shin-1さんの日記

○滋賀県米原市へ行って来ました(ルポ・②)

 滋賀県米原市とのご縁はもう7~8年も前に遡ります。合併する前の山東町は国の天然記念物に指定されているホタルの生息地ですが、ホタルの保護活動のネットワークを作ろうと全国の自治体に呼びかけてワーキング組織を立ち上げました。その中心になっていたのが山東町でした。この会は全国持ち回りで会場を移して勉強会を行っていましたが、そのご縁で世話をしていた教育委員会のの中川澄子さんと知り合い、そのことがご縁で同じ教育委員会に勤める坪井さんとも知り合ったのです。旧山東町には生涯学習センターのような施設があり、その施設の名前を取って、地域づくりの勉強会をするのルッチ大学なのです。学ぶ意欲の旺盛な方々が参加していて、私も毎年のように講師のひとりとして招かれましたし、ルッチ大学の修学旅行に双海町をご指定いただき、深い深いご縁となったのです。

 今回のルッチ大学も、9月8日に面々が双海町へこられそのお世話役が藤田女史なのです。この手の塾のような学習組織は行政の後押しがなければ中々続かず未熟・半熟・塾々で終わってしまうのですが、中川さんや坪井さん、藤田さんの努力で合併後もここまで続けられた成果は凄いと思うのです。

 この日の集会は午後7時30分から始まりましたが、坪井さんと中川さんが表敬にやって来てくれました。中川さんは定年を待たず合併を機に退職し勤労青少年ホームの館長として指定管理者制度の一翼を担っているようでしたし、坪井さんも合併後2年半、市長の秘書をしていたそうですが、今は健康福祉部こども家庭課の参事として活躍しているようです。合併という大きな時代のうねりの中に飲み込まれ色々あるようですが、退職後自由人になっても臣下を目指している私の姿を見ていただくのが一番と、三人で束の間の積もる話をしました。二人は私の話を聞いていただき恐縮しています。

 ルッチ大学で、藤田女史から私に与えられた講演テーマは「地域改革の仕掛け人に学ぶ」でした。私のこれまでの地域づくりの取組について、また今後目指している方向について話し、また現代課題についてみんながどう向き合っていくべきか、全国各地を講演で回っている中で出会った事例を交えながら話して欲しいということでした。

 二日前わが家にやって来た孫が置き土産に置いて帰った風邪を映され少し熱っぽい感じがし、心配しましたが、どうにか勤めを終えることが出来ました。

 私は今日午前中と午後、それに夕方は大学の授業があるので、泊まることが出来ず、米原から新幹線に乗って広島へ出て一泊し、早朝広島から高速船で松山に渡り、飛行場の駐車場に止めていた車を取り戻し、今日の全てをキャンセルすることもなくつないだのです。

 本当はルッチ大学のみなさんともっとディスカッションがしたかったし、中川さんや坪井さんとも話がしたかったのです。加えて藤田さんとも交友を深めたかったと積んだスケジュールを組んだことを大いに反省しました。またいつの日か巡り合いたいものです。

  「遠い土地 思っていたに 近くなる 人のつながり 更に身近に」

  「後ろ髪 引かれる思い 残しつつ 新幹線で 夜道急ぎぬ」

  「スケジュール これほど込むと 疲れます 今しか出来ない 焦燥感じ」

  「合併の 愚痴を聞きつつ 日本中 旅して見える 自治とは何か」

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shin-1さんの日記

○滋賀県米原市へ行って来ました(ルポ・①)

 生まれてから今日まで、風光明媚な瀬戸内海を見続けている私にとって、日本一の湖といわれる琵琶湖の景色はそんなに珍しいものではありませんが、それでも行く度に新しい発見があって、訪れる度にどこか懐かしさを覚えるのは、琵琶湖周辺に暮す知人友人が増えたことや水の持つ魅力なのでしょう。

