shin-1さんの日記

○「俺の夢はなあ・・・」

 昨日は高知県で旧友の課長さんに会いました。旧友といってもそんなに長く付き合っている訳ではありませんが、どこか気が合い、どこか懐かしく感じる人間味溢れる課長さんなのです。

 私「課長さんは幾つになりましたか」

 彼「はい58歳になりました。定年まで後二年ほどです」

 私「ほう、もう二年ですか。ところで課長さんは役場を辞めてからの夢はお持ちですか」

 彼「はい私は障害を持った娘がいまして、その子ども夢は日本中を旅をする夢を持っています。桜前線を追っ

   かけて、南から北へ旅をしようと思っています。子どもの夢が私の夢なのです」

 私「ほう、それは凄い夢ですね」

 彼「世の中には娘が嫁に行って寂しいという親がいますが、私は娘と一緒に暮らせて幸せもので、娘に感謝し 

   なければなりません」

 私「・・・・・・・・・・・・」

 彼「娘が子どものままでいてくれて、私は毎日が楽しいです」

 私「いいですね。私も子どもが四人いますが、みんな成長して巣立って行きました。親は寂しいものです」

 彼「私の方が幸せかもしれませんね」

 私「はいその通りです。

 彼「一度娘に会ってやって下さい」

 私「是非一度会いたいものです」


 先程の酒宴交流会の余韻覚めやらぬ彼と私は、同席した仲間たちと別れ、飲み屋の暖簾をくぐって小雨の降る道をそんな会話を交わしながらゆっくりとホテルまでの道を歩きました。さっき車の中で彼が私の夢を聞いたものですから、その気になって話した矢先だけに、朴訥と語る彼の話にはとても重みがあり、頭を殴られるような衝撃でありながら、どこかほのぼのとして彼らしい夢だと感心したのです。彼の話を聞きながら昨日ブログに書いたオードリー・ヘップパーンの話を思い出したのです。「目も耳も口も手も両足も相手のためにある」というヘップパーンの言葉そのものなのです。こんな身近な所にこんな素晴らしい考え方を持って生きてる人がいる、いかもその人は私の友達なのです。人の前で偉そうな事を知ったかぶりで話す自分が急に恥かしくなりました。

 その夜はホテルのベットにもぐりこんでも課長さんとの会話が頭の中を走り中々寝付かれませんでした。「私はまだまだ修行が足りない」と思いました。

 ホテルの朝食を済ませた頃を見計って、その課長さんはホテルまで見送りにやって来ました。見送った後道の駅の近くの路上に立って通学の学生を見守るのだそうです。ウーン、参ったなあ。帰路車のバックミラーに立ち番をする課長さんの姿が残像となっていつまでも残っていました。

  「夢は何 尋ねた友の 返事から 親の愛情 深く感じて」

  「俺などは まだまだ修行が 足りぬなと 眠れる旅の 一夜を過ごす」

  「お早うと 昨日の酒の 抜けた人 まったく別人 そんな顔して」

  「旅先で あの人知ってる 話題出る 世の中狭い そんな気がする」  

  

 

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shin-1さんの日記

○高知県須崎市へ行って来ました

 昨日は自家用車を運転し、山間の道を片道150キロ走って高知県須崎市へ行って来ました。須崎へはこれが3度目とあって、知人友人も沢山出来て、行くが楽しみな反面、3度とも同じ話をすることもできず、少し快いプレッシャーを感じながら出かけて行きました。国道378号を長浜まで走り、大洲市街から国道197号を進んで、大洲市肱川、西予市城川町、鬼北町日吉の分岐から高知の梼原、須崎へと走るのですが、あいにくの雨で期待した紅葉も見えず、それでも雨や夕闇を心配して早めに家を出たため、2時間半ほどで4時30分頃須崎へ着きました。

 到着して市役所の前に差し掛かった時、見透かしたように土居さんから電話が入り、市役所であう事にしました。居合わせた新聞記者や企画課の職員と談笑してホテルへ向い、チェックインを済ませ、迎えに来た土居課長さんの車で、すっかり暗くなった雨の道を走って文化センターへ到着、いよいよ夜の集会の始まりです。

 この日のテーマは住民自治基本条例の検討委員会の委員の皆さんへのお話です。基本条例についてはこれまで他市町の視察をしたり、一回目の会議で企画課長さんから説明があったものと思うので、私は条例が何のためにどのようなプロセスで作られるべきか、その条例がどのように使われるべきか様々な角度から話をさせてもらいました。最近は住民の参画と協働ということもあって、条例の検討委員会の委員は公募をするようですが、田舎に行けば行くほど公募に応じる人の数は、主催者の思いとは裏腹に少ないようです。でもどんな理由にせよ委員に就任した限りはそれなりの役割を果たしてもらわなければならないので、一生懸命話をさせてもらいました。

 私は住民自治基本条例のこの日の話のために知人友人にお願いして全国の条例を10例余り取り寄せて読んで見ましたが、どれも立派にできていて、コンサルに頼んだのではないかと見まがうほどの出来栄えでした。これらの条例がどういう参画と協働によって造られたかは知る由もありませんが、作るプロセスを間違うとまちづくりでの条例活用や市民への理解新党が出来なくなる恐れがあるのです。また条例の趣旨を生かしたまちづくりも出来なくなるのです。

 1時間半の私の話が皆さんに理解できたかどうかは、今後の活動に委ねる事にして、いささかなりとも関わった私としても、須崎の条例制定過程やその後のまちづくりも注意深く見守りたいものです。

 その夜は会議も終了したし、前2回は日帰りだったのに今回は宿泊する予定なので、懇親を深めることになりました。課長さんはじめ7人で酒を酌み交わしながら議論を深めました。私は残念ながらお酒を断っているため食い気一本でしたが、さすが高知の飲み倒れだけあって、飲むほどに酔うほどに坂本龍馬ののような心境になって大いに語り合いました。企画課長さんが西土佐の和田課長さんと知り合いだったり、世の中の狭さや不思議な縁を噛みしめる有意義な一夜となりました。




 明くる日の今日も朝から雨でした。今日は厚生年金受給者協会の講演会が新居浜であるので、午後といこともあって国道56号から外れて峠道を走り、佐川、伊野、吾北を通って寒風山トンネルを越える道を選びました。

(高知名物沈下橋、旅の途中で見つけました)

(山の吊り橋)
(道端に咲いていた珍しい桜)
(四国でも長い方の寒風山トンネルは5432メートルで、トンネルの中ほどに高知県と愛媛県の県境がありました)

 狭い道を縫うように走って本線に出て山に分け入ると、小雨、霧雨に切れ間から紅葉が見えました。本来なら立ち止まっては写真に撮るのでしょうが、数日前日本一と目される長野県木曽町や上松町赤沢の紅葉を見ているものですから、トイレ休憩で立ち止まった以外は、県境峠の5千メートルを越える寒風山を一気に走りぬけ瀬戸内へと帰ってきました。わが家から太平洋沿岸へ、太平洋沿岸から県境を越えて新居浜へ、そして瀬戸内のわが家へと一泊二日300キロの旅も午後5時にやっと終わりました。今回もいい旅でした。

  「三日前 木曽の紅葉を 見ただけに 四国山脈 どこか貧素に」

  「寒風の トンネル前の 道路には 桜が咲いて 驚き眺め」

  「条例が あっても街は よくならず 必要すれば 街はよくなる」

  「飲み方が 違う高知の 宴会は 盃返杯 はちきんですね」


宴席が終り小雨の中、土居課長さんと吉本さんにホテルまで送ってもらい、ホテルの人となりました。

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