○伊予市の若松になって半年
私は生まれたとき、伊予郡下灘村の村民でした。12歳の時上灘町と合併して双海町民となりました。そして60歳で伊予市・中山町と再び合併し新伊予市民になりました。村民・町民・市民とされぞれ居住する地域の自治体名称は変わりましたが、今も双海町という町名が残っているため、何か複雑な気持ちです。
4月1日に合併して公職を去ってから、公の場所に出る機会が少なくなりましたが、それでも請われるままに全国行脚をしていると、自己紹介をしなければなりません。これまで50年間も使ってきた愛媛県伊予郡双海町という地名を捨て、愛媛県伊予市双海町と紹介するのですが、なだまだぎこちない感じがします。
でもひょっとしたら4万市民の中で、伊予市民を公言した数は、上位にランクされるのではないかと思うのです。
もうひとつ、厄介なことは毎日ハガキを3通書く私の18年間にも及ぶ実践の殆どは、伊予郡双海町大字上灘甲5391-2のゴム印を使用していましたが、只今は昔のゴム印も使えず、とりあえず伊予市双海町上灘甲5391-2と手書きをしています。役所のように毎日手紙を出す人を除けば伊予市という市名を書いた数は、これまた上位にランクされることでしょう。最初は間違ってばかりの住所も最近では随分なれてきました。こうして一つ一つの言葉や文字を使うことによって、伊予市民としての誇りも生まれてくるのだと、納得いかぬ自分に言い聞かせているのです。
昨日来た伊予郡双海町という住所での手紙も、経過措置でしょうか丁寧に郵便局は届けてくれます。1週間前は何と郵便番号があったので届いたのでしょうが愛媛県、若松進一で堂々と我が家へ郵便物が届きました。一瞬「おらも有名人や」と勘違いするほどでした。
今年も年賀状が売り出されました。昨年までは千枚に手の届く枚数が舞い込みましたが、セミ・リタイアした来年はさて何枚か、また性格に住所を記したハガキは何枚か、郵便局を悩ませる平成の大合併のゴタゴタは当分続きそうです。
私も暇を見つけて住所録の整理をしなければなりませんが、合併したとこしないとこ、私の頭も悩みそうです。いっそこの際年賀状を止めようかとも思ったりする今日この頃です。
去年インターネットで5通年賀状もどきをいただきました。これもひとつの手かも知れませんが、入力しなければないませんから煩わしい・・・・・。あー面倒くさい。
「面倒くさい匂いもせぬにくさいという頭をかいてお尻もぞもぞ」
「来いとなど言わずも正月やって来る歳という名の土産を持ちて」