shin-1さんの日記

○にいはま母親大会に招かれて

 正直いってのっけからえらい所へやって来たと思いました。午後の開会式の実行委員長さんのあいさつやオープニングを飾る寸隙に多少戸惑いました。寸劇には福田さんや小泉さんに扮した人まで出るし、平和や憲法9条、年金問題、後期高齢者、扶桑社教科書などの文字が資料のいたるところに見られるのです。何の予備知識もなく、この大会の趣旨を聞かされもせず、また聞きもせず講演に行ったのですから、無知なのか度胸があるのか、まあ驚きの連続でしたが、多少軸足を変え腹をくくって話しました。でもそういう熱い心を持った人たちの集まりだけに、想像以上の笑顔の反響に驚きながら、アドリブで90分も立て板に水の如く喋りまくりました。

 ひょっとしたら今までのどの集会よりも盛り上がったのではないかと思うほど私の話しにビンビン跳ね返って、こちらが熱くなり最後は涙が出そうになりました。


(どうです。参加者のこの笑顔は素晴らしいです)
 ふと今の政治はこうした国民の声なき声に耳を傾けているのだろかと思いました。

 私は右でも左でもないのですが、あえてこの日の大会宣言を長文ながら書いておきますのでご意見をお寄せ下さい。

 にいはまのお母さん、女性のみなさん、「いのち」のスローガンを掲げ第49回母親大会は今日ここに成功させることができました。私たちはご前中の分科会で学び合い楽しく交流することができました。「うたごえは平和の力」と思いきり歌って平和を語り、未来を語り合いました。「武力に頼らずに平和をつくる」という憲法九条は今、世界の目標となっており「九条の国際化運動」は広がりつつあります。

 「親子で遊ぼう」では子どもたちと体を動かす喜びを共に体験し親子の絆を深め合い、豊かな成長を願い話し合いました。豊かに生きる分科会では年金・医療・健康などさまざまな問題について話し合い医療現場や年金ぐらしの厳しい実態が報告されました。さらに今、大問題になっている後期高齢者医療制度は七五才以上の高齢者に対して予防から外来・入院・終末期にいたるあらゆる医療を制限し差別するものです。人は誰でも歳をとります。団塊世代が七五才を迎えると後期高齢者は二千五百万人になり、この時に医療費を徹底して削減できる制度にしようとしています。憲法二五条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と生存権保障義務を謳っています。

 にいはまのおかあさん、女性のみなさん、本日の記念講演で私たちは知恵を出し合って豊かな人間になっていく素晴らしさを学びました。今、地球上で起こっているさまざまな事態、まったなしの地球温暖化、平和、子育て、高齢者医療、年金問題などについて、その原因をつきとめ私たちにできることから行動せねばなりません。私たちの声と運動は今、政治を動かし願いを実現する道を切り開こうとしています。そのことに私たちは、希望をもって子どもたちの未来と私たち自身の幸せと平和な日本と世界を目指してしっかりと手をつないでいきましょう。

 生命を生み出す母親は生命を育て生命を守ることを望みます。

 今日は日曜日、車で行く途中カーラジオでNHKの日曜討論を聞きました。今日はどの党も幹事長クラスの人が国会の模様を話していて、偶然にも大会宣言に書き込まれたことが殆ど話されていました。みんなわが党の正当性を雄弁多弁に語っていましたが、民意だとか国民本位と口でいってはいても、殆どが党勢拡大の話で、残念ながら国民を幸せにする話は余り聞かれませんでした。結局は私たち国民は政治家の道具にしか使われていないような気もするのです。まあその政治家を選んだ私たちも悪いのですが、もっといい方法はないものでしょうか。このままだと日本はどうなるのでしょう。私にとって今日は考えさせられた一日でした。

 追伸

 今日は出版した本を持参するように言われました。講演会場で自著本を売るのは気が引けましたが、お言葉に甘えて受付でサインまで頼まれ嬉は恥かしでした。

  「硬貨なら チャリン音する ふり向くが 紙幣落ちれば 誰も気付かず」

  「今日だけは たまげドキドキ ハプニング それでも役目 果して帰る」

  「政治家に なれる技量が あったなら もっと政治で この国変える」

  「熱い人 いっぱい集まり 熱っぽく 熱が伝わり 熱が出ました」   


 


 

