shin-1さんの日記

○浮島現象

 昨日の朝は、今年一番の冷え込みとなって外気温が5度を下回りました。先日訪れた北海道紋別の皆さんに言わせれば小春日和のようなものでしょうが、これでも四国のこの季節としては寒い方で、出会う人はみんな無口で、たまに声を掛けても、「今朝は寒い」という言葉しか帰ってきませんでした。

 そんな寒さもあって昨日は昼間は一日中書斎にストーブを入れ、温かい温度と温かい気持ちで読書をしたり調べ物をしたりで過ごしました。「忙中閑あり」とはこのことで、郵便局や銀行、それに役場に行く以外は用事もなくただのんびりと過ごしました。

 夕方から伊予市の中央公民館へ子育て家庭教育学級に行かなければならにため、明るいうちに家を出ました。親父のメガネが出来上がっているので受け取りに行くついでに、夕やけ徒然草という本の題字を書いてもらった叔父の家へお礼に一冊届けるためです。親父の妹である叔母もその夫である叔父も高齢になって、少し気分が優れないのか、二人とも居間で横になっていました。前触れもない訪問に少し慌てていましたが、やわら起き上がり私の持参した本を手渡すと嬉しそうに受け取ってくれました。今年の秋ころ訪問して題字を頼んだ頃はまだ気候もよく、3日後には出来たと電話を貰うほど元気でしたが、この日のような寒い日は叔父叔母のような高齢者には寒さが堪えうようで、まるでアナグマの冬眠のようだと笑いながら話しました。

 昨日は寒いといいながら海も穏やかで、瀬戸内の島や半島が浮き上がって見える「浮島現象」が綺麗に見えました。一度写真を撮ろうと思いながらそのうちそのうちと時機を逸していました。昨日は夕方で気温が上がって浮島現象が見えにくくなる時間でしたが、カメラを持っていたので車を止めて沖合いを撮影してみました。

(高野川海岸からみた由利島や二神島周辺の浮島現象)

(ごご島や松山空港付近も浮いて見えるのですが・・・・)

 肉眼でははっきり見える浮島や浮船も写真に撮るとその様子が余り表現できなくて、技術の足らなさをしみじみ思いました。浮島現象や浮船現象はこれから冬になると度々見えるので、その折もう一度撮影に挑戦してこの写真と差し替えたいと思っています。

 こんなに寒い一日で、叔父叔母は暖房の部屋でぬくぬくと過ごしていましたが、その二人より年齢が上の九十歳になる親父は寒さをものともせず、相変わらず家の周辺で作業をして過ごしたようです。今朝散歩から帰ったところで小雨が降り出しましたが、今朝も池を再利用して作った地下室の上の東屋に古いサッシガラス戸を取り付けるべくガタゴト作業をしているようでした。元気が一番と思って余り口出しをしないようにしていますが、まるでアリが働くような動いて作り上げる姿は感動もので、冬の寒さから家を守ってくれるのです。

 軒下に吊るしたタマネギが残り少なくなり、今年も残すところ一ヶ月を切りました。引いていた風邪も妻の手厚い手助けもあって完治に近づいています。喪中のハガキが到着郵便物の半分以上を占めるようになって、どこか新しい年を迎える気持ちになりつつある今日この頃です。

  「浮島が 出ると必ず 思い出す 漁師をしていた 懐かし日々を」

  「アナグマの 冬眠のよう 叔父と叔母 人はこうして 歳をとるのか」

  「さあ今日は 忘年会だ ウーロン茶 酔ったふりして ひとつ歌でも」

  「浮島に 友人四~五人 住んでいる 今頃何を どうしているか」  


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○親のつとめって何だろう

 昨晩、伊予市の公民館から頼まれて子どもを持つ若いお母さんに話しに行きました。夜7時半からの話は子を持つ親と子どもにとってどんな時間なのだろうかと、気になりながら出かけました。最近の若いお母さんを見ていると趣味が多く、子どもと向かい合わなければならない時間なのに、家を平気で留守にするお母さんが多いと聞いていたので気になったのです。多分この日は仕事から帰ったご主人に頼んでの出席だろうと信じて1時間余りの短い話をさせてもらいました。

