○一丁目の夕日
最近話題になった映画の題名ではありません。私の自宅は伊予市灘町1丁目にあるのです。したがって私の家から見える夕日は紛れもなく「1丁目の夕日(夕陽)なのです。今日は弁当持参で人間牧場の草刈に出かけましたが、草は殆ど刈り終わっているので、人間牧場第二農園を予定しているこれまた10年余り手を入れていない密林のような畑の開墾に挑みました。標高は約100メートルくらいで港が見えるロケーションもそんなに変わりがありません。ヨモギ、カズラ、カヤ、野いばら、乳モモなど、雑草雑木といわれる殆どが背丈ほどに成長して行く手を阻んでいました。でも草刈機と鎌で少しずつ前へ前へ進んで行きました。昨晩は人間牧場のある地元の人を招いて囲炉裏の火入れを行い、夜遅くまで楽しい交流をしたものですから、作業開始は10時頃となりました。混合油も残り少なくなっていたので3時過ぎには終わる計画でしたが、近所の叔母さんが珍しい私の百章ぶりを見つけては談笑するものですから、ついつい4時ごろまでかかっても畑2枚しか片付きませんでした。
?この畑は通称「駄馬」という地名で、母がみかんの木を植えていましたが、母亡き後はまったく手を入れていませんでした。近所の人が共同で設置したみかんの輸送に使うモノラックも、モノレールだけが草に埋もれていましたが、草刈機のお陰でこんなに立派な畑が出来ようとしています。今年はこの草を2~3回刈って草の力を弱め、果樹を植える計画です。
夕方家に帰って風呂に入ったところ、風呂の窓から綺麗な夕焼けが見えました。「そうだ今日の夕日を見てみよう」と急遽風呂を上がり、家の裏の高台に登りパンツとシャツという出で立ちで恥ずかし姿ながら、デジカメを向けました。夕日が鉄橋の向こうの海に綺麗に落ちてドラマチックでした。
そういえば夕日に憧れ、夕日を売り出す努力はしたけれど。、自分で夕日を写真に写すことなど暇もなかったのかすっかり忘れていたと、カメラを夕日に向けながら思いました。
これが今日の「1丁目の夕日」です。夕日は海抜によって、すなわち見る目の高さによって、また見る場所によって随分違った雰囲気を醸します。
これは昨日人間牧場から撮影した写真です。たった一日しか、しかも標高が100メートルしか、また場所も約10キロしか違わないのに、こんなにも違うのです。どちらがいいかは見る人の想いでしょうが、デジカメを使い、ブログに取り込めるようになって、カメラが俄然面白くなり、いつも持参するようになりました。そのうちいいシャッターチャンスをものにしたいものです。
「そういえば 夕日に狂いは したけれど カメラで写真 撮るの忘れて」
「夕日見る 暇が出来たか 俺にでも 写真写せる どんなもんだい」
「さあ次は 第二農園 耕して 桃栗梅など 早くも夢が」
「草刈機 ブンブン音を 出しながら 俺の手となり 手仕事進む」