shin-1さんの日記

○忍び寄る冬の時代

 今朝妻が「お父さんご飯食べるときぐらい新聞を読むのを止めてください」と言うのです。私の日課はご飯を食べながら新聞を読むのが癖で、何を食べたかさえも分らぬほどに熱中するのです。結婚して以来そんなことを言われたことがなかったのでカチンときて「新聞を読むくらい文句を言うな」とやり返しました。妻の言うのには朝起きの遅い同居人次男を除いて朝食はこのところ妻と二人です。昼は同居人次男と3人で食べますが、夕食も二人です。親父は隠居で食べますので、気がつけば二人だけの時間が以外と長くなっているのです。「新聞くらいで文句を言うな」とやり返した後自室に入って考えました。ああ私たち夫婦も冬の時代に入りつつあるということを・・・・・・・・。

 人生80年生きると仮定して考えてみると単純計算で二十年刻みになります。概ね20歳までを春の時代とするなら子ども時代や思春期、それに成人式くらいまででしょうか。その頃は殆ど親の比翼に支えられて生きて来ました。やがて二十歳ころから四十歳ころまでは恋をしたり結婚したり、子どもが生まれて自分の自立で生きる夏の時代ではないかと思うのです。四十歳から六十歳ころまでは仕事に情熱を燃やし役職や相応の知遇を得て人生の中で最も充実した秋の時代だったようです。やがて六十歳から始まったであろう冬の時代をこれから二十年間生きていく訳ですが、妻の言うことが正しいのであれば、私たち夫婦はたとえ朝食の時間であろうが、向き合ってかをを見合い会話や対話をしなければならないのです。

 昔の私だったらそんな妻の一言も何処吹く風と軽く受け流したり無視していました。しかし私も少し大人になったのか一応考え一応の結論はご飯を食べるとき新聞を読まず、妻と対話するという決断でした。さてそんな約束が果たして守れるのかどうかも分りませんが、努力だけはしたいと思っています。

 「冬の時代」なんて言葉は何か物悲しく感じますが、それでも冬の時代を認識し、春を待つような気持ちで、夏のような楽しい行動をしたいものです。そして秋の実りのように夢を実現したいものです。ふと見渡せば、私の周りには冬の時代を生きてる人たちが沢山います。何処が悪い、ここが痛いと体の不調を訴える人も多いようです。

 昼飯時職場から帰った妻に聞きました。「お前はこれから一番の願いは何ぞ」と。妻曰く「家族みんなが健康で暮らせること」だそうです。そういえば太り気味だった妻も、帯状疱疹の発症以来歩くことや食べることに注意をするようになって、少し痩せたような気がします。熊は冬眠のために栄養を蓄積しますが、妻は冬眠もしませんから、やはり冬の時代への備えでしょうか。悲しいかな人は誰でも老いるし冬の時代は必ずやって来るのです。

  「気がつけば ひとり二人と 家族減り 俺とお前の 二人だけしか」

  「健康で 長生き願う わが妻の 腹の出具合 少し気になり」

  「俺たちも 何時の間にやら 冬時代 ストーブ入れねば この冬越せず」

  「春や夏 秋もあったな わが人生 当然冬は やって来るもの」


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shin-1さんの日記

○人間は勝手なもの

 今朝約50メートル離れたゴミの収集場所へゴミを持って行くと、早起きのカラスが一生懸命ゴミの袋をあさっていました。最近のカラスはおうようなもので私が側に近寄って手を叩き脅しても、ほんの2~3メートル離れるだけで私が遠のくとまた同じような行動を繰り返すのです。そんなこともあるので出来るだけ早朝のゴミ出しはしないようにするのですが、近頃は車で通勤の人が車でゴミを収集場所に置いて仕事に出かけるため、そのゴミを狙ってカラスがやって来るのです。

 今朝のゴミ散乱はひどいもので、側にいるカラスに文句を言いましたが一向にコミュニケーションが伝わらず、カラスの耳に念仏のようでした。隣のおじさんは殊勝な人で、毎回火バサミを持参して散乱したゴミを片付けています。このおじさんは宗教に熱心で、遠い高知県の宗教本部まで毎月欠かさず信者さんを連れてお参りに行っているようですが、さすが一日壱善のお方といつも感心しているのです。それに比べゴミを置かれる前の家の人はゴミを出しに行った私を見つけてはブツブツ文句を言うのです。「人の嫌がるゴミは私も嫌です。どこかへゴミ置き場を移動してくれませんか。あんた区長でしょう」とまるで喧嘩を売るような口調なのです。私はいつも無言でゴミを片付ける隣のおじさんと、文句を言って何もしないごみ収集場所の前のおじさんとを比較しながら、やはり隣のおじさんの生き方や行動を見習いたいと思うのです。