 本来なら伊予市双海町(車)~松山空港(飛行機)~大阪伊丹(バス)新大阪(新幹線)のルートを経て米原市へ行くのでしょうが、男時とでもいおうか伊丹からのバスが大阪駅に着いたこともあって、時間もあるし思い切って大阪発新快速に乗ってのんびり琵琶湖の東線を走る事にしました。大阪駅14時30分の列車に乗る前、担当の藤田女史にメールで聞いていた携帯番後に「15時51分に米原駅に着くので迎えを頼む」と連絡、藤田女史からは「気をつけて起こし下さい。米原駅には東と西口があるから東口に降りるように」と指示され、比較的空いている電車に乗り込みました。この日は雨こそ降らないもののどんよりした曇り空の天気で、夕闇を感じさせるような雰囲気でした。隣に乗り込んだ中年の女性が私のカバンを目敏く見つけ、「まあ珍しいカバンをお持ちですね」と話しかけられ、本を読みながら車窓を眺める予定だったのに、女性ゆえの嬉しさか名刺を好感するまで親しくなり、「袖すり合うも何かのご縁」とばかりに話し込みました。彼女は彦根駅で降りたため次の米原駅で降りるようにご指導を受け、間違うこともなく下車しました。

 東口には藤田女史が待ち受けていました。彼女とは今年9月8日にルッチ大学の学生とともに人間牧場を訪ねて以来の出会いとなりましたが、第一印象は今まで会った女性の中ではかなり知的な女性で、そこら辺の役所の女性とは違うなという印象でした。というのも今回のルッチ大学への私の招聘が間近に迫ってから、「遅い夏休みを取ってドバイへ行って来ます」と突然言うのです。中近東のあのドバイです。驚きましたが迎えに来た姿にはそんな勇気を微塵も感じさせないおしとやかさで、私にも真似のできない勇気にただただ感服したのです。

(手づくり公園の入口に建てられた臥龍公園の記念碑)
(狢会の広報板)

(中心施設である茅葺の立派な家)

(足湯、これも手づくりだそうです)

(公園内には親水広場まで作っていて水車もありました)
(公園内は広くて運動場まであるのです。凄いですねえ)
(左のケースに入っているのが狢という動物です)
(囲炉裏を囲んでの語らい、左が代表の堀内さんと藤田女史)
(熱弁を振るう事務局長さん)
 電話では少し聞いていたのですが、「早めに着いて時間がるようだと見て欲しいものがる」というので、狢会(むじなかい)の拠点である手づくり公園へ案内されました。いやあ案内されて驚きました。荒れた土地を開墾しそこを手づくりの公園にしてるのです。拠点の家は茅葺の本格的なもので、講演の中には水車や中庭、植栽も様々な樹木が植えられていました。堀内さんという代表と事務局長さんが、茅葺家の囲炉裏に火を入れて待ってくれていましたが、私の目指す人間牧場のような施設が既に完成しているのです。14、5人のメンバーが手弁当で平成12年ごろから作り上げたという施設は素人とは思えない手の込んだものでした。臥龍公園と名付けられた名前にも興味を持ちました。愛媛県に大洲という場所があります。そこには臥龍山荘という立派な建物があります。大洲は近江聖人中江藤樹先生の教えが色濃く残っている街なので、近江と伊予の不思議な結びつきを感じました。藤田女子の持参したヨモギ餅を焼いて食べながら話す堀内さんの話は実学だけに面白いものでした。お陰で昨日はとっても得をしたような感じがしました。

 私は只今のところ一年中全国を旅していて、行く先々で色々な人に会いますが、臥龍公園やそれにまつわる人の話はいいお話で予想もしなかった出会いだけにこれからも交流したような感じがしました。ただこうした取組は自己満足に終わる危険性があったり、学びの場を忘れると伸び悩むので、今後の活動に期待したいと思っています。

 ところで、「同じ穴の狢」という言葉がありますが、浅学な私は「狢」という動物を見たことがありませんでした。茅葺屋根の囲炉裏の部屋に「狢」の標本が置いていました。狸ともハクビシンとも思えるような風貌で私を温かく迎えてくれました。「狢会」という集団名にも納得しました。集落の荒れ地を開墾し、ユートピアを作ろうとする姿に、これぞまちづくりという印象を持ちました。

  「見たことも ないよな狢 目の当たり 一つ利口に 知恵を授かる」

  「あき深し ヨモギ餅焼く 囲炉裏端 夜のとばりが 茅葺包む」

  「遠近く 雪を抱きし 伊吹山 暖取る囲炉裏 赤々燃えて」

  「今回も 達人たちに 出会う旅 ほのぼのとして なお去りがたし」  


 

 

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