shin-1さんの日記

○北陸の天気

 「気象庁の天気予報も当てにならないな」と、朝起きてホテルの窓から青空を見上げながらふとそう思いました。ところが食事が済んで身支度を整えてチェックインを済ませ外へ出ようとすると、いきなり霰を交えた霙のような激しい雨が振り出し、出鼻をくじかれました。その時は「気象庁の予報どおりだな」と思いました。人間の感覚なんて自分の都合よいように考えるものだと一人苦笑しつつ明るくなりかけた空を見つめているます。午後の集会なのでそこら辺を散策しようと思っていたのですが、あいにくの雨なので、手持ち無沙汰な無駄な時間を有意義に過ごそうと、東横インのロビーで、おしゃべりな地元のおばちゃん数人の話にそば耳をたてながらブログに向かっています。おっつけ鳥取の田中議員さんから視察依頼の電話が入り、また地域政策研究センターの清水さんから明日以降の日程の打ち合わせ電話が入り、ブログを打ちながらの対応となりました。

 「晴れ、時々曇り、所によってにわか雨」なんて言葉がありますが、天気予報は安定した季節を除き特に秋から冬へと季節が変わる今の時期は予報が立てにくいものです。地元のおばちゃんの話だと山陰と同じで金沢や福井辺りでも「弁当を忘れても傘を忘れるな」というのだそうです。今日はそのとおりの天気となりました。

 それにしても今時の田舎のおばちゃんは何かとド派手で、原色に近い洋服を着て、耳には重いほどのお光ものを身につけ、唇はまるで唐辛子を塗っているようです。爪はマニュキアをどす黒く塗って、明らかに家で家事をしていないような出で立ちです。朝早くからホテルのロビーに陣取って延々2時間余り、大きな声で話しているのです。見た格好は仲間で小旅行をしているらしく、昨晩もロビーでだべりこんでいました。利く耳を立てたつもりはないのですが、「ここだけの話だけど」と断って話している話は、旦那の悪口、友人の悪口、近所の悪口が中心でした。「ねえねね聞いてよ。ここだけの話だけど、誰にも言わないでね」とまるでスピーカーのように話していました。

 年齢的には私の妻より少し上でしょうが、私の妻と比較してみました。私の妻もみんなとたむろすればあんな話をするのだろうかと想像してみました。この時間わが妻はリタイアした私に変わって働いています。パートなのでそんなに家計の足しにはならないもののこのおばちゃんたちよりすこしましな生き方をしているようにも見えました。少なくとも旦那や近所や友達の悪口だけはあんなに言わないと・・・・・。

 空が少し明るくなって晴れてきました。さあ出発と思った矢先また雨です。この分だと一日中こんな天気が予想されるので、今日は出歩きをあきらめて会場へ向かうことに決めました。今日の会議を主催する事務局へ電話をしたら、休憩室を手配するとのこと、長旅の手荷物を置いて、少し休みたいと思っています。

  「旅先で 雨にたたられ 足止めを 天気男と 自認してたに」

  「おばちゃんの 人の悪口 聞く度に 犬も食わない いい加減さが」

  「俺の妻 この人たちと 同じかな まるで狸の 生まれ変わりか」

  「さあ行こう 両手に荷物 よいこらと タクシー乗り込む 福井の街へ」

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shin-1さんの日記

○振らないバットにボールは絶対当たらない

 私は仕事柄毎日毎日色々な人に出会います。現職時代は毎月600枚もの名刺を配っていました。リタイア後はさすがに少なくなりましたが、今回の長旅では100枚、つまり一箱の名刺をカバンに忍ばせての行脚でした。だのにその名刺が殆どなくなってしまいました。妻に言わせると「名刺もタダではないのだから」と反論されます。でも名刺は「振らないバットにボールは当たらない」のと同じだと思うのです。

 野球に「見逃し三振」というのがあります。ストライクと思い込んでバットを振らないことをいうのでしょうが、ストライクやボールをやみ雲に振る必要はないにしても、ボールかストライクか分からない球を振りに行く勇気を持ちたいものです。

 この1週間、様々な人に出会い、配った名刺は様々な新たな出会いを生んで行きます。例えば一枚の名刺がご縁で私の元へはたくさんのはがきが届きます。もちろん私もハガキを書きます。この一週間カバンに忍ばせて名刺とともに持ち歩いたハガキを旅先で全て書き終え投函しました。

 木曽福島といえば木曽檜の産地で中山道の宿場町ですが、そこで知り合った大目さんとの再会も実は一枚の名刺からでした。高知県馬路村でこの6月に開かれたまちづくり全国大会で大目さんと名刺交換をしました。200人もの大集会で、いただいた名刺の人などいちいち覚えているものではありませんが、大目さんの名刺は免許証タイプで珍しく、私の目に留まりました。私の名刺も渡辺悦子さんが書いてくれた素敵な似顔絵入りの名刺で、立ち話が講じて私は木曽福島へ公園に呼ばれる羽目になりました。もちろん私の基調講演が大きな要因でしたが、私は200人の中の大目さん空受けた強烈なインパクトで覚えていたのですから、大目さんも傑物といわれる人なのでしょう。