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shin-1さんの日記

○孫と遊んだ一日

 一昨日の夜、五歳になる孫に電話を入れました。このところ私が忙しくて孫とゆっくり遊んでやれないため、時々かかってくる電話で、「おたまじゃくしは生まれた?」「カブトムシの幼虫はどうなっているの?」「僕の蒔いたカボチャの種は生えた?」などなど、盛んにちょっかいを出してくるのです。その度に「おたまじゃくしは大分大きくなって田んぼで泳いでいる」「カブトムシの腰痛も随分大きくなった」「カボチャの種は芽が出てご飯が欲しいと言ってる」と話しをすると、「早く行きたい」と親をせかすらしいのです。「じゃあ明日双海のじいちゃん所へ泊まりにくるか」「うん行く」の口約束が成立しました。

 昨日は人に会う約束だけなので、理髪店で散髪をする予定を済ませ、朝松山まで迎えに行きました。週休二日が定着したのか、午前9時ころなのに松山市内はいたって静かで車も少なく双海から道後緑台まで僅か40分で到着しました。孫は既に着替えや図鑑など持ち物の準備が出来ていて私を待っていました。孫「じゃあ行ってくるね」、娘「気をつけてね」でいとも簡単な親子の別れです。

 しばらく接しないうちに孫は一回り大きく成長したような感じがしました。その分私は退化しているのかもしれないと苦笑しながら車の後ろでシートベルトをつけてお喋りをしていました。どうやらハーモニカを吹けるようになったらしく、「ドドソソララソ」などと音階をいいながらハーモニカを吹く真似をしていました。いよいよ私とハーモニカでコラボレーション演奏をすることが出来るかも知れないのです。

 妻に頼まれたパンを買うため、新しく出来た松前町の商業施設エミフルに立ち寄りましたが、もう聞き耳が出来た孫は以前のようにおもちゃ売り場やゲームコーナーをさっさと通り過ぎ、ピカチューパン一袋150円で満足なのです。エミフルも開店当時のような混雑もなくご前中ということもあって空いていました。

 わが家へ帰って昼食を済ませ遊びの行動開始です。まずシーサイド公園へ貝を拾いに出かけました。紙袋を持って渚を歩くと砂に混じって小さいながら沢山の貝類が無数に散らばっていました。その中から巻貝や二枚貝を探すのですが、孫は慣れているのか沢山拾いました。中でもアンモナイトに似ているアオガイを2個見つけ歓声を挙げていました。シーサイドのじゃこ天のおばちゃんに孫朋樹は馴染みの顔で、たこ焼きやドーナツ、お魚屋さんではスイートコーンまでいただいてご満悦でした。

 家に帰り孫が大じいちゃんと呼んでいる親父に、シーサイドで買い求めたドーナツを孫がお土産だとプレゼントしました。親父は嬉しかったのか、早速お小遣いだといって千円を渡していました。孫にとって千円札はまだそんなに価値のあるものではなく、玄関先に置いて網と虫かごを持ってチョウチョや青カエルを夢中で追っていましたし、大じいいちゃんに貰った肥料を芽が出たカボチャの苗にやったりと忙しく遊んでいました。

 やがて夕方になって夕食が終わるとさすがに疲れたのか、「ダウィンがやって来た」というビデオを見ていましたが、昨日に続いてほたるを見に行く事にしました。先週もほたる祭り来たようですが、その時はイベントだけでほたるを殆ど見ていなかったのです。妻と三人で暗闇をほたるを鑑賞しました。「どうしてほたるは光るの?」など矢継ぎ早の質問に妻はタジタジでした。子どもの頃にこんな幻想的な風景を見させることはいいことだと思いました。

 風呂に3人で入り、3人が川の字になって寝ました。孫は私のアドリブなお話が大好きで、昨晩のテーマリクエストは「リス」でした。働き者のリスと遊びの好きなリスの話をしてやりました。始まると拍手、終わると拍手です。やがて夢の中へ旅立った孫の寝息が聞こえるようになり、短くも長い一日が終わりました。

  「少しずつ 成長している 孫が来る 私と妻は 少し衰え」

  「川の字に なって布団が 狭くなる 妻はさっさと 別の布団に」

  「何故ほたる 光るんだろうと 矢継ぎ早 質問されて 妻はタジタジ」

  「子離れを した老夫婦 思い出す 昔はいつも こんなだったと」

 


 

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