shin-1さんの日記

○伊予市の職員組合に招かれて

 今晩は伊予市の職員組合に招かれて小さなシンポジウムに行きました。えひめ地域づくり研究センターへ伊予市役所から出向している松本研究員によって働きかけられ実現したものですが、それにしても面白い顔ぶれが揃いました。伊方町の塩崎さんと西条市の近藤さんは、私と3人でえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員であるし、コーディネーターを務める岡崎さんは事務局長なのです。この4人が同じステージに上がるのは後にも先にも初めてとあって、面白い企画だと、この話を持ちかけられた時内心思いました。まちづくりといっても4人ははそれぞれ違った生い立ちを持っていますし、現在の置かれている立場も全然違うので、4人4様それぞれ違った主張があるものと私自身も期待しました。

 今日の集まりはインターネットで流したこともあって、大洲など違う市町村からも勉強に来ていましたし、職員雲組合から市会議員にも案内をしていたらしく熱心な議員さんが4~5名くらい参加してもらっていて、私としては大歓迎なのです。しかし案内した課長以上の管理職は誰一人として参加していないようで、少し物足りなさを感じましたが、それも愛嬌で上滑りな感じは否めませんが、それでも限界集落やオンリーワンのまちづくりについて質問用紙が寄せられるなど、少し突っ込んだ意見が交わされました。

 みんなが強調したかったことは、合併によって末端では様々なひずみが起こっている事に職員としてもっと直視し耳を傾けて欲しいということでした。その上で行政をやらねば信頼される行政にはならないからです。

 「今求められる自治体職員とは」、~まちづくりの視点で語り合おう~、地域住民の繁栄なくして、自治体職員の真の幸福はない、と書かれたこの日の資料がキーワードなのでしょうが、私はふと今年の8月末に職員研修で訪れた東広島市でのことを思い出しました。今朝その時の資料が出てきたものですからカバンの中に入れて今晩の研修会に望みました、そして時間がないので棒読みのような形になりましたが、みんなに紹介しました。

    市役所職員に望むこと

 1、市役所職員である前に一人の人間であること

 2、市役所職員である前に一人の市民であること

 3、市長に雇われているのではなく市民に雇われているということ

 4、市役所の常識は社会の非常識が多いこと

 5、あなたの代わりは幾らでもいるということ(やらにことをやれないというな)

 6、ふるさとを愛し、ふるさとのためにやり、ふるさとをよりよい方向に導くということ

 7、市民の輪の中に入り市民の声に耳を傾けること

 8、あなたにしか出来ない事をやること

 9、今をテーマにせず10年先を見るということ

 10、オンリーワンの日本一を目指すこと

 それにしても職員組合がまちづくりの視点を持ってくれただけでも大きな前進です。伊予市の同じ市民といいながら合併後間もないこともあって、半分以上の職員の顔を知らない私にとって、まちづくりの提案は余りにも多過ぎて、多分言っても消化できないだろうと思っていましたが、こうして話画でいただけでも大きな前進です。これからも共通の認識の上に立っていいまちづくりをしたいと思いました。

 私は愛媛大学法文学部総合政策学科のフィールドワークで、今年は今治市、伊予市、西予市の3市にお邪魔しましたが、住みたいまちづくりと訪ねたいまちづくりという2つの視点で学生たちが伊予市に下した評点や、今治市と西予市のまちづくりの取り組みを聞きながら、やはりいいまちづくりのキーワードは職員の資質だと思ったものです。既に始まっている合併後のまちづくりの胎動が少し遅れていたりレベルが低かったり感じていることを、積極的に介入した方がいいのかどうか、迷っているこの頃です。

  「世の中も 変わったものよ 組合が まちづくりなど 語るのですから」

  「議員来て 課長一人も 来ないとは これまた不思議 困ったものよ」

  「この街を 発展させたい 一心で 乗り込み話す 煙たがられて」

  「有難う 友遠方より 加勢しに 来てくれ嬉し 意見交わしぬ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○仁淀川町への旅