 主催した公民館の館長さんの話によると、もっと集まって欲しいとのことでしたが、どうしてどうして結構な人数で話甲斐のある反応に少しだけ安心しました。というのも年齢差のある私のような者が、若いお母さんに対して的外れな話をするかもしれないという不安があるからです。でも帰り際私のいなくなった会場で館長さんが抜け目なく感想を聞いた反応と、おいとまをして車を置いてる駐車場へ歩く途中、何組かのお母さんに出会い、気軽に声をかけてもらいましたが、「今晩は言いお話を聞かせていただきました」とか、「またあんな楽しいお話だったら仲間を誘いますので是非聞かせてください」「今度人間牧場へ見学に行かせて下さい」などと様々なお話でした。

「えっ、今日の話で人間牧場の事を話したっけ」と反論すると、「テレビで見ましたので」だそうです。

 さて今日の話は親の務めを子どもを愛すること、子どものためにやること、子どもを正しい方向に導くことという、これまたまちづくりと通じる話をしました。中学生以下の子どもを育てるには、今しか出来ない子どもの知識的容量をどんどん増やし大きくさせることなのです。そのためには氷の実験のように読む、聞く、見るという基礎学習をみっちりやらせて大きな氷を目指すことです。と同時に書く、喋る、実践するという知識の知恵化にも力を入れなければなりません。

 子どもの数が減り、忙しい毎日を親の過期待の中で過ごす子どもたち、創造的でない与えられた遊びを子ども部屋や同年代の少ない仲間としか出来ない子どもたち、家には仏壇もまな板や包丁さえもない全て人の半調理したものを電子レンジで温めて食べる子どもたち、物をお金も豊かになった社会の中で生きる子どもたち、毎日親や教師よりはるかに影響力の強いテレビに教育されてる子どもたち、そんな環境の中で逞しい子どもを育てるには、親自身が目標を持ってたくましく生きて見せること以外ないとお話させてもらいました。

 親として4人の子どもの成長や子育てに関わった経験からいうと、子どもは夫婦を足して2で割ったくらいな人間にしか育ちません。親はまるでオール5のような顔をしてオール5の出来の良い子どもを求めていますが、自分の子どもだけを降りの中に入れ隔離して育てるような親にはならないで欲しいと願っています。

 親が失敗を乗り越える姿こそ子どもにとって価値ある親と感じるのかも知れませんね。いい親になるよう努力して欲しいものです。

  「子育てを 終わって反省 しきりなり 夢中になった 昔懐かし」

  「勉強が 苦手な親が 勉強を せよといっても 迫力ないね」

  「一番は 心の優しい 人になれ お陰なことに みんな優しく」

  「気がつけば 名前のとおり 職選ぶ そんな意識も ないのに不思議」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○プリンター交換

 パソコンでブログを書くようになっても、その記事をプリントアウトせずにそのままにしていましたが、高知県馬路村へ行った折、馬路村役場に勤める木下さんが、私のブログをプリントアウトして資料に使っているのを見て、これは不味いと思い、プリントアウトすることを思いつきました。ブログのプリントアウトぐらい簡単に出来るだろうと鷹を食って始めたのですが、意外や意外プリントアウトの時間がかかることったら大変なものでした。それでも始めたことなのでやらねばと焦れば、プリンターのインクがなくなって中断したり、そのインクの値段が予想以上に高かったりで、結局インクは東京へ出張の折ヨドバシカメラで大量に購入し、二年余りの記事を全てプリントアウトすることがこのほど完了しました。

 私のプリンターはエプソンの小型を使っているのですが、先々月私の誕生日に子どもたちがエプソンのPM-A920という最新のプリンターをプレゼントしてくれたのです。でもインクが残っているので勿体ないと思い使っていました。昨日先月分のブログをプリントアウトしていると、途中でインクがなくなったので、これを機会に変えようと見よう見まねで繋ぎ変えました。以前に長男がプリンターのデーターを入力してくれていたので簡単と思いきや、いくらやっても作動しないのです。困り果てて長男の携帯に電話を入れ、電話で操作の指示通り入力すると動き始めました。パソコンに関する無知を改めて思い知らされましたが、内心ホッとしました。

 「お父さん、このプリンターは優れものだから色々なことが出来る」と多機能を言われるのですが、使いこなせない私にとってはそんな機能は何の役にも立たないのです。正月休みに息子が帰って来るので、少しその使い方をマニュアルを見ながら教わりたいと思うのですが、それまでは何とかプリントアウトできるようになっただけでもよしとしたいと思うのです。

