○37回目の結婚記念日
私たち夫婦は昭和46年5月5日のこどもの日に結婚しました。つまり明日は37回目の結婚記念日なのです。今まではむしろこどもの日に重点が置かれ忙しくて、ただ何となく5月5日が過ぎていました。でも結婚記念日何て考えると新鮮な感じがするのです。世の中ではありふれたごく普通な夫婦ですが、それなりに波乱万丈な36年間だったようにも思います。
結婚したとき私は愛媛県青年団連合会の会長をして、それは忙しい日々を過ごしていました。故にわが家へは毎日のように青年たちが押しかけ、新婚なんて雰囲気はありませんでしたし、教育委員会で社会教育をしていたものですから、土日も夜も仕事で家を空けるのはざらで妻には随分苦労をかけたと思います。その後子どもが4人生まれましたが、子育ても主にではなく全てが妻の役割でした。社会教育主事の資格を取るため香川大学へ一ヶ月、総理府派遣青年の船の班長としてアメリカ・メキシコ・ハワイへ二ヵ月半それぞれ家を空けました。社会教育13年の後半は町名変更を担当し、町を二分する激しい騒動の渦中に巻き込まれ町長リコールなど様々なことを経験し、私もそうでしたが妻に最も苦労をかけました。まちづくりを担当してからは夕日や花や蛍やメダカなど様々な仕掛けで町を有名にする努力をしましたが、ここでもシーサイド公園の建設や運営など日本で一番小さなたった一人の課長として激務に追われました。子どもの進学や就職、結婚など家庭の節目を何とか乗り切りましたが、妻の看病の果てに祖母や母を亡くし今は父の面倒を妻が見ています。役場を退職して教育長に就任2年間でしたが合併する昨年まで、最後の仕事をどうにか過ごし無事念願の自由人となりました。昨年は長年の妻の苦労に報いるためカナダ旅行を行い少しばかりの恩返しをしたのです。足を切って入院したりもしましたが、まあ二人とも元気で、長女・長男の結婚、孫の誕生など色々ありましたが、37回目の記念日を何とか迎えることが出来ました。
去年は忘れていた結婚記念日を今日ふと人間牧場の掃除をしていて思い出しました。妻に「明日はわしらの結婚記念日だが覚えているか」と尋ねようと思ったのですが、「結婚記念日にはご苦労様のプレゼント」を要求されそうなのでぐっと堪えて飲み込みました。当日の朝、つまり明日の朝言おうかと思います。
それにしても36年間はあっという間に過ぎてしまいました。当面の目標は金婚式の50年ですが、勿論家族ともどもですが二人が元気で13年後のその日を迎えたいものです。夫婦円満の秘訣はわがままな私が妻に歩み寄る以外はありません。分っていても中々口に出しても言えないし、行動で示すのはもっと大変ですが、少しずつ自分のわがままを手直ししたいと思っています。
昨日お寺さん参りをしながら、お参りする人様の夫婦を何組も見ました。私たちと同じような人生を歩んでこられたのでしょうが、二人並んで手を合わせて拝む邪念の払われた穏やかな姿を見て、私たち夫婦は逆にどんな姿に見えるのだろうと思ったものです。夫婦は人生の基本です。お互いこれからも助け合って生きてゆきたいと結婚記念日を前に自分の心に誓いました。
「こどもの日 実は夫婦の 記念日で 三十七回 やっとここまで」
「雨風や 寒さ暑さも あったはず 下を支えた あなたは偉い」
「一と一 足せば二になる はずだのに わが家六なる 子ども恵まれ」
「記念日を 覚えているだけ まだましだ 今日は手足を 揉んでやろうか」