 今朝もゴミ収集場所の前のおじさんに会いました。「今日はいい天気ですね」と声を掛けると、「最近は雨ばっかりでうんざいりしていたところなので今日は気持ちがいい」と久しぶりの上機嫌です。でもその後の言葉がまた変わっています。「雨も降らんと傘屋が困るから」と2軒隣の傘屋さんの心配までするのです。追い討ちをかけて「天気はいいが夏の水不足が」と満足どころか不足不足のマイナス的話になってしまうのです。「ああこの人は寂しい人だなあ」と思えました。人生をこうして嘆き悲しんで過ごして一体どんな得があるというのでしょうか。

 「雨が降ったら傘屋が儲かり、晴れれば桶屋が儲かる」は昔からの諺です。雨を嘆くより傘屋が儲かると思えばいいし、晴れれば桶のタガが緩んで桶屋が儲かると思えばいいものを、その反対ではいつも心配の種は尽きないのです。おっと要らぬ話を書いてしまいました。ごみ収集場所の前のおじさんにはこの記事のことは内緒にしておいてください)。

 日々の暮らしは毎日飽きもせず続いています。ゴミを出すという行為も長い間妻の仕事でした。でも昨年からは出来るだけ自分で出来る仕事は自分でしようと心に決めて妻の領域も侵しています。「お父さん今朝もゴミを出してくれたの。お陰で助かります」とは妻の弁。子どもではないのですから別に褒められようと思ってした訳ではないのですが、妻の一言は私の心をすがすがしくしてくれます。カラスに言ったって仕方がありません。感謝して生きるようにしたいものだと隣のおじさん、ゴミ収集場所の前のおじさん、妻を見て感じた次第です。

  「雨嘆き 晴れを嘆いて 生きている あの人少し 疲れているかも」

  「カラスにも 生きる権利が あるようで 毎日人と 知恵を比べて」

  「ゴミ掃除 余程の精神 あればこそ あんなおじさん 身近な見本」

  「さあ今日も ゴミ出し少し 手助けを 感謝の言葉 嬉しくなりて」 

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shin-1さんの日記

○剪定談義

 私たちまちづくり人の溜まり場が松山にあります。えひめ地域政策研究センターというのが正式名称なのですが、私は一週間に二度や三度は出向きます。研究員はいずれ劣らぬ優秀な方がまちづくり部門だけでも4人いますが、「痒い所に手が届く」の表現がピッタリの優秀な人材スタッフが揃っています。事務所に出向くと主任はじめみんな忙しいのに手を休めて話をしてくれるのです。

 研究員の中には一風変わった経歴の方もいます。清水さんは農協マンでありながら出向していて、なんとこの方が気象予報士なのには驚きます。農業と気象は切っても切れない縁があるので当然と言えば当然のことなのでしょうが、今までそういった毛並みの人にはめぐり合ったことがなく、とにかく彼の話はいつも新鮮さを覚えます。特に人間牧場を開こうとしてからは彼の話は随分私の生き方に影響を及ぼしました。

 今日は松山市の湯築小学校のPTAに話しに行った帰りに立ち寄り、剪定談義に花が咲きました。彼のメールで伊予柑の剪定の真っ最中という記事を読んだものですから、「今時に剪定なんて遅れてるのでは」と質問したところ、はじまりはじまりー。清水百姓もどきの薀蓄ある講義です。私は梅の木の剪定を相談したかったのですが、剪定が教えてくれる組織論まで話が及び、これは使えそうだとブログに書いて占有権を公表した次第です。

 私「剪定は何のためにするか」。清水「簡単に言えば風通しと日当たりをよくして、いい果実をならせるためです。私「俺の梅の木はどんなにすればよいか」。清水「風通しと日当たりがいいように自分で剪定することです」。うーん上手くいきません。折角梅の木の選定をさせる機会を与えようとの温情には見向きもしませんでした。清水「私は剪定をしながら剪定は組織を活性化するヒントがあるように思います。上(上司)が何時までも辞めないと下は風通しも日当たりも悪くなって結局下枝は枯れてしまうのです。私「うーん面白い例えじゃねえ」。清水「結局は枝切りも根切りも全て樹を若返らせる手法なのです」。私「上って誰」。清水「組織で言えばトップ集団です」。そこまでは話しましたが、さすが農協組織で飯を食っているだけあって、「そりゃあ組合長や専務です」とは言いませんでした。

