○今日から長旅・和歌山~北海道~福井です
shin-1さんの日記
○カラスの大群スズメの過疎
先日松山へ行って夕暮れ時、カラスの大群を見ました。夕空に何やら黒いものが動くので見上げるとカラスの大群です。それも10羽や20羽の端数ではなく何百羽という数が移動しているのです。最近わが町でもすっかり見なくなったカラスですが、こんな所に移動しているのかと驚きました。動物は本能で動くのですから田舎から都会へ移動するのは当然かも知れません。だって田舎は過疎になって人の数が減り続け、しかも高齢化で「勿体ない」という時代に育った人たちが殆どですから、残飯など出さない人種なのです。そこへ行くと都会は毎日のように食べ残しや賞味期限の切れた美味しいご馳走が捨てられるのです。カラスが人間の食べ残したものを食糧にするのは当たり前の成り行きなのです。
それにしても人間の暮しは随分豊かになっていく反面、「えっ、これ食べられるのに」と思うようなものまで、「趣味期限」の表示に忠実になってどんどん捨てられてゆくのです。たしかに私のような勿体ない世代は違和感を覚えますが、使い捨て時代に育った今の若い人は特に賞味期限の事を気にして食べ物を選ぶ賢い一面を持っています。そのことが赤福という老舗の間隔を麻痺させたことも事実のようです。
今世代人たちは、人の作ったものを食べることが殆どなくなりました。刺身も調理品、果物だってカットフルーツ、ひどい人はご飯だってレンジでチンですから、裏に記載された賞味期限が気になるのは当たり前のことなのです。わが家のように菜園から獲ったものや漁師さんからいただいた魚を調理すると、そこには何の基準もなく、ましてや賞味期限なんて書かないから、長年培った独特の主婦の知恵で美味しく食べ、ゴミに出すのは残飯だけなのです。都会に集まるのは何も動物だけではなく格差社会を反映して世を捨てたようなホームレスの人たちもカラスと同じ行動をとっているようです。彼らは独特の動物的本能と方法で残飯をあさります。賞味期限など気にしないそんなものを日常から食べているので、滅多にO157などに当る事などなく、平然と暮らしているのです。しかしそうしたホームレスの人の中には、残飯といえども高カロリーのものが多く、成人病の人が増えているという調査結果もうなずけるのです。
カラスと同じようにスズメもめっきり田舎では見なくなりました。田んぼの稲刈りが早くなり8月には稲刈りが終わるとスズメの食べ物がなくなるのです。ましてや今頃の稲刈りは昔と違いコンバインで刈り取りますから、稲穂から米粒が殆ど地上に落ちないのです。昔は落穂ひろいなんて作業が子どもに課せられていましたが、そんな事をする必要がなくなったのです。
これも先日の出来事ですが、松山市内を歩いていると何やら騒がしい小鳥の声が街路樹の中から聞こえてきました。見ると夕闇迫る街路樹に無数のスズメが止っているのです。いやあ驚きました。
カラスもスズメも人間社会と同じように田舎から都会へ移っているのです。カラスの世界もスズメの世界も田舎は過疎、都会は過密のよです。参りました。
「動物の 社会で進む 過疎過密 田舎捨てたか スズメやカラス」
「今の世は 賞味期限で 回ってる 俺などとっくに 期限切れてる」
「この間 賞味期限が 切れている 物を食ったが 当らなかった」
「俺らより ご馳走食ってる ホームレス 糖尿病が 気になるという」
shin-1さんの日記
○二つの店
