって双海町を目的地に選んで視察に来たのです。3年前に道漁婦連、つまり北海道漁業協同組合連合会女性部の皆さんが双海町を視察されました。そのご縁で今回の交流となったのです。その時は私は教育長でしたが愛媛県漁婦連の会長をしていた双海町の富岡部長さんの依頼で視察者にショート講演を行いました。その印象が忘れられずもう一度是非と、リタイアしているのにお声がかかったのです。

 今回の視察者は北海道といってもこれまた北の果て知床半島の付け根羅臼からの来訪なのです。女性部長の田中郁子さんは前回の来町の時にお会いしていたので嬉しい再会です。研修は和気藹々、じゃこ天やたこ焼きを食べたりお喋りしたりしながら旅の疲れを癒しました。




 研修や昼食を終えた一行はシーサイド公園で記念写真を撮ってから、わが家を訪問されました。皆さんからは人間牧場の視察要望が出されていましたが、大型バスなので断念し私設公民館煙会所と海の資料館海舟館の見学となったのです。私費で整備した施設だけに皆さんは一応に驚きの連続でした。せっかく四国に来たのだからと、菜園横の果樹園に案内し甘夏柑の収穫をさせてあげました。まあ喜んだこと、見ていた私もこれほど喜んでいただくとは予想外でした。私たちが北の国でりんごの収穫をして驚くのと同じだったようです。

 この日私は実行委員長をしている少年少女おもしろ教室への参加を予定していましたが、富岡さんのたっての願いによって、北海道のお客様を迎え、皆さんにショート講演をする事になりました。富岡さんの話と私の話で1時間ほどでしたが、皆さんは一応に満足して帰って行きました。梅雨の明けた四国の暑さに汗を拭きながら、汗だくの研修はよき思い出になったことでしょう。帰り際、「羅臼で是非講演を」とのお誘いがあって、実現すれば羅臼も訪ねてみたいと雲を掴むような淡い期待を抱きました。

  「北来たよ 羅臼昆布を 手土産に 漁村の女性 こんな田舎に」

  「梅雨明けの 暑さ汗拭き 北の人 物好きですね こんな田舎に」

  「是非来てと 羅臼の女性 ラブコール 俺も男だ その気になって」

  「甘夏を キャーキャーいいつ 摘み取って 手土産帰る 色白女性」

 

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shin-1さんの日記

○水の教え

 先日私が非常勤講師をしている愛媛大学法文学部の学生を引率してフィールドワークの授業で、松山市の沖合いに浮かぶ旧中島町大浦へ出かけました。中島町にはモーターボート競艇の収益金を管理するBG財団の援助を受けてプールを造っています。この手の類の施設は全国至る所にあって、モータボートと縁もゆかりもないと思われる山奥にまで事業が入っていますが、この総元締めが今は亡き笹川良一氏なのです。彼は自分の考えを普及するためというよりは、一人の人間の生き方のよりどころとして、BG財団支援施設には必ずといっていいほど、自分の名前を刻んだ記念碑を建てています。中島のプールの入口にもその記念碑はありました。もし記念碑文の末尾に笹川良一という名前がなければ、この教えはもっと普及していたかもしれませんが、私はこの水六則という言葉が大好きで、今までも度々引用して話してきた経緯があるので、学生たちにもこの文章を読んで聞かせ、説明してやりました。

