shin-1さんの日記

○満5歳になりました①

 昨晩から長女の家族が泊まりに来ていてわが家は何かと賑やかです。長女の旦那は大学に勤めていますが、最近は何かと出張が多く、その度に長女は子ども二人を連れて里帰りをするのです。次男は5月に生まれてから順調に成長しているようですが、昨日から少し風邪気味で鼻水とよだれでよだれかけは今日だけでも6枚は取り替えるなど、子育ても大変なようです。それでも長男は11月23日建国記念の日が誕生日で、日本国中が日の丸を掲げて祝ってくれるような錯覚にとらわれるお目出度い日に生まれているのです。その誕生日は娘婿の出張とかで既に家族では終わっているのですが、わが家でそのパーティをやろうという企画があって、長男夫婦も昼過ぎに生まれて2ヶ月余りの子どもを連れて帰って来ました。長女の次男と長男の長男、つまり二人の赤ちゃんがいるものですから、発の巣をつついたようにまあ賑やかだこと、想像を絶するような賑やかさです。

 私たち夫婦は二人とも休みだったこともあり、今日はこの二人に加え、今日で5歳になる長男のお守りに徹する事になりました。長女がいうように「自分たちが子どもの頃、お父さんに遊んでもらった記憶がない」というように、忙しさにかまけてまったく子育てに参加していない後ろめたさもあって、今は孫育てに深く関わっているのです。

 今朝は早朝ちょっとしたハプニングがありました。孫の朋樹が朝からぐずって中々いう事を聞かないものですから押入れに入れました。孫は何よりも押入れが怖いようで、「言う事を聞くから」と詫びましたが、その後遺症で誕生日だというのに朝からギクシャクしてしまいました。少し機嫌が直ったので誕生日のプレゼントを買いに行くことになったのですが、叱られたことが悪いと思ったのか、えらい機嫌のとりようで、すっかり仲直りをしました。

 孫は誕生日に当たり買ってもらいたいプレゼントを決めていて、フジの本屋さんにはそのお目当てがなく、はる屋という本屋へ出かけました。孫が欲しがっているのは虫の図鑑だそうで、探すのに一苦労しましたが、800円前後のカード式になっている図鑑です。中には100種類以上の虫たちのアップの写真が載っており、大人の私たちが考えれば「えっ、なんでこんな本なの?」と思うのですが、おもちゃでも恐竜でもパソコンでもない「虫の図鑑」とはいやはや驚きました。

 孫は早速帰りの車の中でこの図鑑を開けて盛んに読みふけっているのです。ポケモンとかいうマンガのお陰でカタカナも読めるようになって、たどたどしい日本語で虫の名前を読んでいました。

 今日は孫の誕生日といいながら大人の都合で焼肉です。私はその献立が余り好きではないので、朝から憂うつでしたが、妻は私のためにちゃんと魚料理を用意してくれました。

 今日5歳になる孫は只今9つのポケットを持っています。両親、私たち夫婦、大阪のおばあちゃん、長男夫婦、それにまだ結婚していない私の子ども二人を会せると9人になるのです。これまで物心付いてから今日まで約3年間その9つのポケットは正月や誕生日などに全て満タンになるほど独り占めしてきたのです。来年から弟の誕生や息子の息子の誕生によってポケットの独り占めはできなくなりましたが、それでも今日ばかりは鼻高々の一日でした。

  「九つの ポケットいっぱい 詰め込んで 一人占めする 孫誕生日」

  「虫図鑑 買って欲しいと 梯子する 本屋の棚に それを見つけし」

  「カタカナを たどたどしくも 読めるよに なって図鑑の 虫の名前が」

  「叱られて 押入れ入れられ 大声で 助けを求め 昔の俺も」

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shin-1さんの日記

○砥部町楽学大学に招かれて

 県女性総合センターの所長をされていた頃からの知人である井伊磯子先生が代表を務める、砥部町楽学大学に招かれて昨夜出かけて行きました。2年半前までは同じ伊予郡だったため、青年団時代から深いご縁のあった砥部町ですが、合併後はそのご縁も切れて、知人友人はいるものの仕事で行くことは滅多になくなりました。それでもそこここに思い出がある土地なので懐かしく感じれレました。

 そもそも私の話は最初6月の20日に予定されていましたが、愛媛大学の小松正幸学長さんの話が入り、加えてこの日が水曜日で私の大学講義日であるため、11月22日に変更となったのです。それにしても町民自らが運営するこの講座は井伊先生の思い入れもあって楽学という珍しい名前がついていて、何かワクワクするような気持ちになりました。この講座への私に対する講演依頼は、日銀松山支店に事務局のある県の金融広報委員会で、金融広報アドバイザーとして長年活躍されてきた丹佐杜子さんからの第一報でした。彼女とは同じアドバイザーとして長年活動に関わってきた間柄だし、井伊先生とも旧知の間柄なので断る理由もなく喜んで馳せ参じました。

 集会には松山近郊らしく知識人も多く参加して、かなりレベルの高い塾とお見受けしました。私も仕事柄年中この手の集会に招かれますが、会場に入った瞬間感じられる阿吽の呼吸でその集団の持つ気風が感じられるのです。

 この日は大学の最終回とあって和気藹々でしたし、年五回の皆勤賞の表彰を受ける人が殆どでした。また帰り際には女性総合センターに勤めていた青井さんからワインをプレゼントしてもらったり、その日会場を飾っていたお花を丹さんから手渡されるなど、思わぬハプニングに心がジーンとなりました。

 会場には旧広田村から参加した人もいましたが、中に私の同級生が駆けつけてくれていました。この方は私が高校生の頃文通をしていた同級生です。宇和島水産高校に進学した私にとって、彼女からの便りは強い励ましとなったことはいうまでもありません。男子校だっため、彼女からの便りは仲間から随分羨ましがられたものです。高校を卒業して私が帰郷してからは音信が途絶え、3年前還暦の中学校同窓会の幹事をした折、住所の確認のため彼女の家に電話しましたが、ご主人を亡くされて間もない時だったことを電話で知り、昔の思い出を語り合うような雰囲気ではなかったことを今も忘れることは出来ません。その後何度か手紙のやり取りもあったようですが、私の忙しさが昔への回帰を拒んでいたようにも思えるのです。

 お互いそれぞれの道を歩み、それぞれが時代の流れに翻弄されながら生きてきました。願わくば一度お会いして話がしたいと思っていますが、あの集会では声を掛けるのがやっとで、後ろ髪を引かれる思い出会場を後にしました。でもいい一夜でした。明くる日の今日、井伊先生から留守中と在宅中に二度もお礼の電話があり恐縮しました。私は今朝起きて直ぐに先生と丹さんにお礼のハガキをしたためて午前中投函していたので、ホッと胸を撫で下ろしました。

  「楽学と 何ともおもろい 名前付け 学ぶ姿に いやはや感動」

  「偉ぶらず 今も社会に 尽くす人 見習いたいと 今も残像」

  「文通を していた彼女 会場に 少し照れたが 知らぬふりして」

  「昨晩も またいい人に めぐり合う こうして成長 これから先も」

 

 

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