 今回のプリンターは印刷の速度が速くなりました。インクの量もひと目で分るようになりましたし、印刷のプロセスも表示され、中々使い易い感じがします。とりあえず長年といっても退職後の僅か2年半余りですが私の手となり目となって大切な役割を果たしてくれたプリンターにご苦労さんとねぎらいの言葉をかけてやりたいと思います。

 このプリンターでプリントアウトしたブログも毎月一冊出来上がり、先月末まで27冊が書棚の隅に横積みになって収まっています。この際と思い今日の午前中「○○年○月」と索引番号を打ったので、年末までには人間牧場へ運び入れて、来訪者の閲覧に供したいと思っています。その前にどんな事を書いているか索引目次をつけたいと思っていますが、これがまた中々の仕事で、これも「そのうちそのうち」になってしまいそうな雲行きです。

 しかしよくもまあ書くことがあればあるもので、自分でも毎日コツコツの自分の努力を少しだけ褒めてやりたいような心境です。

 これで高知県馬路村の木下さんいは何とか追いつきました。でも上には上がいるもので、私のブログの誤字や脱字を修正し、全てソフトに落としているという凄まじい男がいるのです。大分県の佐賀関の親友渡辺又計さんです。これには驚いていますが内心彼には勝てないと脱帽しています。

  「使い慣れ 使い古した プリンター お払い箱は ちょっと寂しい」

  「使い捨て したくないけど 電子ゴミ インク入れれば 再生可能」

  「優秀の 機能を持った プリンター 使いこなせず 前のと同じ」

  「アウトせず 電話で対応 アウトした 少し自信の パソコン使う」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○坂本龍馬という男

 死んでから140年も経っているというのに、坂本龍馬の人気は衰えるばかりか益々高まっています。西暦でいうと1836年1月3日に生まれ1967年12月10日死んでいますが、旧暦でいうと天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に死んでいる、つまり誕生月日と没月日が一緒なのです。このことからも数奇な34年間の運命が垣間見えます。坂本龍馬は幕末日本の政治家であり実業家でもあります。土佐藩を脱藩後貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中海援隊を結成し、薩長連合の斡旋や大政奉還の成立に尽力するなど、志士として短い生涯を駆け抜けた人です。竜馬を一躍有名にしたのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」という小説で、大河ドラマの主人公になるなど、むしろ生前より死後有名になった人物で、それらは実際の竜馬の姿とかけ離れているのではないかという指摘も多いのですが、それでも国民的人気を誇っているのは、彼の持つ人間像が今の社会で求められるリーダーの条件を兼ね備えているからかも知れません。

 愛媛県には坂本龍馬が脱藩した土佐から伊予に通じる山道があり、隣町大洲市長浜から小船で山口柳井へと渡っているのですが、そのことをまちづくりに生かせないものかと相談があり、先日友人と坂本龍馬の生き方について話し合う機会がありました。確かに坂本龍馬は歴史上の英雄ではありますが、それくらいのことしかまちづくりの素材に生かせない発想の貧困さには呆れるばかりです。でも坂本龍馬の生き方に学ぶ事は悪くはないと思いました。

 坂本龍馬の人間像、つまり魅力には次のようなものがあるようです。

 ①野心家

 ②夢追い人

 ③大きな発想

 ④開けっぴろげ

 ⑤好奇心が強い

 ⑥弱音をはかない

 ⑦人を動かす

 ⑧問題児を使いこなす

 ⑨反目する人間を見方にする

 ⑩主義でなく実利を結びつける

 ⑪役人をうまく活用する

 ⑫先を読む

 ⑬広い人脈を持つ

 坂本龍馬の魅力を項目で出してみると両手に余るほどの多さです。龍馬の人生の倍の長さを生きているはずの私なのに、その真似など到底出来ぬ多くの魅力が秘められているのです。

 私も坂本龍馬にあやかって、これらの魅力を持てるような人間になれるよう努力してきたつもりですが、残念ながらまだまだ努力が足りません。もう少しだけ頑張ってみようと思うこの頃です。

  「龍馬より 勝ってることは 動く距離 今年も列島 めぐり巡って」

  「龍馬より 勝ってることは 生きた歳 倍に近づく これから先も」

  「龍馬より 勝ってることは 記録文字 次の世代に 何を残すか」

  「龍馬より 勝ってることは 殺される ような運命 絶対になし」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○久しぶりの感動

