shin-1さんの日記

○視察が沢山やって来る

 一昨日は久しぶりに視察の一団が午前、午後、夕方と3団体、まるで波のように押し寄せてきました。この日は平日だったのでどうこういうことはなかったのですが、行政視察の場合は市役所を通して申し込むと、「土曜日や日曜日の視察は基本的に受け入れできない」と断るらしく、その都度「役所に断られたのですが」と前置きして、「そこを何とか」と私の所へ研修受け入れの依頼があるのです。私は現役の時代からかねがね視察研修は、たとえそれが土日であってもまちづくりの一環として余程のことがない限り受け入れてきました。今もその方針に変わりはなく、むしろ土日の方がありのままの姿を見てもらえると思い積極的に受け入れているのです。確かに職員は土日ぐらいは休みたいと思うのは当然のことです。しかし視察研修をただ単なる手間を取られるという発想だけだったらそういう考えも成り立ちますが、視察は受け入れる側にとっても大きなメリットががあるのです。第一居ながらにして交流ができるし、相手から様々なことを学び取ることができるのです。私もこれまでどれほど視察を受け入れたかは計り知れませんが、その都度大きな知恵を授かりました。その人たちはまるで動く広告塔のように学んだ双海町のことを様々な機械と場所を捉えて話してくれるのですから、これほどの効果はないのです。

(山形県村山地方町村議長会のご一行)
(福井県高浜町議会総務産業常任委員会のご一行)

 一昨日の午前中はは山形県の村山地方町村議長会のご一行15名でした。この視察は伊予市議会を通じてのご依頼でしたが、午後の福井県高浜町議会総務産業常任委員会11名のご一行も、夕方4時からの埼玉県熊谷市議会議員7名のご一行も私への直接依頼だったのです。高浜町の議員さんは福井県町村議会議員の研修会に私が招かれてお話いたことがご縁でした。また埼玉県熊谷市議会議員さんは東京で開かれた全国町村監査委員研修会での私の話や、伊予市選出の泉圭一議員さんのご縁によるものです。

 役場をリタイアして行政とは縁もゆかりもない私が視察研修を受け入れなければならない理由は何処にもありません。しかし視察が地域の活性化に大きな貢献をしていることを行政の人はもっと知るべきだと思うのです。今をときめく徳島県上勝町などは月ヶ谷温泉に泊まらせて有料で視察を受け入れるような積極的な活動まで展開しているのです。

 私の所に一昨日午前と午後にやって来た議員さんは26名が全員昼食を取ってくれましたし、中には特産品センターで沢山の土産を買っていただき、シーサイドから宅配便でふるさとまで送りつけていました。またじゃこ天なども賞味していただきました。これだけでも凄い経済効果なのです。

 一方では地域の活性化や経済効果をいいながら土日はせっかくの休みだから受け入れないというのは、考えと行動のアンバランスの何ものでもないのです。もうここらでそういった事に気付かないと地域格差はどんどん広がっていくことでしょう。

 私は今回も多くのご縁をいただきました。この日は3団体三様の研修目的だったためそれぞれの目的に沿って全く別々のメニューで研修プログラムを組んでみましたが、それぞれ思うところあっていい交流となりました。

 それにしても一日3団体の受け入れは少々きついような感じもしました。というのも私はその夜内子町で金融広報委員会のご依頼による講演会をこなした後、三重県伊賀市へ行くため大阪へ向ったのですから、いやあ元気としかいいようがなく、自分の元気さに思わず脱帽してしまいました。

 明日は土曜日、今度は漁協女性部が北海道から視察研修にやって来ます。来週の土日は埼玉県北本からまちづくりについて人間牧場へ泊り込みの視察研修がやって来ます。これは全て行政の土日休みという網の目からぼった視察者です。でも私はボランティアとしてこの人たちと一緒になってすこしでもこの町がよくなるようにしっかり対応したいものと思っています。

