shin-1さんの日記

○長野県木曽町を訪ねる・ルポ④

 池田さんの案内で赤沢自然休養林を訪ねて帰る途中も、渓谷美にしばし足を止め車を降りて景色を見せてもらいました。目の覚めるような景色にただ驚きの声を上げるのが精一杯でした。こんな景色を都会の人は勿論のこと、地元の人も案外知らないものです。ゆっくり歩いて散策する人やカメラで記録する人などまばらでしたが、いつの日か私もあの人たちのように美しい日本の季節の移ろいを心で感じるような人になりたいと、しみじみ思いました。

 池田さんに案内されて営林署の貯木場を見学しました。ある所にはあるもので1本100万円は下らないという、無節の檜が生前と並べられていて圧巻でした。池田さんはこんな木を仕入れて製材し、材木として日本全国の神社仏閣は勿論のこと住宅用に販売しているのです。この木が一本100万円以上ですから驚きです。でもその値打ちは充分にあると思いました。

 見納めの紅葉も綺麗でした。

 遠い山々の峰には既に白く冠雪が見え、束の間の秋の後の厳しい冬の寒さを連想しました。山深いこの地方も間もなく冬の寒さが駆け足でやって来ることでしょう。

 池田さんの貯木倉庫を見せてもらい帰りにちょっと虫のいい話を思いつきました。今月の11月15日と16日の両日、わが町で国土交通省主催による観光カリスマ塾が開かれます。私が塾長を務めるのですが、その折人間牧場で夕日寄席という落語ならぬ落伍をやる予定で準備を進めています。その高座は何と高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株の上です。樹齢150年の切り株なのですが、その上に63歳の私が座り30話の中の一部を話すのです。年輪の話はその中心なのですが、池田さんからお土産にもらったお盆を使って木曽檜や池田さんから聞いた古株に宿る小さな檜の生命について話すことにしようと思って、池田さんに今日量化してもらうよう手紙を書きました。そしてその手紙にはもっと虫のいい話を書きました。西の魚梁瀬杉の切り株があるのだから、真ん中の木曽檜の切り株を手に入れようと愚かな事を考えたのです。営林署の貯木場の隅に落ちている要らなくなった年輪が数えるぼろい切り株はないものか、ひょっとして・・・・・。

 来月北の秋田へ参ります。その折にも秋田杉の年輪を少し意識して見たいと思いました。それというのも人間牧場に来た人、特に子どもたちが魚梁瀬杉の切り株の年輪を数えて遊ぶものですから、思いついたのです。

 吉報それとも・・・・。大目さんまた宜しくね。

  最後は木曽八景の一つと言われ奇岩が切り立つ「寝覚の床」の側でレストハウス木曽路を営む丸山時恵さんを訪ねました。時間がなくなってしまい、駆け足になってしまいましたが、レストハウスの展望レストランから見る寝覚の床はまさに絶景でした。丸山さんは敷地内に私立の美術館を持っており、小さいながらも学芸員を置くなど凄いことをやっている人です。この日はほんの駆け足でしたがそばを食べる天つゆ湯飲みは2千点も収蔵しているそうです。私たちが到着したのは昼頃でしたが、バスが7台も8台到着する時間帯だったので料理の数や大変な量でした。ここにはまだ観光神話が残っているようでしたが、それがまた丸山さんの深い憂うつにもなっているようで、同情しました。

 ふと思い出したのは、何年か前講演に来た折、この下の線路を走ったなあと記憶が蘇えりました。電車は天下の景勝地なのでスピードを落とし、過ぎ行く景観を楽しむよう車内放送があり、粋な計らいに感心したものです。

 丸山さんが「若松さん、電車が来ますよ」というので見下ろすと、さりげなく電車はゆっくりと通り過ぎて行きました。

 創造塾の半坂代表世話人もわざわざ見送りに来ていただきました。半坂さんは土木会社の社長さんですが、間もなく温浴施設もオープンさせる予定だと昨晩2枚の名刺をいただきました。前向きな実直な方でした。

食事が出来なかった私のために丸山さんは、レストハウスの前で販売している熱々の五平餅を包んで手渡し、熱い握手を交わして分かれました。

 列車の中でそれぞれの人や訪ねた土地を思い出しながら、丸山さんにいただいた五平餅を食べました。隣の席に座った子どもにもう一本の五平餅を差し上げ、寝覚の床と丸山さんの話をデジカメの再生ボタンでクリックしながら話してあげると、今度行って見たいと目を輝かせていました。塩尻から特急あずさ号に乗り換え新宿を目指しました。