     水六則

 1、あらゆる生物に生命力を与えるのは水なり

   動物も植物も生物は水なしで生きていくことはできません。地球は水の星といわれるように水の存在が生物

   を育てているのです。にもかかわらず人間は水を汚し水の価値を忘れているのです。特に日本は水の国と    

   いわれるように、蛇口から飲める美味しい水に恵まれています。生命の源として今一度水の恩恵を見直し感

   謝したいものです。    

 2、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり

   水は人為的なことをしない限り必ず高い所から低い所へと流れます。天から降った一滴の雨水は海を目指

   して果てしなく長い長い旅を続けるのです。僅か1ミリの落差をものともせず低きに向って流れる姿はまさに

   初志貫徹といったとこりでしょう。

 3、如何なる障害も克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性を兼ね備えるは水なり

   水の行く手には沢山の生涯が待ち受けています。ダムで堰き止められたり落差の大きい滝に出会っても、

   むしろ障害に会うほどひるむことなく激流となって流れ落ちるのです。何という強い信念でしょう。失敗や反    

   に会うと直ぐに挫折してしまう人間の脆さを思うとき水から学ぶことは大きいのです。

   水はどんな容器にも直ぐに順応します。丸い器、四角い器、長い器、短い器、それぞれの形に順応するの

   です。

 4、自ら清く他の汚れを洗い、清濁併せ容るの量あるは水なり

   水は絶えず清く汚れたものを洗い落とします。また清と濁ともに同居する度量を持っています。しかも自然

   治癒力を持っていて、濁った水もいつの間にか澄んだ水になるから不思議です。

 5、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い、何ら報いを求めざるは水なり

   水はその量を貯えれば発電のタービンを回して電気を起します。これはクリーンエネルギーとして人々の生  

   産と生活に大きな役割を果たしています。しかしそれとて代償を求めず下流へ流れ再び自然の循環によっ

   て動力となり光となるのです。

6、大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪に変じ、霰と化してもその性を失わざるは水なり

   水には海水と真水がありますが、地球の殆どが海であるように大洋を満たしています。その海の水が自然

   循環によって水⇒蒸気⇒雲⇒雨⇒雪⇒霰となっても、全て水の性格を変えることはないのです。

  水を心とすることが平和と健康と長寿の妙薬である

   水のような生き方をすれば人間が最も大切な平和や健康、それに長寿を得るのです。水そのものは命の源

   ですが、水のような生き方をすればそれらを手に入れることができるのです。   

 これからも水に学びながら水の恩恵を受け、生きてゆきたいものです。

  「ありふれた 故に人間 水などと 馬鹿にするけど これこそ大事」

  「わが住める 日本はやはり 水の国 至る所に 水の風景」

  「水かけず 水掛け論で 始まった わが町の花 水のお陰で」

  「水利権 理由に水を 独り占め 今に天罰 水は共有」

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shin-1さんの日記

○忍者の里伊賀上野へ

 私は様々な土地を旅しますが、その都度地元の人たちに行く場所についてアンケートのような形で話を聞いて出かけます。私「伊賀上野って知ってる」。知人「伊賀といえば忍者だろう」。私「よくご存知ですが、伊賀は何県かご存知?」。「知人「滋賀県じゃないの?」。私「何で?」。知人「だって、滋賀と伊賀、甲賀はよく似ているもの」。私「ところで、あなたは何で伊賀を知ってるの」。知人「昔映画で忍者の時代劇を見たことがあるし、小説も読んだ」。まあこの程度の人はわが町にも沢山いて、伊賀市=忍者という知名度は全国級のようです。でも伊賀というと忍者の里くらいしか思いつかないし、普通の人は日本地図のどこらにあるのかさえ余り知られていないのが実態のようです。

 私は何年か前、広域市町村圏の仕事出張で全国大会に参加した折、伊賀上野に泊まったことがあるので、伊賀上野がどの辺にあるのか、また伊賀市が三重県であることは承知していますが、いざ自分ひとりで旅に出るとなると、インターネットを水先案内人にしないとおぼつかないのです。

 私のような四国人が伊賀へ行くのにはまず大阪を目指します。大阪までは新幹線か飛行機、若しくはマイカーかバスという交通手段を考えますが、便利さと速さを考えれば松山~伊丹の空の便でしょう。新幹線で名古屋経由も一考ですが、私は朝10時からの拘束なので、深夜に大阪に入って前泊し大阪からJRを選びました。中継点は京都府加茂です。加茂からは電化されていないため亀山行きのジーゼルカーに乗って山間の路線を走り4駅目の伊賀上野へ到着しました。乗り継ぎ待ち時間を合わせても2時間弱でしたが、長閑な列車の旅を満喫しました。

(伊賀市役所玄関)

 駅に降りると俳聖松尾芭蕉の出生地を示す看板と、伊賀上野城の遠望が目に飛び込んできます。目的地である市役所まで路線バスで2キロ余り、公園前で下りると藤堂高虎入府400年の幟が至る所に立って歴史の重さを感じさせてくれました。藤堂高虎といえば入府前は愛媛県の今治城を築城しており、その前はわが大洲藩にもゆかりのある武将なので、なにか縁の深さを感じました。

