○対立軸
世の中には鏡に写る自分の姿のように、虚像と実像、左と右、上と下、天と地、好きと嫌い、損と得、善と悪、夢と現実などなど様々な対立する言葉があります。人間はいつも頭の中でそのことを判断し、選んだ方向に向かって進みます。自分の選んだものが正しかった場合は嬉しくなりますが、間違った判断だと時には失敗や大損をこうむることがありますから、判断力は人間がこの世に生きてゆくための大切な道具です。特に自分の判断が多くの人の生き方を左右する場合は、しっかりと熟慮しできるだけ正しく早い判断が求められます。
しかし時には自分の判断のほうが正しいのに、その判断する人の判断が間違っているとえらい目にあっありします。例えば自分が無人と生活をしていた時、台風が来るから非難したほうがよいと上の人に言っても、その人が逆の判断をすると参加者は危険にさらされるのです。また国語のテストで「この絵を見てあなたはどう思うでしょう」と答えを求められても、答えは幾つもあるのですから、試験官の判断が正しいとは限らないのです。人生はそんな場面によく出くわします。自分流の判断や答えが受け入れられなかったら、運が悪いと思えばいいのですが、「私の判断が正しかった」とか「私の考えも正しい」などと人間は得てしてそんな時後で文句のひとつも言いたくなるのです。「俺は何て不幸に生まれたんだ。また貧乏くじを引いてしまった」と・・・・・・。
人間は思い込みの動物ですから、思い込みを正さなければ一生貧乏くじをする引くことだってあります。しかし自分の判断ミスを人のせいにするような人間にはなりたくありません。その判断をしたのは自分だし、その判断によって人が判断したのも元はといえば自分なのです。
昨日もささいなことから判断ミスを犯してしまいました。その時は相手の出過ぎたまねに憤慨しましたが、考えてみればそれは私のためを思ってしてくれた親切なのだと思うと随分楽になりました。
夏目漱石の草枕の一節の如く「情に竿さしゃ流される。とかくこの世は住みにくい」ものなのです。言葉や行動の裏と表を読み取る技量が見に付くのはまだまだ先のようですね。