 でも、清水さんの話を聞いて組織のあり方を帰りながら色々考えてみました。私も梅の木を実際に剪定してみなければ分らないので、早速今年は梅の木の剪定に挑戦してみます。剪定した梅の小枝は花をつけた頃であれば日曜市に出荷して少し儲けたいと思っています。「取らぬ梅の花算用」になるかも知れませんが、清水さんの教えを請うて剪定から組織論を学びたいものです。

  「梅の木の 剪定話 飛びに飛ぶ 組織に及び 確かに一理」

  「上と下 左と右が あるように 見方変えれば まったく逆に」

  「上でなく 下でもないよ 今自分 一歩離れて 気付きの多さ」

  「人は皆 それぞれの道 歩みつつ 剪定一つも 逃さず知恵に」 

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shin-1さんの日記

○烏賊の皮をむかずに食べる

 烏賊と書いてイカと読むのですが、何でイカが烏賊なんでしょう。考えた人は烏賊の味を知らない人かもしれませんね。昨日東京都の山奥の町に住むAさんからメールが届きました。Aさんとは先日私の話を聞いたという一方的な話で、その感想がメールで送られてきたのです。ところがAさんは歳のせいで寝れないのか、私と同じような朝方人間で、平気で朝4時ごろにメールを一方的に届けるのです。私も読まないわけには行かず、ついついAさんの論理的ペースに巻き込まれて家族のことや日常の暮らしを話題にしながら急接近しているのです。Aさんはこんな話題をしっかりと文章にするあたり、只者ではないとお見受けしながら、相変わらず彼の攻撃的ふっかけ喧嘩に悪乗りしてメールのやり取りをしています。その模様を今朝4時からブログに書いて保存しようとしたら、いきなりその労作ともとれる文章にエラーが出て、結局今朝の40分あまりはムダ骨に終わり、Aさんの文章に八つ当たりしている所です。

 ところでAさんの今朝の話題はスーパーで烏賊を丸ごと買ってきて皮をむかずに食べたというお話です。そして驚いた事にそれを食べた娘が美味いと言ったことでした。わが家で烏賊は外の皮と薄皮の2枚をはがして刺身にします。そうすると烏賊の臭みも取れるばかりか雪のように白い肌と味が楽しめるのです。わが家では料理担当の妻が「お魚ママさん」の資格を持っており料理が上手なのですが、もし万が一妻の留守中に私が皮付きの刺身でも食卓に出そうものなら「げっ、お父さんこんなもの食えるか。皮をむかないと」息子たちは必ず言うでしょう。わが家では皮付きの刺身は非常識ですから、Aさんの家庭は非常識な家庭という事になるのです。

 私の町は漁師町ですから烏賊には甲イカ、剣先スルメイカ、藻イカ、小イカ、マツイカなど季節によって様々なイカが獲れます。私の親類も漁師がいますので昨日も甲イカが1箱届きました。妻はそのイカを手際よくさばき冷凍にするのです。貧乏な暮らしの知恵とでも言うのでしょうかこの家計のやりくりで借金コンクリートの家(実際は木造2階建て)が建ったのです。烏賊は刺身、煮付け、天ぷらにしても美味しいし、妻のフライパンで作る以下の付け焼きはかなり人気のある食べ物なのです。

 でも、最近のテレビ番組で有名なタレントがアナゴの調理をしていましたが、アナゴのぶつ切りを天ぷらに揚げて食べていました。あれはタレントではなくタラントじゃないかと思った程でした。烏賊がイカと読めなかったり、刺身を皮付きでで食べるなど、十人十色の世界ですが、私たちは今一度食文化も考えてみたいものです。

