shin-1さんの日記

○隣町は今

 合併するまで近隣の市町村の位置はきっちり頭に入っていて、また隣町のニュースなどは競争という意識が強いのか、絶えず気を配っていました。特に同じ郡の同じような規模だった中山町や、同じ海を持つ長浜町、それに最も近い伊予市などは負けてなるものかと思いながら暮らしてきました。

 ところが合併してからの最近は市町の位置すらおぼろげで、また役所を退職してまちづくりの任から降りたため、何処かよそ事のような気がするのです。それでも昔の癖は治ることなく、時々頭を持ち上げるのですから染み付いているのでしょう。

 数日前八幡浜市保内町幼稚園へ講演を頼まれて出かけました。その帰りに長浜を通りかかりました。晴海工業団地に近づくと頭の上に立体的な道路が出来ているのに気付きました。工事をしていたころからこの道路は一体何処へ通じるのだろうと思っていました。ふと好奇心が頭を持ち上げ大きく左折してその道を走ってみました。案の定この橋脚の上を走る道は旧長浜町自慢の肱川嵐が展望できる公園へと通じていました。

 山道ゆえ曲がりくねった道を進んで行くと、見覚えのある嵐公園へ到着しました。この日は視界もよく展望台に上がると四方八方が一望できました。特に肱川河口に架かった新旧2本の橋が印象的に見えました。

 特に赤橋といわれる鉄橋は片勝鬨橋で日本でも珍しい近代化遺産の橋として注目されています。毎年10月下旬になるとこの橋を包み込むように靄が肱川嵐となって海上へ吹き出すのです。旧長浜町ではこれを地域資源ととらえ初嵐の日をクイズ形式で当てるコンテストなどをやっていますが、残念ながらその効果は上がっていないようです。というのもかなりの費用をかけて嵐を見るための公園を造ったものの、嵐は早朝に吹き出るため、また寒いため観光客には敬遠されて中々人が集まらないのが実態のようです。

 この日は公園に着くと見覚えのある人に会いました。役場に勤める豊茂の中田さんです。彼は今国土調査の仕事をしているらしく、私の時ならぬ来訪に驚いた様子でした。

 瀬戸内海に突き出たように見える展望台からは、坂本龍馬が脱藩の折ここを船出して渡ったであろう伊予灘の海が拓け、坂本龍馬が目指した山口県が雲にかすんで見えました。

(長浜町の埋め立て造成地はまだ空き地も見られましたが、遠望では大きな油タンクも見え、工業団地としてそれなりの成果を収めているようです)

(肱川の右岸には団地も沢山見えました)
 合併によってまちづくりの世界も大きく変容しています。これまで隣町を意識し、隣町に蔵が建ったら腹が立つといわれるほど競争した昭和の時代から平成の時代は終りを告げました。確かに競争はよくないことかもしれませんが、ある意味で競争は地域に元気をもたらしました。競争の消えた合併後は隣町がどんなことをしているのかさえも関心のない時代となっているようです。

 役場を去った私でさえもこうして東国原宮崎県知事のように「どげんかせんといかん」と思っているのですから、役所に務めている人はことさらに「何とかせんといけない」と危機感を持って生きて欲しいと思いました。

  「隣町 いつの間にやら 何処だっけ 何が起ころと 関係ないか」

  「ふるさとを 思う心を 持たずんば 国は滅びる 歴史が語る」

  「朝もやで 地域おこしを 考えた 見事外れて 寂し公園」

  「いや見事 長浜の町 橋風景 好きなアングル 皆に見せたい」

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shin-1さんの日記

○熊本県天草からのお客さん

 2007年1月15日に熊本県天草市経済同友会から講演の依頼があって車で出かけました。その日の前日娘が、切迫流産のの危険があるとかで緊急入院してしまい、孫の面倒を見なければならなくなったため、妻と二人で予定していた天草行きに急遽孫を連れて行く事になりました。孫は長い道中でしたが楽しかったことが忘れられず、一泊したホテル海心館の優しいもてなしや、講演のあったホテルアレグリア天草近くの水族館でのアザラシ、イルカなどとの出会いが忘れられず、未だに何かにつけて天草の話しをするのです。

 その後天草経済同友会の中川会長さんとのご縁も深まって、2007年6月25日に天草のご一行がわが町へ視察に来られ旧交を温めました。その同じ月には熊本県あさぎり町へ講演に行くなど様々な熊本との交流が進んだのは、多分松山と熊本を結ぶ天草エアラインの就航によるものだと、人や地域との交流にとってアクセスは大事だと痛感したものでした。

 あれから1年が経った先週7月16日、再び天草から視察団がやって来ました。今度は自治会の皆さんでしたが、中川会長さんから直接電話があったものですから、少し変わったプログラムを組んでお迎えしました。

 まず役場会議室で私の講義を1時間程度行いました。自治会のメンバーなので地域の自立について突っ込んだ話をしました。その後わが家と翠小学校、シーサイドでの昼食を挟んで人間牧場の案内です。これは中川会長さんの希望でもあったので、中型バスの乗り入れはギリギリなので気を揉みましたが、どうにか行くことが出来ました。

 まず翠小学校ですが、運良く校長先生がいらっしゃってご案内をいただきました。一行は窓を吹き抜ける爽やかな海風を感じながら今時の学校では珍しい和室で校長先生の話を聞きました。この学校が現役木造校舎では県下で一番古いこと、エコ改修の指定を受けて調査研究をしていること、この学校が地域のコミュニティづくりに果たしている役割、ホタルとのかかわりなど特色ある学校づくりについての説明に納得した様子でした。

 最近の学校は危険という名の元に門を閉ざし、心を閉ざしている学校が多いようですが、この学校は門こそ閉じていてもいつもオープンスタンスで迎えてくれます。子どもたちも先生たちもお客さんを意識せず常に自然体で迎えてくれるのです。人数的には児童数31名と小規模校ながら、やっていることや目指していることは大規模なのです。学校とは木が交わって学ぶとはよくいったものです。木はそれぞれ癖を持っていますが、木の癖組みこそが人間力を育むのだと思いました。

 人間牧場では主に限界集落のことや、住民自治、それに人間力とは何かを感じ取ってもらおうと思いました。時代が進歩する中でややもすると後退しようとしているのが今の地方の現状です。合併によって行政サービスが低下したと意識する住民、学校統合や限界集落などで将来への不安を感じている住民、住民自治といいながら高齢化と過疎の狭間で自治などやりようがないと宿命を感じ取っている住民、様々な問題が横たわっていて、これは日本全国を揺るがしているのです。

 一生懸命生きる、それでも駄目だったら潔く諦める、そんな生き方をしている私にとって、視察に来られる人に幾ら「頑張って下さい」といったって、それはもう自助努力の域を超えているのですから、「私はこんなに楽しい生き方をしています」と見せること以外ないのです。たった一度の人生だからみんな楽しく生きて行きましょう。

  「天草の 人と再び 面会す 私の生き方 素敵でしょうが」

  「漢字では 木が交わって 学ぶ書く 学校ではない 学校増えた」

  「空青く 海も深蒼 澄み切って 真夏の双海 客をもてなす」

  「俺に逢う 人が沢山 やって来る だから気張って 素敵生き方」

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