○不足の不足
今の世の中は物があり余るほど豊富にあって、人々の暮らしも豊かになりました。私たちのように戦後の物のない時代を経験した世代にとっては、何とも幸せな時代です。でも人間は満ち足り過ぎるとかえって幸せの実感がわきにくいものです。日ごろは麦飯に沢庵でも盆や正月にご馳走を食べた嬉しさは記憶に残っていても、肉も魚も毎日食べてる日々の暮らしでは、何を食べたのかはっきり覚えていません。
現代は「不足が不足する時代」だと思います。現在は世界的な原油高騰で油の値段が多少高くなっていますが、それでもお金を出せば油が手に入らないということは余程の事がない限りありません。ひと頃トイレットペーパーやお米が不足したことがありますが、それでも明日の暮らしに困るということはありませんでした。日本人は栄養が行き届き、肥満が元で糖尿病などの成人病が問題になっています。まさに不足が不足していると思うのです。
不足が不足といえば、お金に関してみんな不足だと思っています。もっとお金持ちになりたいし、歳をとると年金も不足だと嘆いています。でも本当に不足なのかというと、それなりの貯蓄もあるし決して不足ではないはずですが、大金持ちの誰かと比較して不足だといっているのであって、慎ましやかな暮らしをするのにはそんなに困ることはないはずです。また自分の能力についてもみんな不足だと思っていますが、五体満足な体を持ちながらなんで不足といえるでしょう。体にハンディを持つ人たちが明るくも逞しく必死に生きてる姿を見るにつけ、私たちは不足が不足していると思うのです。
恵まれ過ぎた人間の不足は不満だと思います。不が付く言葉でも足と満では意味が大分違うのです。本当に足らない人は手の届きうる身近な目標を手に入れようとします。ところが足りた人の思い上がりの不足は、夢のような目標を手に入れようとします。そこが違うのです。
恵まれない国には学校が不足しています。戦争や飢餓に苦しむこれらの国では学校へ行きたくても学校に行けません。遠い国の話だけではなく、私の父親が小さかった頃の日本は貧しくて学校へも行けませんでした。今の日本はどうでしょう。学校がいっぱいあるのに学校へ行きたくない子どもがいっぱいいて、大きな社会問題となっています。何かが足らないのではなく何かが過ぎるのです。
言葉上は不足の不足なんて無いのかもしれませんが、私が常日頃から思っている「不足の不足」という意味を、一度ゆっくり考えてみては如何でしょう。
私も実は不足が不足しているようです。