  「皮付きで 烏賊を食べたと メッセージ 山奥だから 仕方ないかも」

  「皮付きの 烏賊を食べて 美味い言う 娘も娘 父も父だね」

  「アナゴ見て 蛇の仲間と 大騒ぎ 結局ぶつ切り こりゃあ駄目だ」

  「俺の町 俺の家では 常識も 他所では何と 非常識です」


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shin-1さんの日記

○人間牧場不思議発見その①

 子どもというのは目ざといものです。先日芋植えにやって来た小学生が、「進ちゃん、あのスピーカーは何をするん」。またある小学生は「進ちゃん、あの屋根はどして竹なん」と質問するのです。そりゃあそうでしょう。水平線の家の魚梁瀬杉のテーブルは150年も山に立っていた」と私が話すと、本当に数えだすのですから、滅多なことは言えません。この写真に子どもが発見した不思議が2つ隠されています。

 最初の不思議発見は屋根です。この建物はご存知五右衛門風呂なのですが、屋根が竹で出来ています。この屋根を葺いてくれた左官さんによると「わしも長い間左官をしているが、竹で屋根を葺いたのは初めてじゃあ」と言うのですから珍しいことだと思います。この屋根は建築士の息子がこだわった部分の一つです。真竹を半分に割って節を取り除き、下は割った中の部分を上にして、上は中の部分を下にしながら互い違いに組んでゆくのです。竹の調達は最初親戚で貰う予定でしたが、これだけの竹を用意し真半分に割ることは相当難しいらしく、結局は竹屋さんで調達しましたが、一本千円もする貴重なもので竹だけで6万円もかかってしまいました。最初は竹の寿命のことも考え私としては反対しましたが、息子の企画力に押されて葺きました。結果的には素朴さが受けてその道の人が絶賛してくれ、息子は悦にいっています。これが半永久ならいいのにとしみじみ思っています。

 さて次の不思議発見は五右衛門風呂の横にあるスピーカーです。人間牧場の放送設備かと思いきや、これは池久保という人間牧場のある集落の有線放送のスピーカーなのです。双海町には防災行政無線放送が各戸に配置されていますが、田舎は畑で野良作業をすることが多く、室内用は朝・昼・晩しか用を成しません。したがって放送は集落にだけ聞こえる専用の有線放送の方が効果があるのです。人間牧場の整備に当って地元からは私の土地なので移転可能と言われましたが、これもまた不思議なものとして活用しているのです。ですから人間牧場で畑仕事をしていると、地元の人がやれジャガイモの種の注文だの、集会の案内だのと放送するので、まるでローカルラジオを聞いているような感じがしています。

 私たちはいつの間にか日常生活に馴れて、ただ何となく日々を暮らしていますが、このように探してみれば身の回りにはいくらでも不思議はあるものです。ひと頃漫才で「何でだろう」という言葉が流行りましたが、「何でだろう」は孫の占有物ではないのです。

 ことのついでにもう一つ不思議を発見しましたので紹介しておきましょう。昔といっても私が子どもの頃は、今のように誰も彼もが腕時計を持つような時代ではありませんでした。勿論今のように有線放送で時を知らせることもありませんでしたので、地元の人は沖を通る別府航路の船を見て「ああもう11時30分だ」などと腹時計を合わせていました。また沖合いに浮かぶ青島は私たちが子どもの頃は自家発電で夜10時になると電気が消えていました。それを見て「ああ青島の灯が消えたのでもう10時か」などと時を考えたものです。今も関西汽船の定期航路の船の位置は毎日ほとんど変わらないそうですから大したものです。

  「何でだろう 子どもはいつも 考える だから知恵付く 俺の孫さえ」

  「よく見ると 時計なくても 時告げる 船の位置にて そろそろ飯だ」

  「ジャガイモの 種芋放送 聞いたから 作付けできた 芋はできずに」

  「香港で 見た竹類の  使い方 里山荒れて 竹余るというに」  

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shin-1さんの日記

○えっこんな時期に掘りコタツ

 昨日の朝、水平線の家を作ってくれた大工さんが隠居へやって来ました。「何事ですか?、確か工事のお金は払ったはずですが」と質問すると、「親父さんから掘りコタツの工事を頼まれまして」と言うのです。寒い時期なら分りますがあと十日もすれば衣替えなのになんでこんな時期に掘りコタツなのか理解に苦しみました。親父もついにボケたかと思いきや、親父はいたって平気なのです。思い立ったら吉日が親父のいいところだし悪い癖、「来年までわしはよう生きとらん」などと弱音をはく口の下、「今年の冬は寒そうだから」と早くも来年まで生きるつもりの算段をしているのです。

