shin-1さんの日記

 「今日から二日間広島県東広島市へ旅に出ます。明日は帰ります。御機嫌よう。 人間牧場主敬白」とメッセージを残して今朝早く家を出ました。毎日猛暑日の続く四国ですが、早朝の道はすがすがしく、冷房を切って窓を開け、戸外の風を取り込みながら高浜の松山観光港まで走りました。交通量の少ない早朝ゆえスムースに走れ、港までは1時間足らずで到着しました。本当は高速船に乗るのですが、東広島市の今岡さんから新採職員研修の資料を送られていて、研修に参加するメンバーからの私に対する質問に対する回答を、このところの忙しさにかまけて全て目を通していないため、フェリーだと適当な時間のため、あえてフェリーの便を選びました。

 船旅は実に快適で、船室の椅子にもたれての作業は順調に進み、音戸の瀬戸を通るころには、全てを終わっていました。

 少し甲板戸外に出て風に当たりながら知り人話しながら、のんびりゆっくりの船旅を楽しみました。宇品へは予定通り9時10分に着き、電車で広島駅を目指しました。比治山下経由の電車で約35分、さらに広島駅発西条方面行きの電車に乗り、インターネットで調べたとおり、10時45分に西条駅に到着し、昨年と同じく早坂さんの出迎えを受け中央公民館の人となりました。

 講演会は午後1時からなので課長さんや係長さん、それに今岡さんと私で、昨年と同じ店で食事をしました。

 1時からの研修会は午後の4時間全てが私の時間とあって、どのような組み立てをするか余り考えぬままアバウトな気持ちで話し込みました。今日のテーマは「若松さんの仕事が面白くなる話」だそうで、休憩を挟んでたっぷり2時間30分話をさせてもらいました。

 その後事前に送られてきていた参加者からの質問に答える形で進行しましたが、残念ながら質問と回答で1人5分を予定して話しましたが、3分の1はお話をしないまま時間切れとなってしまいました。

 いい質問が送られてきていただけに返す返すも残念ですが、この話の続きはメールでと断って時間切れ、話を終えました。

 その夜は谷川君からお誘いのあった若手職員の研修会に顔を出しました。コミュニケーションの取り方をワークショップ形式で学ぶもので、私も参加者になって学びました。朝が早かったためと、4時間に及ぶ長丁場の研修会が終わって緊張の糸が切れて少々お疲れモードでしたが、何とか若手について行くことができましたる

 その後は、近くの飲み屋に繰り出し会費制の交流会をやりました。参加した人たちも楽しい人たちばかりで、2時間があっという間に過ぎました。あくる日の研修会が午前中3時間、午後3時間と長丁場のため、10時ころ早々においとまし一人歩いて帰りましたが、帰り際隣の部屋で飲んでいた人たちと一緒になりました。私が余興で吹いたハーモニカが暖簾を伝って隣の部屋を巻き込んで、私の演奏に合わせて歌ってくれた人たちなのです。中には子どももいて嬉しくも寂しい別れとなりました。ああ今日も完全燃焼したようです。

  「海渡り 今日は海外 旅行かと 見まがうほどの 人に出会いて」

  「夜十時 気がつき早々 お暇を 東横インの ネオン頼りに」

  「この町は 二度目ことゆえ 知っている つもりが忘れ 右往左往す」

  「この町は 学生多く住むという 生かせばおもろい 町になるのに」 


                    

             

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shin-1さんの日記

○動く広告塔に電光掲示板

 私は自称「動く広告塔」と人から愛称をつけられ、自らもお遊び的に自分の名前をアメリカの顔だった高官と捩って、「愛媛のキッシンジャー」などといっていました。自分の町と自分の町に沈む夕日を徹底的に売り出すために、とにかく自分の町と夕日をまるで看板のように背負って歩きました。そして何処かまわず宣伝したのです。その結果双海町という下から数えた方が早かった町が随分有名になり、私自身もいつの間にかこんな顔でも覚えてもらうようになったのです。しかしふり返ればそれはなりふり構わぬほどで、時には道化師のような涙ぐましい努力の結果であることを知る人は少ないのです。

 今ではすっかり有名になった木になるカバンを提げて歩くパフォーマンスも、一日三枚のハガキを書くことも、また時には高座に上がって人を笑わせることも全てそんな止むに止まれるフットワークから生まれた成果なのです。そして今ではすっかり日々の暮らし溶け込んでいる、一日2本のブログを書いて自らが情報発信することも、元はといえば町を売り出す手段として始めた事なのです。

 先日三重県伊賀上野へ講演に出かけました。その模様や近鉄電車が故障して思わぬハプニングに会ったことはブログで詳しく紹介しましたが、その折大阪の街中をとっさな思いつきで、新居浜の加藤さんから国土交通省主催の観光カリスマ塾開催の折、人型パネル作製にちなんでいただいた名刺サイズの電光掲示板をこともあろうか、自分のネクタイに強力マグネットで着けて歩いたのです。普通ならこんな恥かしいことはしないのでしょうが、やはりこれも遊び心の表れでしょうか、胸を張って堂々と歩きました。

 電光掲示板には「『夕やけ徒然草』著者:若松進一 自費出版、定価500円 好評発売中」と出てくるのです。胸に何やら光る文字があると通行人は一応に驚き私の胸の当りに注目してショートコメントを読みながら横を通り過ぎるのです。そして通り過ぎざまに私の顔を一瞬「変わり者」という雰囲気で立ち去り、また振り返って私の姿を追いながら去って行きました。

 効果は抜群でした。多分私の奇抜なパフォーマンスを目の当たりにした通行人は、どこかで酒の肴にでもしながら、見知らぬ私の話しをしたに違いないと、してやったりの心境で愛媛に帰って来ました。私は町の観光協会事務局長を長年やりましたが、その折りもゼロ半ライダー観光宣伝隊というこれまた一風変わった宣伝隊を出して、世間をアッと言わせました。バイクの後に宣伝幟を立てて10台もが隊列を組んで街中を走り、時には繁華街の真ん中でハンドマイク片手に自分の町を宣伝しまくり派う夫レットやチラシを撒き散し、その足で放送局まで乗り込んでその日の夕方のニュースに飛び入りまでしたのですから、これはもう尋常ではないのです。今にして思えば顔から火の出るような恥かしい話ですが、それでも平常心のような顔をしてやったものです。

 今ではすっかり武勇伝となりましたが、その折「恥かしいから嫌だ」としり込みした新人職員に「嫌だったら役場を辞めろ。お前の変わりは幾らでもいる」と脅しまくり参加させました。驚いた事にその新人職員が今は町の観光の仕事をしているのです。

 恥かしいなんて気があったら、観光宣伝などやれぬしその成果も期待できません。要はやるかやらないかなのです。

  「電光の 掲示を胸に 大都会 知らぬ土地ゆえ 恥かしがらず」

  「夕日亭 大根心の 芸名で 作った本を ピーアールしつつ」

  「その昔 私愛媛の キッシンジャー 誰がつけたか 動く広告」

  「看板を 背負って歩いて 四十年 今じゃすっかり 有名になり」

 

 

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