 今回は独立行政法人中小企業基盤整備機構が伊賀市と共催する「中心市街地活性化診断・サポート事業」のアドバイザーとしての役割なので、午前中2時間にわたって現地視察とアドバイス、昼食を挟んで午後は2時間、「中心市街地活性化のための人材育成・イベントづくり」についての講演会、夕方は2時間、現地調査発表と「意見交換会」、そして地元の方々との交流会2時間と、まあ凄い過密スケジュールが組まれていました。ここまで徹底すると話し甲斐があるというものですが、人使いも荒いようです(笑い)

 今回は機構中部支部の森田課長さんやお世話いただく仲野さん、浅井さんも同席して賑やかな顔ぶれでした。私たちは市役所商工観光課伊室さん、長岡さん、株式会社まちづくり伊賀上野の秋葉さんとともに市内中心市街地をさっと見学しましたが、戦災を免れた古い町家は趣きがあっていい街の佇まいでしたが、ここにも中心市街地に忍び寄る暗い影を垣間見ました。

(趣のある間口が狭く奥行きの深い独特の区割りの残る町家)
(古い家の外観を残しながらリフォームが進んでいました)
(リフォームすると和と洋が見事にマッチします)
(町家の格子窓越しに見える印象的に見える上野城)

 
(今回の中心市街地活性化計画の主要事業となる老朽ビルの建て替え現場)

 さて私の話は会場となったウェルサンピア伊賀の3階で、人材育成とイベントづくりに主眼を置いて約2時間、休憩もせず一気に話しました。私の来訪を知って事前に私のブログを一読しmコメントを書き込んでくれた人もいて意識は高いと感じられました。

 講演後の意見交換会では、商工観光課の伊室副参事さんの進行で、私の気がついたことを一問一答お話をさせてもらいました。伊賀市には古い町並みが幾つも残っていて、上野城周辺を含めると歴史的景観に優れています。これらは歴史ゆえに変えてはならないゾーンとしてこのまま振興策を考えればいいと思いますが、市民夏のにぎわいフェスタの会場となる銀座通りは区画整理も終わっていて歩行者天国にもなるような通りですが、ここを新しい集客拠点と位置づけることを考えてみるのも一考です。

 銀座通りを若者たちに魅力あるものにすれば面白いと思いました。手始めは忍者ハットリ君のキャラクターを存分に使ったマンガチックな発想です。鳥取県境港のゲゲゲの鬼太郎や、鳥取県北栄町のコナンのまちづくりなどはそのよい事例で、既に銀座通りには忍者ハットリ君のキャラクターがけつまずくような形で無造作に車止めとして置かれていました。これを人間の目の高さまで上げて強調するのです。そして銀座通りの要所にブロンズ像として配置すればたちまち全国の話題をさらうでしょう。

 伊賀は大阪からも名古屋からも近い場所にあります。近畿圏と東海圏が交錯する場所です。これまではその曖昧さが中途半端な、どっちつかずになっていましたが、考えようによっては凄く好条件で羨ましい限りです。

 私たちの街伊予市でもまちづくり会社郡中が、中心市街地活性化を推進していて、かなり似通った町家などの地位資源を生かしてまちづくりを進めていますが、やはりかなりの苦戦を強いられているようです。さて株式会社まちづくり伊賀上野の存在もこれからキーポイントとなるのでしょうが、団体代表のお任せ集団ではいい成果は上がらないばかりか、原資を食いつぶす結果になりはしないかと心配です。はやくワーキンググループを立ち上げて、資金の入力と出力のバランスを考えないと大変な結果になるような気がしてなりません。