 親父はとにかく手先が器用で、何でも自分で作ってしまいます。額縁だろうがベッドだろうが、鋸と金槌とノミを持たせればたいがいなものは作れるのです。でも最近は目と腕の衰えを感じるのか、こうした大きな仕事は大工さんに頼むようになりました。

 これまで親父の居間はテーブルに椅子でした。何を思ったのか掘りコタツです。親父はスネは何ともありませんが腰はコルセットを四六時中しています。腰のことを考えるとテーブルがいいと思うのですが・・・。

 人間牧場から帰ってみると、堀コタツはもう立派に出来上がっていました。わが孫(長男)に電話して板張りの居間には半畳の畳を手配し、既に敷かれていました。何という手配の早さでしょう。88歳の老人のすることではないと、ほとほと感心した次第です。この工事代金は年金の中からの出費なのでしょうが、それも計算に入れているようで、「これで今年の冬は大丈夫」と言いながら、私にも「コタツの中へ足を突っ込め」と誘い、「どうだええ具合だろが」と同調させるのです。この様子に呆れ顔は妻、「じいちゃんは、何を考えているのだろう」と相当な呆れ顔でした。

 人の忠告など聞かぬ親父ですが、この隠居はやがて私たちが住むかも知れないと思って見ると、そこここに、老いの住処の工夫が感じられます。ベットの高さも、手摺の位置も、トイレの高さも、いつの間にか全て自分サイズに加工しており、凄いものです。寝ていてもスイッチは切ったり入れたり出来るし、電話だって薬だって手が動けば取れる算段になっているようです。

 私たち元気な大人は、少々不便でも我慢して暮らします。親父は自分の暮らしに物を合わせてしまうのです。ですから部屋の物はいつも「ちょっと動かせてくれ」とか「やっぱり元へ戻してくれ」とか、しょっちゅう私を使うのです。でも88歳のこの年齢まで自分のことは自分で出来るのですから文句は言いますまい。でも「何でこの時期に堀コタツなのだろう」と今でも首をかしげます。

 今朝親父の隠居へ行き堀コタツを一枚写真に収めました。

  「ひょっとして 親父ボケたか この時期に 堀コタツとは どう考えても」

  「俺サイズ 何でも自分を 中心に 偉いぞ親父 真似などできぬ」

  「老い先が 短い口癖 言う癖に 早冬のこと 考え行動」

  「メートルを 尺に直せと 言う親父 直さなくても ・・・・・・・」

 

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shin-1さんの日記

○それは一瞬の出来事でした

 よくウイリーウインキーなどで、「この絵の中に同じ人が何人いるか探して下さい」なんてクイズがあったのを覚えていますが、昨日わが人間牧場で綺麗なキジの姿を発見しました。雌は茶色がかっていましたが、雄はあの綺麗な瑠璃色でそれは見事でした。思わず持っていたデジカメを向けたのですが、シャッターチャンスに恵まれず映っていたのは後姿だけでした。

 さて問題です。「この写真のどこかにキジの後姿が写っています。探してみてください」。正解は3本の杉の木が写っていますが、左から二本目と三本目の杉の根元にキジが写っているのです。「こんな写真では分らん」とお叱りを受けそうなので、次はばっちり至近距離で写したいと思っています。

 「ケン・ケン・ケーン」とキジの鳴き声は独特の鳴き方をしますが、人間牧場につがいのキジが住みついてい水平線の家の周りをうろついているのです。昨日はその姿を身近に見て驚き、感動し、その姿を何としても写真に撮りたいと思ったんですが、残念な事にその雄姿はついにカメラに収めることは出来なかったのです。地元の人の話では、最近この周辺はキジが沢山いて卵を温めているそうです。しかしみかん畑は今草刈の真っ最中で、どの畑でも草刈機のエンジンを響かせて草をなぎ倒して行くため、キジの卵も無残にも壊されてしまうのです。せめて羽化するまででもと思うのは素人の考えで、そんなことしていたら農作業がはかどらないのです。

 でもキジの姿を間近に見て、人間牧場にもこんな自然があるのかと思わず嬉しくなりました。下の杉の木の樹上ではカラスがせっせと子育てをしているし、メジロなんかはもう競演といったところでです。ただしキツツキが水平線の家の外壁をつつくのだけは、幾ら自然が豊かでも止めて欲しいと思っています。被害甚大本当に深刻な食害なのです。

