shin-1さんの日記

○ブルーべりーが届く

 わが町に西岡栄一さんという人がいます。この方は昔役場で町長さんの公用車の運転手をしていましたが退職後は奥さんと二人で農業をやっています。在職中から人の面倒見がよく、同じ職場だったこともあって何かと気心の知れた間柄で、時には先輩として、時には同僚として、時には行きがかり上部下として付き合ってきました。西岡さんは私など比べものにならないほど二代の町長さんに同行して様々な地域や場所を運転手ながら訪ねていて、視野の広さは町内随一で、私も一目を置く人なのです。加えて実行力があってよいと思ったことはすべからく直ぐに実行に移すのです。 

 在職中にイチゴの高床式ロックウール栽培を奥さんが主動となってはじめ、苦労の末双海のイチゴ園の先鞭をつけました。言い方は悪いかも知れませんが、後に始めた3軒の農家はいい所取りのような感じもします。でも西岡さんは直ぐにそのことを見越してイチゴとブルーベリーを組み合わせた観光農業をしているのです。今でこそブルーベリーは一般的になりましたが、がまだ珍しい頃から取り組んで、今では立派なブルーベリー園として経営の主要な柱になっているようです。

 西岡さんの凄さはそれを自分だけのものにせず、翠校区で取り組んでいるグリーンツーリズムの主要リーダーとして他の人を引っ張っていることです。既に校区の溜まり場にピザ釜も4つ造って土日には予約を受けて活動しているし、自らも蒟蒻を作るメニューをしっかりとこなしているのです。

 西岡さんは運転手を長らくしました。町長さんとは同級生だったこともあって大変だったと思うのですが、悪びれることもなく立派に勤め上げましたし、辞めてから何が残るか考えたら真の勝者は西岡さんではないかと思ったりするのです。

 私は西岡さんの生き方を見ながら、自分も目的や計画を着実に実行している部類ですがまだまだ西岡さんには適わないと、自らの見本としてこれからもせいぜい見習わせて欲しいと願っています。

 一昨日西岡さんがトラックに何やら大きな植木を積んでわが家にやって来ました。見ると粒をたわわにつけたブルーベリーの鉢植えです。今年から一鉢オーナー制度を考案し、希望者にブルーベリーの鉢をシーズン中貸し与え、自宅で居ながらにして収穫を楽しもうとするものです。「試験的に食べてみてください。収穫が終わったらまた取りに来ます」とあっさりわが家の庭に降ろし置いて帰りました。

 驚いたのは家族です。また娘や息子も一応に驚き、早速熟れた実を試食していました。残念な事にわが家に来た人が「まあ珍しい」と一つ一つ摘み取って口に入れるものですから、熟れるのを楽しみにしていた私などはまだ一個も口にしていないのです。

 まあこれも西岡さんの宣伝だと思い、来客に自慢をしながらいただいています。「水は3日に一度たっぷりやって下さい」というご指示通り、今朝は汲み置きした水をバケツにいっぱいたっぷりやりました。孫が次に来る頃には熟したブルーべりーを摘ませることができるかも知れません。

  「見習って 強く生きよと 思う人 身近に住んで 身近お手本」

  「これ食べて いきなり鉢が 降ろされて 嬉し収穫 居ながら自宅」

  「人間の 値打ち一体 何なのか 生き方次第 値打ち高まる」

  「たっぷりと 水やる朝の 爽やかさ この水吸って 美味い果実が」

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shin-1さんの日記

○鯉よさようなら

 わが家の庭にはこの30年余り、親父が手塩にかけて育てたそれは立派な鯉がいましたが、残念ながら昨年死んでしまいました。落胆した親父は一事覇気がなく嘆き悲しんでいました。池を見ただけでも悲しくなると、その池を埋めようとしましたが、せっかくだからとコンクリートで上を塞ぎ、入口を作って立派な地下室が誕生、その上に東屋を建てたりしてまた元気を取り戻しました。

 そんなこんなで鯉を飼うことは止めようと、あれ程高いお金を出して設置した浄化装置も鯉屋さんにタダで引き取ってもらい、完全に甲斐の思い出を消していたのです。ところがどうでしょう。いつの間にか庭の隅に小さな池を掘り始め、あっという間に小さな池を自分で造ってしまったのです。鯉が縁で時折ご機嫌伺いに尋ねてくる鯉屋さんはそれを見て値打ちのない鯉を2~30匹持って来て池に泳がせました。

 あれから1年が過ぎました。親父の鯉好きもさるもので、鯉屋さんが驚くほどその鯉が大きくなって、何匹かは近所の人に差し上げたのですが10匹は残って、すっかりわが家の人気者になっていました。時折訪ねてくる近所の子どもたちや、わが家の外孫たちもわが家へ来る度に鯉の泳ぐ池へやって来て、手を差し伸べ馴れた鯉に手を吸ってもらうほどでした。

 一昨日息子が還って来た時、親父はこの鯉を近所の上灘川に放流すると言い出し、ポリ容器に入れて息子とトラックに積んで川へ放しに行きました。せっかく育てたのにという家族の反対を押し切ってです。聞けば鯉はこれ以上この池で飼うのはこれが限界らしく、せっかくの命なので自然に帰したのです。

 さてこの二日間池は水を抜かれ、梅雨の明けた真夏の太陽に寂しく干されていました。今朝隠居へ行って見ると親父はもぬけの殻で外で池の水を張っていました。どうするのかと尋ねたら、「今度は大きくならないフナ金を飼う」そうで、鯉屋さんにすでに電話で注文したそうです。その理由は「ひ孫たちが来たら喜ぶので」とさりげなく話してくれました。はてさて親父の考えは私には理解できなくもありませんが、妻は「性懲りもなく」と一連の鯉騒動に何時もながら呆れていました。

 私は長男です。故に親父とはもう生まれてから63年間も付き合っている計算になります。子どもの頃はいざ知らず、私が結婚して40年余り経つのに未だに親父は親父として付き合ってきました。反論や反対をしないのが長男の親孝行だと思ってきました。しかし若い頃病気をした頃から我が強くなり、最近ではその我も大分弱りましたが、それでも年寄りの頑固さは今も顕在で、時折私も妻もつまらない苛立ちを隠せない時だってあるのです。

 今年の9月に親父は卒寿を迎えます。これから先何年生きるか分りませんが、母親がそうであったように親父の口癖である「この家の畳の上で死にたい」という願いをかなえてやりたいと思っています。親父の年代はもう同級生も仲間も殆ど死んでしまいました。また例え生きていても特老施設などに入所して余生を過ごしています。私は親父の願いをかなえてやりたいと思っています。それが長男としての私の務めでもあるような気がするのです。妻にはそれなりに苦労をかけますが、その分私がカバーをして天寿をまっとうさせてやりたいのです。

 時折妻が「あなた、ひょっとしたらじいちゃんは100歳まで生きるかも知れない」といい、「私たちより長生きするのでは?」と笑って話します。しかし親父の後姿を見ると心なしか背丈が縮んだような気もするのです。

 今朝も「お早う」といえば「お早う」と返事が返り、朝から池の修理に余念のない元気な親父さんです。

  「懲りずまた フナ金飼うと いい始め 呆れた口が 塞げぬ親父」

  「この家の 畳で死ぬと いう親父 願いどおりに 親子で暮す」

  「鯉を入れ トラック積んで 川放す 慈善事業か 理解苦しむ」

  「曾孫来る 嬉しさのため フナ金を 既に注文 いつまで生きる」

  

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