 昨日は木枯らし1号とでも呼ぶべき北西の季節風が吹き荒れて、温かい昨日とはうって変わった寒い一日となりました。このところの忙しさで余りかまってやれなかった孫朋樹を誘って、高知県仁淀川町への小旅行をしました。それというのも昨日は仁淀川町教育委員会から講演の依頼が舞い込んでいて、午後からの会合なので晩秋の33号線沿いを散策する絶好の機会と思ったのです。しかし残念ながら蓋を開けると行楽とは縁遠い寒い一日になってしまいました。

 妻と三人のデコボココンビで行き当たりばったりの旅に出かけた先は、まず面河渓谷でした。久万の町を過ぎて美川の軍艦岩を右に見ながら石鎚スカイラインの入口まで走りました。途中面河の茶屋で一休みし、沿線に植えられた見事なまでのもみじの紅葉を満喫しながら、田楽やトウモロコシを食べました。

 途中何度も沿線の見事なまでに紅葉したもみじを満喫するため路側帯に車を止め、その都度孫は袋を持って戸外へ出てもみじの美しい葉っぱを拾って袋の中に入れて行くのです。「このもみじは何で赤くなるの?」なんて質問にたじろきながら、賑やかな会話を車中で交わしながら、行く秋を体一杯に感じ取りました。

 愛媛の景勝地面河渓も相次ぐ不況や高齢化で、かつての活気ある姿は既になく、あちらこちらのドライブインも閉めて久しい感じがしました。この道を通る度に旧友の菅務さんを思い出します。彼は意思半ばでガンで亡くなりましたが、この茶屋を作るときも色々なアドバイスを求めてわが家へやって来ました。特産品販売所である茶屋が出来たときの喜んだ姿は今も忘れることができません。茶屋のおじさんにその事を話すと菅さんの話に花が咲きました。

 茶屋のおじさんの忠告どおり面河渓谷のもみじは既に散っておりました。紅葉狩りを当て込んだ観光バスも先を急ぐように走っていましたが、風に吹かれて散ったもみじにガッカリしたのか、早々と下りてきているようにも見えました。それでも面河渓谷は雄大な姿を見せていました。

 昼食は何処で何を食べるか車の中で孫と妻に聞くと異口同音に「ソバ」でした。それなら吾川村の、いや合併したので仁淀川町の観光センターでと、大きなダムの堰堤を走ってダムを見下ろす高台にあるセンターへ立ち寄りました。食堂に入ると顔見知りの双海町の人が数人既に食事をしていました。懐かしく談笑しながら食事を注文しましたが、残念ながら孫のお目当てであったザルソバはありませんでした。でも温かいソバで体を温め孫も満足なようでした。私たち夫婦は旅をする時、特に講演などに行く時は必ずその土地へ感謝の気持ちを込めてお金を落とすように心がけています。食事もそうですが、特産品の買い物もガソリンもその土地で調達するのです。些細なことですが、それも気配りだと思っています。しかし昨日は弱ったそうです。ガソリンスタンドが一軒も開いていなくて、結局は遠い向こうの町へ入れれニ行く羽目になったとか。まあ時間的余裕があったので一件落着です。

 この日の集会は中学生の主張と私の講演を抱き合わせる盛り沢山のプログラムでした。

 6人の中学生の主張を聞かせてもらいましたが、どの発表も堂々として私など真似が出来ないと思いました。小さな町だからできるきめ細かな配慮が何よりも嬉しい一日でした。なお私の講演は「地域で育てる子どもたち」という演題で話をさせてもらいました。

  「木枯らしが 吹いてもみじを 散り染める 踏みしめ道を 奥まで歩く」

  「孫の手と よく似たもみじ 足元に 見つけて袋 一杯になり」

  「堂々と 胸張り主張 中学生 俺にもこんな 時代あったな」

  「田舎には こんな素敵な 子どもいる 何故か寂しや 人が減りつつ」


[ この記事をシェアする ]