  「キジを見て 思わずカメラを 向けたけど 俊敏欠けて 後のまつり」

  「牧場は 自然が売り物 また一つ 同住の鳥が 見つかりました」

  「ケンケンと 鳴く声悲し 無残にも 卵抱けども 住み家追われて」

  「キジの声 キジ鍋連想 浅はかさ 食欲だけは 人に負けじと」  

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shin-1さんの日記

○一丁目の夕日

 最近話題になった映画の題名ではありません。私の自宅は伊予市灘町1丁目にあるのです。したがって私の家から見える夕日は紛れもなく「1丁目の夕日(夕陽)なのです。今日は弁当持参で人間牧場の草刈に出かけましたが、草は殆ど刈り終わっているので、人間牧場第二農園を予定しているこれまた10年余り手を入れていない密林のような畑の開墾に挑みました。標高は約100メートルくらいで港が見えるロケーションもそんなに変わりがありません。ヨモギ、カズラ、カヤ、野いばら、乳モモなど、雑草雑木といわれる殆どが背丈ほどに成長して行く手を阻んでいました。でも草刈機と鎌で少しずつ前へ前へ進んで行きました。昨晩は人間牧場のある地元の人を招いて囲炉裏の火入れを行い、夜遅くまで楽しい交流をしたものですから、作業開始は10時頃となりました。混合油も残り少なくなっていたので3時過ぎには終わる計画でしたが、近所の叔母さんが珍しい私の百章ぶりを見つけては談笑するものですから、ついつい4時ごろまでかかっても畑2枚しか片付きませんでした。

?この畑は通称「駄馬」という地名で、母がみかんの木を植えていましたが、母亡き後はまったく手を入れていませんでした。近所の人が共同で設置したみかんの輸送に使うモノラックも、モノレールだけが草に埋もれていましたが、草刈機のお陰でこんなに立派な畑が出来ようとしています。今年はこの草を2~3回刈って草の力を弱め、果樹を植える計画です。

 夕方家に帰って風呂に入ったところ、風呂の窓から綺麗な夕焼けが見えました。「そうだ今日の夕日を見てみよう」と急遽風呂を上がり、家の裏の高台に登りパンツとシャツという出で立ちで恥ずかし姿ながら、デジカメを向けました。夕日が鉄橋の向こうの海に綺麗に落ちてドラマチックでした。

 そういえば夕日に憧れ、夕日を売り出す努力はしたけれど。、自分で夕日を写真に写すことなど暇もなかったのかすっかり忘れていたと、カメラを夕日に向けながら思いました。

 これが今日の「1丁目の夕日」です。夕日は海抜によって、すなわち見る目の高さによって、また見る場所によって随分違った雰囲気を醸します。

 これは昨日人間牧場から撮影した写真です。たった一日しか、しかも標高が100メートルしか、また場所も約10キロしか違わないのに、こんなにも違うのです。どちらがいいかは見る人の想いでしょうが、デジカメを使い、ブログに取り込めるようになって、カメラが俄然面白くなり、いつも持参するようになりました。そのうちいいシャッターチャンスをものにしたいものです。

  「そういえば 夕日に狂いは したけれど カメラで写真 撮るの忘れて」

  「夕日見る 暇が出来たか 俺にでも 写真写せる どんなもんだい」

  「さあ次は 第二農園 耕して 桃栗梅など 早くも夢が」

  「草刈機 ブンブン音を 出しながら 俺の手となり 手仕事進む」 

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shin-1さんの日記

○ガードレール一新

 伊予市に合併しても双海町という地名は存在し、双海町の海岸線の総延長は16キロありますが、その海岸線に沿って走る国道378号は全て海に面しており、海を埋め立てて造ったためテトラポットと白いガードレールが無味乾燥的に設置されていました。海が国道の直ぐ下という特長を生かすためには何としてもガードレールをパイプ式にしたいと、各方面に働きかけましたが、お金が要る、安全が保てないなどの理由でその後は無しのつぶてでした。ところが何年か前にパイプ式のガードレール、しかも海の色と違和感のないブルーのパイプ式ガードレール設置工事が次第に進んで、今ではその殆どが一新されました。これはまさに原風景にマッチした快挙で関係者の努力に敬意を表したいと思います。

