shin-1さんの日記

○孫のお迎え

 病院に勤めている娘が今晩は職場集会があるとかで、私がたまたま松山で会議があって3時に終わる予定だったので、幼稚園へ孫のお迎えをする役割と相成りました。3時きっかりに幼稚園の玄関まで行くと、ももぐみの部屋では既に私の来るのを待っていたのか身支度を整えて手を振りながら嬉しそうに出てきました。孫の通う幼稚園は清閑な郊外の幼稚園とは違い街のど真ん中にあって、最初行った時は「えっこんな所に?」と思うほど飲み屋街の真ん中にあるのです。孫のために私の車の後部座席にはチャイルドシートが備え付けられているのですが、私の車に乗る時は何故か、「僕はお兄ちゃんだから」などと胸を張って助手席に座り、さっさとシートベルトを締めて「出発進行、発車オーライ」の掛け声をかけるのです。市内電車通りを走りながら孫の誘導で家まで帰るのですがさすがに都会の子供で、道順をちゃんと知っているようです。

 「おじいちゃん今日は何をして遊ぶの」と言いつつ、部屋の鍵を開けて部屋に入るなり、自分のおもちゃ箱から自慢の飛行機を取り出して私に見せながら遊ぶ工面をしたまではよかったのですが、幼稚園での遊びで疲れたのか、我が家に帰った安堵感か、はたまた久しぶりのおじいちゃんとの対面に嬉しかったのか、知る由もなくソファーで深い眠りについてしまいました。

 さて私も孫に添い寝と思ったのですが、それも大人気ないと娘が食卓で使っているパソコンを開けてブログを一本書こうと思い立った次第です。孫の心地よい寝息を聞きながら慣れない娘宅のテーブルで、しかも娘のパソコンで勝手にブログを書いてますが、わが家わが部屋とは随分趣も頭に浮かぶ出来事も違って感じられるのです。

 寝ている孫は3歳半ですが、この孫が生まれた11月23日のその時間には新潟へ行く上越新幹線の中でした。妻から携帯が入り「孫が生まれた。母子ともに健康」の妻の弾んだ声に小躍りをしたいような喜びに浸ったものでした。あれから3年半が矢のように過ぎて、孫も日に日に成長しています。もう一人ぐらいは子供を産んでくれたらと親としては思うのですが、こればかりはどうにも願いかなわずといったところでしょう。孫の成長に比べて私は進化はしていると自負しているものの体力や仕事上は時間が止まったような日々だと実感しています。

 浅い眠りから孫が起きて来ました。孫「おじいちゃん。何しているの」。私「パソコンでお仕事しているのよ」。孫「そのパソコンお母さんのよ」。私「おばあちゃんの家に手紙を書いているの」。孫「ふーん、どれ見せて」。

字も読めない孫は画面を見て「黒と青と赤で綺麗ねえ」でした。

  「孫横に 昼寝のいびき 聞きながら ブログ一本 書き終えました」

  「外は雨 どこ行く当ても ないままに 孫と二人で 童心帰り」

  「会いたいが 会ったら疲れる 孫の守 それでも役目 一応果たせて」

  「パソコンは 母のものだと 主張する 誰が教えた 訳でもないに」


 

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shin-1さんの日記

○五徳が出来ました

 水平線の家の少し上がりかまち寄りに畳一畳敷きの囲炉裏を切りました。普段はその上に蓋をしているので余程注意をしていないと囲炉裏の存在に気付きませが、その蓋を取ると真っ白い木灰が敷き詰められて、いかにも初々しい感じがします。我が家の横の煙会所の囲炉裏は畳半畳ですから倍の広さで、相当ゆっくりした造りになっています。設計担当の息子はこの囲炉裏にお茶室用の五徳を3個もインターネットウォークションで買い求め持って来ましたが、これは全て茶室用で大衆の酒飲み用には通用しませんので、息子の友だちの鉄工所社長に私がお粗末な絵を書いて渡し造ってもらいました。その五徳がこの程出来上がって地元の人を呼んだ火入れの会に初披露しました。普通囲炉裏には自在カギが吊るされてその下に丸い五徳が置かれるのですが、畳一畳もの広い囲炉裏なので丸と長四角の二つを用意しました。

