shin-1さんの日記

○人間牧場から始めて撮影した夕日

 双海町の夕日は夕日のメッカシーサイドふたみを基点にすると、夏至の日に最も来たよりのコースを通り」山口県周防大島旧東和町辺りに沈みます。また冬至の日には最も西よりのコースを通って大分県大分市辺りに沈むのです。したがって人間牧場からは自慢の夕日が残念ながら冬場は山の端を通るため見えないのです。でも昨年一年を通じて観察してみると何度か綺麗な夕日が見えました。しかしその時に限ってカメラを持っていなかったり、見とれて写真に撮るのを忘れていたりと、散々でしたが、先日のツリーハウスの棟上の日、万全とは行かないまでも夕日を見ることが出来たので思わずシャッターを押してしまいました。この写真が人間牧場で始めて撮影された夕日なのです。

 今年は例年になく黄砂がひどく、沖合いに浮かぶ島々も黄砂で煙って見えない日が何日も続きましたが、それでも黄砂が降るとまるでファインダーをかけたような優しい色に見えるのです。この日は夕日が作る金の道が海の上を夕日まで綺麗に続きました。私は水平線の家付近から撮影しましたが、手伝いに来ていた仲間はもっと海に突き出た五右衛門風呂のデッキから見ていましたので、「今日の夕日は綺麗で感動しました」と言っていました。

 今年はつい最近になって雨の日が多く、自慢の夕日も中々拝めませんが、それでもやはり海に沈む夕日は美しく、何時までも見続けたいような雰囲気でした。夕日を見て感動する子どもが少なくなったと、作家の早坂暁さんはテレビの出演をご一緒したときしみじみと言っておられました。私もそう思います。今の子どもは夕日が沈む頃、頭に「必勝」などと書かれた鉢巻を締めて塾で勉強しているのですから、見ようと思っても見れないのです。親も夕日の美しさで感動しても飯が食えないと、点数を気にするこの頃の風潮なのです。でも「赤トンボ」に歌われた野口雨情の詩ように、感動する心は何時までも忘れることのできない心の宝物だと思うのです。私はその感動する心そのままに、これからも人間牧場から見える様々な原風景をカメラに収めたいと思っています。

 人間牧場の入り口の筍がもう背丈ほどに伸びていました。雨後の筍とはよく言ったものです。しもうた。あの筍も被写体としては面白いと今になって悔やんでおります。まあなにはともあれ、忙しさの余り周りが見えなかった私ですが、人間牧場から夕日が見えることを写真で実証できただけでも良しとしましょう。

  「牧場の 向こうに広がる 海の上 夕日が尾を引き ゆっくり沈む」

  「今までは 夕日すら見る 暇もなし 自慢がもう一つ 嬉しくなって」

  「この夕日 俺の宝と いいたいが 一人じゃとても 味わいきれぬ」

  「海夕日 見える場所に セカンドを みんな夢見る 金が出来たら」

 

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shin-1さんの日記

○曲がったキュウリと虫食いのキャベツ

 今日は東京から帰ったので少しゆっくりしようと思っていたら、妻がお昼に仕事先から帰ってきて嬉しそうに「今日は昼から休み」というのです。妻にしてみれば毎週日曜日しか休みがないので余程臨時休業は嬉しかったのでしょう。「じゃあ今日は昼飯でも食ったら温泉でも行くか」と誘ったところ話がまとまり、大洲の温泉に行く事になりました。車で40分くらいな所にあるのですが、ゆっくり清潔が売りだけあって久しぶりにサウナや暖かい温泉でのんびりしました。

 帰る時隣のスーパーに立ち寄って買い物をしました。農協系が経営しているらしく野菜が豊富で妻は持ちきれない程買いましたが、一番の買い物は曲がったキュウリと箱入りイチゴです。キュウリは曲がっているだけではね物とされ商品価値がないようで、どっさり入れて何と300円です。キュウリは曲がっていても真っ直ぐでも味は一緒だし、スライスしてしまえばこれまた同じなのに何故曲がったキュウリはこんなに安いのか不思議で仕方がありません。一方今日はイチゴが特売で普通4パック入れるダンボールの外枠箱にどっさり入って9百円でした。4パックに分けると1パックが225円につきます。パックに並べる手間を省いていたり粒が揃っていませんが、それでも食べるのには何ら支障のないことなのです。

 野菜売り場には綺麗な野菜が沢山並べられていましたが、妻が「お父さん、何で売っているキャベツはこんなに綺麗なのじゃろう。うちの春キャベツは青虫がいっぱい食べて穴だらけというのに」と唐突に聞くのです。「それは消毒して虫が食わんようにしているからで、うちのキャベツは美味いから虫も好んで食いよる」と話してやりました。妻は納得した様子で、握っていたキャベツを元の場所へ戻し買うのを止めました。