 いつの時代もまちづくりは人です。そのことを忘れないようお励み下さい。もし戦争があらば喜んで助太刀をする覚悟です。

  「行く前に 伊賀は何処かと 尋ねれば 忍者の里と 誰も答える」

  「伊賀と伊予 何処か似ている 高虎が 入府の時に 伊予の文化を」

  「古いもの だけで地域は 生きられぬ いかに智恵だし 新しものを」

  「ふと見れば 足元忍者 ハットリ君 これを生かせば 若者来るよ」


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shin-1さんの日記

○視察が沢山やって来る

 一昨日は久しぶりに視察の一団が午前、午後、夕方と3団体、まるで波のように押し寄せてきました。この日は平日だったのでどうこういうことはなかったのですが、行政視察の場合は市役所を通して申し込むと、「土曜日や日曜日の視察は基本的に受け入れできない」と断るらしく、その都度「役所に断られたのですが」と前置きして、「そこを何とか」と私の所へ研修受け入れの依頼があるのです。私は現役の時代からかねがね視察研修は、たとえそれが土日であってもまちづくりの一環として余程のことがない限り受け入れてきました。今もその方針に変わりはなく、むしろ土日の方がありのままの姿を見てもらえると思い積極的に受け入れているのです。確かに職員は土日ぐらいは休みたいと思うのは当然のことです。しかし視察研修をただ単なる手間を取られるという発想だけだったらそういう考えも成り立ちますが、視察は受け入れる側にとっても大きなメリットががあるのです。第一居ながらにして交流ができるし、相手から様々なことを学び取ることができるのです。私もこれまでどれほど視察を受け入れたかは計り知れませんが、その都度大きな知恵を授かりました。その人たちはまるで動く広告塔のように学んだ双海町のことを様々な機械と場所を捉えて話してくれるのですから、これほどの効果はないのです。

(山形県村山地方町村議長会のご一行)
(福井県高浜町議会総務産業常任委員会のご一行)

 一昨日の午前中はは山形県の村山地方町村議長会のご一行15名でした。この視察は伊予市議会を通じてのご依頼でしたが、午後の福井県高浜町議会総務産業常任委員会11名のご一行も、夕方4時からの埼玉県熊谷市議会議員7名のご一行も私への直接依頼だったのです。高浜町の議員さんは福井県町村議会議員の研修会に私が招かれてお話いたことがご縁でした。また埼玉県熊谷市議会議員さんは東京で開かれた全国町村監査委員研修会での私の話や、伊予市選出の泉圭一議員さんのご縁によるものです。

 役場をリタイアして行政とは縁もゆかりもない私が視察研修を受け入れなければならない理由は何処にもありません。しかし視察が地域の活性化に大きな貢献をしていることを行政の人はもっと知るべきだと思うのです。今をときめく徳島県上勝町などは月ヶ谷温泉に泊まらせて有料で視察を受け入れるような積極的な活動まで展開しているのです。

 私の所に一昨日午前と午後にやって来た議員さんは26名が全員昼食を取ってくれましたし、中には特産品センターで沢山の土産を買っていただき、シーサイドから宅配便でふるさとまで送りつけていました。またじゃこ天なども賞味していただきました。これだけでも凄い経済効果なのです。

 一方では地域の活性化や経済効果をいいながら土日はせっかくの休みだから受け入れないというのは、考えと行動のアンバランスの何ものでもないのです。もうここらでそういった事に気付かないと地域格差はどんどん広がっていくことでしょう。

 私は今回も多くのご縁をいただきました。この日は3団体三様の研修目的だったためそれぞれの目的に沿って全く別々のメニューで研修プログラムを組んでみましたが、それぞれ思うところあっていい交流となりました。

 それにしても一日3団体の受け入れは少々きついような感じもしました。というのも私はその夜内子町で金融広報委員会のご依頼による講演会をこなした後、三重県伊賀市へ行くため大阪へ向ったのですから、いやあ元気としかいいようがなく、自分の元気さに思わず脱帽してしまいました。

 明日は土曜日、今度は漁協女性部が北海道から視察研修にやって来ます。来週の土日は埼玉県北本からまちづくりについて人間牧場へ泊り込みの視察研修がやって来ます。これは全て行政の土日休みという網の目からぼった視察者です。でも私はボランティアとしてこの人たちと一緒になってすこしでもこの町がよくなるようにしっかり対応したいものと思っています。

