shin-1さんの日記

○食事の門限

 健康に気を使う年齢になると、美味いものより体にいいものを食べるようになりました。特にみのもんたのおもっきりテレビなどを見た日は、妻の作る食事に変わりはないのですが、何故か食べるときに能書きや知ったかぶりの薀蓄をやたらと聞かされ、「これはお父さんの体を思って作ったのだから食べてください」とまるで監視付きです。

 今日は秋刀魚の刺身が出ました。多分テレビで青魚に多く含まれるDHAの話を聞いたのでしょう。妻が「この魚は・・・・」と言い始めたので、「分かった分かったDHAが大分含まれていて、成人病予防は老化防止に役に立つのだろう」と先手を打つと、何で知っているのとキョトンとしてあっけに取られていました。

 それにしても今年は秋刀魚が安いです。脂の乗った旬の秋刀魚は私たち庶民にとっては有難い豊漁なのですが、漁師さんにとってはこのところの原油価格の高騰がもろに響き、廃業寸前に追い込まれている人もいると聞きました。金子みすずの浜は大漁、海の中ではいわしの弔いといった逆の現象が起こっているようです。

 このところ忙しい日々が続いてまともな食事をとっていません。昼飯は平気で抜くわ、夜は遅いわで食事が健康の元と分かっていても、現役の時のような不規則な状態が続いています。大病を患ってからは食事に門限を作っていました。私の食事の門限は9時、それ以降は極力食べないように努力してきたのですが、先日も悪いこととは知りつつあえなく門限を破ってしまいました。案の定体に変化が起こり体の調子が今一になってしまいました。やはり食事の門限は守るべきと心に誓いました。

 それにしても、長男が結婚して別居し、末っ子も半年合宿の学校に入校し、我が家は只今次男と私たち夫婦の核家族になってしまいました。勿論隠居に父が暮らしていますが、夕食のみの対応なので、一ヶ月前と今とではご飯、おかず、牛乳、パン全てに随分作ったものが残るようになりました。もったいないの精神を自称する私としては妻に度々注意をするのですが、なかなか美味くいかず、結果的にはゴミとして処分してしまいます。物のない時代に育った私としては心が痛みます。妻と相談して何とかこの悩みを解消したいものです。

 先日デパ地下に行きましたが、地下の食品売り場はすっかり様変わりしていました。つまり惣菜屋がこれでもかと言わんばかりに軒を連ねていました。その惣菜屋にはお袋の味といわれるような調理した食べものが何でも売っていて、お客は先を争うように少量多品目を買い求めていました。家で作れば手間とゴミとができます。少々のお金で暮らしに彩が添えられるとしたら、多少の出費は我慢するのが現代の暮らしです。

でも妻の手作りの食べ物の方が美味いに決まっていると心に言い聞かせて、味見をしながら通りすがり増した。飽食日本、物余り日本、贅沢日本、本当に困った世の中です。

 私は買えないのではありません。買わないのです。

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shin-1さんの日記

○私のペンネームは大根心

 かつて私は教育委員会に勤務し、公民館活動をやりながら町の広報を書いていました。タブロイド版とはいいながら毎月2回の発行はすさまじい仕事量で、寝る暇を割いて紙面づくりに明け暮れました。10年間で240号をたった一人で発行したのですから、立派というほかはありません。当時はワープロもパソコンもなく鉛筆と消しゴムの原稿書きでしたから、机の下は消しゴムのカスと間違って書いては丸められた原稿用紙が所狭しと散らかって、まるで売れない貧乏作家の部屋のようでした。

 しかし今思うに若さにまかせて何の屈託も疑問もなく、使命感を持って望んだこの仕事が、実は「書く」という大きな宝物を得ていたのです。私にとって「書く」という作業は喋ることや実践することと同じくらい重要な意味を持っています。インターネットが普及しブログに雑文を書く作業も、雑誌依頼の原稿を書くことも全て「書く」という行為で、随分書けることによる恩恵を受けてきました。まさに「鉄は熱いうちに打て」の格言そのままの修行をしました。私の書棚にはファイルに納められた240号の広報がしっかりと収納されています。

 町の広報は町の歴史そのものでもあります。ひとつひとつの記事には取材で出会った町民の顔や声が秘められており、懐かしさでいっぱいです。

 その広報に「こちら編集局」というコラムを私的タッチで書きましたが、その時のペンネームが「大根心」だったのです。時には痛烈な行政批判を隠し味として書いたため、町長や議会からクレームをつけられたりもし増したが、読者たる町民からは様々なエールが送られてきました。町名変更の責任を取って異動させられた時まで10年間にわたって書いた「大根心」の戯言は自費出版「町に吹く風」にまとめられ発行しました。

 「大根心」というペンネームのいわれは、大根は根の白い部分を食べるのですが、ついつい緑の葉っぱに人の目が行きがちです。でも本当は地中に埋まって隠された部分が値打ちなんだと、自分を戒めるつもりで名付けました。

 大根が美味しい季節になりました。我が家の畑の大根もやっと大きくなって、もうそろそろ食べごろです。昨日始めて収穫した大根ですり大根を作り、水炊きのタレに入れて食べましたが中々の味です。そろそろおでんとして煮込まれることでしょう。また葉っぱは菜飯、根は沢庵に漬け込んだり、最近よく食べる大根サラダとしても重宝です。今年は早く種を蒔いたため残暑で害虫にやられてしまいましたが、それでも自家には問題ないようです。

 「大根を見る度思うペンネーム良くぞ書いたね10年間」って心境ですが、お陰で今朝もブログに走り書きしました。

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