shin-1さんの日記

○年末のお客様

 今年の年末は喉と腰を痛めたせいで家にいることが多くなり、その分電話やメールで「お会いしたい」とアポイントが多くありました。年末は家の大掃除や仕事の後片付けで普通の人は忙しいはずですから、会いたいと言ってくる人は独身で家庭を持たない人か単身赴任で帰省しない人くらいなものでしょうし、家庭を持っている人だったら相手が急がしかろうと思って控えるのが普通なのです。でもこの2~3日の来訪者はそんなことお構いなしにやって来るのです。でも一日中家で忙しいという訳でもないので、来たら来たで結構楽しく話し込んでしまうのです。

 今日高知大学の学生で双海町出身の堀川奈津さんがわが家にやって来ました。彼女は3回生なのですが一年後にに迫った卒業後の夢についてお互いで話しこみました。彼女は高校の時一年間休学をしてフランスに留学した優秀な変わり者です。親の元から離れたい気持ちがあって大学は県外を選んだようです。人文学部に在籍しながらインターンとして奈半利の町のまちづくりに半年関わり、地域の人に愛されて珊瑚の海や自然学校のある山の上での生活体験が彼女の生き方に大きな影響を及ぼしたものと思われます。先日私のメールに便りが入り、今後の身のふり方について既に農家から農場と空き家をセットで借りて準備をしているとのことでした。彼女は高知に行って坂本龍馬のおおらかな、それでいて将来を見据えた生き方を学んだのかも知れないとふと思ったりしました。

 私の町にこんな凄い若者がいるなんて今の今まで気付きませんでした。多分これから親や社会や他人に何度もはじき返されるのでしょうが、挫折することなく人生を突き進んで欲しいと思っています。でも親の気持ちを考えると優秀な女の子ですから月並みに大学を出て月並み以上の安定した会社に入社し、月並みな青春時代を送り月並みな結婚をしてささやかな幸せを追って欲しいと願う部分もあります。あどけなさの残る容姿の何処にこんなパワーが潜んでいるのか不思議です。

 彼女とは四十歳歳の離れた私ですが、彼女と話していると私の方が教えられることが多く、今日も私塾本川談義所講義録「渓声山色」という読み古した一冊の本をカバンの中から取り出し、私に読むよう勧めてくれました。パラパラと捲りながら正月休みに読んで見たい本のようだったので借りることにしました。やはり冒頭に坂本龍馬の下りがありました。なるほどなと思いつつ彼女を実家のある満野まで送り届けましたが、聞きしに勝る才女です。

 最近言い生き方をしている若者に出会うことが少なくなりました。私たちの年代には老いてなお元気で若々しい人が沢山いるのに、若者から若者らしいテレパシーが伝わってこないのは何故でしょうか。若者よしっかりといえばそれは年をとった証拠だと揶揄されるであろうから余り言いたくはありませんが、それでも若者の若者らしくない言動にはため息すら漏れるのです。そこへゆくと堀川奈津さんという女性は考えもパワーも全て私のメガネにかなった久々の人かも知れません。彼女がいい人間に育つよう陰ながら支援したいものです。

  「この歳は 俺など単純 何もなし しっかりしてる 育てやらねば」

  「太平洋 見ながら育つ ことの意味 龍馬そのまま 俺は内海」

  「幸せは 何かと問われ 禅問答 己が心の 決めるものなり」

  「この本を 読んでと差し出す 一冊に 己が生き方 書いてあるのか」 


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shin-1さんの日記

○新聞のスクラップ

 昔はよくやった新聞のスクラップもさすがについ最近は余りしなくなりました。新聞のスクラップは目的を持つからこそ出来るのであって、今のようにインターネットで情報が簡単に取れるようになると、スクラップブックを捲って参考にするような悠長なことは中々できないのです。それでも双海町に関係する出来事くらいはとスクラップしているのですが、この整理と置き場に困ってこの一年間は休止状態なのです。

 昨日広島県福山市の平井悦夫さんから今年最後のときめ木堂の悦びタイムス153号ハガキ通信が送られてきました。平井さんは合併前の広島県新市町の役場職員ですが、ひょんなことから知り合いになり、私の主宰するフロンティア熟の講師としてお招きして以来密接になり、私が福山市の公民館へ講演に行った折にも一ギャラリーとして参加してくれるなど、親交を温めている一人です。彼の凄さはその行動範囲の広さとハガキ通信を153号も出していることです。彼に感化されてというよりは、彼が敬愛するハガキの達人広島県向島の半田正興さんと知り合い、結局は私も芋も続いている一日三枚のハガキを20年間も続けることになったのです。

 彼のハガキ通信に感化されて、私も手書きのハガキ通信を1年365日書き、そのまとめはワープロ時代だったものですから、ワープロのソフトに整理をしていれてありますが、感熱紙での印字しかできないため未だに幻の文章となっています。この本の出版もと思っていますが、何時のことになるか分りません。

 平井さんの今月号のハガキ通信に放送作家和田勉さんの記事が載っていました。和田さんと言えば向田邦子原作「修羅場の如くを演出した敏腕ディレクターという印象が強いのだが・・・・」という書き出しで始まる文章はハガキの短さゆえ想像を掻き立てます。そして和田勉さんの呆老氣展を見て感化されたと書いています。和田勉さんは毎日欠かさず新聞の切抜きを続けているのだそうですが、彼も今は日課として新聞の切抜きに余念のない日々のようです。

 さて平井さんは新聞のスクラップを「何のために」やっているのでしょう。和田さんのような生き方がしたいと思う動機はよく分ります。さらに新聞のスクラップは歴史の断面を切り取って保存することにも意味があります。やがて紙ごみとして消え行く運命にあるものに命を吹き込むことも意味があるでしょう。問題はその活用方法です。

 先日あるおじいちゃんの死んだ話を息子さんから聞きました。そのおじいちゃんは校長先生を最後に退職して悠々自適の生活をしていました。若い頃から写真と新聞のスクラップが好きでその数やおびただしく、おじいちゃんの死後家族が集まって、この写真とスクラップブックの処分について話し合ったそうです。生前中のおじいちゃんの宝物だけに粗末にすることも出来ず、結局は長男の息子さんが引き受けることになりましたが、部屋中にあるこれらの資料は長男の息子さんにとっては最早紙ごみでしかなく、図書館や知人友人に相談しましたが引き取り手がなく、結局はお金を出してリサイクルセンターに紙ごみとして引き取ってもらったようです。

 「死に方を考える」なんてことは、私にとってもまだ先のことかも知れません。でもふとこのおじいちゃんの生き方を思えばよく似た趣味を持つ故に他人事ではないのです。「お父さん、何時死んでもかまわんように身辺の整理を」なんて妻に言われると、「おいおいわしが死ぬのを待っているのか」と思いますが、それでもこのおじいいちゃんのように自分の趣味だった新聞のスクラップがただのごみにならないようにしなければなりません。幸いわが家では親父の趣味を親父の元気なうちから長男たる私が受け継ぎ、息子もよく似た感じで引き継いでいます。

 死ぬ前に新聞のスクラップも片付けておきたいこの頃です。

  「新聞の 切り抜き部屋の 片隅に これはごみです 他の人には」

  「スクラップ 人がやるから 俺もやる 一瞬考え 俺には無理だ」

  「一枚の ハガキ届けて 一五三 積もれば凄い 彼の生き様」

  「表まで びっしり書いても 五十円 同じ値段で 彼は得する」

 

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