○ある親の苦悩
子どもを育てることの大変さは、子どもを育てた人にしか分からないといいますが、特に反抗期や思春期の何かと問題を抱えた子どもに対する教育は相当頭を悩ませます。今日も突如としてある親から子どものことについて相談を受けました。喫煙が発覚して学校から謹慎処分を受けたというのです。集団での喫煙だけに集団で一律同じ謹慎処分と思いきや、その子だけが家庭謹慎という重い処分を受けたそうです。親で見たら合点がいかぬと言うのですが、相談する人もなく尋ねあぐんで私の所へやって来ました。早速学校へ連絡を取り、学校へ出向きましたが、何度も同じ過ちを繰り返してきた過去の事実と、先生たちがこの子どもを立ち直らせようと努力してきた経過が先生の説明で明らかになりました。
学校は、青少年の喫煙は法律違反であり、青少年の健康を蝕む観点から絶対してはならない行為だと厳しく言っているにもかかわらずやめれないのは、本人の意志の弱さと親のしつけが悪いと断罪し、退学処分を決定したようです。本人の将来を思うと悲しくなりましたが、決意文を書いた前回の反省が生かされなかった本人や親のあり方や、指導努力の甲斐もなく成果を挙げれなかった学校側にも責任はあるようです。
私を見込んでの相談とは、親からすれば「学校に顔の聞く人に頼めば何とかなる」といった安易な考えがありはしないか、またその甘い親の姿勢が「悪いことをしても頼めば何とかなる」という本人の甘えに繋がっているようにも見えました。
これでは折角の危機をチャンスに生かすことは出来ず、たとえ退学という重い処分を今回免れても、本人のためにはならないと、思い切って退学を勧めにお家へ伺いました。あいにく両親は留守でしたがおばあちゃんがいましたので、過酷だとは思いましたがそのことを話して帰りました。おろおろ涙するおばあちゃんの姿を見たとき、この涙を本人がどう感じるのか明日にでも本人に話してやりたいと思いました。
学校へ行きたくても行けない時代を過ごしたおばあちゃん。学校へ行きたくないのに学校がある時代に育った孫。どちらも悲劇です。「こんな子どもに育てたのは親の責任です」t嘆く親の悲しみもよく理解できます。
通っていた学校へは行けなくなるだろうけど、本人が早く立ち直って両親やおばあちゃんの笑顔を見たいものです。そのためには私の役割は何なのか、関係ないと思わず逃げずにしっかりとお手伝いしたいと思います。
「悲しきは可愛い孫がマゴマゴと迷える姿見るに見かねて」
「辛いけどここでしっかりせにゃならぬ親という字は立・木・見る」
「何にでも興味を示す若さゆえでもダメなものダメダメダメだ」