 高知県馬路村で大目さんと出会った不思議なご縁が広がりました。このご縁も深くなりそうです。

  「握手した 手の温もりや 五平餅 別れし人を 思い出しつつ」

  「一本が 百万円も するという 木曽の檜の 寝床訪ねる」

  「連山に 雪を抱きて あき深し 風林火山の 破れし幟」

  「またいつか 必ず訪ね 会いたいと 暇乞いして 列車乗り込む」

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shin-1さんの日記

○長野県木曽町を訪ねる・ルポ③

 今回の長野県木曽町を訪ねる旅は、そのきっかけとなった木曽町役場の大目さんに再会したのを始め、多くの深い出会いがありました。その一人が池田聡寿さんです。大目さんからのメールの予告どおり、「木材や森のことだったら池田さんに聞け」といわんばかりの噂にたがわぬ人でした。池田さんは今は合併してわが町の隣町になった大洲市の天守閣築城にも選木や納品で深く関わった人だそうで、初対面ながらすっかり気に入ってしまいました。講演の後の懇親会で酒を飲まない素面をいいことに、池田さんに明くる日木曽檜の原生林を見に連れていってもらうよう約束してもらいました。池田さんの会社は隣町上松町にありました。大目さんの車でホテルを朝9時に出発しました。木曽川に沿って上松まで下りましたが、木曽町の木曽川が女性的なのに対して上松沿いの木曽川は男性的で紅葉に映えて綺麗でした。池田さんの会社を訪問しましたが色々な事に取り組んでいて、能面などの材から神社仏閣の用材まで凄い会社です。ここで池田さんの車に乗り換え、木曽五木の代表的産地で日本三大美林といわれる赤沢自然休養林を目指しました。

 木のことは檜とさわらさえも見分けがつかない私など無知に等しく、池田さんの軽快な説明にただただ納得するばかりで、右を見て、左を見てと池田さんが珍しい物を説明する度に車から下車してその姿をカメラに収めるのがやっとでした。

 一番最初にカメラに収めたのは道路の直ぐ側の大きな石の上に自然に生えたさわらの巨木でした。池田さんの話によるとこの木でも小さく見えるのに200年も経っているのだそうです。

 この辺の檜は根上がりが多いのですが、親木の古株の上に種が落ちて芽を出し、切り株親株の養分を得て育ち、やがて親株が朽ち果て土に帰る頃には若木がせめぎあいの中で生き残って成長するという自然の生命引継ぎが、神秘的に行われているからだと聞いて納得しました。

 やがて私たちは赤沢自然休養林の入り口で車を止め、歩く事にしました。本来ならお金の要る駐車場も顔見知りな池田さんの仲間がいて顔パスなのです。それにしても川床が浅いため川と遊歩道がまるで一体のようで、ウッドデッキ風な遊歩道は歩き易く、足の速い山歩きに慣れた池田さんに、私でも充分ついて歩くことが出来ました。山は紅葉真っ只中で、一年中で最もいい季節の最もいい日を選んだことに感謝や感嘆の声を上げました。

水は何処までも透き通って、川面にもみじの色と針葉樹の緑が見事に調和して映っていました。

 この堰は木材を搬出するため人間が木材を使って作った名残の堰だそうで、自然に見事に調和していました。

 この切り株にも既に若い命が宿って次の世代の息吹が感じられました。

 しばらく歩くと森の中に東屋が見えてきました。伊勢神宮の造営に使う神柱を切り出した時の切り株が厳かにこうして保存されているのです。池田さんは木材に関わっている人ゆえ、敬虔な祈りを捧げ賽銭を入れて拝んでいました。池田さんの話だとこの切り株は樹齢200年を超えているのだそうですが、まるでその年輪を数えられない石のようなもので、過酷で厳しい自然の中で育つことの意味を感じました。

 池田さんが定点観測をしている切り株に出会いました。この切り株にも無数の檜やさわらの苗木が芽吹いていて、池田さんからいただいた「木曽檜天然木の成長の過程」という資料を読みながら納得したのです。池田さんは博学だし文章力も凄く、この事を題材に絵本を作る計画だそうです。

 遊歩道と平行して森林鉄道が走っていました。遠くで森林鉄道の「ぽー」という音が聞こえていました。この日は女優の宮崎美子さんが来られるとかで、カメラが数台スポットで待ち構えていました。

 この根上がり檜はまるで宮崎駿監督のトトロの冒険に出てくるような根上がりで、この中をくぐると幸せになるそうなのでくぐりました。

 

 高知県千本山の魚梁瀬杉の大木を連想しての入山でしたが、左程大きく感じない檜でも、さすがに木の根元に立つと凄い大きさで、私と大目さんが小さく見えるほどの檜があちこちに立っていました。まさに伊勢神宮と深いつながりのある神木の森でした。

  「切り株を 養分にして 子が育つ 生命のリレー 自然の営み」

  「分け入りて 樹齢二百の 大木に そっと耳あて 言わぬ声聞く」

  「根元から 樹上見上げりゃ 見事なり 威風堂々 神木茂る」

  「そこここに 落ちてる朴葉 踏みしめて 静寂な森 黙って歩く」 

 

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