 私が講演に行く場所の殆どは過疎や少子高齢化が進むどちらかというと、元気がなくなりつつ場所が多いのです。特に限界集落などへ行くと集会所の電気までが点いたり消えたりするような元気のなさが目立つのです。しかも座布団や椅子が用意されても前の方はがら空きで、主催者のあいさつは「今晩は足元が悪くて人の集まりが今一で・・・」と切り出すものですから、余計寂しくなって元気の出る話をしようと意気込んでいったものの、空元気に終わるケースがよく見受けられるのです。

 昨晩は内子町の立山という集落の講演会に招かれました。何度かお邪魔したことがあるものの夜道ということもあって、立川公民館の前で役場に勤める稲葉さんと6時40分に待ち合わせ、7時からの集会に合わせました。事前に聞いていたこの集落の戸数は58戸とか、驚いた事に戸数の人数、つまり限りなく百%に近い60人程の人が時間前に集まり、何と1分前に集会は始まりました。参加人数、時間厳守とただこれだけでも久しぶりの感動でしたが、もっと感動は反応の良さでした。私のように年中出歩く人間は、会場の空気を一瞬にして読み取り、話に反映して行かなければプロとはいえないのです。まだ未熟な半プロで大した仕事は出来ませんが、少なくとも立山の集会の反応は凄いの一言でした。この集落は知的レベルの非常に高い地域のようです。

 会場には知り人の顔も多く見受けられ、「何だ若松、お前は未だにそんな話しかできないのか」と言われそうな緊張感漂う鋭い視線が注がれ、「さすが若松」といわれるような話をしようと必死で話しました。あいにく風邪を患っていたため、多少迫力には欠けたかも知れませんが、それでも90分の仕事を終えた後の別れ際は久しぶりの感動で実が震える思いでした。会場には私と同じ観光カリスマの一人野田文子さんも来られていたそうです。

 集会が終わってから旧友亀田慶孝さんのお家に立ち寄りました。亀田さんとは私が公民館主事として売り出し中の若い頃一緒に公民館活動をやった間柄で、その当時は宇和町の兵頭さん、長浜町の菊池さん、内子の亀田さんとともに主事集団「煙仲間」を組織して酒を酌み交わしながらふるさとづくりについて多いに語った間柄で、公私にわたってお付き合いしていました。その後別の道を歩んだためそんなに多くの出会いはありませんでしたが、お互い自由人となった今こそ親交を温めたいと思った矢先の先日彼から電話があり、昨晩の出会いとなったのです。

(巻き寿司を巻いて歓待してくれた奥さん)

 懐かしい顔の奥さんは私の来訪のために巻き寿司を巻き、水炊きを作って歓待してくれました。僅か1時間程の短い交歓でしたが、今までのこと、今のこと、家族のこと、将来のことなどを胸襟を開いて語り合いました。私の常に2歳前を生きる先輩の生き方を少し真似をしなければならない存在だけに、久しぶりの亀田家訪問はいい機会となりました。お土産に巻き寿司と見たこともないような自作の大きな白菜を4個もいただき、ほのぼのとして帰宅しました。

(私の一歩先行く旧友亀田慶孝さん)

 わが家に帰ってから妻といただいた巻き寿司を食べながらお茶を飲み、久しぶりに会った亀田家の話をしました。孫3人に囲まれて、集に3日自治センターに勤めながら山里で穏やかに暮らしている姿は羨ましい限りでした。やがてわが家も長男家族が帰って来るでしょうが、いい家族関係の家庭をつくりたいと思いました。

  「自立した 地域を訪ね 話する 戸数同数 参加に感動」

  「参加者の 笑顔が嬉しい はね返り 心ほのぼの 別れを惜しむ」

  「自立とは 自律なんだと わが事を 引き合いに出し 熱弁語る」

  「旧友も 山里暮し 板につき 幸せそうで ひとまず安心」

  

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○南海放送ラジオ出演

 最近私のスケジュールをコントロールする場所が出現しました。といっても急に出来た訳ではなく以前からあったえひめ地域政策研究センターという場所です。私はえひめ地域づくり研究会議という小さな団体の代表運営委員を20年近くも務めていますが、その事務局がこのセンターにあるものですから、私が現役の頃からリタイアして自由人になった今日までも、私の触覚として働いてもらったし今も働いてもらっているのです。そんな古い付き合いもあってセンターとは良好な関係を保ってきました。