最近は東京若しくは東京経由の仕事が適当な間隔で入るものですから、適当に日本の中心の散策を楽しんでいます。東京は広いようで意外と狭いことに気付きます。駅と駅の間隔はそんなに遠くなく、案外歩いても行ける距離だったりします。東京へ行くとよく歩くことは確かです。田舎にいると朝起きてから夜寝るまで車に乗ることが多く、しかもそれは玄関先から目的地までですから、携帯電話についている万歩計など寝る前に調べてみると2千歩以下だったりすることもしばしばあるのです。そこへ行くと都会での暮しは全て公共交通機関か自分の足ですから、地下鉄の乗り降りや電車の乗換えなどだけでも友に1万歩以上は歩くのです。先日も少し疲れたなあと思って万歩計を見ると2万歩を越えて歩いていました。
とにかく東京へ行ったらよく歩きます。しかも両手にカバンを持って歩くのでこれが中々疲れるのです。それでも都会の人の後ろについて出来るだけ大股で早く歩くよう心掛けています。田舎の歩きはノロノロ歩きが多く、運動量が少ないのに比べ都会の歩きは早さがあります。しかも朝のラッシュ時などの駅の構内はまるでお祭りのような人出でごった返していますが、殆どの人が無造作に歩いているように見えるのに、ぶち当たることもなく相手を上手く交わして行き交うのですから凄いものです。東京へたまに行くお陰で私もその歩き方に随分慣れて、スムーズに歩けるようになりました。私は東京へ行くと背筋を伸ばし胸を張ってへそで歩くよう心掛けています。そして極力歩くことも自分に言い聞かせているのです。
東京へ行って時間があると最近はヨドバシカメラのようなパソコン用品を売っている店と、古本屋へ立ち寄ります。パソコン店と古本屋は一見何の関係もないように見えますが、実はこのミスマッチが中々面白いのです。まずパソコン店は時代の流れを読み取ることができます。私の頭では理解も出来ないしついて行くことも出来ません。ましてや新製品が次々出て、店内に入るとまるで「ここはパチンコ店か」と見まがう程に、安売りを勧誘するかん高いマイク放送が頭の上を飛び交います。そこには田舎の暮しでは見たこともないような商品が地下から地上数階までこれでもかと言わんばかりに並べられているのです。私はインクの品番を確かめて買ったり関連グッズを見て回りますが、いつも買う訳でもないのに店の中を歩いて触って見るのです。不思議なものであれほど嫌だったパソコンが何回かのお店通いですっかり馴染んでくるのです。
最近のパソコンはもの凄く進化のスピードが速く、私の持っているパソコン知識などもう電子ゴミもいいとこなのでしょうが、それでも少しずつ買い込んで、一年前とは比べものにならないくらい進んでいるのです。これからもあの騒音の中に身をゆだねてちょっぴりの進化を遂げるよう心掛けたいと思っています。
もう一つ時間があったら立ち寄るのが古本屋です。私の行きつけの店は歩いていて偶然見つけた古本屋ですが、その安さは尋常ではなく、新刊本ではないのですがまるで新刊本のような本が105円で売られています。荷物の具合にもよりますが多い時は10冊くらいまとめ買いをします。暇つぶしに読む本ですから新刊本でなくても、このくらいの投資で知識が入力されるのなら安い投資です。10冊でも1050円とはまた桁外れの安さです。買ったほんの中には当てが外れて前書きとあとがきだけ読んで捨てるものもありますが、週刊誌より安いのですから紙ごみになっても余り気にならないのです。
お陰様で随分読書力がつきました。お陰様で随分書く知識を習得しました。私は読んだ中でこれはと思う事をいただいた名刺の裏の白紙部分に書き留めて活用しています。名刺を貰った方には失礼なのでしょうが、それでも貰って捨てるよりはまだましなのです。
進歩の象徴のようなパソコン店と時代に取り残されたような古本屋に時代の流れと隙間風を感じながら東京を楽しんでいます。今週はまた東京へ参ります。
「パソコンと 古本まるで ミスマッチ 私の知識 少し増量」
「ハガキ買い プリントアウト 手づくりの 絵葉書友に 今日も三枚」
「古本も わが家へ帰れば 新刊と 同じ顔して 机に並ぶ」
「今週も 東京雑踏 歩く旅 元気の基を 仕入れに行くか」