 間もなく梅雨も上り暑い夏はもうそこまできています。今年も張り切っていきましょう。

  「土日駄目 断られたと 泣きつかれ それじゃいいよと 視察受け入れ」

  「それぞれに 教わることの 多かりし 視察来る人 何か気付かせ」

  「失敗や 反対経験 聞きに来る 今日の視察者 本物ですね」

  「視察縁 講演縁の 出会いにて そこから先に これまた縁が」

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shin-1さんの日記

○ハラハラ・ドキドキ・ジーンのハプニング

 この二日間大阪を経由して三重県伊賀上野へ行ってきました。伊賀市については別にルポする事にしていますが、帰り道とんでもないハプニングに出会いました。私は全ての研修を終えて会場となったウエルサンピア上野を皆さんの見送りを受けて格好よく出発しました。往路は大阪から伊賀上野までJRを使いましたが、帰りの復路は伊賀市商工観光課の永岡紀子さんが立案してくれた行程表に沿って近鉄を選んだのです。ウエルサンピア上野の職員さんに伊賀神戸まで送っていただきましたが、永岡さんの時刻表だとまだ時間があるだろうと思いきや、伊賀神戸の駅構内に入ると何やら騒々しいのです。聞けば列車と架線の故障で上りの電車は動いていないそうで、とりあえず「名張まで乗ってください」というのです。訳も分らず出発しそうな列車に切符も買わず乗せられました。しかし名張の駅間近になると信号の指示によって停車が長く続き、20分以上も電車の中に閉じ込められました。やっと着いたと思った名張の駅は上りの列車を待つ人で溢れごった返していました。駅員さんも汗だくで対応に追われ、乗客も帰りを急ぐ苛立ちを隠しきれず、険悪なやり取りも随分ありました。

 私はその後の予定、つまり今日の午前中どうしても片付けなければならない要件があるので、新幹線で新大阪から広島か岡山へ帰っておかなければならなかったのです。そこで泊まれば朝早く経てば10時までにふるさとへ帰れる算段でした。主催者にそのことを告げると心配するので内緒にしておいたのですが、私の苛立ちもそこから次第に高ぶってしまいました。

 担当者の伊室さんに電話をかけました。皆さんは研修会後の懇親会で酒を飲んでいて身動きが取れないようでした。伊室さんはタクシーで伊賀上野まで引き返しJRで乗るよう勧められましたが、名張の駅前はかなり混雑していてタクシーなどないのです。結局はお酒を飲んでいる企画振興部次長西岡さんが奥さんの運転で名張を目指しているとのことでした。都合よく名張駅の東口で落ち合い、それから約1時間西岡次長さんの知りえたもっとも最短距離と思われる山道・裏道を走り、見覚えのある奈良公園を通って奈良駅へ午後10時に着きました。この道をお二人でまた伊賀まで引き返さなければならないのかと思うと心が痛みましたが、お言葉に甘えてしまいました。時刻表を見れば電車の行き先に大阪はなく難波まで、しかも駅員さんに聞けば新大阪まで午後11時30分到着絶無理との答えでした。

 とっさに思いついたのが駅前に止まっている一台のタクシーでした。戸を開けて聞いたところ高速を使えば何とか間に合いそうだというので藁をもすがる思いで飛び乗りました。かくして私は無事新幹線の人となったのです。

その後は広島に泊まり早立ちで一番の高速船を乗り継ぎ、綱渡りの帰郷劇は終わったのです。

 永岡さんの近鉄利用の計画から、伊室さんの電話指示、西岡次長さんご夫妻の心温まる見送り、タクシー運転手さんの機敏、そして私の判断と、幾つものマイナスを乗り越えた旅先での今回の帰郷劇は、まさにハラハラ・ドキドキ・ジーンの連続でした。できうることなら余裕を持って旅のプランを立てたいと思っていますが、今回は自己責任ではないにしても多くの人に大変な迷惑をかけてしまいました。ブログ画面を通じてお詫びし、お礼とさせてもらいます。