 わが家の菜園には今年もキャベツが沢山出来ました。お陰さまでリンキャベ(リンゴとキャベツを朝食の常食にしている私の造った造語です)毎日新鮮な柔らかい春キャベツを沢山食べています。大きなキャベツなので毎日ほおっておいたら青虫がどんどん食べて穴だらけにします。親父はそれを見かねて青虫を手でとっありするのですが追いつかなくて、このキャベツにナイロンの袋を防止のように被せる戦術をしました。今夕妻がキャベツを畑から取ってきて欲しいと頼むものですから、畑へ取りに行って驚きました。キャベツが白い帽子を被っているのです。

 私たち消費者はいつの間にか見た目に綺麗な商品を欲しがるようになりました。それが少々高くても、穴の開いた虫食いのキャベツなどは見向きもしません。それでいて自然がいいとか安全はなどと御託を並べるのです。最近まで、いや今もかも知れませんが、野菜作りを指導する農協までもが見た目重視の指導をしているのです。安全や地産池消、食育などの言葉も言葉遊びの感じがしてなりません。

 虫が食べて安全なキャベツは人間にとっても安全なことを、もっと心に言い聞かせたいものです。

  「虫食いの キャベツ食べてる わが家では 多分数日 命永らえ」

  「一袋 三百円の このキュウリ 料理次第で 何ら変わらず」

  「キャベツから 虫が出たと 文句言う 若いママさん あんたおかしい」

  「わが親父 キャベツに帽子 被せてる 凄いアイディア 特許にしようか」



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shin-1さんの日記

○東京もたまにはいいね

 昨日は東京都町村議会議員の研修会に招かれて上京しました。今回は一ヶ月ぶりの上京とあって何かウキウキして出かけました。久しぶりの東京は新緑の季節ということもあって、目にも鮮やかな緑があちらこちらに見受けられました。特に今回の研修会のあった青山表参道のケヤキ並木や明治神宮の森は「緑したたる」という表現がピッタリの雰囲気でした。時間的に余裕があったので表参道から原宿駅を経て明治神宮に参詣しました。雑木の下ではおじさんが長い竹箒で落ち葉をかき集めていました。この季節雑木は古葉に変わって新芽が伸びるので、落葉は秋の頃より多いのだとか説明をしてくれました。うっそうと茂った木立は外の喧騒をもかき消して、「これが東京のど真ん中?」なんて感じるほど静かな佇まいを見せていました。時折鳴くカラスの声さえも長閑さを一層引き立たせていました。

 折り返しは原宿竹下通りを通ってみました。どこも修学旅行の高校生がいっぱいで、田舎者のお上りさんって感じで右往左往していました。この高校生たちの中にはやがてきらびやかなこんな東京の一面に憧れて上ってくるのでしょうが、江戸の時代から田舎と都会の構図は少しも変わってはいないようです。再び青山のケヤキ並木に出ると小学生がたくさん絵を書いていました、。側で見てみぬふりをして覗いてみると、驚いたことに殆どの小学生がはデジカメで撮った写真をプリントした原寸大の写真を見ながら絵を書いているのです。これだと構図のとり方など苦労をしなくてもそれなりの絵が書けるはずです。先日わが町で港の風景を書いていた小学生の姿とは大違いで、一瞬考えさせられました。確かにデジカメの写真を見ると絵は綺麗に書けますが、果たして囲うとする物からどういった感情が伝わるのでしょうか。

 「日本中で一番南の都道府県は?」と尋ねられたらあなたはどう答えるでしょう。殆どの人が沖縄県と答えるでしょうが。何と東京都は小笠原諸島を抱えているので日本で一番南だそうです。東京都の町村は合併によって山梨県境辺りの山村と太平洋に浮かぶ離島だけの11町村と伺いましたが、随分寂しい数になったようです。でも集まった議員さんは、どこの市会議員さんにも負けない熱気溢れる方たちばかりで、私の話にも3時半からの講演にもかかわらず誰一人として居眠りする人はいませんでした。

 しかし世の中は不思議なもので、昨年と東京フォーラムで開かれた監査委員研修会や大島町の高橋議員さんの推薦もあって今回のお招きとなりました。全国町村議長会政務部事務局の渡辺さんや大島町の高橋議員さんに縁の深さを感謝します。

 その渡辺さんにはあいにくお会いできませんでしたが受付まで来られた由、また高橋議員さんには会場でお会いすることが出来ました。嬉しかったです。

  「東京の 新宿あたりを 歩いてた いきなり名前 こんな所で」

  「町村の 数が次第に 減っている 合併しない できない辛さ」

  「始まりは 小さなきっかけ 太くなり 今では全国 又にかけつつ」

  「この子らの 中にはいつか 東京で 一旗揚げる 人がいるかも」

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