 間もなく梅雨も上り暑い夏はもうそこまできています。今年も張り切っていきましょう。

  「土日駄目 断られたと 泣きつかれ それじゃいいよと 視察受け入れ」

  「それぞれに 教わることの 多かりし 視察来る人 何か気付かせ」

  「失敗や 反対経験 聞きに来る 今日の視察者 本物ですね」

  「視察縁 講演縁の 出会いにて そこから先に これまた縁が」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ハラハラ・ドキドキ・ジーンのハプニング

 この二日間大阪を経由して三重県伊賀上野へ行ってきました。伊賀市については別にルポする事にしていますが、帰り道とんでもないハプニングに出会いました。私は全ての研修を終えて会場となったウエルサンピア上野を皆さんの見送りを受けて格好よく出発しました。往路は大阪から伊賀上野までJRを使いましたが、帰りの復路は伊賀市商工観光課の永岡紀子さんが立案してくれた行程表に沿って近鉄を選んだのです。ウエルサンピア上野の職員さんに伊賀神戸まで送っていただきましたが、永岡さんの時刻表だとまだ時間があるだろうと思いきや、伊賀神戸の駅構内に入ると何やら騒々しいのです。聞けば列車と架線の故障で上りの電車は動いていないそうで、とりあえず「名張まで乗ってください」というのです。訳も分らず出発しそうな列車に切符も買わず乗せられました。しかし名張の駅間近になると信号の指示によって停車が長く続き、20分以上も電車の中に閉じ込められました。やっと着いたと思った名張の駅は上りの列車を待つ人で溢れごった返していました。駅員さんも汗だくで対応に追われ、乗客も帰りを急ぐ苛立ちを隠しきれず、険悪なやり取りも随分ありました。

 私はその後の予定、つまり今日の午前中どうしても片付けなければならない要件があるので、新幹線で新大阪から広島か岡山へ帰っておかなければならなかったのです。そこで泊まれば朝早く経てば10時までにふるさとへ帰れる算段でした。主催者にそのことを告げると心配するので内緒にしておいたのですが、私の苛立ちもそこから次第に高ぶってしまいました。

 担当者の伊室さんに電話をかけました。皆さんは研修会後の懇親会で酒を飲んでいて身動きが取れないようでした。伊室さんはタクシーで伊賀上野まで引き返しJRで乗るよう勧められましたが、名張の駅前はかなり混雑していてタクシーなどないのです。結局はお酒を飲んでいる企画振興部次長西岡さんが奥さんの運転で名張を目指しているとのことでした。都合よく名張駅の東口で落ち合い、それから約1時間西岡次長さんの知りえたもっとも最短距離と思われる山道・裏道を走り、見覚えのある奈良公園を通って奈良駅へ午後10時に着きました。この道をお二人でまた伊賀まで引き返さなければならないのかと思うと心が痛みましたが、お言葉に甘えてしまいました。時刻表を見れば電車の行き先に大阪はなく難波まで、しかも駅員さんに聞けば新大阪まで午後11時30分到着絶無理との答えでした。

 とっさに思いついたのが駅前に止まっている一台のタクシーでした。戸を開けて聞いたところ高速を使えば何とか間に合いそうだというので藁をもすがる思いで飛び乗りました。かくして私は無事新幹線の人となったのです。

その後は広島に泊まり早立ちで一番の高速船を乗り継ぎ、綱渡りの帰郷劇は終わったのです。

 永岡さんの近鉄利用の計画から、伊室さんの電話指示、西岡次長さんご夫妻の心温まる見送り、タクシー運転手さんの機敏、そして私の判断と、幾つものマイナスを乗り越えた旅先での今回の帰郷劇は、まさにハラハラ・ドキドキ・ジーンの連続でした。できうることなら余裕を持って旅のプランを立てたいと思っていますが、今回は自己責任ではないにしても多くの人に大変な迷惑をかけてしまいました。ブログ画面を通じてお詫びし、お礼とさせてもらいます。

  「動かない そこから始まる 深夜劇 多くの人の 支えでやっと」

  「旅先で 土地勘もなく 途方暮れ 温情すがり ハッピーエンド」

  「今頃は 夫婦二人で 来た道を 車窓に顔が ちらりほらりと」

  「この長い 夜の出来事 忘れない 世の中人は 信ずるものぞ」

[ この記事をシェアする ]