 五徳は広辞苑によると「炭火などの上に置き鉄瓶などをかける三脚または四脚の輪型器具」と紹介されていますが、中には陶磁器の五徳もあるそうです。昔は火鉢がどの家にもあって、小さいな五徳の上で鉄瓶から湯気が出ている姿を見たものでした。五徳が輪型と書いてあるので、水平線の家の五徳は長方形なので変わっている形で五徳とはいわないのでしょうが、それでも設計では5本の鉄筋で作られており、まるで音楽の楽譜に出てくる五線譜のような感じがしてこれも五徳といえそうです。

 しかし五徳の意味は以外と奥が深く、儒教では温・良・恭・倹・譲の5つの徳目を言うのだそうです。また兵家では知・信・仁・勇・厳の5つの教えを五徳とよんでいるようです。儒教も兵家の教えも今はただ遠い昔の教えになってしまいましたが、五徳を見ながら酒を酌み交わし五徳の意味について語ることも水平線の家の大切な教えだと思っています。

 温-心の温もり

 良-良い考えと行い

 恭-素直な心

 倹-倹約

 譲-譲る

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shin-1さんの日記

○みかんの花の香る頃

 昨日同級生の奥さんがすい臓ガンで亡くなった葬儀がありました。私は所用で1時からの葬儀にどうしても出席できないので、朝7時過ぎに喪服に着替えて同級生宅に弔問に行きました。あいにく同級生は留守で家の人も昼夜の疲れか、それとも最愛の人を失った悲しみか、まるでセミの抜け殻のような姿でお話をしました。死に顔は穏やかでしたが58歳の短い人生を一生懸命生きてきたであろう苦労の跡は痩せこけた顔立ちにありありでした。顔の白い布を開け線香を手向け合唱して綿棒で唇に水を含ませ、再び白い布を被せましたが、同級生の顔が浮かび思わず絶句しました。腰が痛い症状が出始め整体や整形に通ったそうですが一向に回復せず、総合病院へ回され精密検査ですい臓がんが見つかりましたが時既に遅しの状態だったとか、人間牧場のある集落で人間牧場からも同級生の家が見える位置にあることから、当分は人間牧場に登る度に思い出されることでしょう。

 そんな寂しい田舎の風情の中にも季節は確実に巡りて、みかん所のわが町では今、みかんの花が芳しい匂いをいっぱい漂わせて今が盛りと咲いています。この香りを嗅ぐ度に子どもの頃に習った「みかんの花の咲く丘」という歌を思い出すのです。この歌は静岡県が舞台と伺っていますが、川田正子さんが歌って一躍有名になりました。夕方大工仕事の片付けもあるので人間牧場へ行って何処からともなしに匂ってくるみかんの花の香りに誘われてハーモニカで吹いてみました。さわやかな風に乗ってメロディーが優しく流れ、たまたまお墓掃除に来ていた顔見知りのおばさんが「まあ懐かしい。進ちゃんハーモニカが上手だね」と拍手までしてくれました。

 「♪みかんの花が咲いている 思い出の道・・・・・・」と歌う歌を思い出す度に80歳で逝った母のことを思うのです。もう亡くなって六年も経ったというのに母は私の思い出の中に生きていて、いつも笑顔で私に語りかけてくるのです。船で漁に出たりその合間を縫ってこの人間牧場まで背負子を背負って何度も何度も登って下りながらみかんの花の匂いを嗅いだことでしょう。歌の結びに「♪優しかった母さん思い出す」がありますが、これからも母のことをしっかりと思い出したいものです。

 

 これが昨日わが畑の隅に一本だけ枯れずに残った母植えしみかんの咲きし花です。巻きついたカズラを取ったため樹勢が回復し沢山の花をつけました。今年は肥料でもやって大切に育てたいものです。

 ツリーハウスも板戸がついて、鎧張りの外壁工事に取り掛かりました。大工さんが手を抜かないため作業は順調ながら遅れ気味ですが、明日も仕事に来るそうなので「あんたが来ると雨が降るぞ」と大笑いをしました。

  「友の妻 逝きし寂しさ 紛らわせ みかんの花は 今年も香りて」

  「この香り 母の匂いと 勘違い 吹くハーモニカ 山にこだまし」

  「まあ上手 思わず藪から おばさんが 拍手しながら 薮蚊の如く」

  「蜂飛んで みかんの花の 蜜を吸う 俺もみかんの 蜜付けパン食」  

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