shin-1さんの日記

○随分陽が長くなりました

 5月も半ばになると随分陽が長くなって早起きの私としましては夜10時過ぎになるとブログを書きながらあくびが出るようになりました。それもそのはず、今日は朝4時過ぎに起きてブログや朝読書などをやって7時前から食事を取り、新聞に目を通した後、もう8時には人間牧場へ着いて、何やかにやと雑事に追われ、夕方6時半まで働きづめに働きました。今日は嬉しい日です。人間牧場に隣接した梅畑を地主さんから譲ってもらったのです。僅か145坪余りの狭い畑ですがそれでも梅の木が10本もある優れものなのです。今日は地主さんと契約を交わし代金を支払ってマイ畑となったので、下草を刈ったり自生のフキを収穫したりウキウキで作業をしました。時折電話が鳴ったり来客が来たりでその都度作業は中断しましたが、それでもジャガイモ畑の草むしりや3~4日前に蒔いた枝豆大豆の芽が出ているのを発見したり、やっぱり儲け度外視の百姓は楽しいものです。

 午前中はウッドデッキに虫除けの蚊帳を吊るす算段のため息子の友人の鉄工所がやって来て盛んに工事をしていましたが、寸法が間違っていたと早々に引き上げて帰りました。

 6時過ぎになったので草刈機を片付けて帰り私宅をしている所へフロンティアの日浅棟梁がツリーハウス用の木材搬入のため奥さんと登ってきました。立派な桧材を使った木材に目を白黒させながらウッドデッキに積んで雨避け用のシートを被せて、日曜日の建前を予告して早々に立ち去りました。

 家へ着くと息子から鉄工所と一緒に冷蔵庫の取り付けと寸法違いの手直しのため人間牧場へ行くが行かないか誘われましたが、さすがに今日は疲れたので断りました。

 2時間くらいすると息子が山から帰って来ました。『お父さんデジカメの写真をお父さんのパソコンに入れとくよ」といっていとも簡単に入力して自宅へ帰って行きました。その写真が本邦初公開、夜の水平線の家です。私はまだ電灯を付けた夜の水平線の家は見たことがないのでその美しさは凄いと思いました。

 

 西明かりの残る空にくっきりと水平線の家がまるで浮かんだようにも見えるのです。沖合いを通る船から見るとまた格別な姿でしょうね。

 この写真i以外にも意外な写真が息子の入力したアルバムに入っていました。出し惜しみではありませんが、写真の撮り方まで親子ながらまるで違う息子のセンスは、カメラが高いだけでは決してないようです。

 今日も長い一日が終わり、明日もフロンティアグループの例会が松山で予定されているなど長い一日となりそうです。今日はこのブログを書き終わったらゆっくり風呂に入り、早めに床についてゆっくり休みたいと、足や腰に仕事疲れを感じながら思っています。そこへ次男が帰って来ました。「今日はしんどい農作業をした」と言うと次男は布団の上の私をうつ伏せにしてマッサージをしてくれました。次男は時々こうしたタダで出来る親孝行をしてくれるのです。やはり同居人のプー太郎は親に気を使っているのでしょうか。妻までもマッサージのご相伴に預かりました。お陰で体が随分楽になりました。

  「昼もまた 夜もまたよし 山の家 明かり光々 空はほんのり」

  「蒔きし種 雨水吸って 生えました 雑草もまた 蒔かぬが生えぬ」

  「灯り点き 人の気配の 夕間暮れ 空にぼんやり 小さな星が」

  「わが息子 同じ写真を 撮ったけど 何処か違うな これがセンスか」  

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shin-1さんの日記

○なくなった名刺入れ

 「歳をとるとろくなことはありません。物忘れがひどくて、先日も作業をしていて眼鏡をどこかに置き忘れ一生懸命探していました。それを見ていた妻が『お父さん何を探し取るの』と言うのです。『眼鏡を探しとるんじゃが、わしの眼鏡を知らんか』と言ったところ、『何言よるん、眼鏡だったらほら自分の頭の上にあるでしょうが。あんたボケたんと違うん』と言うのです。私も耄碌したものよと自分自身がホトホト情けなくなりました」とは私の話ではなく、はい先日退職をしたばかりの私の友人の嘆き節なのであります。私にそんな話をした後、「あんたはそんなことなかろうなあ」と同調を促すような話でしたので、「ええ、お互い歳ですから忘れることが多いですなあ。忘れんと勉強したことを全部覚えよったら偉くなり過ぎて大学へでも教えに行かなならんようになったり、頭が爆発しますけん、忘れるぐらいが丁度ええのかも知れませんなあ」と冷やかし半分に笑いながら話しました。彼との前置きの話で「あんた自由人になったそうなが、日ごろは何をし過ごしよるん。わしは家が百姓でもないし毎日お休みで何もすることがありませ」。(私)「はい毎週愛媛大学へ教えに行っとります」と会話を返していたので「しもた」と思ったのですが後の祭りでした。

 透かさず私は「私も最近忘れ状がよくなって、3日前にも名刺入れがなくなりまして、大事な名刺が入っていたので随分心当たりを探しましたが結局見つかりませんでした。特に家を掃除する妻に『お前が何処かへ片付け忘れたのでは』などとあらぬ詮索で疑ったりもしました。ところが朝の目覚めのとき急に思い出し、夜が明けるのを待ってその場所に行ってみると、何と私の名刺入れがあるではありませんか。しかもあの沢山の来訪者が来るシーサイド公園の石の上に、誰も築かなかったのか、気付いてもつまらぬ物だと敬遠したのか分りませんがよくもまあご無事で」と話しました。彼と同じように私も物を忘れることが多く、最近は出かける時に「ハトがマメ喰ってパーパー」などと確認して出かけるのです。「ハンカチ・時計・万年筆・名刺入れ・免許証・携帯電話」と触りながら確認するのです。

 私の名刺入れはコカコーラから『環境教育賞」なるものを頂いた折、記念品で貰ったものです。品がよいのか相当使っているのですが色あせることもなく重宝しています。名刺入れには一週間分くらいの頂いた名刺も入っているので、名刺入れの紛失はそれらの紛失にもなって迷惑をかけてはいけないと思って探したのです。

 でも物忘れして紛失した物を発見した時の嬉しさは言葉に代えがたいものです。疑った妻に「やっぱり思った通りシーサイド公園にあった」と見せると、「やっぱりを思い出すのが遅すぎる。何よ、私を疑ったりして、あんたも歳ねえ」で一応幕引きとなりました。しかし名刺を探していて新しい発見もありました。なくなって諦めていた木製の名刺入れが車の座席下から出てきたのです。もう1年間も行方を追っていたお尋ね物を探し当て、私の名刺入れは代替品として後に購入した木製名刺入れを含めると三つになったのです。目出度し目出度しです。

  「忘れ状 歳のせいでは ありません 注意をすれば 何てことない」

  「忘れ物 したきっかけで 別の物 見つかり喜ぶ たまにいいこと」

  「三日間 よくもご無事と 名刺入れ 探し当てたる 公園の隅」

  「言うた後 しもたと思う こともある 口は災い つつしみ深く」

   

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