  「動かない そこから始まる 深夜劇 多くの人の 支えでやっと」

  「旅先で 土地勘もなく 途方暮れ 温情すがり ハッピーエンド」

  「今頃は 夫婦二人で 来た道を 車窓に顔が ちらりほらりと」

  「この長い 夜の出来事 忘れない 世の中人は 信ずるものぞ」

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shin-1さんの日記

○今日は大忙しの一日になりそうです

 ご前中山梨県、午後福井県、夕方埼玉県から3団体視察が入っています。夕方から内子で講演です。それが終わると三重県伊賀上野へ向かいます。明日は伊賀上野で仕事です。

 人間牧場主若松進一、今日も明日も明後日も元気でパワー全開です。

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shin-1さんの日記

○デジタル文字の世界

 パソコンでインターネット検索すると、様々な情報をいながらにして手にすることができます。パソコン音痴の私は、誰に習うでもなく必要に駆られてパソコンを触り始めましたが、それが必要最小限の習熟度であることは自他共に認めるところで、時折友人や息子に手助けいただきながら今日まで生き延びてきました。私くらいの年代の人はおおまか2種類の分かれます。パソコンとは無縁な人とパソコンを手足のように使える人です。私はそのどちらでもなくむしろ中間点くらいなところにいるようです。時々パソコンの達人である同年代の人に出会うと尊敬するし、パソコンやブログを知らないこれまた同年代の人に出会うとまったく話がかみ合わず、少しうんざり、少し優越感を持ったりするのです。

 最近はデジタル文字との付き合いが多くなって、私のブログへも書き込みが多く、その処理に要する時間も結構長くなりましたが、それでも自分を見失わない程度にパソコンに向かい合い生きていますが、新聞や雑誌に載った私の記事もデジタル化されインターネットで公開されているようです。

 私は今、【自悠くらぶ】という愛媛新聞のサイトに「人間牧場だより」というタイトルで週に一度記事を書いています。昨年の10月9日から頼まれて始めました。私の紹介した他の人は2週間に一度ですが私は最初から一週間に一度更新しています。情報は新しいに越したことはありません。でも毎日書くとなるとそれは見る方も書く方も重荷になってしまいます。でも今のスピードの速い時代に2週間に一度は遅いと思ったからの決断でした。案の定一週間毎の更新はその予定が直ぐに来て右往左往しましたが、これも慣れてくると何のことはなく、多少遅れたトラブルもありましたが、何とか目標の一年が来ようとしているのです。配信された記事はプリントアウトして一冊の綴りにしていますが、毎回千字程度の短いコラムながら結構な量になって、今更ながら積み重ねの大事さを痛感しています。

 先日東京からルポライターがやって来て、私を取材して帰りました。私の夕日によるまちづくりと人間牧場が主な内容ですが、その記事が2週に渡って掲載されるのです。第一回は7月1日、第二回は一週間遅れの7月8日だとメールで連絡がありました。「STEGE」というコミュニティサイトを検索すると、「50歳未満お断り・STAGE」「紳士と淑女の知的コミュニティ」などと書かれた文字が飛び込んできました。タイトルも「『しずむ夕日』を主役に、まちづくり。まちを活性化させたカリスマの次なる目標とは?(第1回)、人間牧場主若松進一さん」などと踊る言葉が登場していました。

 縁とは不思議なもので、このルポライターは南予出身でたまたま帰省した折、役所に勤める地元の人から私の紹介があったそうです。行き着くところこの方のお母さんを私が知っていて、取材と相成ったのです。数回のやり取りで取材、原稿校正、配信と手順を踏んだ記事が7月1日に配信されるや、その日の内にメールが入り、あらためてデジタル世界を垣間見た次第です。

 昨晩双海町出身の人からメールが入りました。このコミュニティサイトを愛読しているそうですが、私の記事を見て驚いたそうです。大阪に住んでいて67歳だそうです。もうリタイアしていていますが、加齢とともに望郷の念は強くなるそうで、今年の夏には帰郷するので人間牧場へ案内して欲しいとのメールでした。返信を打ちながら都会の雑踏の中で息を潜めるように生きている田舎出身の人のことを考えました。私は幸せです。生まれた土地で育ち、生まれた場所で暮らしている。そして生まれた場所で死ねるのですから・・・・・・。