 昨年はこの研究会議が発足20周年を迎えたため、記念行事を数こなすためスケジュール調整を随分してもらいました。20年で一区切りと退任を決意していた私でしたが、来年度に愛媛県で行われる地域づくり団体全国交流大会が行われるため、実行委員会が組織され行きがかり上抜き差しならぬこととなって、続投になってしまいました。そのスケジュールは既にコントロールされていますが、国土交通省の観光カリスマに選定されていることもあって双海町で今秋開いた観光カリスマ塾の現地事務局を無理を言ってセンターに置いてもらったため、そのスケジュールもコントロールしてもらったのです。

 かかわりの深いセンターには馴染みの深い研究員も沢山いて、大学での講話をお願いしたり、舞たうんという機関紙に連載記事を書かせてもらったり、私のスケジュールは今はセンターなしでは考えられないほどになっているのです。

 先日、清水研究員から唐突に南海放送ラジオの出演依頼が舞い込みました。テレビ向きでなくラジオ向きの顔をしていることもあって、一も二もなく引き受けましたが、その内容たるや先日カリスマ塾でやった夕日寄席をラジオでやるというのです。ディレクターはかつて夕やけコンサートでお世話になった乗松さん、DJは林さんというこれまた夕やけコンサートで世話になった人なので、気心知れている気安さから出演する事になりました。

(初舞台を踏んだ11月16日の観光カリスマ塾公演風景)

(めくりも高座のための移動舞台も立派に出来ました)

 午後1時35分から僅か10分間の出演でしたが、先週に清水研究員が出演して予告をしていたため、県内や町内から「あんたラジオで落語をやるそうな」と声や電話をかけられ、前人気は上場でした。

 道後にあった南海放送がデジタル時代に対応するため南海放送本町会館へ移ってから、度々テレビには出ているものの全て録画編集だったため、初めて放送局へ出かけました。ラジオ放送のスタジオはオープンスタジオ的な雰囲気で喫茶店の中で話しているような感じでした。慣れているので別にリハーサルなどすることもなくいきなり本番です。清水研究員が渡していた出囃子で私の落語ならぬ落伍のお喋りが約4分出ました。その後林さんと楽しいお喋りを5分間やって、あっという間に終わってしまいました。

 その間、戒田アナ、矢野ディレクター、江刺アナ、ララナカヤディレクターなどなど、懐かしい顔見知りの方々が次々見えられ近況を話しました。

 観光カリスマ塾の一プログラムとして始めた落伍と落伍ライブが思わぬ広がりを見せ始めました。私の書いた高座本「夕焼け徒然草」という本もまだ一般には出回っておりませんが、読んだ方々からは好評を得ています。始まったばかりのまちづくり落伍ライブは清水研究員や松本研究員の後押しで仕上がったものだけに、これからも彼ら言うがまま、甘んじて泳がさせてもらう事にしようと思っています。

 来春馬路村の木下課長さんからお声がかかっている講演会もひょっとしたらそんな悪ふざけで望んだ方が良いのかも知れないと、一人ニヤニヤしています。

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○着払いの贈り物

 先日私のパソコンに一本のメールが入りました。高知大学の学生である堀川奈津さんからです。堀川さんは高知大学に通いながら地域づくりのお手伝いに高知県奈半利町へインターン制度で入っている女性です。私の町双海町出身であることや、まちづくりの講演会がきっかけで知り合い、夏休みや春・冬休みで帰郷の際にわが家へやって来るほど熱心な方で、派遣された奈半利町では「なっちゃん」の愛称で呼ばれ重宝されている姿を見ると、双海町出身だけに思わず嬉しくなるのです。彼女は変わった経歴の持ち主で海外留学の経験もあり、普通の女性にはない研ぎ澄まされた感性を持っていて、未完の可能性を感じるのです。

 メールには彼女が入植している奈半利の山里で、自分が初めて作った米を食べてもらいたいというのです。多分私以外にも食べてもらいたい人が沢山いて、その「贈り物を届けたくても送料が高くて」ということだろうと思い、返信のメールを返しました。

