○妻が風邪でダウン
埼玉から二日ぶりに帰ってみると、妻は仕事に出掛けていました。娘の夜勤の都合で孫が我が家に来ていましたが、次男と久しぶりに帰省していた三男が孫の面倒を見てくれていました。
妻が職場から昼過ぎになっても帰らないのでおかしいと思いつつ、青少年の合宿研修に顔を出し、帰ってみると妻は床に伏せっていました。病院で点滴を受けていたのだそうです。
夕方になっても妻は起き上がることが出来ず、私は右往左往しました。幸い自炊経験のある三男がテキパキと食事の準備をしてくれました。私は大きな声ではいえませんがお湯を沸かしただけです。
私は自慢ではありませんが、家事は家でまったくやったことがないのです。無人島キャンプなどの野外活動も、もっぱら食事の得意な仲間におんぶにだっこで、会の運営などに携わっていました。「お父さん私が病気になったらどうするの」といつも妻から小言を言われてきましたが、こんなに早く病気になろうとは夢にも思いませんでした。妻の枕元に行って、何をどうするのかいちいち聞きながら、結局はお湯を沸かすしか芸のない私は、つくづく自分のふがいなさが身にしみました。「病気になったらその時はその時」と鷹を食っていましたが、この際自立できるような自分になりたいと思いました。
三男はご飯をちゃんと炊いて、仏様と神様棚にご飯を供える習慣までちゃんとやってくれるのですから、驚きでした。神様・仏様に妻の風邪が早く治りますようにお祈りしましたが、それは自分の食事を作ってくれる妻がいないと困るからといった、安易な考えの祈りであったことも、少しだけ反省しております。はい。
それにしても三男の作った鍋物は美味しかったです。「鍋でもするかい」と思いつき、三男は急遽畑へ大根を抜きに走り、下ろし大根までする徹底ぶり、空いた口が塞がりませんでした。三男と久しぶりに向かい合って二人だけの食事をしました。いつもガミガミいう山ノ神(妻)は別室で寝ているのですが、台所はまるで火が消えたような静けさでした。いるものがいないだけでこんなにも暮らしの雰囲気が変わるものなのかと、改めて妻の偉大さに感心しました。
嘔吐下痢症の妻は食事を枕元に運んでも食べることも出来ません。三男はポカリスエットを枕元に運んで母の病気を気遣っています。
明日、私は早立ちで広島へ行かなければなりません。妻の病気は、明日が休みの次男にまかさなければなりません。寒くなった旅支度にとパッチ(ズボン下)を穿いて行くよう寝床から心配してくれています。有難う。母さん。
「床伏せし妻に感謝の言葉かけ旅に出る朝後ろ髪引く」
「黙々と鍋をつついて晩飯を息子と二人味気なきかな」
「携帯の声でうつらぬ流行風邪妻は床臥し私ピンピン」