  「この町に 生まれて育ち 死ねるとは この上ないよな 幸せ感じ」

  「デジタルの 世界も知らず 生きている 人もいるのか この世の中は」

  「お父さん 近頃パソコン 触り過ぎ そういえば昨日 二時間以上も」

  「酒辞めて パソコン始め 盃が 指先離れ 指先文字に」


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shin-1さんの日記

○相談に乗ってください

 最近私の元へある主婦から一本の電話がかかってきました。「若松さんですか。先日雑誌で人間牧場の記事を読みました。素晴らしい運動や活動をしているのですね。実は相談がありまして、私の主人が近頃うつ病なのですが、何かいい方法はないでしょうか」というのです。私は精神科の医者でもないし、ましてやうつ病は素人の力で治るほど簡単なものでないことを知っているので、通院しているお医者さんの指示に従って気長に治療するよう丁重にお断りをしました。しかしその主婦は一度人間牧場を訪ね私と会って話だけでも聞いて欲しいと懇願するので会う事にしました。

 昨日は梅雨の晴れ間で視界もよく、眼下に穏やかな瀬戸内の海を眺めることができました。やってきた主婦は40歳、ご主人は43歳だそうです。私は奥さんだけだと聞いていたのに、ご主人がどうしても一緒に行くというので連れてきたというのです。お二人は人間牧場のあちらこちらを散策しながら水平線の家のウッドデッキの涼しい陰の部分に腰を下ろし、私と向かい合って3人でお話をしました。粗方なことは奥さんから電話で聞いていたので心を解きほぐすように少しずつ話しを聞きました。

 通常、うつ病の人に「頑張れと言ってはいけない」と理解されていますが、はたして全てがそうかというと、それほど単純なものではないのです。人が生きていくには最低限必要なのは食べたり寝たりするような生活を維持していくことが必要です。そのためには日々の生活を頑張らなくてはなりません。そういう頑張りがあってこそ初めてその上に、人生の楽しさや嬉しさが生まれてくるのです。問題は頑張りそのものではなく、うつ病になりやすい頑張り方と、うつ病になりにくい頑張り方があるのです。

 「頑張って生きて辛いですか」と尋ねるとご主人は「はい」と胸の内を明かしてくれました。ご主人は頑張ること=辛いことという生き方をしているように思えました。頑張ることは辛いことだけではなく楽しいことがいっぱいあることを、私の体験を交えて話しました。

 私は人間牧場を造るために色々な夢を描きました。そして人間牧場を造るために日々頑張りました。大きな木を切り、まるで西部開拓史という映画のヒーローになったような気分で少しずつ開墾したのです。多分それは今思えば辛さと楽しさが一体であったような気がするのです。

 これを旅に置き換えればこのご主人は旅人です。歩くことは手段で日々の頑張りは単なる義務でしかないのです。旅先で何をしたいのかはっきりしないし、ひょっとしたら自分が選んだ目的地ではなかったと後悔しているのかも知れません。旅そのものはただ歩くだけではなく、見える景色や出会う人、時には美味しい食べ物だってあると期待をするのです。そうすればその旅を選んだことを肯定するような気持ちになれるのです。

 「旅の仕方を変える」「頑張り方を変える」「ものの見方を変える」、そんな話しを2時間もお話しました。こんな話で「ああ治った」と吹っ切れるほどうつ病は軟い病気ではありません。生きつ戻りとしながら自分の心を少しずつ強くしていく以外ないのです。人間牧場はそういう意味からいうと心や頭を空っぽにしてゼロに戻れる場所だと思います。今まで持っていた重い荷物や心のしがらみを一度肩から降ろし、ゼロにしないと再出発はできないのです。

 昨晩奥さんから電話がかかってきました。帰りの車の中で、そして家に帰ってからご主人と色々話したそうですが、少し光が差し込んだような感じだと話されていました。そしてまた私の話しを聞きに人間牧場へ再訪したいとご主人が言ったそうです。

 縁もゆかりもない人ですが、この奥さんにとって私は藁をもすがる気持ちだったに違いないと思い、「いつでもどうぞ」とお話しました。

  「うつ病の 人がこの頃 増えてきた 真面目人ほど 病気にかかる」

  「俺などに 相談しても 直らない それでも門を 叩く人あり」

  「ガソリンが またまた値上げ 年金で 食っている人 これまた悩み」

  「旅人の マントを脱がす そのコツは 風ではなくて 太陽ですね」

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shin-1さんの日記

○涙の話

 今年90歳になる親父が昨年の11月に白内障で手術してから、目に関することが気になり始めました。私はこれまで近眼・老眼にはなったことがなく、サングラスの類を含めた眼鏡と称するものはかけたこともなく63歳の今日をを迎えています。多分子どもの頃から目が悪くなるほど勉強しなかったせいでしょうが、80歳で死んだおふくろも死ぬまで眼鏡なしで新聞を読んでいましたから、ひょっとして目がいいのはおふくろ家系の遺伝かも知れないと思うのです。