 後日わが家に小さな贈り物が届きました。宅配業者は済まなさそうに「着払いなので千円申し受けますがよろしいですか」と断りを入れ、代金を受け取って帰って行きました。中を開けてみると米に加え柿とサツマイモが入っていました。彼女らしい便りが添えられていました。その日は私が出張するので食べることが出来ず、後日の試食となりました。ご飯に焚いて食べましたが、安心安全という思いのこもった、しかも作った人の顔を浮かべたご飯は特別な感じがして、妻と二人であれやこれや彼女の話を肴にして楽しく食べました。

 彼女は今年は確か4回生ですから来春は順調に行けば卒業の予定です。「冬休みには帰郷するので話に行きます」というメールに、「何か考えているな」と思いながら、間もなくやって来る冬休みを待っています。最近は大学で教えていることもあって、沢山の学生に出会うようになってきました。就職がままならなかった数年前に比べ、景気回復を反映してか就職へのアドバイスは減ってきたようですが、それでもまちづくりに関心を寄せる学生は増え続けて、卒論のテーマにまちづくりを選んでいる学生は沢山いて、指導をしている学生も数人いるほどです。時代は少しずつ動いているようです。

  「着払い 若者らしい 発想に 届いた荷物 開けて驚く」

  「作り人  顔を思いつ 箸進め 秋の夕暮れ 妻と会話す」

  「美味かった 返信メール 打ちながら 秋の深まり 風の便りを」

  「この頃は 学生たちと めぐり合う 卒論指導 頼まれたりして」


 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○みかんが美味い

 私の住んでる愛媛県はみかんの産地で、和歌山県と1~2位を争うほどです。近年は和歌山にトップの座を奪われていますが、それでも秋から冬になると山全体がオレンジ色になり、美味しいみかんが沢山取れて果物好きな私としてはいい所に住んでいることの幸せをしみじみ味わっています。

 わが家はかつて半農半漁といわれるように、漁業と農業を兼業のような形でやっていました。兼業と言っても漁業が主でしたから、農業はそんなに手広くやっていた訳ではなく、4~5反程度の作付けでした。それでも母親は兼業のため忙しく働いていて、この頃になると寝る間を惜しんで働いていました。そんな母親の手助けを子どもがするのは当たり前の時代でしたし、親も子どもの役割をしっかりと受け止め小さな労働力に感謝の日々でした。学校から帰ると居間の黒板に母親が、「学校から帰ったら玄関横の背負子に肥料を荷造りしているので、池窪の畑まで来るように」と書かれているのです。遊びたい少年時代でしたから、時には見て見ぬ振りをして遊んで叱られたこともありましたが、それでも片道20分もかかる急な坂道を思い荷物を背負ってみかん畑に行ったものでした。道沿いのそこそこの畑には畑仕事で働く人が沢山いて、「坊は偉いのう」と褒められたりしながら、畑に着くと母は既に私の荷物を用意していて、そのみかん箱をまた背負子にくくりつけてもらい、みかん畑から元来た道をわが家まで引き返すのです。足が笑ったり、途中で腰を掛けて休んだりした場所を時折見る度に、昔日の懐かしさが蘇えってくるのです。

 みかんを食べる度に今は亡き母を思い出すの加齢のせいでしょうか。最近はみかんを食べなくなったとよく言われます。多分みかんしか食べるものがなかったから食べただけかも知れないと思うのです。私たちが子どもの頃は篭一杯のみかんもあっという間になくなるほど食べました。子どもの手はみかんを食べ過ぎてまるで黄疸ではないかと見まがうほど黄色くなっていたものでした。

 今はみかん以外のお菓子類が沢山あって、みかんに手を出す子どもは殆どいません。みかん産地ゆえにみかんが珍しくないからかも知れませんが、全国何処へ行ってもそんな話しを聞くのです。

 愛媛県に朝フルの会とというのがあって、私の友人たちがその運動を熱心に展開しています。昔から「朝の果物は金」といわれるように、朝の果物は健康に飛びっきりいいそうです。特に朝の空腹時に新鮮な果物を取ると美容にもいいそうで、無理してダイエットをする現代ですが、朝果物だけで過ごすと何と何と痩せるというのです。朝フルの会員さんはものの見事にその事を実証されているのですから、騙されたと騒ぐ高いダイエット食品などに惑わされることなく絶対にやるべきです。

 今は産地だけあってみかんがとても安く売られています。今年は夏の水不足もあって美味しいみかんに仕上がっていて、朝フルを始めるには最適かもしれません。果糖だとか言われて、果物が糖分の取り過ぎだとかいわれますが、朝フルの正しい知識を持ったら、たらふく食べても痩せるそうです。一度お試しを。

