○届かぬ電話の向こうのマッタケの味と香り
昨日は旧友である松野町の芝さんが教育長を退職されたので、慰労をしようと仲間が数人集まり、松山の共済会館で飲み会をしました。送別会でもなく歓迎会でもなく、自由人になったことを喜ぶ会にしようと、肩のこらない会にしましたが、要は芝さんを出汁にして飲む口実を作ったというのが本音のようです。それでも役場に36年間勤務し、最後は教育長を務めた何処となく私の人生に似ている人の退職だけに、2年半前の自分を思い出すような集会となりました。彼はまちづくりにおいても数々の成果と武勇伝を持っており、その話が聞けるのも楽しみの一つでしたが、残念ながら過去の事をあれこれ言わない性分なので、聞き逃してしまいました。私たちのの人生には幾つもの幕があって、幕が開いたり閉まったりしますが、彼の人生にとっても今回の退職は一区切りの大きな幕のようでした。年齢が2歳歳上のため、絶えず幕を先に引いている私にとっては、少し前の出来事のような気がして、すでに私より先に幕を引いている参加した先輩も、盛んにその生き方をアドバイスしていたようです。
その先輩Aさん役場を退職後、パチンコにのめり込んで二年ほどを過ごしたようです。その後パチンコから足を洗って今は夫婦でゴルフに夢中になっているそうで、奥さんもAさんもシングルさんというのですからいかにゴルフに熱中しているかがよく分るのです。平日だと二人でプレーをしても1万円程度だというのですから、これまでのパチンコ人生に比べると健康的な日々の暮しで、夫婦ともが黒く日焼けしてあたかも人もうらやむいい人生だと自分も周りの人も思っているに違いありません。
そこへ行くと私の人生など超多忙で、未だにまちづくりだの村おこしだのとやっているのですから、一見みすぼらしく思えるようです。しかし私はゴルフをやらないからいうのではありませんが、Aさんの生き方が羨ましいとも真似したいとも、いい人生だとも思わないのです。Aさんがいう、「役場など糞食らえ」「まちづくりなんてナンセンス」という言葉にちょっと首を傾げたくなりました。確かに役場を退職したのですから何の責任もなく、合併して揺れ動く役場などに何の未練もないのは当然かも知れません。しかしAさんはかつてまちづくりや村おこしを堂々と地域住民に説いてきた方なのですから、そんなわがままな発言は、「喉もと過ぎれば暑さわすれる」違和感を感じずにはいられませんでした。
彼がゴルフを通じて付き合っている人は、今まで出会ったことのない領域の人だとも言っていました。確かにゴルフをやる人と私たちのような地域づくり人とはまるで違った人種かも知れません。そう思いながら私の周りの地域づくり人の顔を思い出していました。
酒を飲んでいる真っ最中に電話がかかってきました。四万十市の旧友です。私と、塩崎さんと、原田さんと芝さんが同席しての宴会が不思議だったのかも知れませんが、旧友たちはマッタケが獲れたということで秋の味覚を楽しんでいて、電話の向こうも賑やかな酒盛りのようで、既にメーターは上がっていました。マッタケの香りと味を携帯電話の向こうに感じながら、携帯をみんなで回して長電話となりました。
そういえば今年はまだマッタケを食べていません。正直な話ですが昨年も食べていないような気がするのです。ゴルフにも行けない貧乏人ゆえしょうがないことでしょうが、何年か前に食べたマッタケの味が急に恋しくなりました。そうだ、カナダ産でも韓国産でもいいから、この秋は妻に頼んで小さなのを一本買って、冷凍しているハモを解凍してハモとマッタケの土瓶蒸しでも作ってもらおうか。そんな気がした秋の夜長でした。
塩崎君をシーサイドで下して別れ、和歌山~北海道~福井~愛媛と続いた旅を終え、久しぶりにわが家の人となりました。あー長い旅だったなあ。
「旧友の 退職祝う 酒の席 自由人なる 人また一人」
「お揃いで グリーンを歩く 人もあり 俺など未だ 抜けきれもせず」
「マッタケが 獲れたと一杯 飲む仲間 見せびらかしの 電話の向こう」
「余裕なく ただあくせくと 働く身 されど希望に 燃えつつ今も」