 パソコンが普及して、子どもの頃から殆どの人がパソコンを使うようになったからでしょうか、最近は眼鏡をかけて仕事をする人が目立って増えました。特に老眼といえばお年寄りと思われがちですが、40代後半から50代前半でも老眼のご厄介になっている人は結構多いようです。そのためか眼鏡を売る店が増えていて昔は「時計・眼鏡店」なんてまったく無関係なものを組み合わせたお店が町の中に一軒くらいあったようですが、滅多に売れず開店休業のような感じでした。それがどうでしょう、時計はデジタルになって使い捨ての時代になって専門店など殆どなく、「時計宝石店」とこれまた何の関係もないようなものを組み合わせ、かろうじて生き延びているようです。ところが余り商売にならなかった眼鏡の方が繁華にお店を増やしているのですから世の中は分らないものです。

 親父を眼下に連れて行った時、眼科の病院で「ご自由にお持ち帰り下さい」という資料立てに「涙の話」という僅か10ページのパンフレットが置かれていました。何気なく手に取り何気なく車に積んで帰り、何気なく時が過ぎました。昨日車を掃除しているとそのパンフレットが目に留まりました。

 ①涙はどこからきてどこへいく

 上まぶたの外側あたりが主涙腺という涙の生産工場、ここから出てきた涙は、目の表面を一様に潤したあと、約10パーセントは蒸発し、残って古くなった涙は目の内側にある小さな穴「涙点」へ、そこから目と鼻をつなぐ「涙小管」から「鼻涙管」という涙の下水道を通り鼻腔へと流れるのです。

 ②まばたきのポンプが涙を運ぶ

 まばたきはいわば涙のポンプです。まばたきする度に目の表面に一定量の涙が送り込まれてきます。乾きそうになるとまたパチリ、私たちは一分間に約20回から30回程度のまばたきを繰り返して、目の表面をリフレッシュさせているのです。読書やパソコン作業をするとまばたきの回数は普段の4分の1くらいになるそうです。

 ③か弱い目を守る涙のベール

 涙は目が正常な働きをするために欠かせないものです。キズつきやすく、か弱い目を外界のばい菌や異物~守ります。また角膜へ酸素や栄養分を届けるのも涙の役目です。この他にもものを見るという目の働きを様々な点から支えています。

 ④涙は不思議なサンドイッチ構造

 涙の膜は油層、水層、ムチン層の三つの層から成り立っています。うち98パーセントが水層で油層トムチン層がサンドイッチののようにはさんでいます。涙は僅か7ミクロンの薄い膜、油層は涙の蒸発を、ムチン層は涙が流れ落ちないように目の表面に粘着する糊の役目を果たしているのです。

 ⑤涙が減ると危険な状態

 目が疲れたと感じるのは、その原因の60パーセントが目の乾きにあるといわれています。運転や細かい作業をしたとき、乾燥した部屋にいるとき、睡眠不足やストレスが高いときは要注意です。

 コンタクトレンズは目に大きな負担をかけているので、正しい知識で使うよう心がけましょう。

 まあこんな感じのことが書かれていました。私の最大の疑問点である悲しいときに何故涙が出るのかについては、結局分らずじまいでした。私は感動派でよく涙が出ます。これも悪いことではないにしてもどれ程いいのか分らず、次の機会に病院で聞いてみたいと思いました。

  「目に涙 分らないこと 多過ぎる 知れば知るほど 人間凄い」

  「ドラマ見て もらい泣きする お涙も 涙工場 目の上辺り」

  「顔悪い でも目だけは 母譲り 天国母に 感謝の線香」

  「眼鏡代 今まで払わず 生きてきた これから先も 涙でカバー」

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