  「秋みかん たらふく食べて 太らない? 正しい知識 食べ方工夫」

  「食べる度 亡き母思う 今頃は あの世の何処を 旅しているか」

  「美味いねえ 愛媛みかんは 日本一 味を送った 北国便り」

  「お百姓 みかんが安いと 嘆いてる 人に任せて 自分は何も」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○丸亀市からのお客様

 先週の土曜日、香川県丸亀市飯綾商工会の皆さんが双海町へ視察にこられました。前日からの泊り込み研修を早朝に引き上げてお約束の10時30分まではまだ少し時間があるだろうと準備をしていると、既にバスが到着し早々と研修がスタートしました。時間に遅れる団体はげっそりしますが、時間を早くする団体は珍しく、こちらも気合を入れて予定の1時間ばかりを話させてもらいました。双海町視察の動機は、私が7月19日に香川県商工会連合会の招きで講演したことがきっかけのようでしたが、商工会も市役所も土曜日は休日とあって視察の受け入れが出来ないと断られたため、私に直接電話がかかり、私も午前中は伊方町での特産品開発フォーラムの帰路に着き時間でしたが、朝早く切り上げて対応したという訳です。

 しかし最近特に感じることですが、土曜日や日曜日は役所や団体に勤める職員は休みであることは充分理解できるのですが、相手たる人たちにとっても土日は日程が空くため、視察に行きたい日程なのです。観光にとってこのミスマッチは視察に来る人に合わせない限り効果が出ない事を、その仕事に携わる人たちはもっと心がけるべきではないかと思うのです。残念ながらそうした使命感もなければ緊張感もなくて、自分に相手を合わせようとしたがるのです。

 今回はたまたま私に電話をかけるという相手の配慮で、バス1台のお客をゲットしました。視察研修ですから資料は配らなければならないし、トイレは使われるし、余り実入りがないとお思いでしょうが、その点丸亀市飯綾商工会の方々はしっかりとわきまえていて、昼食を道の駅のレストランで食べていただきましたし、ジャコ天やお土産もどっさり買ってもらったと、特産品センター界隈のお店からお礼を言われました。

 「地域の活性化のためには」などと大上段に振りかざして立派な御託を並べるのもいいのですが、足元の行動が伴わなければバス1台のお客は両手の指の隙間からどんどん逃げてゆくのです。

 先日地元紙が「夕日の博物館苦戦」という記事を書き、波紋を投げかけました。取材を受けた担当課のコメントが載っていましたが、まるで他人事のようでした。少なくとも私は夕日のミュージアムの名誉館長ですから、取材を受けさせて欲しかったし、もっとましなコメントを発することは出来たと思いました。こうして書いたブログ記事も病まれることもなく、ましてや対応することもなく聞き流し情報、見てみぬふり情報となってゆくに違いないのです。

 でも私は、このシーサイド公園を造った張本人ですから、誰が何と言おうと思い入れを強く持って、土日や夜など関係なく集客に努力していく覚悟であることは宣言しておきたいと思っています。

 今日も10人ほどが双海にやって来ます。昨夜来の風雨で海岸に沢山のゴミが漂着し、景観を損ねているようなので、朝早く散歩のつもりでシーサイド公園の清掃をやりました。運悪く雨が降っていましたが、運良く河童を持参していたため濡れなくてすみました。妻からは「風邪の症状がまだ回復していないのに」と、散々小言を言われましたが、不思議なもので暖房の効いた部屋では治らなかった風邪が、潮風や寒風に晒され少し良くなったのですからおかしな話です。要は病気は気からでしょうか(笑う)。

  「久しぶり 海岸清掃 雨の中 風邪の薬か 少し快方」

  「土日など 視察は駄目と いう役所 交流人口 増やすというが」

  「バス1台 私が対応 するだけで 飯と土産が 転がり込んで」

  「思いなき 人だと客は 逃げてゆく 人もお金も 愛さえあれば」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人権・同和教育に招かれて