 私たちはいつの間にかバットを振らない人間になりつつあります。失敗を恐れているのかもしれません。また批判を怖がっているのかも知れません。そして見逃し三振をした後に、「あの時振っていたら」と悔やむし、自分がバットを振らなかったのは監督や周りの人のせいだと「やらないことをやれない」といって言い訳するのです。

 私はたとえそのボールに当らなくてもストライクと信じてバットを振り続けます。思い切り振ったバットが空を切り、みっともないような尻餅をつくかも知れませんが、それでもいいのです。バットを振らずに三振するよりもその方がずっとずっと格好いいと思うからです。

 今日も私はヒットやホームランを打つ気概を持ってバッターボックスに立ちます。たとえ三振しようとも・・・・・・。

  「思い切り 振ったバットが 空を切り 尻餅三振 格好いいね」

  「振らないと ボールはバットに 当たらない 買わないくじも 当たるものかと」

  「一枚の 名刺が縁で 再開す せめて一枚 そんな出会いが」

  「旅先で もらった名刺 取り出しつ 駅のホームで ハガキしたため」

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shin-1さんの日記

○元気倍増

 和歌山~松山~東京~北海道~福井と続くこのところの忙しさで、心身ともに疲れていくのだろうと思いきや、中々どうして逆に元気が出るようなのですから人間とは不思議な動物です。正直昨晩は旅の疲れかぐっすり寝込んでしまいましたが、今朝目が覚めると、福井の空は天気予報とは裏腹に、雲の少ない快晴で雲が風でちぎれて飛んではいますが、少々肌寒いものの、私の元気そのままの朝なのです。

 ふと、人間はどうしてこんな逆の現象が起こるのだろうと考えてみました。それは人間の心の持ち方ひとつでどうにでもなるのだという、当たり前の結論に達しました。私はどちらかというとプラス思考の人間です。失敗したり反対されてもそれは仕方がないこと、そんな人も世の中にはいるものと割り切り、極力ポジティブに生きてゆく長年の生き方が作り上げてきた若松進一という男の生き様なのだと思うのです。

 例えば私が手がけて造ったふたみシーサイド公園の人工の砂浜の砂が、北西の季節風で一夜のうちに流れてしまい、多くの方々から「それ見たことか。言わんことではない」と痛烈な批判を受けたのです。普通であれば立ち上がれないほどの大失敗でしたが、私は砂を敷き詰めた流れる前の写真と流れた後の写真、つまり使用前と使用後の写真を持って県や国を動かし、砂を食い止めるための防波堤を造ってもらったのです。その結果砂は流れなくなり、防波堤に「恋人岬」という名前をつけてシーサイド公園の名所に変身させました。もし私があの時に挫折に打ちひしがれて何もしなかったら今のシーサイド公園の発展はなかったのだろうと思うのです。

 また夕日でまちづくりを進めた時も、「何で夕日なのか」と100人のうち99人までが半信半疑で反対しました。でも反対はあるものと割り切ってへこたれず、飽きもせず20年間もただひたすら頑張ってきたのです。その結果オンリーワンながら双海町の夕日は日本一になったのです。

 「仕事は忙しい人に頼め」と言われるように、忙しい人は仕事を上手にやりくりし、量も質も高めてゆきます。この一週間、さまざまな忙しい仕事をこなしてきましたが、自分でも不思議なくらい元気が沸いてくるのです。今朝妻からかかってきた携帯電話では、「そんな過信がまた病気になる」と忠告されましたが、いやいやどうして、今朝は活気がみなぎっているのです。

 私はこれまで2回の大病を患っています。一度は26歳の時転職を余儀なくされる大病でした。その結果公務員になれたのですからおかしな話です。またもう一度は7年前に胆のうを患い摘出手術の結果13キロも体重が激減しました。それでも乗り越えてこられたのは、家族の配慮はもちろんですが、自分自身がネガティブにくよくよ考えず、ポジティブに生きてこられたからだと思うのです。

 「元気は心の持ちようで生まれるもの」だと考え、今日も旅先福井県で元気一杯まちづくりの話を、福井県町村議員研修でお話しする予定です。

  「疲れてる だのに不思議や 元気です 心ひとつで 今日も楽しい」

  「晴れていた 福井の空が かき曇り 小雨ぱらつく 北陸秋路」

  「おにぎりを ほおばりながら ブログ書く ホテルのロビー お国訛りが」

  「コート着て しもたと思い 旅に出る 今日はしめたと 襟立て外に」 

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