 まちづくりは経済的な活力と、快適で潤いのある暮らしが求められますが、これまでのまちづくりはややもすると経済が優先されてきました。しかし物が豊になった今は、心の豊かさが求められるようになってきました。看板や色調の統一、電線の地中化などによる心の充足は人間が人間として生きてゆくためには大切なものなのです。

 ガードレールを変えたからといって、別に地域が活性化するわけではありませんが、訪ねてきた人や住んでる人が、「この町ではこんな事に気配りしているのか」とまちのデザインを感じれれば、住む人にとっても嬉しいことだし、住み心地もいいはずです。

 ガードレールを取り替える工事中は片側通行になるため、不便を感じたり不満を言う人もいました。「忙しいのに何で通行止めまでして」とか、「県や国は二言目には金がないと言うが、こんな工事をする金があるのなら税金を負けてくれ」「ガードレールはまだ使えるのに勿体無い」「ガードレールを変えたぐらいで地域は活性化するものか」などなどでしたが、私はこのガードレールを相当気に入ってみんなに自慢しているのです。

 山口県へ行きましたが、山口県下のガードレールは全てオレンジ色でしたし、わが愛媛県では白いガードレールが圧倒的に多いようですが、これだけ長い距離のガードレールを統一している所は余り見たことがありません。これもやはりまちづくりの成果だと思うのです。

  「海岸の 国道横を 見てご覧 ガードレールが とても綺麗に」

  「人知れず 努力した人 いればこそ 町の美観が こうして格上げ」

  「あの人は あいも変わらず 海へポイ ゴミ捨て習慣 わがさえ良ければ」

  「変なもの 変と思える 変な人 変ではなくて それが正しい」

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○芋つる植え体験活動

 「雨こそ最大の感動商法」だと無人島キャンプで実証済みの「芋つる植え体験活動」がいよいよ始まりました。外は小雨ながら夜来の雨でぬかるんでいますが、カッパに軍手という出で立ちで子どもは元気いっぱい戸外へ出ました。でもこんな天気なのに現代っ子と現代っ子のお母さんは何故か長靴を用意せず、殆どの子どもが運動靴なのです。多分赤土でドロドロになるだろうと思っていましたが案の定です。

 教育委員会の職員さんが苗屋さん直伝の芋の植え方を講習し、早速畑に入りました。

 昨日私たちであらかじめ作っていた畝にマルチを掛け、マルチが飛ばないように土を被せてゆくのですが、小さな手スコップで土をいじるのですから中々の悪戦苦闘でした。芋つるは人数が増えたため急遽250本に増やしたそうで、それを半分に切って植えるのでかなりの量ですが、それでも子どもとスタッフを合わせるとたった一度で50本が植わる計算になるのですが、中には足を取られて尻餅やスッテンコロリン組もいて順調には進みませんでした。

 これが一番上の畑です。

 これが真ん中の細長い畑です。

 これが一番下の畑です。

 それでも子どもたちは一生懸命農作業らしい作業を行って芋つるを植えました。子どもの中には親父ギャグが得意と自慢する子どもが二人いて「芋つるをつるつる滑って植えました」「校長先生が見に来たので絶好調」などと私のお株を奪うような張り切りぶりです。

 やがて一通りの芋つる植え作業が終わったのは有線放送でお昼を告げるチャイムが鳴った後の20分、大幅な時間遅れです。さあそれからが大変です。あの土の付いた足やズボンで水平線の家へ一気に駆け上がって来ました。昨日子どもたちが来るからと2時間もかけてワックスを塗りこんだ土間はあっという間に土汚れです。家主の気持ちなんか論外なのです。さらにはお天気が回復したのでウッドデッキで昼食をとるため外と中の区別もなく走り回るのです。目を覆うような光景でした。でも人間牧場はこんなものだと思いつつ、子どもたちが歩いて下山した後、長男と私が雑巾でしっかり一時間もかかって掃除をしました。先日台風1号が発生し昨日の雨もその台風の洗礼でした。今日の子どもたちには「豆台風1号」と名前をつけましょう。みんなで植えた芋つるが育ち、秋の実りを迎えることを祈っています。

  「芋つるを ぬかるむ土に 差し込んで 子どもの願い でっかい芋を」

  「ツルリンと つる持ちすべる こどもたち 何故か楽しく わざとつるりん」

  「おい子ども 掃除するのは 俺なんだ ぐっと堪えて 土足嘆く」

  「一列に 並んで下山の 子どもたち 歓声こだまし 手を振り帰る」

  


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