 先日伊予市の人権・同和教育に招かれ出かけました。「このところ人権や同和教育の現場から遠ざかっているので講師を辞退したい」とお断りをしたのですが聞き入れてもらえず押し切られ、しぶしぶ出かける事になりました。しかし、人権や同和と聞いて臆するようではまだ偏見が残っていると取れれても仕方がないし、どうせやるなら思い切って話そうと、柄にもなく資料を用意して積極的な参加となりました。この学習会は月1回のペースで1年間を通して学習しており、人権同和のスペシャリストである米田先生が何度も講義をしているので、私はもっと別な方法をと考えました。そこで考えついたのが笑売啖呵です。私は毎日ブログを書いていますがその末尾に4首ずつ笑売啖呵を添えています。まあ俳句の世界でいうと川柳のようなものです。これは私が編み出した独特のものなので、私が勝手に名前を付けた本家で家元?なのです。

 この日のためににわか作った7首を加え37首を用意しました。本当は40首を予定しましたが、私の話を聞いて38、39、40番目を参加者に作ってもらおうと思って、意識的にその番号を空白にしたのです。

 1-①汗をかき ゴミ掃除する われを見て あんたも勉強 せんとあの人

 この句は私がシーサイド公園の人工砂浜を掃除をしていて本当にあった話です。その日私は前日が日曜日で多くの海水浴客が訪れたため、普通の朝より早い朝4時から掃除に出かけました。粗方のゴミを集め終えたので空き缶を持って階段式護岸を汗をかきながら登っていました。そこをトイレに行く親子連れが通りかかりました。若いお母さんと子どもはまだ小学生という感じでした。お母さんはその子どもに綺麗な海水浴場である事を話していましたが、突然私を指差し小声で「あのおじさん見てごらん。朝も早くから起きて汗をかいてドロドロになって、あんたも勉強しないと、あのおじさんのようにゴミを拾う人になるよ」と言って聞かせているのです。ゴミを拾う私は勉強しなかったからゴミを拾っているのでしょうか。何気ない親の一言が職業差別を生んでいるのです。職業に貴賎はないはずです。もしこの親がこのおじさんの行動があるからこの砂浜は美しいのだと褒めるなら、どれ程の環境教育になることでしょう。

 1-②モンペ履く おばさんすかーと イヤリング いつの間にやら 奥さんオホホ

 これも人の値打ちを外見で決めるような一句です。田舎のおばちゃんはモンペを履いて地下足袋、頭には日除けの赤頭巾ちゃんのような帽子を被ります。そして田舎のオープンカーと呼ばれる軽四トラックに乗って行動するのです。そんな折は恥も外聞もなく田舎の言葉で話し大笑いをします。ところがどこかへ出かけることがるとスカートを履き耳には重たいくらいのシンチュウの光物を付けて出歩くのです。まるで唐辛子を塗ったような口紅で厚化粧したその口元をとがらせ、手を添えてオホホと都会笑いをするのです。まさかあの田舎のオープンカーに乗っていた同一人物とは思えない、田舎を隠す標準語の仕草です。田舎に住んで何が悪い、方言のどこが悪いと言ってやりたい自己変革の意識をどこかで変えない限り、自分を都会という一見格好いいものにカモフラージュして生きて行かねばならないのです。

 4-①絶対に 言うなと言うと 言われんと 次々広がる 噂の話

 「ここだけの話なので、あなたにしか言わないので絶対人には言わないでね」と、根も葉もない噂話が広がって、自分の知らない間に村中噂が広がることが往々にしてあります。その噂の震源を辿ってゆくと殆どの人が「言ったらいけない」と口止めして次の人に言っているのです。「それは事実無根だ」と止める勇気を持つべきなのについつい口車にのって噂を広める片棒を担いでいる事になるのです。真実と違うことや言ってはいけない事をしっかりと見極め、言っている人をなだめる様な勇気ある人になりたいものです。

 今までの学習はどちらかというと、聞くこと、読むこと、見ることに集中したものが多かったように思います。これは受動的な学習で、書く、喋る、実践するといった能動的な学習に変化させてゆかないと心の変容は望めないと思いました。講義が終わって早速皆さんに笑売啖呵を作ってもらい発表してもらいましたが、中々の秀作が出来ていたように思いました。

  「話し聞く 学びだけでは 進化せぬ 能動的な 学びが欲しい」

  「沢山の 人集まりし 集会に 私の持論 啖呵に託し」

  「参加者の 中に馴染みの 人ありて 笑顔で反応 嬉し恥かし」

  「暗闇に 灯りの点きし 集会所 難し話 笑って話す」

[ この記事をシェアする ]